山行がでは「佐渡シリーズ」をこれまで3本書いているが、全て県道佐渡一周線の旧道で、かつ隧道がある区間だった。
だが、隧道を持たない旧道区間ももちろんあるし、そういうところにもよい景色は眠っている。
シリーズ第4弾の今回は、今までよりも楽に訪れる事が出来る、旧道になってからの時間もまだあまり経っていない新しい旧道を紹介しようと思う。
この旧道は、第3弾として採り上げた「大山隧道」の北側に隣接する区間にあり、黒姫集落と虫崎集落の間である。
探索の時系列も大山隧道レポート最終回のすぐ次だ。
大まかな場所を紹介したところで、現地の地形図を見てみよう。(→)
現在の県道は、黒姫集落を出ると間もなく内海府トンネルに入り、抜ければそこが虫崎集落という、運転は楽だが車窓はお寒い状況になっている。
ちなみに内海府トンネルの全長は1759mもあって、これは佐渡で2番目に長い道路のトンネルだ。
こんなに長いトンネルはもちろん最近の登場で、平成20年に完成したばかりである。
つまり僅か5年前までは、これから紹介する旧道が現役の主要地方道だった。
それでは早速、現地の探索風景をご覧頂こうと思う。
佐渡市黒姫集落内からスタート!
2013/5/27 12:35 《現在地》
この黒姫は、昭和29年に両津市の一部となるまでの佐渡郡内海府村においては、最南端の集落であった。
両津港から来るバス路線も長らくこの黒姫が終点であり、次の集落にあたる虫崎へ路線バスが入るようになったのは、昭和33年のことであった。
それまで黒姫の先にはまともに自動車が通れるような道路が通じていなかったのだ。
(かつて内海府村役場が置かれていた北小浦集落までバスが入ったのは昭和40年でというから、内海府海岸における陸路の整備は佐渡の中でも遅れた方だった。)
そのため、黒姫以外の内海府村の住民が両津や国仲方面へ出るには、この黒姫まで陸路を歩いてからバスに乗り変えるか、村内の多くの集落を結んで運行されていた定期船を初めから利用したそうだ。
黒姫集落内の県道は新道と旧道が近い場所を並走しており、新道が海沿いを占めている。
例によって家並みは陸側の旧道を中心に広がっているが、写真はその旧県道が黒姫川を渡る黒姫橋である。
特に変わった橋ではないが、この上から眺めた大佐渡山地の山並みが綺麗だった。次の写真がそれ。
旧黒姫橋から眺める、黒姫川の谷と大佐渡山地の山並みは、
改めて佐渡が大きな島だという実感を私に与えた。
一番奥の稜線が内海府と外海府を分ける大佐渡山地の主稜線なのだが、まだ随分と遠くて高い。
これから海岸線を北上していけば、この山脈は徐々に痩せ細って最後は鷲崎で日本海に落ちるが、先は長いだろう。
何となく気楽に構えていた「佐渡一周」と言う四文字が、自転車にはなかなか果てしのないものと感じられたのである。
12:34 《現在地》
黒姫集落がすぐに尽きると、いったん旧道と現道は一つに戻る。
それからシーサイドの草原風景を貫く快走路を400mほど走り抜け、前方にトンネルの大きな口が近付いてきたところで、再び旧道が脇に零れ出た。
このトンネルが佐渡で第2位の長さを誇る、平成20年に誕生したばかりの内海府トンネルか。
分岐している旧道も、特に封鎖されている様子はなかった。
どうせなら旧道を走りたい。
それに、せっかく綺麗な海が近くにあるのだから、風景を見ながら旅をしたいじゃないか。
迷わず旧道にハンドルを切った。
…この時点では、ただ快走が出来るものと思っただけで、廃道的な要素については、別に期待もしていなかったのであるが。
なかなかどうして侮れない、2kmの楽しい旧道の始まりだった。
旧道に入ってすぐ、撤去されないまま残っているヘキサがお出迎え。
執拗に絡みついたツタは、4回分の夏の成果というわけか。
今後わざわざ標識を撤去する事も無さそうだから、この標識は今後良い経年劣化の見本を提供してくれそうだ。
そしてその先には、両津からここまで来て初めて目にする「対向車注意」の標識があった。
確かにこの旧道にはセンターラインが描かれていない。
ということは、平成20年に現道が開通するまで、ここは両津から来た2車線の県道が最初に1車線に絞られるボトルネックだったのだろう。
今のところ旧道は別に悪い道には見えないし、センターラインを敷けばすぐに2車線化出来そうだったが、敢えてそれをせずに2km近いトンネルを新道としてチョイスしたのは、どうしてか。
この先の旧道のどこかに、その答えがあると思われる。
う〜〜ん!!
気持ちのいい道!!
あっという間に海際まで山が迫り、道は急傾斜の山と水平の海の間隙を縫うようなった。
そして見渡す限りに、ずっと同じような地形が続いている。
確かに、これを2車線に拡幅するのは容易ではないだろう。
不可能では無いにせよ、相当大規模に山を抉るか、海を分けて貰う必要がある。
現代のトンネル技術の多大な進歩は、こうした地形との細々とした交渉の手間を厭って、地中に活路を見いだすことが増えた。
まるでそこが人類だけのために用意されていた敷地であるかのように、地中という巨大な世界を専ら利用している。
そして事実、地球上には人類ほど地中の利用に長けた種はいないようで、地中で何かが絶滅したという話も聞かない。
長大トンネルの活用は、経済的にも、安全的にも、環境への負荷という意味でもベターなのだと思うが、その便法も無敵ではない。
対価として我々は、風光を愛でる「ながら」時間を大幅に失うことになった。
運転し「ながら」味わえる癒しを半強制的に取り上げられ、それを得るために、わざわざ遠くの人混みへ出掛けることが普通になった。
いい道は、たいてい棘を持っている。
立入禁止になっていない以上、ここはまだ現役の旧道だと思われるのに、
その路上には、掃除されないままの落石片が散らばりつつあった。
さすがに直撃の確率は極めて低いと思われるが…
“雨あられ” のように降ってくるらしいから注意だ。
道幅の問題だけでなく、この落石マシンガンへの防衛をどうするかというのも、トンネル化への大きな舵取りに繋がったものと思われる。
ロックシェッドをいくつも作れば、そのコストはトンネルと大差なくなるだろう。
それにしても、末期の急造らしい落石避けフェンスが涙を誘った。
設置者もさすがにこれは美観的に申し訳ないと思ったのか、わざわざ「この柵は石や土砂が道路に落ちてくるのを防ぐために設置しています。ご迷惑をおかけします
」と、妙に低姿勢に言い訳をしている。
おそらくトンネル化が決まった後で、この旧道の維持費はカツカツになったのだろう。
それにしても、いくら塞がれていない旧道とは言え、本当に交通量が皆無に等しいなぁ…
と思っていたら、
12:38 《現在地》
塞がれてた〜!!
こいつめ、フェイントを掛けて来やがった。
現在地は旧道入口から300mの地点で、地形図では小さな沢が道を横切って流れている。
現地には橋などはなく水もまるで見えない(暗渠なのか)が、そこで道は前置き無しで塞がれていた。
封鎖を避けるように左へ分岐する小径も見えるが、これもすぐに行き止まりのようだ。
ワルニャ… (どれどれ…)
わるにゃーん!!(飛び出し)
旧道はいま、クズ(葛)鋪装が完備されつつある、廃道へ!
そうかそうか。もう旧道は要らないか。
では、私が独り占めさせていただこう…。(ニヤニヤ)
予告なく突然始まった封鎖&廃道区間。
この状況がどこまで続くのかは知らないが、どんなに長くても1.5km先には虫崎集落がある。
それに、ほんの5年前まではバリバリ現役だった県道だ。
特に困難な場面は無いだろう。
別にこれはいわゆる“フラグ”というやつではない。 …違うって。
改めて地形図で現在地周辺を確認したところ、今右奥に見えている露岩の岬には、橋掛岩という名前が付いているようだ。
ここから見たところ、特に橋が架かっているような形はしていないが、景色は良さそうだ。
この時、手前の尖った岩には、特に注目を払わなかった。
単にそれは、道路によってかつて山の本体から切り離された、寂しい残部に過ぎないと思った。
そしてその見立ては間違ってなかった。
しかし、素通りは許されなかった。
12:41 《現在地》
なんだあれ?! まさか道?
何気なく振り返った俺、グッジョブ!
振り返らねば、確実に素通りしていた。
シッポピンしたので、すぐに戻って来た。
ここは2枚上の写真を撮影した地点で、路肩から下を覗き込んでみると…
旧旧道と思しき、狭隘かつ凶悪な道形が…!
自転車を乗り捨て、路肩の草地に身を躍らせる。
間違いない、これは道形だ。
今はただ海と岩場に仕切られた小さな平場だが、明らかに人為的な岩場への工作と、路盤の平坦化が認められた。
まるで内海府海岸の広大な景観に刻み付けられた小さな鑿痕を思わせる、道の名残だった。
その正体は、昭和28年の地形図に描かれている黒姫以北の「里道」であろう。
確かに自動車は絶対通れないような規模だが、それでも車両を通したいという意志と、地形を改変してでも難所を克服しようという意欲は感じ取れる。
明治以降の近代車道なのは間違いないと思う。
黒崎〜虫崎間に最初の自動車道が開通したのは昭和33年(この年に路線バスが虫崎に入っている事から)というから、この場所が道でなくなってから既に半世紀を経過している。
同じ地形を相手にした道だが、廃止5年目の旧道とは別世界である。
そして絶景。
草一本生えない橋掛岩を前景に、渺々たる海原を独り占めだ。
岩場の先端を回り込むと、先ほど私を驚かせた、凹んだシルエットの場面であった。
いわゆる、 片 洞 門 というやつだ。
その張り出し方は凄まじく、部分的には本来の道幅を越えてオーバーハングしていたようだ。
また、全体的に角の処理などが甘く、四角い車両が通行するのには如何にも不向きであった。
改めて自動車の通れる道ではなく、せいぜい牛馬挽きの荷車止まりと思われた。
…このまま通りぬけたかったが…
下がない!無理〜。
ここには橋があったのか。それとも路盤が海に持っていかれてしまったのか。
どちらにせよ、前進は不可能である。引き返して旧道へ復帰した。
以上、
山行が史上最短の旧旧道レポート終わり。
次回は橋掛岩の先を紹介するので、お楽しみに。
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