ミニレポ第231回 福島県道237号小栗山宮下線 沼沢トンネル 後編

所在地 福島県金山町
探索日 2009.6.27
公開日 2017.8.28

初体験は皆が驚く珍しいトンネル


2009/6/27 14:14 《現在地》

律儀にも旧道をもう一度通って、自転車を残していた東口へと戻ってきた。
これから、自身初体験となる沼沢トンネル内部探索を開始する。
私は、東西両坑口を先に見ることで、このトンネルが珍しい、陸底部にある“突っ込みトンネル”であることを、入る前に知ったのである。
トンネルだけを旧道で迂回するという、オブローダーならではの奇妙な通行をしなければ、こんなことにはならなかっただろう。

改めて東口をまじまじと眺めてみたが、どう見ても平凡などこにでもあるトンネルだ。
このトンネルは内部には、“突っ込み勾配”だけでなく、“トンネル内分岐”の存在も予期されており、いわゆる変態要素を詰め込んだ“変T(unnel)”なのだが、外からはとてもそのようには見えない。




数十分ぶりに、再び東口から内部を覗く。
さっき見た、奥へ行くほど急な下り坂は、見間違えなどではなく、改めて見てもその通りだった。
そして、全長485mのトンネル内に1台でも車が入っている間は、常にものすごい反響音が聞こえているが、今は静まりかえっている。
出口を既に見ているし、そもそも現役の県道トンネルに対して抱く必要がない感覚なのだが、妙に薄暗い(点灯している照明の数が少ない)ことと相まって、地底へ下るトンネルならではの独特な心理的圧迫を強く感じた。トンネル好き(私)には堪らない、このトンネルの旨味であり涼味である。

今度はここで止まらず、このまま奥へ行くのであるが、内部についてさっそく気付いたことがある。
それは、地形図(地理院地図)に描かれている沼沢トンネルは直線なのに、実際は結構なカーブを抱えているということだ。
現役県道のトンネルの線形が、誰の目にも明らかに正しくない形で描かれたままとなっているのは珍しい。(googlemapなど、私が確認した他のいくつかの地図も直線で描いており、曲線を反映したものは未発見)

さあ、驚きの地底小旅行へ旅立とう!



うわー!! これはガチの突っ込みトンネルだー!

入洞直後、下りの勾配が一段きつくなるとほぼ同時に、道は緩やかに右へ10度ほどカーブする。
そこを過ぎると、きつくなった後の下り勾配を維持したままに、直線区間が始まった。そしてその直線の果て、視界の最遠を占めていたのは、次のカーブではなく、勾配をプラス方向に変化させた、この道の路面だった。たちどころに、何が起きているのかを理解する。
まさしく底を打つという表現が相応しい、地の底にある底だった。

このような突っ込み勾配自体は、地下道でいくらでも体験しているが、それがトンネルになっているというだけで、どうしてこれほど印象的に変わるのだろう。
それは、地下道の四角い断面とは異なる“トンネルらしい”円い断面のせいであり、地底らしい薄暗さのせいであり、全体に湿った風景と空気のせいであり、なにより、地下道とは比べものにならない下りの深さのせいなのであろう。こうして並べてみれば理由はたくさんあって、やはりただの地下道とは比べものにならない特殊な環境であることが理解できる。
ちなみに、私が自転車で突っ込みトンネルを体験するのは、多分これが初めてだ。(海底トンネルを含む多くの突っ込みトンネルは、自専道にある)




ゴォーーーーーー

w(゚o゚)w びっくりした!!

下り坂の途中で、上の写真を撮影している最中、突然、トンネル内に耳を劈(つんざ)く轟音が鳴り響き始めた。
洞内に車が進入してきたのである。
私は咄嗟に思いついて、構えていたカメラのモードを動画に切り替え、撮影を開始した。

そうして、私がこのトンネルの内部の全てを最も新鮮に感じられる状況下で撮影したのが、次の動画だ。
飛び込んでくる車のヘッドライトによって、それまで闇の底に沈着していた“存在たち”が、公然と姿を現す瞬間を、とくとご覧あれ!

↓↓↓




お、おい…! 見たかよぉ!

撮影開始時点では、反対側から1台だけだと思っていた進入車が、ほぼ同時に背後からも来ていて、ちょうど洞央(トンネル全長の中央)付近を占める洞底(突っ込みトンネルの最も低い部分)で行き違うという、それほど交通量が多くないことを思えば、レアな事象が偶々発生したことはさておくとして――

洞底部には、左右1本ずつ、計2本の横坑が分岐しているという事実が、文字通り、明るみに出た。

2台の車は、横坑の存在を全く意に介さず通り過ぎていったが、確かに自動車だと駐車して云々というわけにも行かない立地だ。
2本の横坑のうち、右に開口しているものが、おそらく先ほどの旧道探索で目にした【水門前の坑口】(以下、“水門口”と呼ぶ)に通じているであろう。
左に開口しているものの行き先は、地形図にその答えがあると思う。

しばし呆気にとられたように固まっていた私だったが、先行車の喧騒が完全になくなったことで我に返り、問題の洞底部へと進行した。



14:19 《現在地》

うおぉ…、なんか興奮する…!

これが、沼沢トンネルの洞底……。静かな地の底だ…。

振り返れば、見上げるような高さに入ってきた坑口がまだ見えるが、途中にカーブがあるのと、結構遠いために、その光は小さい。
そして予期したとおり、洞底の先には上り坂が待っていた。
これは紛れもなく、紛れもなく! 突っ込みトンネルだ!
東口から200m前後で達した洞底部は平坦で、それが50〜100mほど続いているようだ。

そして、洞内分岐の存在を隠したくてしているわけではないと思うが、2車線の県道トンネルとしては妙に照明が薄暗い。
おかげで肉眼(←この写真がフラッシュ未使用なので肉眼に近い)では、本当に洞内分岐が目立たない。気付かずに通り過ぎる可能性さえある。
一般道路同士の洞内分岐だと、目立ちすぎるくらい目立たせるものだが(そうしないと危ない)、やはりこのトンネルの洞内分岐は専用道路相手だ。



パシャ!

っとフラッシュを炊けば、この通り。

再び公然の存在となった、第一の横坑(水門口)だ!

太い直進の本坑と、細い右折の横坑であり、主従の関係は明瞭だ。
間違っても、一般のトンネル利用者が無意識に横坑へ入り込むようなことは起こらないだろう。
分岐部に反射材などを取り付けていないのも、目立たなくさせるために、わざとそうしているのだと思う。
しかし、天井を這う単なる照明用電線とは明らかに様子が違うケーブルの束は、洞奥から来て、横坑へと導かれていた。




第一の横坑へと機首を向ける。

幅も天井の高さも、本坑よりひとまわり以上小さい。
また、本坑とは直角に分岐しているわけではなく、東口から見て鋭角(60度くらい?)になっている。

そして予想通り、内部はゲートで封鎖されていた。現役の発電所関連施設だけに、これは当然の処置であろう。
(施錠された、高さ2mほどのゲートには、「構内は、危険ですから無断で立入らないでください。東北電力株式会社」の掲示あり)

この横坑の奥行きだが、立ち入れないし出口が目視できないので、はっきりしない。
ただ、分岐から30mほどの所に、かなり急な右方向への屈折が見え、その壁面には外光が反射していた。
反射光の強さや地図上での位置から推定して、分岐の先にはさらに3〜50mくらいの坑道が続いていると思われる。
したがって、この横坑の全長は6〜80mくらいということになろう。

このように、横坑自体には立ち入れないものの、事前の旧道探索で出口や出た先がどうなっているかを知れたのは、ちょっとした「してやったり感」だし、そこから少しは役立つ推測が可能だ。
この横坑内部に勾配は無さそうなので、現在いる本坑洞底の路面標高は、【旧道から見下ろした水門口】の路面標高と、ほぼ同じであることが分かる。
東口から水門口までの旧道はやや下っていたが、さほどの高低差はないので、本坑の“突っ込みの高さ”(東口から洞底までの標高差)は、水門口の坑口の背丈に数メートルを加えた程度…だいたい10m内外であると推測できる。



また次の進入車が近づいてきた。
車が来たときに、突然この横坑から顔とか手だけをニュッと出したら、ドライバーはさぞびっくりするだろうなぁ。
でも、本当に事故が起きたらシャレにならんので、やらんように。

それはそうと、このアングルの写真が、トンネル内の勾配が一番分かりやすい気がする。勾配の中にいるときに撮影した写真だと、いまいち伝わりづらい。これを見ると、トンネル内としては珍しい急な勾配であることが、分かって貰えるのではないだろうか。

さて次は、写真の中で黒が凝り固まっている領域へと向かうぞ。
そこにあるのは、沼沢トンネルが隠し持つ、もう一つの横坑だ。




先ほどの横坑よりも、今度の横坑の方が断面が大きいようだ。
高さも幅も、おそらく本坑と同じだけ確保されている。
また、水門口へ引き込まれていた天井のケーブル束は、分岐して横坑と本坑西口の両方へ延びていた。

横坑の進路方向は、本坑に対してほぼ直角であるようだが、東口側の角が切り欠きになっていて、曲がりやすくされている。
トンネルを設計する段階で、東口(三島町および会津若松市方面)へは優先して出入りする目的があったのだろうか。




二つの横坑の位置関係を確認するために、振り返って撮影した。
線形的に見て、今いる横坑から本坑を経由して“水門口”へ向かうのは、“水門口”へ入る所の曲がりが90度以上あるので、やりにくそうだ。
あまりそういう動線は想定されていないのかもしれない。
おそらくどちらの横坑も、東口側からアクセスしやすいように作られている。

なお、この写真や上の写真は、どちらもフラッシュを炊くことで明るく撮れているが、本坑のナトリウムライトが疎らで薄暗いために、肉眼だとかなり薄暗い。LEDヘッドライトもあまり広範囲を同時には照らせないので、空間の広さのせいもあって、とにかく暗さを強く感じる空間だった。

そのため、後で写真を見直すまで気付かなかったが、辺りの天井や壁面の至る所にコンクリート鍾乳石(コンクリートの石灰やカルシウムが析出したもの)が発生しており、現役トンネルとしては稀に見る強烈な白化具合である…。
それが豊富な地下水のせいなのか、外気との温度差のせいなのかは分からないが、洞内のあらゆる壁や床が水気を帯びており、湿度はMaxである。




今度の横坑には、なんか照明が灯っている…。

それも、本坑の薄ぼんやりとしたナトリウムライトのオレンジとは違う、

眩いばかりに白い蛍光灯の光だ。

凄いドキドキする…。何も悪いことなんか、してないのにな。



14:23 《現在地》

やっべえ! まるでSFの世界みてぇだ!

かっこいいな〜、ここ!

突然の天変地異で世界人類のほとんどが滅亡した後も、この空間はそのままに残っていて、
生き残った“主人公”たちが長い旅の末に辿り着き、世界破滅の秘密とか、
主人公出生の秘密とかが、いかにも明らかになりそうな場所だ(笑)。



一見すると水門口と同じような施錠ゲートによる封鎖に見えるが、こちらはゲートやフェンスの上に返し槍がびっしり生えていて、より厳重な警護になっている。
おそらく監視装置もあるだろう。
また、水門口のゲートでも見た「立入禁止」の表示に加えて、物々しい「高電圧」と、「この事務所にご用のある方は下記の連絡先に〜」といった、無人運用の発電所施設入口によく見る掲示物が、一通り揃っていた。

いうまでもなく、この奥にあるのは、地形図にも描かれている、
第二沼沢発電所の地下発電施設だ。

そしてもう皆さんも十二分に察していることと思うが、沼沢トンネルが陸底にありながら突っ込み勾配を持つに至った原因は、この地下発電所へのアプローチを兼ねるためだったと考えて、ほぼ間違いないだろう。
それ以外の納得できるような理由(例えば別のトンネルとの交差など)は、特に思い当たらない。




ゲートの隙間から覗いた、地下発電所へ通じる横坑。
格好よすぎて、しびれる〜!

このような地下発電所というものは、全国的には存外に多く存在しており、それぞれのアクセルスルート上には、地上と地下を結ぶ“一つしか出入口のないトンネル”が存在するわけだが、部外者の身分では坑口前にさえ辿り着けないというケースが少なくない。
そんななか、この発電所のアクセストンネルは、県道のトンネルから直接分岐しているという、珍しいケースである(他にこのような例があるかは不明)。

それにしても、この横坑の奥行きは、いったいどれくらいあるのだろう…。
ここから見る限り、20m間隔ほどの照明が、8つまでまっすぐ並んでいるのが見えるから、最低160mはありそうだ。
その先が見えないのは、曲がっているからなのか、扉でもあるのか。
地形図上に描かれている地下発電所の位置や形状が正確ならば、トンネル本坑から水平の最短距離は80mくらいの至近であるが、実際には高低差があるかもしれないし、横坑を肉眼で見た感じも、なかなか深そうに見えた。
ちなみに、横坑の奥から何か機械の稼働するような音とかは聞こえない。恐ろしいほどの無音である。

前回冒頭で紹介した『平成16年度道路施設現況調書(国土交通省)』には、沼沢トンネルの全長は485mとあったが、この長さはあくまでも本坑の分だけであろう。
県道として県が管理しているのは本坑だけで、全ての横坑の管理者は東北電力株式会社だと思われる。その場合は上記資料に計上されないはずだ。




しばらく本坑に入ってくる車もなかったので、氷のような白い光に照らされた、非日常のSF的空間を堪能した。

そして満足を得たので、ゲート前から本坑へ戻ることにした。



本当に、なんでこんなに洞底部分が暗いんだ…。
まあ確かにトンネル照明というのは、坑口付近よりも洞央部が暗いものだが、この暗さはかなり来てるぞ。
やはり、横坑の存在を知られたくない意識が働いているのかも…。

←西口方向、
上り始めた先に、右カーブがある模様。

東口方向→
下ってくる最中に、右カーブがあった。



先ほどの動画の[31秒]のあたりで、奥へ走り去る車が盛大に「パン!パン!」という金属音を立てていたが、その音の原因になっていたのが、道を横断するこの溝のグレーチング(写真の金属性の蓋のこと)だ。

洞底に掘られたこの溝に前後の勾配区間から水が集まるのだろうが、どのように排水しているのかは分からなかった。
状況的には、水門口の横坑から自然排水されていても不思議ではないが。


さて、沼沢トンネルはここでやっと中間地点であるが、核心の部分はもう終わりだ。
残りは基本的に西口の光のもとへ、下った分と同じくらい上るだけである。
このあとの説明の役にも立つので、ここで一足早く、自作した沼沢トンネルの模式図を見て貰おう。↓↓↓




突っ込み勾配と洞内分岐という、大きな二つの特徴を持つ沼沢トンネルを、できるだけシンプルに描こうと四苦八苦したが、作図のセンス不足のためこれが限界でした。

図中に「地下水路」として描いているのは、地下発電所と只見川を結んでいる揚水式発電施設の肝となる水路である。実際は水門の数が4連装なので4本くらいあるのかもしれない。地形図は2本描いている。この水路を沼沢トンネルよりも下に描いたが、沼沢トンネルの方が下を潜っている可能性もある。その場合はトンネルが突っ込み勾配になっている根拠が一つ増えそうだ。

また、図中の「歩廊」というのは、文字通り人が歩くための通路であるが、一般に利用される歩道のことではない。
豪雪地にあるダム周辺などで見たことがある人もいると思うが、道路が積雪のために閉鎖されている期間中に、施設の関係者が歩いてアクセスするために用いられる、蓋に覆われた通路である。
直接入って確かめたわけではないが、おそらく沼沢トンネルの西口から洞奥付近まで、本坑と並行するように歩廊が存在しているようだ。


これがその「歩廊」の出入口と思われるドアだ。
本坑の側壁に突拍子もなく「ドア」があるのは、ちょっとシュールだった。

やはり施錠されていて立ち入ることはできないが、「照明SWは、地下発の「B1・B2」です。」と、明らかに関係者向けらしきシールが貼られている。
まるで暗号みたいだが、この歩廊の照明スイッチがどうのこうのという内容なのだろう。
ここは現役の県道ですからね。一般人だって読むぜ(笑)。




薄暗いせいでちょっと写真がピンボケちゃってるが、これは西口へ向かって上っている最中に撮影した。
西口への上り坂の長さも高さも、東口から洞底までの下り坂を鏡で映したようにそっくりだが、カーブの線形だけは違っている。
始めに少し右へカーブした後に、今度は左へ切り返しながら、全体としてはS字型の緩やかなカーブを描いて地上へ出る。
この左側の側壁外側に並行して、歩廊のトンネルが埋まっているはずである。

地形図ではなぜか直線だが、実際にはこのようにクネクネしたトンネルである。
そこに突っ込み勾配も加わり、最強の変態トンネルに見えるという寸法だ(笑)。




そして約14分ぶりに、明るい日の光のもとへ!

沼沢トンネル、初貫通である!

トンネルを出たあとも、そのまま上り坂がずっと続いているようだ。
東口も長い下り坂の途中にあって、そのまま洞底までトンネル内も下り続けたわけだが、
沼沢トンネルと前後の道は、頂上にトンネルがある平凡な峠道を、地平線を対称線にして逆さまにしたような、
まことに奇妙な“逆さま峠道”であった。




14:28 《現在地》

このレポート内で西口へ来るのは、これが2度目である。
沼沢トンネルという奇妙なトンネルを体験し、また少し経験値をつんだ私の顔は、きっと満足げだったことだろう。
(チェンジ後の画像は、西口側の旧道入口だ。前編で既に探索済み)

それはそうと、この西口に立っている3点セットの道路標識は、地味に珍しい組み合わせだ。(標識を見慣れている人ほど、直感的にこの組み合わせは珍しいと感じたはず)
上から順に、「徐行」「下り急勾配あり(9%)」「高さ制限(3.3m)」であり、それぞれの標識は珍しいものではないが、このトンネルの特殊な内部事情を、言葉を使わずなんとか警告しようとしたような印象がある。
「徐行」の区間が示されていないが、トンネル内は全部、いつでも止まれるくらいの速度で走れということなのだろう。だがそれが利用者に守られている様子も、取り締まりが行われている様子もなかった。

私が珍しい組み合わせだと書いたのは、1本の標識柱に管轄が異なる道路標識がまとめて掲示されているからだ。
具体的には、この3枚の標識はのうち「徐行」は公安委員会(この場合は福島県警)が設置するもので、残り2枚はどちらも道路管理者(この場合は福島県)が設置する決まりになっている。
通常、警察が設置した標識と、道路管理者が設置した標識は、標識柱から別になっているケースが大半である。それゆえに、“おにぎり”こと「国道標識」と「最高速度」の標識が一緒の柱に付いているのを見た人はほとんどいないはずだ。
あくまでも珍しいというだけで、ときどきはこういう例外が発見されるので、注目してみると面白い。


今度は西口の山側に目を向けると、そこには物々しい雪崩覆いで完全に外界からシャットアウトされた立派な歩廊が、西口坑口の脇で地中にぶっ刺っていた。

この県道の現在いる区間は冬期閉鎖されるので、大量の積雪が沼沢トンネルの突っ込み勾配の奥へ吹き込むのであろう。
“地下ゲレンデ”のような感じになってさえいるかも知れない。
歩廊がわざわざ洞底付近まで行ってから、本坑と合流していたのは、そうした雪害を避けるための苦心の策と思われる。
そこまでして、地下発電所の機能は維持されている。




西口を少し離れた位置から振り返って撮影した。

左下の辺りに水門施設の一部(コンクリートで固められた施設の法面)が見えている。
沼沢トンネルの横坑の一つである水門口は、あの法面の高度に口を開けていたわけだから、沼沢トンネルの本坑がどれだけ盛大な突っ込み勾配を持っているかが、地底を透かさなくても見えると思う。



14:34 《現在地》

西口から引き続き坂道を上っていくと、300mほどで山側に変電所のようにたくさんの鉄塔を持った施設がある。
屋根に「東北電力第二沼沢発電所」の看板が掲げられているので、地下の発電所と関係する施設なのだろう。
おそらく歩廊はこの施設内から始まってるのだと思う。この先の沿道を進んでも、歩廊らしいものは見当たらない。

以上で、沼沢トンネルの探索は完了である。





今回はミニレポということもあり、机上調査はほとんどないが、歴代地形図の見比べプラスαをちょっとだけ。

← 古い          (歴代地形図)          → 新しい
@
昭和28(1953)年

A
昭和41(1966)年

B
現在(地理院地図)

今回、沼沢トンネルとその旧道を探索したが、歴代の地形図を見比べてみると、昭和28(1953)年の地図には今回探索した旧道が、「町村道」として、はっきり描かれていた。
しかし、なぜか昭和41(1966)年の地図には全く描かれていない。

この時期に道は一旦廃絶していたのだろうか。それが昭和53年の沼沢トンネル完成や前後区間の整備によって、県道として復活したということだろうか。
旧道の現状を見る限り、それなりに道幅は確保されていたので、自動車が通っていても不思議ではないが、ガードレールや轍が全くなかったから、その利用実態は測りかねるというのが正直なところ。

そして実は、明治時代に対岸の滝原を経由する新道が整備されるまで、只見川沿いのメインルートである沼田街道(伊北街道とも)は、今回探索した県道小栗山宮下線と同じように、只見川の右岸を通っていたという。もっとも、明治以前の沼田街道は現在の県道と重なっていない場所が多く、沼沢トンネルがある辺りも、(今回探索した)旧道とも違う、山越えのルートを採っていたようだ。


また、第二沼沢発電所が整備された経緯については、新エネルギー財団が公開しているドキュメント(PDF)に、「本地点は1966年に地質調査を開始し、1977年に着工、1982年に竣工という実に調査開始から16年の歳月をかけ完成をみることができた。1960年代は高度経済成長の基調に対する見直し気運が高まり、環境問題と開発行為に対して最も厳しい監視の目が向けられていた時代であり、地元対応や環境対策について、充分な配慮をしながらの建設であった。」――と書かれており、複雑な問題があったことを匂わせているが、非常に珍しい突っ込みトンネルを地下発電所への進入路として建設し、それを県道として解放した経緯は不明である。

いろいろと謎の多い現状ではあるが、今後なにか有力な情報が入手できたら、追記したい。
とりあえずは、沼沢トンネル内のSFチックな風景が、私を最高に昂ぶらせたぜっていうお話でしたマル



完結。


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