房総丘陵の最北部に属する千葉県茂原市の西部には、多数の隧道が存在する。
その多くは、「トンネル」ではなく「隧道」と呼びたくなるような、古くて手作り感の濃い典型的な手掘り隧道たちである。
右図は最新の地理院地図だ。
写真中央の押日(おしび)地区一帯に、小さなトンネルの記号が多数描かれている。
周辺の地形は典型的な丘陵のそれであり、海抜40m内外の低い山陵と、河川から分岐した谷戸が織り合わされて、複雑な起伏を見せる。
谷戸の内部は主に水田として耕地に利用され、集落は古くから山際にあるほか、近年開発された新興住宅地が点在している。
そして、この地理院地図に描かれている以上に多くの隧道が周辺には存在している。チェンジ後の画像にそれらの位置を示した。
これらの隧道は2016年に確認した時は全て貫通していた。ただし既に使用されていないものもあった。
いずれも典型的な素掘隧道であり、現地に名を記すものはないのだが、このレポートでも登場した名著 『写真でみるもばら風土記シリーズP トンネルのはなし』 に、これらの名前が記載されている。
今回取り上げるのは、押日地区にある素掘隧道のひとつで、わが盟友の名を冠する、細田隧道だ。
市町村道以上の全道路に存在するトンネルの一覧表である『平成16年度道路施設現況調査』には、次のような“ささやか”な緒元が記されている。
2016/1/21 14:12 《現在地》
ここは細田隧道へ通じる市道上で、北口まで約250mの地点である。
この一見して何の変哲もない路上からレポートを始める理由は、地形的にここが隧道を頂点とする一連の山越え区間の始まりだと思えるからだ。
ここはまだ谷戸の中で屋敷や耕地が点在しているが、前方にはぐるりと丘陵性の山陵が待ち構えており、これを越えて向こう側へ行くところに目指す隧道があるはずだ。
おっと! これは好都合。
道に面したお屋敷の庭先に、いかにも優しそうな古老の姿を発見。お声がけにはいつも勇気を振り絞っている内気な私だが、この辺りに無数にある素朴な素掘隧道を連続多食するには、スパイスとしての“生きた証言”が欲しいと思っていたところだ。
「この奥の隧道について教えてください!」とお邪魔をしたところ、少し考えた後に一点、次の情報を授けてくださった。
行政の資料『平成16年度道路施設現況調査』には「細田トンネル」と立派な名前が付いているのだが、長く隧道の近くにお住まいの住民にも、“その名前では”知られていなかった。
古老は、“八幡さまの隧道”と呼んだ。
なるほど、地図を見ると隧道の真上に神社の記号があるが、あれが“八幡さま”なのだろう。日本昔話のようなネーミングに思わず頬が緩む。行政が管理する正式名称が住民にまで定着していないのは、生活密着型小隧道によくあるパターンである。
また、『現況調査』には記載のなかった竣工時期(この辺りの素掘隧道の大半がそうだ)については、「戦時中に掘られたのではないだろうか」と仰っていたが、残念ながら掘っているところを見たわけではなく、いつからあるかの記憶も曖昧だとのことだった。
まあ、最近のものでないことは分かりすぎるほど分かります。
古老に礼を述べて前の市道をさらに進むと、すぐに上り坂が始まり、同時に道幅が限界まで狭くなった。
いわゆる軽トラスペックである。舗装はされているが、それも最後の民家と思しき次のお屋敷前で終わっている様子。
ただし、この未舗装区間も長くはないだろう。なにせもう目の前に越えるべき山陵線が迫ってきている。あと数十メートルで隧道が出るはずだ。
出たー!
勿体ぶりなんてなく、最後のお屋敷前に着いたら見えだした。
なんとも話が早い。
そして、遠目に未舗装を見た時点では、行政による「通行止め」措置も覚悟したが、さすがは“外房の素掘隧道王国”と密かに持て囃されている茂原市か。
道を塞ぐ無粋はなく、そのまま薄暗がりへと向かって2本の轍が続いていた。
緩やかなカーブを描き出しながら…。
緩やかな左カーブの先に見え始めた坑口だったが、気分屋が突然に散歩の行き先を変えるみたいに、坑口の直前でいきなり右へ屈折していた。
そのため、坑口前には見通しのとても悪いS字カーブができている。
ただでさえ道幅が狭く、対向車の接近に気を遣わねばならない状況なのに、このブラインドカーブは悪質だ。
悪意なんてあろうはずもないが、幹線道路では考えられない“長閑な駄目さ”である。
何かしら理由はあると思うが、なぜこうなった?
やや泥濘んで深くなった轍に従って、いよいよ坑口前へ。
14:18 《現在地》
出たー! 房総お馴染みの“滑らか”坑口!
坑口前の深い切り通しと坑口上部の岩壁は、スラブ峡谷の滝壺を思わせるような滑らかな曲面を示しており、
とても人工的に開削されたものとは見えないほどだが、地形的には明らかに人造のものとしか考えられない。
長年風雨に晒され続けた結果、崩落や風化のためあらゆる角が取れて、今の姿になったのだろう。
まるで、手掘り隧道を掘られるためにあるかのような、超理想的な地質であると思う。
それにしても、目の錯覚などではなく、正真正銘の小断面隧道だ。
断面サイズの公称値は、幅2.7m、高さ2.1mというものだが、この数字からも分かる高さの低さは本物である。
こんなに天井の低い隧道は人道用でも珍しいし、その辺にある地下道なんかの方がよほど高い。
にもかかわらず、現在も四輪の自動車が通行していることが、路面に深く刻まれた轍が教えている。
って、おい!
対向車キター!!!
当サイトと専属契約を結んでいる疑惑さえ最近囁かれている、いつもの軽トラだッ!
こんなところにまで私を追いかけて来やがったのかッ!
正直、路面の状況的にそんなに車が頻繁に通行しているとは思っておらず、ここでの遭遇は完全に想定外だった。
その焦りが、激しいカメラのブレに現れている。隧道に入る前でまだ良かったのだろうが、
それでも坑口前の切り通しも十分に狭く、車とのすれ違いには不向きである。泥濘んでるし。だから焦った!
き…、気を取り直して、いざ入洞だ。
もう、来ないよね?
ぐね、ぐね。
坑口前の謎の“ぐねり”に続いて、トンネル内にも激しい“ぐねり”が!(笑)
全長の公称値は52mであるが、その短い洞内に見事なS字カーブが収まっていた。
地理院地図の縮尺では表現されることがなかった屈曲も、実際に見れば無視できる存在感ではない。
断面が非常に小さいために曲がり具合がより強調して見えるのかもしれないが、あからさますぎるS字カーブだ。
そして、そんな洞内のカオスな線形を見せつけでもするかのように、照明が存在することがまたインパクト大である。
(「見せつけるため」ではないにせよ、見せるためにあるのが照明なのは間違いない)
いま軽トラが走り抜けてきたことからも明らかだが、やはりこれは茂原市が認める現役隧道だった!!
この状況を前に、廃隧道ではなく現役隧道だということに、より興奮している自分を認めざるを得ない!
Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA
見よ! この天井の低さ!
これは全天球画像なので、天井の方を向けてみて欲しい。
さすがにこの高さは、接触する車(というか軽トラの荷台にある荷物か?)もいるようで、
いろいろなものが擦った傷が刻まれている。中にはかなり深いような傷もあり、
よほど強引に通過しようとしたのかも知れない…(苦笑)。
私の目線にカメラを構えて撮影したのが、こちらの写真だ。
成人男性の平均身長くらいでも、かなりの圧迫感が感じられる。
手を伸ばせば、いつでも好きなだけ天井の土をほじくれるし、ツルハシでも持ってくれば自前の横穴も掘れそうだ。
公称されている2.1mという高さはおそらく、自然なアーチを描く天井の中央辺りの最も高い場所の値とみられ、側壁に近い部分はそれよりも低いようだ。
だから天井の擦ったような傷も、側壁に近い部分に目立った。
また、天井にばかり目が行くが、未だ未舗装のままの路面もなかなかのものだ。
最近は房総の素掘隧道といえども、現役のものは舗装されるものも多くなってきたが、ここはおそらく開通当初からの地道である。
砂利さえ敷かれておらず、水気も皆無だからか側溝などもない。本当にシンプルな地道ゆえに、決して小さくない凹凸の轍が刻まれているわけだから、その微妙な上下動で車が天井に接触するケースもあるのだろう。
私はこうしてケラケラ笑っているが、当事者だったら絶対に笑えまい。
このような半世紀も昔から進化も時間も止めてきたような隧道でありながら、命の火とばかりに輝き続ける照明がある。
もちろん松明などではなく、白熱電球でも、蛍光灯でもない。なんと、最新のLEDタイプのトンネル照明が使われていた。茂原市のトンネルに対する本気を感じる。
このとても明るい照明がS字カーブの前後に二つ付けられているので、手持ちライトなどがなくても安心して通ることができる。(…たぶん)
洞内のS字カーブ途中に自転車を置いてから、少し戻って撮影すると、照明と相まってなかなかフォトジェニックな感じに撮れた。
それにしても、この写真は改めて天井の低さが際立っている。
一般的にサイズの小さなトンネルの断面は、素掘りでもそうでなくても「高さ>幅」である。人間の形は「高さ>幅」だから、それが自然だと思うが、この隧道は高さは人道用くらいしかないのに、幅だけが自動車も通れるサイズである。だからこんな扁平な断面になっている。
この状況のまま、一息ついた。
車とのすれ違いさえなければ、ここはなかなか居心地の良い空間だ。静かだし、隧道にありがちな不快な湿り気もない。
天井の低さも、取りようによっては己の手や目の届かない場所がないという安心感を生んでいる。
狭所恐怖症の人には辛いだろうが、押し入れとかこたつの中に籠もるのが昔から好きだった私には悪くない。闇が苦手だという人でも、ここは大丈夫だろう。目の届かぬ闇はどこにもないのだから。(夜? 夜は知らんよ)
短い時間で、出口の近くまでやってきた。
写真はそこから振り返って撮影した。
ちょうど全長の中央あたりに、S字カーブが差し込まれていることが見て取れる。
なぜ、このようなカーブがトンネル内に存在するのだろうか。
『トンネルのはなし』には、「曲げて掘ったトンネルは市内では他に見られない
」と書いてあり、珍しいものだと認めているが、その理由については特に触れていない。
なんのために、「曲げて掘った」のだろうか?
私が見る限り、S字カーブの前後の洞内は、おそらく直線である。
直線と直線を結ぶ、S字カーブ……、これは……。
両坑口から隧道を掘り進めたが、掘削の最中に測量をやり直したところ、このまま掘り進めば地中で両坑道がすれ違ってしまうことに気づき、慌ててS字のカーブを差し込んで繋げた。そのために不自然な線形になったのではないかという仮説が成り立つ。
このような理由から生じるトンネル内のS字カーブは、現代の精密な測量によって進める工事では滅多に見られないが(例外とされるもの→このレポの11枚目の写真のカーブ)、未熟な測量方法に頼っていた時代には、隧道が長くなればなるほど避けがたいことであった。本隧道も手掘り隧道としては短い方ではない。
かつてはそんな労作の痕が目に見える隧道は多くあったが、後年の拡幅で目立たなくなったり、隧道自体が廃止されたりしたために、現役の隧道では珍しいものになったのだと私は考えている。
以上の仮説が正解なら、「曲げて掘った」というよりは「曲がってしまった」が近いわけだが、これはあくまでも仮説。
「後編」では別の可能性を考えさせる発見があったので、お楽しみに。
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