6.4kmにも及ぶ連鎖隧道を遂に脱出。
現在地は起点から約10km地点である。
黒又川源流部最大の谷である明神沢が道の左手に清楚な流れを見せており、道中唯一の川沿い区間となっている。
しかし、この明かり区間もまた、長く続くことはない。
途中に100mほどのスノーシェッドがあり、これを除くと約500mの地上部分である。
そして、夏の熱気に嫌みを感じる間もなく、再度、隧道の坑口が現れる。
またも、あの幽明な闇の淵へ連れ去られるというのか。
さして沢を遡るでもなく、隧道の長短など頓着しなかったかのように、何気なく山にぶつかるその地点に、その坑口は開いていた。
次のトンネルが、シルバーラインにとって最も重要な一本となるだろう。
それは、信濃川水系から阿賀野川水系へと、大分水界を乗り越え只見川源流へと達する、峠越えの隧道である。
坑口前には、車30台くらいが停められそうな広大な敷地がある。
しかし、緊急避難所につき駐車禁止である旨の立て看板がある。
その一角に、一本の棒が立っていた。
そこには、目盛りが刻まれている。
1m、2m… 上の方は5mの赤い文字を最後に、さらにもう1m分くらいは目盛りが続く。
シルバーラインの3年に及ぶ工事に動員された延べ180万人の労働力。
そして、工期中の殉職者はなんと44人にも上ったという。
うち、凍死や雪崩での死者が17人もあったというほどの、極寒の地なのである。
「この先2.1km」という補助標識が示すのは、世にも珍しい隧道内交差点および信号機の予告だ。
次の隧道は、日本の道路トンネル史上において特筆すべき稀少工例を多く含む、シルバーライン最大の隧道である。坑口前の離れになったシェルター状の建物は、もうおなじみになった電気室だった。
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3989.50メートル
昭和32年開通当時、一般道路ではなかった(ダム専用道路)とはいえ、紛れもなく日本最長の道路トンネルであった。
(なお、翌年昭和33年に、黒四ダムを建設するために大町トンネル…全長約6100m〔現・関電トンネル〕が開通している。)
平成17年度現在でも、無料の一般道路のトンネルとしては、なお全国6位付近にある。
長い!ちょー!長大!!
この17号トンネルが、言うまでもなくシルバーラインの最長である。
明神トンネルともいい、越後山脈分水嶺を乗り越える使命を帯びている。
坑口はスノーシェッドで僅かに延伸されており、この部分の屋根は青色のトタン屋根である。
見慣れない施工で、違和感がありありだ。
そして、私が体験した中でこれまで最長の隧道を、覗き込む。
この、異様な緊張感は何か。
血のように赤い、龍の口蓋に首を突っ込んだかのような、スリル。
顔を撫でる冷気の流れ。どこかから響いてくる、唸りのような音。
見渡す限り一直線にどこまでも伸びる、照明。
びびって地形図で確認すると、この17号トンネルの前半1900mほどは、ただ一本の直線である。
午前8時25分、入洞!
1号トンネルに「TEL−1」があった。
それから10km余りで、45機目の電話機が現れた。
気になるのは、「17−1号トンネル」という書き方だ。
“−1”の意味は、なんだ?
坑口から500m地点。
まだ、行く手に直線以外の景色は見えてこない。
この隧道は、前半は殆ど素堀である。
ゴツゴツした黒い岩盤に吹きつけさえせず、そのまま内壁としており、水が至るところから流れだしているものの、地山の強度的には相当に優良なのだろう。
この頭上には、坑口より400m以上高い赤崩山が乗っかっている。
まさしく、地球の中身を目の当たりにしつつ進むのである。
工事中のトンネル現場か、坑道内のような雰囲気もある。
少なくとも、観光道路の景色ではない。
照明は20mに一箇所程度しか取り付けられておらず、元々かなり暗い洞内なのだが、ときおり故障のせいで消えた電灯もある。
そうなると、右の写真のように、とても手持ちの灯り無しでは進めない暗さとなる。
壁が素堀のせいで、非常に暗く感じるのもある。
洞内進行5分経過。
反対車線に待避所が出現。
その先に、ライトに照らし出された「左背向屈曲あり」の警戒標識。
普通、隧道内に設置されるような標識ではないので、目を引く。
というか、「なにごとか!」と思ってしまう。
…安心して欲しい。
皆様の期待には添えると思います…。
う、うねってやがる…
早すぎたんだ…。
異様だった。
地図上では直線にしか描かれていない部分だ。
大体、坑口から1000mほどの地点だろうか。
このカーブの前後にも、見渡す限り直線が続いている。
この怪しげなうねりカーブ。
嘘のような本当の話…。
設計か掘削時のミスで、すこしずれて接合してしまったのを、無理矢理繋いだ結果だそうだ。
あらゆる意味で、期待を裏切らない隧道。
昭和32年当時には、ちょっとばかりこのトンネル工事は、早すぎたのかも知れない…。
勾配が緩んだ。
おそらく、頭上の稜線を越えたのだ。
その直後、向かって右側へ分かれる、横坑が現れた。
フェンスが閉じられているが、これまででは最も断面の大きな横坑で、車でも入れそうな広さがある。
入口には、「17−1T換気所」の文字が、蛍光灯で照らされている。
その気になれば、入れそうだ。 が?
フェンスを越えて侵入する。
扉などはなく、そのまま進むことが出来る。
しかし、入口に照明スイッチがあったけれども、流石に操作するのは躊躇われたので、真っ暗なのである。
今はまだ、背後のオレンジの灯りが届いているが、入ってすぐに45度くらいの急角度で左へ曲がっていく。
そこまで進むと、いよいよ手持ちのSF501の灯りだけが頼りになった。
それにしても、いつもよりも異常に暗く感じる。
振り返ると、急なカーブの先に本坑が見えている。
だが、もう数メートル進めば、この光は全く届かない。
あとは、音だけだ。
トンネルを勢いよく通過する車の放つ噪音が、狭い横坑には殊更よく反響した。
軽く恐怖を感じるほどだった。
参考動画
■17T−1換気所横坑内から聴く隧道内の車の通行音…0.2MB
いや、この写真は意地悪しているわけでなくて、本当に真っ暗。
SF501の明るさには格別の信頼を置いていたのだが、どういうわけかこの横坑は光が鈍い。
壁を照らせば壁の一部がぼうっと見え、上を照らしても天井の配線やたまに白色蛍光灯が浮かび上がるだけ。
せめて足元だけはと思い、コンクリート鋪装の路面をじっとり照らしながら、所々に小石が散乱する横坑を進んだ。
この穴は、相当の勢いで登っている。
本坑内では見られなかった勾配だ。まさか、山の上にでも出ようというのか?!
一向に出口や、行き止まりの壁が現れず、焦る。
しばらく進んだ。
すぐに終わるだろうと思って入ってきたのだが、もう2.3百メートルは来たはずだ。
あんまり暗いので、壁に寄り添って進んだ。
相変わらず、ほぼ真っ直ぐ、登り続けている。
暗すぎて方向感覚が薄れていくが、最初の急カーブの他は、ほぼ直線だろう。
隧道とは比較的並行して、しかし登っているのだ。
路面には、壁際に反射材が取り付けられていた。
やはり、車が通れる規格になっている。
雨だ。大雨だ。
横穴をしばらく行くと、大粒の水滴が天井の至る所からひっきりなしに落ちる、透水帯に行き当たった。
しかし、穴はこれを意に介せず、真っ直ぐ登っていく。
私は、カメラを庇いながら身をかがめて進むより無かった。
この水量の多さ…、地表が近付いているのかも知れない。
洞床には、その水滴の多さを物語るように、巨大なコンクリートの石筍が、出来上がっていた。
何度か素堀と、コンクリ覆工とを繰り返しながら、なおも登り続ける。
相変わらず、本坑内の車の往来に伴って、飛行機の離着陸のような轟音が坑内に充満した。
数分も歩いているが、なお行く手に何も現れず、このさき何キロもあったらどうしようかと、心配になってきた。
壁にペンキで走り書きされた、450の文字。
手前にあったのより数字が増えている。分岐からの距離らしい。
思いがけずに長い横坑だあたってしまった。
こんどは、息苦しく思えるほどのもの凄い濃霧が現れた。
洞内の空気中に水分が飽和し、極小の水の粒となって浮遊している。
まとわりつくような濃霧のなか、おもわず手で掻き分けるような仕草をしている自分に気がつく。
これは薮じゃないぞ。
なんなんだ、この穴は…。換気所と書かれていたが、この穴の換気が必要では。
午前8時43分、横坑に入って11分目で終着地に辿り着いたらしい。
大体500mくらいの長さがあった。
銀色の壁の前には、もの凄い熱気が充満していた。
これまで何箇所かの換気所でも目撃してきた、銀色のメッシュ状の壁。
この壁の先には何があるのか?
近くには、反対側へ抜けていそうな鉄の扉が有ったが、施錠されていた。
また、どうやら野外に面しているようで、壁の隙間から、眩しい日光が僅かに見えた。
この暑さも、普通に野外の暑さなのかも知れない。
この換気所がどこへ通じていたのか、それを知ることはなかったが、おそらく17号トンネルよりも30〜50mくらいは高い位置に達しているはずである。
私は、踵を返し元の地底へと戻った。
暗闇の中をひたすらに下っていく感覚は、決して心地のよいものではなかった。
本坑に戻ったとき、横穴の向かいの壁にこんなペイントがあるのを見つけた。
“ ン ”と“ コ ”?
なんだ、これは。
ようやく行く手にカーブが見えてきた。
もう見慣れた赤い明滅は、数百メートル前方。
天井には、やはり赤い光を点す電光掲示板が、前方の「急カーブ」への注意を促していた。
そして、この電光掲示板が促す注意は、そればかりではなかった。
T字路あり
次のカーブの先には、世にも珍しい、隧道内のT字路交差点が待ち受けている。
ダムサイト近くなどで、管理歩廊やそれに類する隧道との分岐は散見されるが、単純に道路としての利便のために設置された横坑は数少ない。
まだカーブ手前だが、分岐を予告する青看板が出現した。
直進の矢印は奥只見ダム。
右の矢印は、檜枝岐・銀山平とある。
私の胸は、シルバーラインのハイライトシーンかもしれぬ分岐地点の接近に、高鳴った。
入口から約1900m地点の左カーブ。
シルバーラインの隧道はどこもそうだが、カーブと直線とがきっぱりと別れている。
だから、“スー カクッ スー カクッ”という感じの線形になっている。
これは、単に建設当時のトンネル技術の限界から来るものであろう。
今日では、トンネル内のカーブもまた、地上の道路と同様に、クロソイドなどの走行安全性と距視性に優れた曲線が用いられている。
来た。
入口から約2.25kmにある、隧道内分岐地点だ。午前8時56分。
隧道内では三叉路のようなものでさえ珍しいが、ここは隧道同士が直角に交わっている。
坑口で既に予告されていたとおり、信号機も設置されている。
低い隧道内の頭上高を考慮し少しでもコンパクトに収まる、昔の白看(青看と呼ばれる案内標識の旧タイプで、昭和40年代まで利用された)を思わせるような、矢印だけで行き先を示した案内標識が設置されている。
この分岐地点をして、まだ17号トンネルはその全長の半分近くを残している。
まさに、地底の交差点である。
ここで右折して外へ出ると、そこが銀山平である。
かつて奥只見ダムが湛水を開始する前、水没地域にあった唯一の集落が、この名前であった。
そこには、藩政時代から越後高田藩の経営する銀山があり、地名の由来も、またこの道の名の由来もそこにある。
銀山平は現在地に移り、観光道路沿いの集落となったが、現在は定住者はない模様だ。
目的地は直進であるが、ここまで来たら銀山平に出ないわけにも行くまい。
日光を浴びられる機会は積極的に利用したいものだ。
右折すると、一回り断面の小さい隧道が、約50mほど続いている。
全体がかなりの急勾配になっており、スリップ防止の溝が深く刻まれている。
実は、この隧道は白光岩隧道という名前がちゃんとあり、入口にはお馴染みのプラスチック製銘板が取り付けられてあった。
延長は、49.50mである。
外へはあっという間だ。
短い白光岩隧道だが、もの凄い湧水だ。
壁にも、その凄まじさが分厚いコンクリート鍾乳石の層となって残っている。
本物の鍾乳洞かと見紛うほどの、立派なものだ。
分岐側から見た交差点の様子。
見ていて危険だと思ったのは、信号は本坑黄色点滅の点滅信号なのだが、みな殆ど減速しないで突っ走っていくことだ。
ここで見ている限り、銀山平へと出て行く車や、また逆に入っていく車は思ったほどに多くなく、シルバーラインを通る車の大多数が観光目当てでダムまで往復しているようだ。
今日は平日であるだけに、意外だった。
檜枝岐経由で会津方面へ行く車は、国道の状況が状況だけに、あまりないのかも知れない。
分岐側は一時停止なのだが、停止線標識がグリーンの電飾で飾られていて点滅している。綺麗だ。
出来れば通常の3色信号機であって欲しかったなどと言うのは、全く身勝手な期待であり、赤・黄色の点滅信号機だったとしても、シルバーラインに罪はない。
壁に取り付けられた青看は、「←小出」「奥只見ダム→」となっている。
洞内交差点を後にして、眩しい坑口へ向かう。
もわーー、あっちい。
標高770mの銀山平。
スタート地点よりも500mも高いところへ来たわけだが、隧道ばかりの道のりだったせいでその実感はあまりない。
大きな分水嶺を越えたからなのか、空は晴れている。
今日、始めて味わう真夏の日差し。
朝からモヤシ生活を続けてきた私には、殊更に堪えた。
私の体験した激しい温度差を如実に物語るレンズの曇りにより、銀山平の写真は、どれも白昼夢のようだった。
あるいは、長き地底の旅の果てに現れた辺陬の集落自体が、白昼夢そのもののようでもあった。
銀山平までの道のりは、起点の湯之谷温泉からシルバーライン経由で13km、しかし国道352号枝折峠越えでは18km余りと、大きな差がある。
そして、ここまで両者は地上と地下という違いこそあれ並行してきたが、この先シルバーラインは本来の目的地である奥只見ダムサイトへと、只見川左岸を東進する。
一方、国道はさらに国境の峠へ挑むべく、只見川右岸を伝い南下を始める。
由来も目的も違う2つの道は、ここで今生の別れとなる。
この両者を結びつけるのが、約500mの市道であり50m足らずの白光岩隧道なのである。
銀山平には、銀山茶屋という沿道の休憩施設やキャンプ場などがある。
私は今回のレポートの最初に、国道352号枝折峠も2輪通行止めであると書いたが、最近それは解除されたらしい。
だから、今の銀山平は別に二輪がいても咎められる場所ではなくなっている。
だが、私はそれを知らなかったので、人のいるだろう茶屋まで行く気にはなれなかった。
シルバーライン完走まで、あともう8km。
まだ、終わりたくない。
それに、仲間が奥只見ダムの終点で私を回収してくれる約束の時刻は、午前9時30分となっており、どう考えても遅れそうなのだ。
もとより地底大好きッ子の私にとっては、たとえ法を犯したとしても、地底の方が居心地が良い。
などと、決してそんなわけではないのだが、私は再び、睨むような標識たちに怯みつつ、すごすごと暗がりへ戻ろうとしていた。
さながら、ゲジゲジかゴキちゃんのように。
ここには、2輪自動車と軽車両の通行止め標識が取り付けられているのみならず、右側通行が原則の歩行者諸氏のため、わざわざ道路右側にも珍しい歩行者通行禁止の標識を設置してある念の入りようだ。
なぜかその上に白看が取り付けられているのは、誰に見せたいと思ってのことなのか分からない。
短いスノーシェルターの中に、白岩光トンネルの本来の坑口がある。
突き当たりには交差点が見える。
これは、地上と地底の道とを結びつける、短くとも大切な隧道だ。
崩れているわけでもないのに、片方の坑口しか地上へと続いていないという、奇妙な隧道でもある。
シルバーライン唯一の途中経過地銀山平での僅かな休憩を終え、私は再び地底の街道へと戻った。
時に、西暦2006年8月24日午前9時丁度のことであった。
次は、最終回。
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