ミニレポ第240回  埼玉県道76号鴻巣川島線 丸貫狭区 後編

所在地 埼玉県吉見町
探索日 2016.05.06
公開日 2018.09.12

畑のかわいい主要地方道


2016/5/6 6:56 《現在地》

約800mにわたって荒川堤防の天端を走った我らが県道76号は、その場所を大規模自転車道である県道155号に譲って、下野を開始した。
右前方に見える家並みが、これから向かう丸貫の集落である。
普通に2階建て家屋の屋根どころではない高さの堤防ということが分かると思う。本当に、ちょっとした山の上から見るような景色なのである。

それだけに、天端から地平に下りるまでの坂道(斜路)も、驚くほど長い。なんと200mもある。
この坂道だけで、狭隘区間の10分の1以上もあるわけだ。
そしてこの主要地方道らしからぬ地味な斜路を最後まで下ると……



6:57 《現在地》

地平に着くと即座に、直角カーブ&橋が現われた。
さすがに線形が良くないという自覚はあるのか、あまり見ない「徐行」の道路標識が設置されている。
こんなものを設置するよりも、橋の架け方を工夫して直角カーブを取り除いて欲しいわけだが、この道幅だ…、多くを求めてはいけないのだろう。まだ新しい橋のように見えるが、架かり方は前時代的だった。

前時代的と言えば、石仏を見た。
直角カーブを見守るように、あるいは巨大堤防を背にして川の氾濫から郷を守るように、6体の石仏が綺麗に整列して並んでいた。
人工的なものの隙間に最小の敷地を与えられて居る姿は、少しばかり窮屈そうだったが、この道にゆかりの深い石仏たちなのかもしれない。
一番大きな1体には「大弁財天女」の文字が刻まれており、治水に霊験ありとされる弁財天信仰の石仏だった。



この石仏を見た次は、順番からいえば橋の紹介なのだが、

さっきから、橋の先に見えている景色が衝撃的すぎて、

これ以上知らん顔をして順序通り紹介するのが難しい。だから、先にご覧ください!


これが、地理院地図に【軽車道】幅1.5m以上3m未満の道路として描かれている道だ!!


この狭路区間のハイライト……



かわいい!

何だこの道! 可愛いぞ!!

都心から40km、バリバリ首都圏内の平野にある主要地方道には見えない。

ただ狭いだけではない、畑の中でS字カーブを描いていく自然な“あぜ道”感がたまらない。

ロケーション込みですばらしい“S字狭路”!

生き馬の目を抜くような幹線道路に祭りあげられることなく、今までずっと静かに過ごしてきたんだろうなぁ…。




新しい橋なのに、高欄に銘板はない。
だが、橋の側面に立派な製造銘板を見つけた。
曰く、橋名は「丸貫橋」。竣工年は平成24(2012)年とのこと。やっぱりとても新しい橋だったわけだが、そんな最近に新設された主要地方道の橋が1.5車線というのは、なかなか見ないぞ。将来的にもこの道を拡幅整備する計画がないと表明しているようなものだ。

また、工事の発注者名は「国土交通省関東地方整備局荒川上流河川事務所」となっていた。普通の県道の道路整備事業なら、発注者は埼玉県であるはずで、この橋の工事も河川事業の一環でとして国が行ったものだったのだ。さらに、工事名称の欄に「H23荒川丸貫地区堤防強化工事」と書かれていたので、帰宅後にこのワードを使って検索したところ、工事の目的が分かった。(→参考PDF

なんでも、丸貫地区の荒川堤防では、昭和40年代からしばしば変状(地すべりなど)が起きていたらしく、その原因を究明するとともに再発を防止するため、堤防を強化する工事を行ったとのことであった。重大な決壊事故が起きるまえに先回りして対策することで、未来の人命を守ろうとしているのだ。



橋を渡ると、みんな大好き激狭ゾーン!

ちぐはぐな景色だなぁ。
真新しい1.5車線幅の橋で文覚川を渡ると、その先で急に狭くなる。
昔はもっと狭い橋が架かってたんだろうな。
しかも、幅員が急激に狭まる部分には、細身のデリニエータが申し訳程度に3本並んでいるだけで、ぼんやり運転していると夜などは簡単に転落しそうだ。無灯火の自転車なんかは、一番やばい。

そして、デリニエータには「路肩注意」と書かれているけど、路肩を踏まずには通れない! 路面に刻まれている轍を見れば一目瞭然、四輪車は路肩を踏むしかない。

そういえば、堤防道路になってすぐに【幅1.9m&重量2.0tの制限標識】があったけど、もしかしてあれは堤防保護のためとかじゃなくて、ここのためにあったのか?!(笑)




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まるごと家に持って帰って、繰返し鑑賞したくなるようなお気に入りの道路風景だ。

だから全天球カメラで撮影した。 ぐるっとまるごとお持ち帰りぃ!

この画像で見ると、地味に堤防側の直角カーブもきつい。教習所内の狭路コースにありそうなカーブだ(笑)。




… … …ん?


キタ! 背後から気配が近づいている!!



今回も、エキストラ通行人さんに登場していただきましょう!  “いつもの軽トラ” かなー?




今回は都会バージョンのエキストラさんでした(笑)。

ここを走り慣れている地元車なのか、全く逡巡を見せずスピードを保ったまま“S字狭路”をクリアしていった。



丸貫橋を振り返る。
橋の前後でまるで景色が違う。
噛み合ってないパズルのピースを無理矢理隣り合わせたような風景だ。
手前は本当に昔ながらの道っぽい。

そして、この昔ながらの道が県道である証しといえるものを見つけた。
デリニエータよりも目立っていない、半ば畑の耕土に埋もれかけたような用地標があった。
その地上に出ている部分には、「埼」の1文字だけが読み取れた。
「埼玉県」と書かれているのに違いない。
ここは紛れもなく県道の用地なのだ。それも最近に建てられたものではないだろう。



県道76号鴻巣川島線の“名物”と敢えて呼びたい“S字狭路”を通過中。

いかにも武蔵野の郊外らしい、昔ながらの畑中道だ。
薄っぺらな簡易舗装を路面に乗せて、一応は現代道路の体裁を保っているように見せているが、それを引っぺがせば道幅も曲がりの形も周りの景色も、100年間ほぼ変わっていないんじゃないかと思わせるような道路風景。路肩に白線を敷いたりしていないのも、古びて見えるポイントだな。

脱輪すると、即座に他人様の畑を荒らすことになる路外の余地の少なさも印象的で、もし対向車が来たら橋までバックで引き返す羽目になるわけだから、さっきの車がさっさと走り去ったのも頷ける。
道のどこからでも耕運機で畑に入れそうなのも、ポイントが高い。




ああ…! 名残惜しいが、このすばらしい区間はもう終わってしまう。


畑の可愛い主要地方道よ、さようなら!




畑を抜けて集落に入っても、まだまだ道は狭いままだ。
カーナビに騙されてここまで来てしまったドライバーの困惑顔を想像しながら走るのが愉しい展開だ。

ちょうどすぐ先の路地から車の鼻先が飛び出てきたが、あそこが主要地方道の続きだとは、なかなか想像できないだろう。
もう諦めの境地なのか、悟りをひらいているのか、この道を管理している埼玉県東松山県土整備事務所では、懐かしのナビクマちゃんのようなもので県道の順路を案内する努力をするつもりは全くないようだ。
よくよく探せば、各所の路傍に古ぼけた用地杭があるので、それで県道を推し量るのだ。



7:01 《現在地》

レポート開始地点から1.1km、堤防を下りた丸貫橋から100mで、この路地の交差点に着く。既に述べたとおり、ここは左折が県道の順路である。
案内は何もないので、迷ったら勘で曲がるべし。

余談だが、グーグルストリートビューによると、平成26(2014)年2月当時のこの交差点には、私と反対方向から県道を辿ってきたときに目に留まる1枚の工事看板が立っていたようだ。看板には、「この先堤防工事のため堤防天端の県道は大変混雑しますので迂回にご協力願います」と書いてあり、堤防道路が県道だと明記されていることに感心した。混雑するほど交通量あるのか…?金曜日の朝でこれだぞ…。



左折すると、そこいらの郊外の住宅地にある旧県道っぽいほどほどの狭路が、のらりくらりと曲がりながら500mばかり続く。

この区間は、これまでの奇妙な展開と比べればよほど穏当で、平凡と感じられるものだが、決して忘れちゃいけない。この道は旧県道なんかじゃないぞ! 主要地方道鴻巣川島線の唯一無二の現道だ! それだけははっきり言っておきたい。



7:04 《現在地》

“ほどほどの狭路”の途中で丸貫から古名へと大字が変わり、やがて狭路の出口が見えて来た。
我らが県道76号は、この生垣に囲まれていて見通しの悪い交差点を右折する。

その瞬間に、県道76号の約1.6km続いた狭隘区間は終わりを迎えるのであるが、レポートはもうちょっとだけ続く。



いかにも子供でも飛び出してきそうで、ドライバーが本能的に恐れるこの路地が、県道だ。
そっから子供みたいに飛び出してきた県道は、久々の二車線道路を占有する喜びを味わいながらほんの少し進んでから、次の交差点をまた直角に左折する順路である。
このクランク状の線形も、県道76号のささやかな“悪さ”の一つと言えるだろう。
例によって、青看の類はないないない。

それはそうと、このいかにも真っ当そうな2車線道路は、県道76号と同じく主要地方道である県道27号東松山鴻巣線の旧県道である。
他人様の旧道を間借りして、久々の2車線に喜ぶ我らが県道76号のいじましさよ。



こっから出て来たんだぞ。 地味すぎる。(笑)
県道27号がここにあった当時は、ここが県道76号との分岐地点だったわけだが、本当に地味だ。
どちらの県道も鴻巣で国道17号に通じているのだが、どこで両者の繁栄は決定的に食い違ったのか。

そして、この地味な角にも石仏があった。
お線香や供物を供えるための凹みがある立派な台石に乗っているが、車にぶつかられでもしたのか、碑の上半分は折損して行方不明だ。残りの部分にある文字は「頭観世音」と読み取れるから、馬頭観世音碑と考えて良いだろう。
建立時期も不明だが、古道の別されに置かれていたものかもしれない。

先ほど見た弁財天女の石仏群に続いて、「未整備県道が古道に由来している」という、よくある展開を示唆する石仏だった。



狭路区間に別れを告げ、2車線を取り戻した県道を進む。
先ほども書いたとおり、すぐに現われる最初の交差点を左折する。
やはり青看などはないが、ここを左折するのが県道だ。
そういえば、出発以来初めて信号機を見た。
関東平野にある主要地方道とは思えないくらい信号が少ない。
信号のおかげで、この交差点には名前が表示されていた。古名(こみょう)交差点という。

曲がった先に赤い鳥居が見えるが、氷川神社といい、古名村の鎮守だったそうだ。
角川日本地名辞典によると、この地はかつて横見村と呼ばれていたが(明治29年に比企郡が成立するまで一帯は横見郡に属していた)、荒川の洪水によって荒廃したのを、丸貫村から村民が来て開拓し、村名を古名村に改めたのだという。そんな分村から50年ほど経った宝暦3(1753)年に、水神として名高い氷川神を勧請したのが、本神社の由来らしい。

荒川堤防が村の一方を画するこの土地ならば、川との闘いに明け暮れる日々は本当にうんざりするほど長く続いていたのだろう。
私が通ってきた県道も、幾度となく恐ろしい水魔を被ってきたのかも知れない。

古名交差点を左折すると……



7:06 《現在地》

ああ〜、普通の道だ〜、戻ってきたぞ〜(笑)。
古名交差点を左折すると、150m先に今度は県道27号の現道が横切っている。
その大きな交差点を前に、今回の探索で初めて目にする青看が現われた。県道76号のこれまでを考えれば、びっくりするくらい巨大な青看だった。これで県道76号も目が覚めるだろう。

青看の内容に、特におかしな点はない。
直進する県道76号の行先には、ちゃんと「川島」の表示があり、私はまだ走ったことはないが、おそらく真っ当な二車線の県道として終点まで続いているのだろう。
問題は、この青看の反対側だ。
青看を裏から見ると、次の写真のようになっている。



「交差点から先 大型車の直進は ご遠慮ください

――とのことである。

先ほど通った古名交差点をこちら側から“直進する道”は、県道76号ではないのだが、同じくらい狭い路地が存在する。
普通なら、わざわざこんな表示をしなくても大型車が侵入することなどなさそうな道なのだが、敢えて看板が出ているのは、そこが県道76号の進路だと勘違いして侵入してしまう大型車が過去に相次いだからではないかと思う。

せっかくなら、正しい県道76号のルートを青看で案内したうえで、「 幅員1.9m最大重量2.0t 」の規制をすれば良いと思うが、よほど藪蛇を突きたくないのか(県道の青看があれば通行する車は間違いなく増えるだろうから)、県道76号の在処はひた隠しにされているように見える。
読者コメントによると、実際にカーナビやグーグルマップのナビゲーション機能でこの県道を案内されて、思いがけない苦労をした人も少なくないようですよ(苦笑)。

つうか、こちら側から進むと最後まで「 幅員1.9m最大重量2.0t 」を見ないまま、あの【堤防道路】へ入ることになると思うんですけど! いいのかこれは?!



7:08 《現在地》

これは、県道27号の鴻巣側から見た、県道76号の交差点だ。
県道27号は、旧道でさえ2車線だったくらいだから、現道はばっちり4車線である。
同じ主要地方道である県道76号との違いに驚くが、良く育ったものである。

青看を見ると、県道76号の川島側はちゃんと表示しているが、私が探索した鴻巣側には行先表示も県道の表示もない。

……やっぱりだよ。




そして最後は、県道76号の川島側から同交差点を振り返って。

直進が県道76号なんだけどなぁ。
…「鴻巣」にも「国道17号」にも、直進で行けるんだけどなぁ…。
どっちも右折の案内になっている。そればかりか、わざわざ支柱に追加のミニ青看を取り付けて、そこでも「鴻巣方面信号右折」と強調している。
もともと青看の直進には行先の地名表示がなかったようだが、“線”を短くする修正を加えた形跡があった。

もし道が狭いというのなら、そういう案内があればいい。
だけど、せっかく供用されている県道76号が、さも存在しないように扱われているのが、悲しい。
正確性よりは合理性を重んじる、いかにも都会らしい案内方法になっていると思った。


これにて、探索終了!

レポート開始からの経過時間わずか18分というあっという間の探索だったが、その割に印象に残った。




ミニ机上調査編

今回紹介した、埼玉県道76号鴻巣川島線の狭隘区間約1.6kmは、前半と後半で全く違った表情を見せていた。
前半(北側半分)は、茫漠たる荒川河川敷を見渡す長城の如し堤防道路。
後半(南側半分)は、武蔵野の懐かしい農村風景の名残を感じさせる集落道。
この大きな二面性は、道が刻んできた歴史の中で築かれたものであるはずだ。
特に後半は古道の気配が濃厚であっただけに、古い地形図との比較は興味深いと思った。

というわけで、このミニ机上調査編は、歴代地形図の比較から。


@
地理院地図(現在)
A
昭和57(1982)年
B
昭和9(1934)年
C
明治40(1907)年
D
迅速測図(明治13〜19年)

右図は、平成末年の現代から、130年近く昔の明治10年代まで、5世代の地形図の比較だ。

「@地理院地図」から「A昭和57(1982)年」の大きな違いは、今回探索した区間ではなく、その手前の荒川渡河部分にある。
いまある糠田橋は昭和62(1987)年に竣工したもので、ここを渡る最初の永久橋であった。先代の橋は昭和30年頃に建設された冠水橋だったそうで、「A」に見える小さな橋がそれだろう。さらに前は橋がなく、渡船だったらしい。
当時既に県道鴻巣川島線が認定されていたとしたら(平成5(1993)年の昭文社発行の道路地図帳に、主要地方道ではなく一般県道として描かれていることを確認済)、未整備区間はいまよりも遙かに長かったことになる。

一気に時間を遡って「B昭和9(1934)年」となると、今泉から古名までの今回紹介区間は、いまと同じく細々とした道の表記だが、今泉以東や古名以南は太い県道の表記になっている。
当時は県道(旧道路法の「府縣道」)に認定されていたらしい。

そして旧道路法制定以前の「C明治40(1907)年」まで遡ると、この図の範囲内から県道以上の道は全くなくなってしまう。現在の県道27号の旧道だけが、それなりの幹線道路っぽく見える。(「里道」の中で最も上等な「達路」という記号で描かれている)
しかし、ここまで古くなってもちゃんといまと同じ位置に荒川の堤防があり、堤防路も存在することには驚く。
当時は県道ではなかったろうし、堤防もいまより遙かに低かっただろうが、今回辿った今泉から古名までの道は、明治末にはもう同じ位置にあったのだ!

最後の「D迅速測図」は、後に全国の分が作られた地形図の前身として、関東地方など一部地方のものが調製された縮尺2万分の1の地図だ。町村制開始以前の明治13〜19年に作成されており、見た目こそ江戸時代の絵図っぽいが、なかなか驚くべき正確さがあり、やはり今回辿った路地のような細かいルートは、昔から変わらず存在していたことが分かる。例の【S字狭路】も、いまとおんなじだ!


このように、確認可能な最古の地形図にも描かれていた今回の探索ルート。
なかでも、荒川堤防がそんな昔から同じ位置にあったことに驚いたのだが、天保(1830〜1844年)の頃にはもう「荒川堤」が作られていたらしい。
江戸時代から連綿と強化と嵩上げを続けてきたのが、いまの巨大な堤防になったのだ。
地味に趣深いところを通っていた、我らが県道76号(県道155号も)だった。




『埼玉縣管内地圖』より転載(著者加工)。

地形図以外の古い地図も見てみよう。
右図は、明治45(1912)年に埼玉県庁が発行した『埼玉縣管内地圖』である。
かなり縮尺の小さな地図だが、そのぶん描かれている道が厳選されており、当時の埼玉県がどの道を重視していたのかという広域的なビジョンが見える。
凡例によると、この地図に描かれている道路は、「国道、仮定県道、県支弁道」の3種類である。

旧道路法公布以前の当時、太政官布達によって定められていた全国共通の道路の種類は、「国道、県道、里道」の3種類であり、国道と県道は国が路線を認定することになっていたが、実際には県道の公認は行われなかったため、各府県が独自に認定した県道が「仮定県道」と呼ばれていた(そして「県道」と通称された)。里道は、国道と県道以外の公道をことごとく認定する決まりだったが、中でも重要な路線に対しては、各府県や各郡が独自に補助金を出して(支弁して)整備する仕組みがあった。そのような道が「県支弁道」「郡支弁道」と呼ばれた。
現代の感覚に照らすと、当時の国道はいまの高速自動車国道、当時の県道はいまの国道、当時の県支弁道はいまの主要地方道、当時の郡支弁道はいまの一般県道、それ以外の里道はいまの市町村道に相当するものとイメージして良い。

この地図を見ると、我らが県道76号鴻巣川島線とほぼ同じルートが、当時すでに「県支弁道」であったことが分かる。
鴻巣の北の「箕田」で中山道(いまの国道17号)を分かれ、荒川を「糠田」の渡し場で越えて「古名」に達し、さらに南下して「伊草」で川越街道(いまの国道254号)に合流する道が、細い実線で描かれている。
「県支弁道」は里道の一種であり、地形図では里道として描かれるが、今日の感覚では県道、あるいはその中でも上位の主要地方道に相当するような府県レベルの重要路線である。

さらに古い明治初期の地図(明治13(1880)年の『実測埼玉県管内地図』)にはこのルートが描かれておらず、江戸時代以前から集落を結ぶ生活道路はあったにしても、広域的な道路としては重要視はされていなかったと思われる。
明治中期以降に埼玉県の道路制度が整備され、道路網の拡充が進められるなかで、この路線が採り上げられたようである。
当時は川越が県内随一の商都・金融中心地・穀物集散地として伸展しており、県北部と川越を最短距離で結ぶ道が重視されるようになったのかも知れない。




『埼玉県勢要覧』より転載(著者加工)。

右図は、埼玉県総務部統計課が昭和12(1937)年に発行した『埼玉県勢要覧』という地図の一部だ。

こちらは旧道路法の時代の地図であり、描かれている道路は全て「国道」と「県道」である。
さらに県道を独自に「自動車ヲ通ジ得ルモノ」と「自動車ヲ通ジ得ザルモノ」の2種類に分けて記号化しており、県内道路網の整備状況がよく伺える地図になっている。

この地図でも今回探索した道は県道として描かれている。
しかし、古名から伊草までは自動車通行可だが、箕田から古名はそうではなかったようだ。
まあ、現在の状況を見れば、そうだったのだろうという気がする。荒川を渡る糠田橋は立派に整備されたが、古名あたりの道は当時からあまり変わっていないと見て良い。

今回の調査では当時のこの県道の路線名は分からなかったが、県道としての息は長い道だということはよく分かった。
資料未発見ではあるが、おそらく現在の道路法が公布された際に、早い段階で県道の認定を受けていると思う。


不十分とは思うが、過去を探り終えた。現在の姿も見た。最後は未来の姿を想像しよう。
この県道の管理者である埼玉県は、今回探索した狭隘区間の将来を、どんな風に思い描いているのであろうか。

埼玉県議会の平成29(2017)年9月定例会で、県土整備部長が関係する答弁をしているのを見つけたので、抜粋して引用しよう。

県内には、連続的に堤防上を通る県管理道路が七か所あり、幅員が狭く、自動車のすれ違いが困難な箇所は、県道鴻巣川島線と県道小八林久保田下青鳥線の二か所でございます。
県道鴻巣川島線につきましては、荒川の堤防天端を通っており、現在、国が堤防を広げる事業を行っております。事業完成後は、堤防の天端が広がるため、県道につきましても車両のすれ違いができるよう幅員を広げることが可能となります。
埼玉県議会(平成29(2017)年9月定例会)での西成秀幸県土整備部長の答弁より抜粋

おお!
希望がないわけではなかった!!
ここに書かれている、堤防を広げる国の事業とは、荒川中流部改修のことを指しているのだろう。
いまでも十分巨大な堤防だが、将来はさらにビルドアップする計画があり、そのときはようやく県道も真っ当な姿に生まれ変わるのかもしれない。
しかし、河川事業は道路以上に気の長い話と聞いている。完成は、まだだいぶ先なのかも知れない。


『東松山県土整備事務所管内図』より転載(著者加工)。

また、この区間の県道に具体的な整備計画が現状ないのかといえば、そうではないようだ。
左図は、埼玉県が公表している最新の『東松山県土整備事務所管内図』の一部であるが、古名地区に破線で「計画線」が描かれている。

全長400m前後の短い計画線であり、開通しても劇的に状況が変わることはなさそうだ。
【S字狭路】はそのままだし…。
やはり、荒川堤防の改修が完了しないことには、大掛かりな整備計画を建てづらいということなのかも知れない。

また、この計画線は県道27号上から唐突に始まっており、県道76号の現道との接続性が悪く見えるのだが、どうやら県道27号以南の大和田地区についても、図に点線で描いたような県道76号の新道の要望が、吉見町から県に対して出されているようだ。
埼玉県町村会がまとめた『平成30年度県予算編成並びに施策に関する要望(PDF)』に、吉見町の要望事項として、次のようなことが書かれていた。

○吉見町 主要地方道鴻巣川島線の整備について

本町の交通の基軸は東松山鴻巣線、東松山桶川線、及び鴻巣川島線の主要地方道3路線で構成されています。このうち、(主)鴻巣川島線は、吉見町を南北に連絡し、国道17号、国道254号を結ぶ重要路線であります。川島インターチェンジの供用開始後、平成29年2月には圏央道が全面開通するなど、近隣の道路整備が進む中、重要度がますます高まっています。

このような中、本町では平成28年度に第五次吉見町総合振興計画・後期基本計画がスタートし、その中で、県の企業誘致への取り組みを踏まえ、県が整備する(主)東松山鴻巣線、及び(主)鴻巣川島線が交差するエリア(大和田地区)に新たな工業用地の開発計画を位置づけました。

本要望では、埼玉県吉見浄水場建設の際に整備された道路((主)鴻巣川島線のバイパスとしての機能を有する道路)を、(主)鴻巣川島線のバイパスとして位置づけていただき、合わせて当該道路を本町の交通の基軸である(主)東松山鴻巣線と(主)東松山桶川線に結節していただくことをお願いするものです。これにより大和田地区と川島インターチェンジ、また、延伸が見込まれる上尾道路への連絡が強化され、当該地区の工業用地としてのポテンシャルは格段に向上することが期待されます。
『平成30年度県予算編成並びに施策に関する要望』より抜粋

この時代に新たに整備しようとしている工業用地という話には、部外者の無知識ゆえか、いささかの不安を感じてしまうが、いずれこの要望が県に容れられることになれば、県道76号はさらに大掛かりな新道として生まれ変わることになるかもしれない。
もう県道としての年輪は十分過ぎるほど刻んできたのだ、枯れる前に花くらいは咲いてもいいと、関係者なら考えているかもしれない。


私は今のかわいい主要地方道も好きだけどね!
(“S字狭路”にくたびれた“ヘキサ”建てれば、関東在住の田舎に飢えた道路好きたちの名所になれるかも…笑)


完結。


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