2018/4/4 17:04 《現在地》
第1トンネル(仮称)の浦山側閉塞地点より引き返した私は、一旦スタート地点へ戻り、
そこから市道経由でトンネル上を横断する国道140号へやってきた。国道は荒川と浦山川に挟まれた狭い台地を縦走している。
これからトンネルの出口がある荒川の河川敷へ下ろうと思うが、その前に、
荒川に架かる久那橋に立ち寄って、これからの探索の舞台を見渡してみることにした。
写真手前を左右に走る道が国道で、丁字路の奥に見えるのが久那橋だ。
これは久那橋の中ほどから眺めた上流の景色だ。
黄色い線が、今回探索している“工事用道路”の位置を示している。
期待していたトンネル北口はギリギリ見えないものの、トンネルを出た先の荒川沿いの道がよく見える。
やはりちゃんと舗装されているし、白っぽい轍も見えるようだが、トンネルの閉塞は既に確認済みである。
この後はまた国道へ戻り、トンネル北口の最寄りにある荒川運動総合公園へ向かう。
久那橋と交差する、相変わらずサーキット然とした工事用道路の姿。
しかしやはり封鎖されているようで、車通りは全く見えない。
行楽シーズンにしばしば渋滞が起こる国道140号に、
この遊んでいる広幅員道路をちょっとだけ貸してあげて欲しい。
ちょうど台地の上下という位置関係で綺麗に並走しているのだし。
ここからは同じ橋の上から眺める、下流側の風景だ。
写真はほぼ直下を見下ろしたもので、2車線幅の道のうち、
山側半分は廃材置き場のような感じで、もう道ではなくなっていた。
そして、さらに下流へ視線を動かしていくと、
300mほど先に、浦山川が合流してくる地点が見えた。
だが、橋は架かっていない。
透明な橋でもありそうな風景なのだが、最新の地理院地図も描くとおり、確かに橋はなく、
浦山ダムが逃がした水が、結構な勢いで本流で注ぎ込んでいるのがよく見えた。
消えた橋の前後は、道路というよりも空母甲板のような、不思議なコンクリートの広場であった。
一方、浦山川合流点より先の河川敷は、路上を含めて市民に解放されているようでく、人影や駐車車両が見えた。
満開の桜が整然と植えられた広い土地(影森サッカーグラウンド)もあり、
その奥には白いマンションがやたら目立つ巴町の舌状台地が見えた。
工事用道路の終点は、巴町の台地を第2のトンネルで潜った裏側である。
ここから終点までは直線距離で1.5kmほどだが、川の蛇行に付き合って行けばもう少し遠い。
とはいえ、探索の残りはこの程度のスケール感の中にある。
日暮れも近い。行動を再開しよう。
17:12 《現在地》
国道から案内板に従って荒川運動総合公園へやって参りました。
駐車場に入らずそのまま川の前まで降りてくると、この場所へ突き当たる。
車はここで行き止まりだが、車止めの向こうにも舗装道路が延びていた。
歩行者の進入は禁止されていなかったが、この先はどこへも通じていない。
こんなどこにでもありそうな平凡な河川敷だが、すぐ先に廃トンネルがあるはずだ。
位置的に上手く隠れていて見えないが、地図には現役のもののように描かれているので、場所は明らかすぎるほど明らかだ。
この平和な風景の中に、どんな姿を晒しているのか、はたまた取り壊されたりしているのか。
……確かめるぞ。
あった!
あるべき場所に、そのまま開口していた。
…そうだ。 これは、先に見た南口と全く同じ展開だ。
南口も、このように見え始めた時点では、当然貫通しているものと思ったのだ。
それくらい、坑門の外観が現代的で、よくある「廃トンネル」とは一線を画していた。
このような間違いなく平成生まれであるトンネルが、
もう廃止され、しかも閉塞させられているなんてことは、予想ができなかった。
たとえダム工事が終わったとしても、何か違う道に転用されていると思ったのだ。
17:15 《現在地》
現代の生まれであることを物語る、南口と同じシンプルな突出型坑口だった。このような外観のトンネルが、完全な廃トンネルになっているというのは、未成道を除けば相当少ないと思う。
そして、こちら側にも扁額や銘板のような素性を語るものが全くない。
同じ道にある「即道橋」には、ちゃんとした意味ある名前を付けて、名乗らせたのに、なぜトンネルにはそれをしてやらなかったのだろう。
年代を考えれば、銘板がないというのはむしろ不自然なくらいだ。最初からトンネルだけは長く使うつもりはなかったという、暗示だったのか。
それでも、ダム工事が終わった後、一度は第二の役割を与えられたらしい。
探索のスタート地点で見た【河川管理用通路の看板】が、ここにも設置されていた。
トンネルを含めてここまでが一連の河川管理用通路として使われた時代があったのだと思う。
だが、トンネルだけが早々に役目を下ろされたようだ。
なぜなのか。
おそらく洪水と関係があると思うのだが、考えは最後に述べたい。
そして、閉塞が約束されていた洞内の様子は、ご覧の通り。
実は私も中には入らず、入口の鉄条網越しに眺めただけである。
それで十分だと思えるほど、中は“鉄壁”だった。
入り口から20mほどの地点で塞がれていた。
興味深かったのは、塞ぎ方が南側とまるで違っていたことだ。
南側は土の山だったのだが、北側は垂直のコンクリート壁で、より堅牢に、封鎖されていた。
この違いにも理由があったと思われる。
ただし、完全閉鎖ではなく、壁の3箇所に穴が開けられていた。
このうち2つの穴は南側の閉塞壁に開口していたパイプに対応し、残る1つは南側では埋没してしまっているようだ。
トンネルの全長は約250mあるはずで、現状残存している洞内が50mほどだから、パイプだけが通じている部分は200mもあるということになる。
入らなくて良かったと改めて思う長さだ。特に、上の穴に入った場合、ここまで辿り着いても墜落するしかなかった。穴のサイズ的に方向転換が出来ないのだから、それしかなくなっていた。死んでいた。
よく見ると……
路面や低い位置の壁が、薄らと土埃に覆われている。
おそらくこれは、洪水に渦巻かれたことがある。水が引いた跡だと思う。
トンネルは、荒川の堤防の高さそのままに口を開けている状況であり、
ここが洪水に浸かというのは平穏ではないが、だからこそ洪水だと言える。
そして、これ以上このトンネルが何かを語ってくれる余地はなさそうだ。
仮に貫通していたら、もっと印象を残さない普通のトンネルであったと思う。
図らずも封鎖されたことで、外観の新しい廃トンネルという個性を得たのは、
幸福ではないだろうが、とにかくこうしてレポートにしたいと思えるだけの印象を与えることになった。
これにて、第1トンネル(仮称…最後まで名前分からず)の探索は終了。
これより、残る探索対象である第2トンネル(仮称)を目指して、荒川の河川敷を下流へ向かう。
写真は坑口を背に進行方向を撮影した。
ここから道は3方に延びており、左の2本は荒川総合運動公園へ戻る。進むべき元工事用道路は右。先ほど撮影のために立ち寄った久那橋の下を潜っていくぞ。
だだっ広いトンネル前の丁字路を右へ向かうと、前半とはガラリと印象が異なる荒川沿いの道が始まった。
浦山川沿いの前半は、渓谷沿いの高速サーキット風だったが、後半は広い河原を友とする、明るい旧道のようだ。
立地としては幹線道路もよくこういう場所を通るから、風景もそんな道の旧道っぽかった。現道に見えないのは、使われていないから当然である。
久那橋の手前に落石箇所があり、チェーンで封鎖されていた。
そこを越えると、道幅は半分になった。
落石や植物の浸食で、1車線分だけが残っていた。
転落防止柵がまったくないので、そこだけは一般道路にはとても見えない特徴だ。
基本的に、増水時には自然と川の一部になることを想定してあるのだと思う。だから流れの障害となるような柵を作らないのだろう。
(増水時に冠水する部分を高水敷といい、常時水が流れている低水敷と合わせた部分を、河川敷という)
おかげで、川がとても近く感じられて爽快だ。平坦だし、車来ないし、サイクリング向きだと思う。
さらに進むと、甲板のような広い所に出た。
奥を限っているのは浦山川。前述の通り、橋がない。
自転車で助走を付けていけば飛び越せそうな錯覚を憶える人がいるかもしれないが、さすがにそれは錯覚確定なので、試さないように(笑)。
右にはバンガロー風の建物が見えるが、これは橋立川キャンプ場の施設である。
この道からアクセスするように作られているわけではない、たまたまそこにある。というか、キャンプ場が先にあって、工事用道路は後から割り込んだのだろう。川とふれあいたい施設としては、いい迷惑なのかも。
17:21 《現在地》
トンネルから約400m(起点から約1.3km地点)の浦山川合流地点。
この川との関わりにおいて誕生した道が、ここで進路を閉ざされるというのも因果だ。
いつ頃まで橋が架かっていたのかも分からない。
ダム工事終了後、すぐ撤去されてしまったのだろうか。
この規模の川を渡る橋ならばもっと高い位置に架けるのがセオリーだが、
あくまでも工事用の仮設橋という前提であったのだろう。
道の突端から見る浦山川は、橋立川キャンプ場の敷地である。
数百メートル上流へ迂回すれば、敷地内で川を渡ることができそうだったが、見つかれば怒られそうだし、何より、迂回によって時間を費やすことを避けたかった。もう1本トンネルの探索をする可能性があり、出来るだけ時間を確保したい。
……やるしかないか。
徒渉決行。
探索中の徒渉自体は良くあることだが、橋を探して迂回することが別に難しくないこんな街の近くで、豪快に徒渉したのが、可笑しくて仕方なかった。
40何才にもなって、自転車を担いで川を横断しているとか、頭が進歩していない。取り得る選択肢が昔と変わっていない。可笑しかった。
トンネルは迂回を余儀なくされたが、橋は強引に渡ってやった。
さあ、濡れた足で急ぎゴールを目指そう。 そして報われたい。
続く