今回紹介した道路は、未成道としては状況に破綻が少なく(完成度が高く)、廃道探索的なカタルシスは少なかったが、終点に待ち受けていた空間を持て余したような転回路や、PAの関連施設を建設するために用意されたらしき広い未使用用地、さらにはその一角にあった謎の休憩施設などから想像される、高規格幹線道路の休憩施設(SAPA)の計画縮小に伴う未利用道路という物語は、なかなかに珍しいものであり、興味深い。
しかし、私が探索前に把握していた物語的な意味での事前情報は、ウィキペディアにある、「高滝湖PAは当初はSAとして計画されていたが、途中でPAに規模を縮小された」という一文程度の内容であり、今回探索した道についての情報はなく、SAPAの計画縮小と今回探索した道が使われていないことの因果関係も、断定できるものではなかった。まあ、状況的に無関係とは思わないが…。
また、SAからPAへの計画縮小が、具体的にいつどういう経緯で行われたかについても事前情報はなく、知りたいと思った。
そのため、現地探索後……もっと言えば、このレポートの「前編」公開後に机上調査を行なったのであるが(←そんな行き当たりばったりなと思われるかも知れないが、ミニレポはだいたいそうだ。現地で見つけたものを紹介したい気持ちが強い場合は特に)、正直、事情を知っていそうな一部読者さんからのコメントで「察し」た後、調べを進めるのがちょっと苦痛になったことを告白したい。なぜかというのは、やがて分かると思う…。
そんなこともあって、いささか机上調査としては不完全な内容になってしまったかもしれないが、現状の私の理解度ではこの内容がギリギリなので、お許しを頂きたい。
まずは基礎情報的な話として、この高滝湖PAを含む区間の首都圏中央連絡自動車道の整備の経過を簡単に説明したい。
起点の神奈川県横浜市から終点の千葉県木更津市まで、首都圏を取り囲むように結ぶ全体計画延長約300kmの圏央道のうち、千葉県茂原市と木更津市を結ぶ約28.5kmは、全体の最も終点側の区間として、平成元(1989)年8月に基本計画(起点や終点、主要なICの位置、車線数、設計速度など)が決定した。これは現在の茂原長南IC〜木更津JCT(終点)の区間に相当する。
基本計画をもとに平成4(1992)年度に日本道路公団が事業化し、ルート等の設計が進められ、平成9(1997)年2月には整備計画の決定に至った(ルート確定、これ以降用地買収が本格化)。この時点で平成20(2008)年頃の開通が目指されていた。
平成13(2001)年3月には起工式が執り行われ工事がスタート。平成17(2005)年に日本道路公団が分割民営化された後は東日本高速道路(NEXCO東日本)に事業主体が移り、平成19(2007)年3月に木更津東IC〜木更津JCT間の供用が開始されている。
残区間の整備は当初の計画よりも遅れ、平成25(2013)年4月にようやく東金IC〜木更津東ICが暫定2車線で供用開始となった。これで平成元年に基本計画が決定した茂原〜木更津間は全線開通を迎えている。
このとき、市原鶴舞IC(計画中の名称は市原南IC)〜木更津東IC間には、圏央道千葉県内では唯一の休憩施設となる高滝湖PA(計画中の名称は市原高滝湖SA)の設置工事が進められていたが、工事の遅れから同時供用とはならず、内回り線PAが同年7月12日、外回り線PAはさらに2年遅れの平成27(2015)年8月10日に、ようやく開業を迎えている。
(なお、外回り線PAがここまで遅れた原因だが、ランプ橋の工事に当たっていた業者が倒産し、破産管財人の指示で現場の仮設物などを動かせなくなったせいらしい――長南町議会平成25年代2回定例会の内容より)
ここまでが基礎情報であり、圏央道の管理者であるNEXCOのサイトなどから得られる情報も、概ねここまでの内容である。
だが、もちろんこれだけでは私の知りたいことが全く分からないので、もっと深く調べることになった。
『市原市史』などの文献は発行時期が古く使えないので、主にネット上の情報を探した。具体的にはまず国会、千葉県議会、そして市原市議会といったところの議事録が検索可能な状態で公開されているので、これらを調べた。
国会や千葉県議会にめぼしい情報はなかったが、市原市議会の会議録には、平成13年頃から高滝湖PAの整備に関する内容が繰り返し議題に上がっていた。
例えば平成13(2001)年6月定例会(起工式があった年)で、市土木部長は、「圏央道の休憩施設誘致につきましては、平成13年1月24日、市から国土交通省、千葉県、日本道路公団に休憩施設を市原市域に設置してほしいということで要望いたしました。その結果、去る6月8日に、高滝湖周辺にサービスエリアを設置するとの決定の連絡を受けたところでございます
」と述べており、高滝湖PAの設置決定は平成13(2001)年6月で、当初はSAを予定していたこと、そして地元市原市側の誘致があったことが分かった。
その後もしばらくは毎年のように議題に上がっており、平成14(2002)年3月定例会では、この前年に市の建設常任委員会が北海道砂川市の砂川ハイウェイオアシス(HO)の視察を行ったことが出ていた。前編の前説でも少し述べたが、HOは従来型の高速道内で完結していたSAPAとは異なり、施設外に隣接する都市公園と連結することで、高速道と一般道の利用者が相互にこれら施設を利用できるという、地域振興に効果の大きな仕組みであった(砂川SAは昭和63(1988)年に北海道縦貫道に開設されたが、平成3年に国内2例目となるHOとして再開業している)。
高滝湖周辺に設置が計画されたSAについても、この「砂川方式」を取り入れることを市は検討したようで、土木部長は一連の答弁の中で、「サービスエリア本体に加え、市としては地域経済の活性化を促す情報施設や農産物の販売所を、さらには地域との交流促進機能として高滝ダム湖や養老渓谷の自然、観光等の資源を活用した中心的施設となるよう、現在、基本計画を策定しております
」と述べていた。
この出来上がった“基本計画”を見たいところだが、残念ながら手元にない。
国交省東北地方整備局「東北の高速道路」サイトより抜粋
翌年、平成15年3月定例会でも取り上げられ、市土木部長は、「国の制度であります地域拠点整備事業を取り入れ、高滝湖周辺の公園、観光、レクリェーション施設を一体的に活用できるような仕掛け、また地域の利便性の向上と交流の促進につながる高速バスストップの設置、南市原の情報の発信、地域の個性を生かした物産の販売による地域振興の拠点として整備する等が考えられますことから、今後の予定も含めまして、地元の意見を聞きながら国土交通省、日本道路公団、千葉県と協議を進めてまいりたいと考えております
」と述べており、市としては国交省の新たな補助事業である地域拠点整備事業を活用する方針で、地元を含む関係者との協議を進めたいという考えを示していた。
地域拠点整備事業とは、従来のHOをさらに柔軟に拡張した制度で、連結できる施設は都市公園に限られず、地域活性化の拠点として市町村が計画整備する施設なども対象となる。(そして厳密には、HOは高速自動車国道でしか採用されないので、高速自動車国道ではない高滝湖PAで採用されることはない)
市原市としては一貫して、地域振興の機能を有した(地域に開放された)休憩施設の整備を進める方針だったようだが、これ以降、あまり具体的な議論は現われないまま開業に至る。
SA→PAへの計画の縮小についても特に議論が行われた形跡はなかった。
平成18年9月定例会が、会議録に「市原高滝湖サービスエリア」の名前が登場する最後で、進捗具合を尋ねられた土木部長が、「本線及び休憩施設とも、完成4車線で現在、国土交通省が用地買収を進めているところです。なお、休憩施設については、今後、有料道路事業者などと調整の上、整備が進められると国土交通省より伺っております
」と、あまり積極的とは思えないことを述べている。
いずれこの時期までは確かにSAとして計画されていたのだろうが、以後、平成25(2013)年7月に「高滝湖PA」が開業するまで、市議会で関係する議論は確認できなかった。
以上のように、各種会議録からは期待したほど調査は進まなかったが、それでも一つ大きなことが分かった。
高滝湖PAが当初目指していた完成形は、地域拠点整備事業を取り入れた、地域振興の機能を有する休憩施設だったということだ。
探索前の知識では、今回探索した道の利用目的として、ハイウェイオアシス(HO)へのアクセス路とかスマートインターチェンジ(SIC)を考えていたのであるが、おそらく正しい答えは前者に近いが微妙に異なる、「地域拠点整備事業」を活用して整備される、PAと一体となった地域振興施設へのアクセス路だ。
で、現地を見る限り、この地域振興施設というようなものは敷地だけ用意されているが未だ整備されていない。だからアクセス路も封鎖されたままなのだろうと推測できるわけだ。
千葉日報など地元紙のバックナンバーをつぶさに調べれば、推測を入れないレベルではっきりとした経緯が分かりそうだが、調査可能な環境にある人がいたら調べてみて貰えないだろうか。
で、その次に調べたのが、一部読者さんのコメントから「察し」た、“とある事情”に関するサイトであったのだが、“とある事情”というのは、現代の大規模な道路整備にはありがちではあるのだろうが……事業者側と地元住民の確執である。
南市原情報というサイトがある。
サイト名からして市原市南部地域の観光情報や見どころを紹介しているような感じがするし、実際そうしたコンテンツもあるが、大部分は「実話・圏央道」と題された、地元(主に道路用地の地権者となった人々やその代表である役員)と圏央道の事業者側にあたる高速道路会社や国交省千葉国道事務所の間の問題を、前者の立場より指摘・糾弾する内容となっている。サイトの筆者も地元役員の一人であるようだ。
非常に分量が多いので私も全ては読み込めていないし、係争の一方の当事者の発信内容のみを「出来事」として紹介するのは公平を欠くと思うので、サイトの内容を勝手にまとめるようなことはしない。
以後の発信内容は、あくまでも私が同サイトを不十分に読み込みんでの感想を述べたに過ぎないものであることをあらかじめお断りしておく。
また、ちBポさんのこちらのコンテンツも参考にさせて頂いた。
まず、圏央道建設に関する当地の問題は、平成4(1992)年の事業化当初に遡るようだ。
道路用地を早急かつ高騰なく取得したい行政側と地権者側の交渉における確執(調整区域指定の問題などの複雑な経緯があったが省略)が、問題の端緒ではあったようだ。
もっとも、地権者の多くは圏央道自体には反対しておらず、開通が過疎対策や地域振興対策になることや、適正な価格による買収を条件に受け入れる方針であった。
このうち地域振興というのは、具体的には地域にサービスエリアを設置し、そこを地域振興の拠点して整備することであったのだが、既に見た通り、市原市はこの地元の希望に則って事業者側と交渉し、平成13(2001)年にサービスエリアの誘致を取り付けている。
当初の確執はあったものの、行政側と地元側は平成6(1994)年に、今後は地元との協議を綿密に行うことや、「地元にメリットのあるSAPAを整備すること」などを条件に、圏央道の整備を受け入れる方針で和解した。
だが、地区内での用地買収が本格化する平成17年頃になると再び一部住民との確執が高まり、最終的に一部の交渉は決裂し、土地収用法の適用によって工事が進められた。そして当初の計画から数年遅れる形で圏央道は開通した。
そして、開通からさらに遅れてやっと開設された高滝湖PAも、地元住民の期待と裏腹に、地域振興機能のない未完成のものとして今日に至るということらしい。
南市原情報のサイトには本当に多くの情報が掲載されていた。その中にはPAの図面などもあって興味深かったのだが、同サイトを読み進めると、どうやら私の当初の予想とは異なり、SAからPAへの縮小という言葉として分かり易い計画の変更が、必ずしも今回の未成道を誕生させた主因ではなかったということに気づいた。つまり、単純にSAからPAに縮小したから地域振興機能が削除されたというわけではないようなのだ。
これはサイトではなく私の知識からの話だが、現代ではSAとPAに根本的な違いはない。地方へ行けば、都市近郊のPAよりも遙かに規模が小さなトイレしかないSAがあったりする。実際、前述した地域拠点整備事業を適応されている休憩施設には、山形自動車道の櫛引PAのようにPAもあるので、PAだから地域振興機能が出来ないということではないのだ。
だから、南市原情報のサイトを見ても、SA→PAへの変更はそれほど大きく取り上げられていない。
曰く、平成24(2012)年2月20日に、SA予定地へ地元の高滝神社の宮司を招いて地鎮祭が執り行われ、造成工事がスタートした。
同年6月9日、NEXCOより地元に、従来「仮称・市原市高滝湖休憩施設」と称していた施設の正式名称を「高滝湖PA」と決定したことの申し入れがあり、合意したという内容があり、SAがPAになったのはこのタイミングかと思われるが、それを大きな問題としている様子はない。
また、内回り線PAが先行完成した平成25年以降も、「地元エリア」の整備に関する話は度々出ていて、引続き開設へ向けた活動を進めていく(というか当初の約束履行を求める)のが地元としての立場であるようだ。
この「地元エリア」というのは、南市原情報には度々出て来る表現だが、地元側が管理するパーキングエリア内の産直販売施設やPR施設のようなものを指している。つまり地域振興施設である。
そして最後は、なぜこの地元エリアが未だに開設できていないのかについてだ。
今回探索した未成道は、図面などによれば、やはり市原市道であり、当然それは地元エリアの開設を前提に整備されたものだろう。
NEXCO東日本側もそれを受け入れていたから、この市道は圏央道の本線やランプウェイと複雑に交差しながら完成しているのであろう。市が独断で整備できたはずはない。
地元側は当初(平成4年)から、地元にメリットがあるSAPAの整備が圏央道の受け入れ条件と表明していて、実際にNEXCO東日本も国も県も市もそれを受け入れていたはずだ。
さすがに地元を騙すためだけに市道の整備をしてみせ、しかし地元エリアは建設させないというのでは悪辣すぎる。
なぜ地元エリアが未だに開設できていないのか。これは一言では表せない複雑な問題になっているようだ。
地元エリアの用地は、現地で「未使用施設用地」と表現した部分(の一部)がそれである。土地の所有者は主に市原市となっている模様だ。
また地元側は平成25年のPA開設当初より地元町会合同で高滝湖・PAサービス株式会社を設立済で、地元エリアの運営を行う予定であったようだが、同社はいまも休眠状態のようだ。
新たな建物を整備することに大きな費用がかかることは一つの問題で、それとは別に土地の占有問題や、NEXCO東日本が敷設した水道管を地中で分岐させる問題なども取り沙汰されているようだ。
……しかし、はっきり言って歯がゆい。
一部外者の感想として雑なことを言わせて貰えば、関係者が一致団結して「やる」と決めればすぐに実現出来そうな地元エリアの開設が棚上げとなっているのは、とにかくこれまでの経緯から当事者間の不信感が根強くて、条件などで容易に歩み寄れていないからなのだろう。
冷たい話のようだが、地元エリアの整備は、多数の道路利用者にとっては喫緊の問題とは感じられないはずだ。しかし、NEXCO東日本や国までもが同じ温度だとしたら、それは地元にとっての悲劇だろう。本当に約束をしたならば。地元との約束をのらりくらりとかわしながら、本線さえ出来てしまえばあとは知らない。南市原情報の筆者が繰返し表明している不信感は、そういうものだと読み取った。
果たして今後、地元エリアの開設が行われ、地元民が言う高滝湖PAの真の完成があるのかどうか。
それとも、現在の形のままずっと固定されていくのか。
南市原情報の最終更新は平成29年であり、それからやや時間が経過しているので、最近の動きは全く読めない。
以上が、今回の机上調査の本題といえる内容だ。
ここからは余談に属する話となるが、あの強烈なインパクトを誇っている虚無のピラミッドも、(南市原情報によれば)あまり地元に歓迎されて生まれた存在ではないようだ。
そもそもの誕生理由が、PAや本線の造成工事で発生した大量の残土を外部へ運び出さずに済む手段として、展望台を作るという方便で積み上げられた土砂であり、おかげで2億円の搬出費用が節約できたそうだ。
節約が目的だと言われると、なるほどあの無骨さや、案内のなさ、市原という土地に特段ゆかりがあるオブジェでもないことの理由としては、とても納得する。
元々我々は「山なんか作っても集客には繋がらない。以前千葉国(道事務所)がSAのエリアは全て平らにしますと言っていたのですから平らにしてください。この糞田舎に山なんかいくらでもあるから平らの方がいです。山は見飽きました。」と声を大にして言ってきたのです。 それを千葉国が、お金がないから平らに出来ないとして我々を説得してきたのです。」
……うん、この言い分は分かるかな。
もっとも、せっかくの高滝湖PAなのに、このピラミッド型展望台に上らないと全く高滝湖などの周辺の景色は見えないので、無いよりはあった方がいいとも思うけど。2億円も節約されたらしいしね。
ちなみに、同じPAの敷地内には、あのピラミッドだけでなく、もう1つ「小山」と図面上で表現される(ピラミッドよりも低い)築山も、第二?展望台として用意する計画があったそうだ。場所は、現地ではなんのためにあるのか全く分からなかった、内回り駐車場の西端部にある高台(左写真)だ。
だがこれは後に工事のミスで更地になったと、南市原情報にはそんなことも書かれていた。確かに古い図面だとそこには「小山」の文字と小富士ふうの等高線が書かれていた。
つまり、件の地元エリアの両側に、小さい丸い山と、大きな四角い山を並べて置きたかったということらしい。
そ れ は な ん な ん だ ?
道路の話はだいたいいつも私の心を穏やかにしてくれるのだが、今回は少しとげとげした内容もあった。
たとえ時間はかかっても、いつかは圏央道のようにまるーくおさまるといいんだけどなぁ。 (東京湾横断橋作らないと永遠に欠けた円なのは内緒だぜ)