ミニレポ第272回 国道193号平谷トンネル旧道 前編

所在地 徳島県那賀町
探索日 2023.02.14
公開日 2023.02.23

絶壁に取り残された“四畳半路面”


《現在地(マピオン)》

今回取り上げるのは、四国を代表する“酷道”の一つとして知られている国道193号の一部だったことがある、旧道だ。
ミニレポということからも分かるように、ごく短い旧道であり、これをもって国道193号のなんたるかを語ろうなどと言う気はサラサラない。
場所はと言えば、剣山地に深く抱かれた清流の里、徳島県那賀郡那賀町(なかちょう)の平谷(ひらだに)という地区である。

ここには、新旧の地図をいくら眺めても解明出来なかった“謎”があって、それを実地で解明すべく今回の現地探索を行った。
どのような謎かというのは、次の4枚の新旧地図を比較すると見えてくる。


@
地理院地図(現在)
A
平成12(2000)年
B
昭和42(1967)年
C
昭和8(1933)年

最新の地理院地図から、平成12(2000)年、昭和42(1967)年、昭和8(1933)年まで、平谷付近を描いた4枚の地形図を比較してみる。

@地理院地図には、国道193号と195号の重複区間にある2本のトンネルが描かれており、それぞれ平谷トンネル平谷2号トンネルという名前である。
このうち後者には、いかにも旧道と分かる道路の姿が描かれているが、前者にそれは見られない。まずはこれを起点に次の地図を見て欲しい。

A平成12(2000)年版には、2号トンネルがまだなく、平谷トンネルは既にあるものの、その崖側に旧道の姿がはっきりと描かれている。
この平谷トンネルの旧道は、@では消えてしまっているので、短い区間ではあるが、廃道化している疑いが濃い。

B昭和42(1967)年版の当時は、国道193号のルートが現在と大きく異なっており、平谷を通る国道は195号だけだった。
さて、この地図にもAの平谷トンネルと近い位置に、1本の短いトンネルが描かれているのであるが、ちょっとばかり向きが違っている感じがする。これは地図表現の誤差なのか、実際に別の隧道があったのか、どちらの可能性もありそうで、このことが現地探索で確かめたいと思った“謎”だった。もしかしたら、Aに描かれていた旧道には、この“旧隧道”が残っていたりするかも知れない!

C昭和8(1933)年版になると、Bにあった短いトンネルの姿はなくなるが、トンネル部分の道路の位置は、変わっているようにはあまり見えない。まあこれも誤差の範囲か…。ただ、そこから下流(東)へ道を進んでいくと、明らかにBとは形が変わってくる。これは昭和30(1955)年に長安口(ながやすぐち)ダムが完成したことで、那賀川沿いの低地が湛水したためであろうと推測できる。

以上を一言でまとめると、Bに描かれている短いトンネルの行方が知りたい! ということだ。みんなも、そう言われると知りたいよね?


さらにもう少しだけ、ここにあったトンネルに関して、事前調べの情報をお伝えしたい。

資料名(データ年)隧道名路線名竣功年全長高さ
道路トンネル大鑑
(1967年)
平谷隧道【※】元資料では近くにある「玉谷隧道」のデータとテレコになっており、正しい平谷隧道のデータはこの通りと思われる一般国道195号昭和32(1957)年68m3.8m4.0m
平成16年度道路施設現況調査
(2004年)
平谷トンネル一般国道193号平成8(1996)年80m8.5m4.8m

当サイトではもうお馴染み過ぎる、2世代のトンネル資料のチェックだが、昭和42(1967)年度末のデータである『道路トンネル大鑑』にも、平成16(2004)年度末のデータである『道路施設現況調査』にも、ともに平谷トンネル(隧道)が存在している。
その名前以外のデータはどれも少しずつ違っているが、同じトンネルを拡幅改良してもこのようになる可能性はあり、やはり現地を見ないことには判断できないと思った。
(路線名も違っているのは訝しいと思われるかも知れないが、当区間は最初は国道195号の単独区間だったが、昭和50年に国道193号との重複区間となったために、路線名が変化している)


以上のような情報を元に、昭和32(1957)年生まれとされる平谷隧道の行方ないし結末を確認すべく、現地へと赴いた。
そしてその結果、またしても思いがけない光景に出会うのだった…。それはそれは印象的な……。





2023/2/14 13:55 《現在地》

ここは国道193号と195号の重複区間にある平谷2号トンネルの東口前だ。
このトンネルも、その先にある平谷トンネルも、ともに国道番号が若い193号の構造物という扱いになっているが、この区間の道路が国道に指定された当初は195号の単独区間であったことや、屈強な酷道区間に挟まれた193号と、高知と徳島を結ぶ重要な物流ルートである195号とでは圧倒的に後者の通行量が多いために、これらのトンネルも195号の一部という印象が強いと思う。

平谷2号トンネルは、平成16(2004)年に開通したまだ新しいトンネルだ。
この事業は「一般国道193号平谷拡幅」という事業名で徳島県が行なったもので、この開通まで使われていた旧国道が、旧道の定位置であるトンネル脇から右に分岐しているのが見える。
まずは小手調べである。平谷2号トンネルの旧道へGOだ!




自転車で旧道の入口に立つと、例によってバリケードが通せんぼしていた。
まだ新しい旧道で、最新の地理院地図にも描かれている道だが、一般車両の通行は既に遮断されていた。
雰囲気的に、何か別の用途に転用されている感じ。

バリケードを見ると、この先の旧道敷は那賀町が管理している土地であり、施錠をしているが、開錠したい場合は連絡しろと書いてあった。
だが、施錠されていたのは車が通れるメインの門扉だけで、その左の方にひっそりと存在している通用門の方はフリーだった。全く人の気配も感じないので、失礼を承知で進むことにした。




バリケードの奥はだだっ広い舗装された広場で、道路時代の白線なども消えているので、なんのためにこんなに広くしたのか分からない。
線形改良の結果にしても大袈裟な広さである。
だがあくまでも広いのは最初だけで、少し進むと普通の2車線道路の幅だ。

(チェンジ後の画像)
広場の出口に、積み荷の重さを車ごと測るトラックスケール装置が設置されていた。
旧道が何かに転用されていた痕跡に違いないが、現在はもう使われていないようで、なんのためにあるのかまでは分からなかった。ダムの堆砂対策で土砂を積載したトラックが出入りして、とかの想像はできるが、とりあえず確信的な情報は得られていない。

まあ、本題はこの区間ではないので、サクサク進もう。



全長323mある平谷2号トンネルに対応するこの旧道の長さは、おおよそ500m。
通常の倍ほどの幅がある“ぶっといオレンジセンターライン”が賑々しく誘う道で、一昔前の国道の山道味がある。ちゃんと2車線が確保されており、何かに転用されていたせいもあるのだろうが、全く荒れていない。少し落葉がある程度。

恐るべき酷道である国道193号の一部として考えれば、この旧道も十二分過ぎる良道だが、前述した通り、大多数の利用者はここを国道195号の一部として利用していたわけで、その整備水準を目安とするなら、崖沿いのブラインドカーブが続く区間は、そろそろご退場願いたかったというところだろうか。崖道なので防災対策的な意味合いも強かったと思う。

(チェンジ後の画像)
川沿いだが樹木のせいであまり見通しの利かない道を進んでいくと、あっという間に500mの終わりが見えて来た。
この区間の次が、本題である平谷トンネルの旧道であり、もしかしたらそこに昔の“平谷隧道”があるかもしれないという、そんな期待感も持っていた。




13:59 《現在地》

ふむ。 こういう状況なのね。

この場所、上の現在地のリンクから地図を見てもらうと分かるが、地理院地図で旧道が行き止まりになっている。
実際は広場のようになっていて、そこに建設資材などが整理されて並べられていた。建設資材置き場だねここ。
そしてこれは確かに行き止まりだ。隣接する2本のトンネルの間にある短い明り区間がロックシェッドになっていて、その支柱があるために、今いる旧道からシェッド内の現道に合流することは、支柱をすり抜けられるサイズのモノにしか出来ないのである。

このシェッドは平谷ロックシェッドといい、その左右にあるトンネルは左が平谷2号トンネル、右が今回の本題である平谷トンネルだ。
竣工は同時ではなく、左が平成16年、右は平成8年らしい(道路施設現況調査)ので、この間の10年弱は、いまシェッドがある部分から平谷トンネルへアプローチしていたのである。




……というような状況を描いていたのが、前説でも紹介している、平成12(2000)年の地形図だった。
この地図だと、2号トンネルはなく、平谷トンネルだけがここにある。
そして、注目すべき今の地図の違いとして、平谷トンネルの外側に旧道が描かれていることが挙げられる。

この旧道がどうなっているのかは、地味に気になった部分なのだが……

そ れ が … …




この場所なんだよね?

見るからに、先へ行かせたくない感じがするフェンスと、ススキの繁茂には、強烈な嫌な予感が……。

そこは全くの手付かずという感じではなく、むしろトンネルの外壁には人工物がありありと見て取れるのだが、それは地中に存在する平谷トンネルを崩壊より守るための構造と思われ、とてもこの外壁に沿って道があるようには、そしてそれがトンネルの向こうまで通じているようには……




見えない!

……これは、行くまでもないんじゃないかな……?

平成12年の地形図という、そんな古くない地図に描かれていた道がどこに行ってしまったのか。

それは気になるのだが、もちろん誤記という可能性はあるし……、

とりあえず、この場所から闇雲にフェンスを越えてまで、

コンクリートの壁に取り付いてみようという気にさせる“道”は、なかったのである。



とゆーわけなので、

まだ探索を投げたわけではないが、まず一度平谷トンネルを通って、反対の西口へ向かうことにした。

写真は平谷トンネル内部。
前説で紹介したとおり、平成8(1996)年竣功の全長80m、全幅8.5m、高さ4.8mという、現代的な至って普通のトンネルだ。
昭和32(1957)年竣工で全長68m、幅3.8m、高さ4.0mという、古びたスペックを記録されている“平谷隧道”は、このトンネルの拡幅改良前の姿なのか、それとも別の場所にあったのか、その解明が今回の本題であるわけだが、とりあえず平谷トンネルの内部の様子からは全く手掛かりは得られなかった。




14:01 《現在地》

平谷トンネルをあっという間に潜り終えると、そこは丁字路になっている。
国道193号と195号はともに直進し、この平谷の地で那賀川本流(長安口ダム湖)に合流する2本の支流の谷を、平谷2号(手前)と平谷1号(奥)という2本の橋で渡っていく。渡り終えた先が2本の国道の分岐地点だ。

平谷2号橋と1号橋はともに昭和44(1969)年の竣工であり、平谷トンネル(平成8年)よりもだいぶ古いことになるが、トンネルと橋の位置関係は申し分ない直線上にあり、何かルートを切り替えたような印象は受けない。これは、「平谷トンネル=平谷隧道を改良したもの」と考える一つの根拠になると思う。

で、丁字路を左折した先の道路が、平谷2号と1号橋が完成する以前は選択の余地なく通行された旧道である(今は町道)。今回探索はしていないが、平谷市街地を貫通する重要な生活道路であり、路線バスもそちらを通る。


平谷市街地側の旧道より、丁字路を振り返って撮影したのがこの写真。

ここには青看があって、右折側だけ国道の重複が分かる表示となっている。
このことから、この青看を設置した時点では、今いる旧道は国道193号の単独区間であったことが分かるが、このことは本題とはあまり関わりがないので追求はしない。

ここで注目すべきは、丁字路というからには存在しないはずの正面側にも道が存在しているかどうかである。
ここから見て右の平谷トンネルと、左の平谷2号橋がどちらもなかった時代は、正面に進むよりなかったのではないか。
あるいはそもそも、旧道はもっと低い位置にあったというのも、あり得ることなのだが……。

しかしまずは可能性を一つずつ潰していこう。
先ほど、東口には旧道はなさそうに見えた平谷トンネル、その西口からも旧道が見つけられなければ、いよいよ、「なかった」という可能性が極めて高くなるだろう。
ここから見る限り、全然ありそうな気配を感じないが…。

いざ、確認!




トンネル脇、制御ボックス2つ並んで通せんぼ。

路面という感じは全然しないが、一応土地としての奥行きは坑門の裏までありそうなので、

制御ボックスのスキマを通って、覗いてみる。




??!

なんだあれ…?

なんか、あり得そうにもない場所に、道路の路面にある白線が見える気がするんだが…。



後編へ


お読みいただきありがとうございます。
当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口

このレポートの最終回ないし最新回の
「この位置」に、レポートへのご感想などのコメントを入力出来る欄を用意しています。
あなたの評価、感想、体験談などを、ぜひ教えてください。



【トップページに戻る】