日本海沿いに東北地方を縦貫する日本海東北自動車道を何度も運転しているうちに、沿道にあるちょっと気になる道を見つけた。
それは上り線(南行き)を仁賀保ICから金浦ICへ向けて走っている途中で見ることが出来る。
右画像のだいたい矢印の位置だ。
(←)それは、グーグルストリートビューでも見ることが出来る。
お分かりいただけただろうか?
どこにでもありそうな2車線の道路が、緩やかなカーブを描きながら高速道路の近くを通っている。
それだけならば全く平凡な景色だが、その2車線道路は、前も後も寸断されているように見える。通行中であるこの高速道路によって!
最初はあまり気にしていなかったのだが、通る度に目に付くので、あるとき地理院地図を確かめてみると、確かにその場所には、それらしいカーブを描く道が描かれており……
高速道路に寸断された“旧道”のようだった。
これは要するに、もともとここに存在した一般道路の「にかほ市道六日町・山ノ田線」を、短い間隔で2回跨ぐ形で、高速道路である「日本海東北自動車道」(厳密には一般国道7号の自動車専用道路である「象潟仁賀保道路」)を整備することになった際、短い間隔で2本の跨道橋を作る代わりに、市道を高速道路と並走する現在のルートへ変更した名残だろう。
このメカニズムは直ぐに想像できたが、前後をぶっとい高速道路に断ち切られ、カーブひとつだけが現道から離れた位置に取り残されてしまった“哀れな旧道”の現状が気になった。
ちなみにこの区間の日本海東北自動車道が、現状の暫定2車線で開通したのは、平成24(2012)年10月とまだ最近のことだ。
そんなまだ新しい“旧道”の現状を確かめるべく、高速から降りて現地を歩いてみたのが本編の記録である。
2019/8/29 16:35 《現在地》
ここは秋田県にかほ市の黒沢地区だ。
秋田県最高地点を擁する鳥海山の北西山麓の海岸線に沿って、国道7号、JR羽越線、日本海東北自動車道など東北日本海岸を縦貫する国レベルの幹線交通路が並ぶ中に、周辺集落や農地を繋ぐローカルレベルの幹線であるこの静かな道路、にかほ市道六日市山ノ田線がある。
写真は、鳥海山頂付近より流れ来る県内屈指の急流河川であり、清流としても知られる白雪川を渡る金浦大橋だ。何の変哲もない道路に架かる平凡な橋だが、取り付けられた銘板によって、この道路が平成8(1996)年に開通したことを教えてくれる存在だ。この区間には旧道に相当する道や橋はなく、平成生まれの比較的に新しい市道だ。
周辺の地形は、低平な水田のそこかしこに小島のような小丘が点在するという、同じ市内の象潟がその代表的景観であるところの海底隆起によって陸化した元多島海風景である。
チェンジ後の画像は、金浦大橋の路上から上流方向を撮影した。
すぐ近くに日本海東北自動車道(以後「日沿道」と略する)の雪田川橋がある。
この道路の建設が、これから行く旧道の原因である。
16:39 《現在地》
金浦大橋から約400m、道なりに市道を進むと、この写真の場所がある。
左に見える防雪柵の向こう側は日沿道の路面だ。
現在の市道はこの通り、緩やかなS字カーブを描きながら日沿道に沿って進むが、日沿道が建設されるまでは、正面奥に見える小高い丘を掠めるような大きなカーブを描いていた。
このように市道の線形が変更された名残を見つけた。
チェンジ後の画像の足元に広がる、まるで「イカの耳」のような三角形の空き地がそれだ。
路面が撤去されて草地化しているが、路肩に置かれていたデリニエータ(視線誘導板)が2本、そのままの位置に残っていた。
デリニエータの柱部分には、「農免農道」とペイントされていたものを、白いシールで覆い隠した形跡があった。
これは、この市道が平成8年に開通した当初は、「農免農道」(正式名は農林漁業用揮発油税財源身替農道)として整備された農道だったが、後に(時期は不詳)道路法の道路に組み込まれて「市道」になったという、それ自体は珍しくもない経緯を物語っている。
さらにその後(平成24年)の日沿道開通に伴う市道のルート変更により、このデリニエータは不要となったが、なぜか撤去を免れて残ったらしい。
厳密には、農道→金浦町道→にかほ市道と変化した。平成17年に金浦町は合併し、にかほ市となった。
(←)グーグルマップの航空写真を見ると、この「イカの耳」の延長線上、日沿道を跨いだ先に、この市道の旧道が残っていることがはっきり分かる。
ちなみに、この区間の日沿道は暫定2車線で開通しているが、完成4車線分の用地が既に確保されており、「イカの耳」の先端が接する帯状の深い藪地帯がそれである。
日沿道は低い築堤上にあり、市道よりも少し高い。そのため、市道の路上からは、日沿道の向こう側に切り離された旧道を目視することは全くできない。
このことは、一般的な線形改良によって生じた旧道にはあまりない特徴といえる。
横断が出来ず、さらに視線も通らない高速道路によって、その存在を隠蔽、隔離された悲しい旧道なのである。
でも、もちろんそこへ行く術はある。
この場所からの最短ルートとしては、200mほど来た道を戻って――
16:42 《現在地》
(←)この場所に日沿道を潜るボックスカルバートがあるので、それを利用して、旧道が取り残されている日沿道の南側へ入る。
(→)潜ると目の前には、雄大な鳥海山をバックに広大な多島海的水田風景が広がる。
畦道のような道の左右どちらかを選ばせられるが、右の高“側”道的に築堤に沿って行く道が正解。
築堤とフェンスに沿って砂利道を200m進むと、目前にそれは現れた。
取り残された旧道が。
この旧道、地理院地図では畦道同然の「軽車道」のように描かれているが、
実際は(高速道路上からも見える通り)、立派な2車線舗装道路である。
周辺にある他の2車線道路はおろか、一切の舗装道路とも接続していない、
孤立した、ちょっとだけ、高規格な道路である。
16:44 《現在地》
見事な断ち切られッぷりだ。
ちょうど【先ほどのイカに耳】の反対側へやって来た形だ。
ここから始まる、現道から切り離された一連の旧道は、長さが約200mあるが、
その全容は出会った時点で既に晒されていて、いわゆる“三日月路”と称される、
カーブひとつ分だけの極小ミニ旧道である。
一望される旧道の全容。
現道から切り離されてはいるが、封鎖はなく、大手を振って利用が出来る。
周囲には美田が広がっており、農作業のために利用されているのである。
カーブひとつ分だけのミニ旧道だが、田園風景の中を直線的に通過する快走路の中の急カーブだったので、現役時代にはスリップ事故なども起きていたようで、カーブ手前の路面に「カーブ注意」の法定外表示のペイントが残っていた。
この写真のフレーム内だけであれば、どこにでもありそうな……(やや放置気味の)……舗装道路だが、意識して来ようとしなければ来ることがまずない孤立した存在であるのが面白い。既に農業関係者以外の通行は皆無に近いはずだ。
廃道ではないけれど、路上の白線も、法定外表示も、これから2度と更新されることはないだろう。
カーブに差し掛かると同時に上り坂が始まり、小高い丘の裾に沿って進路を90度転回していく。
カーブ外側のガードレールには、明らかに車が接触したとみられる大きな破損があった。
当時は国道7号の交通量が日沿道に分散して減少する前だから、流れの悪い国道の抜け道としてこの市道を抜け道に使うドライバーは、地元民を中心に決して少なくなかった。全体的に快走路なので車の流れは早かった。まあ、私が通行したのはずいぶん昔で、しかも自転車だったので、特にこのカーブの記憶はないのだが……。
カーブの終わりに近づくと、行く手に再び高速道路の防雪柵が通せんぼをするように見えてきた。
そして、高速の路面と同じ高さになったところで、唐突に舗装がなくなった。
直後に、旧道のセットであるガードレールも途切れ、一連の旧道としての路面が終わりを迎えたことを理解する。
高速道路によって余分にされてしまった、カーブひとつ分だけの旧道の全貌を振り返る。
また、チェンジ後の画像は、高速道路との衝突部分を見ている。
右下にボックスカルバートがあるが、水路用であり、道とはなっていない。
16:47 《現在地》
日沿道と丁字路のように同じ高さでぶつかるが、もちろん繋がってはいない。
直前までの2車線は無視され、直角に左へ折られ、側道にありがちな狭路を強制される。
日沿道の反対側に【続きの市道】があるが、そこには「イカの耳」のようなルート変更の痕跡も見られなかった。
一応、この道も行き止まりではなく、側道を借りて現道まで行くことができる。
チェンジ後の画像はその側道区間の風景だ。
以上で、一連のミニ“三日月旧道”の紹介は終わりだ。
なお、にかほ市の認定路線網図を見たところ、今回探索した旧道部分も、にかほ市が認定する市道であることが分かった。
ややこしいが、市道六日市山ノ田線の旧道が、改めて別の市道に認定されているということだ。
具体的な路線名は、市道大谷地・金田線といい、路線番号は21213号である。
市町村道は、道路法としての地位は全て同じ市町村道だが、認定している市町村ごとに独自の階級区分を設けていることが多く、にかほ市の場合は、市道を1級市道、2級市道、その他市道の3種類に分けている。
市道大谷地金田線は、「その他市道」であり、1級市道である路線番号00149号の市道六日市・山ノ田線よりも格下の存在だ。
今回のミニ探索のまとめだが、全国津々浦々まで高速道路が延びた今日、高速道路と一般道路の衝突に対処する一般道路側のルート変更によって、切り離される形で孤立した旧道や廃道は、各地に増え続けていると思う。ただ、それが目に余るほど至るところにあるかといえば、経験上、そこまで沢山ではないように思う。
それが意外に少なく済んでいるのは、高速道路の計画というのは最近突然湧いて出たようなものはなく、長い(多くは何十年もの)準備期間を経てから工事が始まり、姿を現わすためだ。
高速道路の予定がある沿道では、将来そのルート上にかぶる一般道路の計画は慎重になるもので、特に地価が高い場所の多い都市計画区域内では、両者の整合が十分取られるよう極めて慎重に計画されることが普通だ。
今回紹介した旧道は、平成8年という比較的最近に出来た2車線の立派な道路であるのに、開通から20年も経たない平成24年に早くも高速道路の邪魔となって撤去されたというのは、少し珍しい感じがする。
まあ、ここは都市計画の区域外なので、そこまで慎重な計画がされていなかったという可能性もあるが、不可抗力だった可能性もある。
そもそも、日沿道(新潟〜青森)が国土開発幹線自動車道建設法の「予定路線」となったのは昭和62年で、そこから一歩進んで象潟〜本荘間の「基本計画」が告示されたのは平成3(1991)年である。この時点で主要なインターチェンジの位置や設計速度といった計画の大要が決まったのである。さらに平成7(1995)年になって、この区間を高速自動車国道ではなく一般国道の自動車専用道路として整備することが決定している。
ちょうどその頃の平成8年に、農免農道としてこの市道が開通したのだが、果たして近い将来に日沿道がこんな形でぶつかってくると把握していたのだろうか。もしかしたら、その時点では異なるルートが想定されていた可能性もある。だがその後、用地買収など様々な要素の兼ね合いから決定した着工ルートは、このように市道を何度も跨ぐものとなり、工費節減のため市道側のルートを変更した可能性がある。
いろいろな外的要因によって、まだ新しいのに役目を終える道がある。そんな道路の世界の複雑な多様性を、今回の旧道は感じさせてくれた。
完結