ミニレポ第277回 「塩沢24」と「塩沢25」

所在地 新潟県南魚沼市
探索日 2019.11.05
公開日 2023.09.11

このタイトルから、何が登場するか分かった人は、スゴイ!


《所在地(マピオン)》

こんな意味の分からないタイトルのミニレポまで見に来てくれて、ありがとう。

「塩沢24」と「塩沢25」ってなんだよって話だが、いきなりネタばらしをすると、これらは高速道路の下を潜るボックスカルバートの名称である。
これでピンと来た人は多いんじゃないだろうか。
と同時に、「あっ、じゃ興味ないです」って、ブラウザバックしそうになったキミはちょっと待ってくれ。せっかく来たんだから、このまま5分間だけステイだ。

右図は、新潟県南魚沼市を通る関越自動車道の周辺を描いた最新の地理院地図だ。塩沢石打ICと六日町ICの間の区間で、近くにはミニレポ247回で紹介した変な交差点がある。そしてこの高速道路に沿って、桃色で強調した1本の市道が通じている。さほど重要ではないが、一応路線名もお知らせすると、市道側道塩沢小栗山西線という。厳密には「側道塩沢小栗山西線」の部分が路線名だ。

「現在地」の位置からレポートは始まるが、注目していただきたいのは、高速道路の下に並んでいる、物凄い数の「トンネル」の記号である。

これら「トンネル」として描かれているものは、実際には築堤を潜る函渠(ボックスカルバート)であり、それぞれに極めて簡易な名前が付けられている。
チェンジ後の画像に、それら函渠の位置と名称を書き加えた。

いくらトンネル好きの私でもこれは……、そしておそらくは皆さまも……、あまり興味は湧かなかったかもしれない。
地形図上にこんなに沢山の「トンネル」が並んで描かれていること自体はそれなりに珍しいと思うし、見た目の面白さがあるが、個々の函渠の現状には、些かも興味を引かれない気がするのは、きっと私だけではあるまい。

なんだけど、今回はこの物凄く沢山ある函渠の中から敢えて二つ、「塩沢24」と「塩沢25」を紹介する。
なぜこの二つなのか。
何か面白いことがあるのか?
すぐにネタは割れる。もう少しだけお付き合いを。

それでは、地図の「現在地」よりスタート。





2019/11/5 11:40 《現在地》

関越道の築堤の西側に沿って伸びる市道側道塩沢小栗山西線の様子だ。
この周辺では、右手に山並みが見える魚沼丘陵から、魚野川沿いの低地である魚沼平野へと流れ出した沢山の急流河川が複合扇状地を形成しており、国内最高ブランド米の産地である広大な田園地帯となっている。

そんな地域の重要な資産である美田を押しのけるように関越道は伸びているが、前述した通り、非常に多くの函渠によって路下を潜られている。関越道の存在が耕作の妨げとなる程度を少しでも軽減するべく、可能な限り多くの函渠を設置したのかもしれない。

ちなみに、この区間(湯沢〜六日町)の関越道の開通は昭和59年のことで、路線中最大の関門であった関越トンネルを含む全線開通の前年だ。




これも同じ場所で撮影した写真だが、進行方向を望遠レンズで覗いた。
すると沢山の十字路の存在が、居並ぶ道路標識によって視覚される。

これらの十字路は全て、関越道を潜る函渠に通じており、手前から順に「塩沢34」「33」「32」「31」までが見えている。
だいたい、100mごとに1本の頻度で函渠がある。

もし露骨に廃止されているようなものがあれば紹介しようと思ったのだが、いずれもちゃんと道路として利用されている様子が見て取れた。
そして帰宅後には、グーグルストリートビューがそれらを網羅していることに驚いた。(ストビューとしての需要があるのかは謎…笑)

そんなこんなで、今回の本題である「塩沢25」と「塩沢24」へと辿りついた。
予めここに用事があったわけではなく、別の探索に関わる自転車での移動中、たまたま通りがかっただけのだが……。




11:45 《現在地》

この先に、「塩沢25」と「塩沢24」が連続して並んでいる。
手前にあるのが「25」だ。「24」は奥の軽トラが停まっているところにある模様。
いずれも入口は十字路ではなく丁字路になっている。

この段階では、別に探索の対象になるような風景だとは思っていなかったが、何気なく写真は撮っていたんだなぁ。
そして同じように何気なく「25」の入口を向いて撮影したのが、チェンジ後の画像だ。

画像右上に謎の影が見えるくらいで(ただのミスショットだ…)、取り立てて変わった風景とは思われないだろうが、強いて言えば、これまでの函渠以上に築堤に対し斜行して潜っているために、長さがやや大きいことが特徴である。幅60mほどの4車線分の築堤を潜る函渠が、90mくらいの長さになっている。




ナンダアレハ?

築堤を斜めに潜る函渠「塩沢25」を覗き込むと、

入ってすぐの左右の壁に、まるでトンネルの横坑のような穴が開いていることに気付いた。


これは予想外だ。急に興味が湧いた。

入ってみよう!



??!??!

ヤベえ、高速道路の下で2本の函渠が交差してるぞ?!

しかも、交差してくる側の函渠は、ただの道路ではないらしい…?

まるで踏切のように、何か線路状の埋設物が敷かれている?!



交差してくる函渠は、ひとまわり小さな断面であった。
しかも、立入りが出来ないよう、施錠されたフェンスで厳重な封鎖がされていた。
線路のように見えた敷設物はコンクリート製で、未舗装である交差函渠内にも敷かれていた。

なんなんだこれ?



そして、封鎖された交差函渠内には、これまた厳重にオレンジシートやブルーシートで隠された、
かなり大型の器械らしきものが置かれていた。おそらく、敷かれたコンクリート製の舗石のようなものは、
この隠された大型機械が走行するためにあるのだろうか? だが、人が操縦して走るには
舗石の幅はあまりに細く見える。いったい何の器械(車輌?)なんだろう。

……こんな場所に、ひっそりと隠されているなんて……。

国家機密か?



「塩沢25」の洞内で、ほぼ直角に交差する謎の函渠。
先に見ていただいた南側は、封鎖されていてもすぐ近くに出口が見えたが、
反対の北側は、遙かに長い闇である。そして同じように厳重に封鎖されていて、
同じように、奥の方には何かの機材か器械が置かれているシルエットが見えた。

なお、もしかしたら察しの良い方はお気づきになられたかもしれないが……

洞内で交差してくる封鎖された函渠は――



「塩沢24」である。

地理院地図は、航空写真から検知出来ない地下の状況を誤って描いている。

正しくは、チェンジ後の画像のように、

「塩沢25」と「24」は、直角に近い角度でクロスしている!

前代未聞の函渠内交差点?!



一旦外へ戻り、「塩沢24」の西口へ行ってみた。

小さな函渠の入口に「塩沢24」の表示は出ていたが、やはり施錠されていて中には入れないようになっていた。
そして、「25」にも増して築堤との斜行が強く、単純に築堤の東西を結ぶ函渠としては不合理だ。
まあそもそも、二つの函渠がクロスしていること自体が、普通に考えれば全くの不合理なんだが…。




塞がれた内部を覗くと、暗くてほとんど奥は見えないが、簡易トイレサイズの「母と子の自然教室 No.1」が開校されていた!!!

いまだかつて、これほど自然味の感じられない自然教室を見たことがない。簡易トイレにしか見えない教室のサイズも、母と子の密着を強制することで無理矢理でも仲を良くする試みと考えられるが、実はこれは簡易トイレである。(分かっていたって?w)



「25」へ戻り、潜って東口へと向かう。

「24」との交差地点の先には、耕耘機などを運ぶ牽引キャリアーが2両、壁に寄せて保管されていた。
路上駐車と言えばそうなるが、後日南魚沼市の認定市道路線図を確認したところ、「25」も「24」も市道ではないことが分かった。
おそらくは農道なのだろう。地元の農業組合などが管理者になっていることが想像される。

通り抜けた先の東口には、未舗装の側道が接続しているが、これまた農道であるようだ。
正面の水田の向かいにはJR塩沢駅が良く見えるが、駅への行き来には利用されていない。「25」は、高速道路によって分断された東西の耕地を結ぶだけの函渠である。




まだ見ぬ「24」の東口を最後に目指すべく、「25」の東口から築堤下にある未舗装の側道を北上する。

日本一のブランド米を生み出し続ける金の稲田に土足を下ろし、見渡す限りどこまでも駆け抜けていく巨大な築堤が、印象的だった。
おそらく水田の潰地を減らすには、全てを高架橋とした方が効果的だったろうし、現代の価値判断ならそうなっていたのかもしれない。
高架道路は築堤よりもコストがかかるが、耕地や生活の場を分断してしまうマイナスは軽減出来た。

これほど多くの函渠が築堤を貫いていることは、当時としても、ベストではないがベターな補償だったのだと思う。



11:49 《現在地》

やってきた。ここが「塩沢24」の東口だ。
これまで北から南へ一つづつ番号を減らしてきた「塩沢シリーズ」だが、この東口だけは「塩沢25」よりも「24」が北にある。洞内で函渠が交差しているという特殊な事情がそうさせていた。
函渠は築堤に対し激しく斜行しており、その全長は120mくらいある。




やはり入口は厳重に施錠封鎖されており、「24」はどこからも立入りが出来ないようになっていた。
洞床には土が見え、入口の近くには暗所を好む植物が生えていた。
道路としてはさすがに不自由なサイズである。
何か別の用途で作られたものなのだろう。

洞内の交差部分に見られたコンクリートの舗石のようなものも、ここには見えないが……。



これは溝渠の蓋だ!

「24」の東口には溝渠(地面を掘って作った水路)がある。
蓋をされていて分かりづらいが、間違いない。

「24」の正体は、溝渠用の函渠なのだろう。

であるならば、勾配の都合上、道路用の函渠「25」と交差するような状況も納得出来る。
交差部分で見た【謎の軌条状の舗石】も、単に埋設された溝渠の縁の部分だったと考えると辻褄が合うが、もしかしたら既に溝渠は使われておらず、交差部分は土で埋め戻した後で舗装したのかもしれない。
いずれにしても、溝渠上の余った空間を倉庫的に利用しているだけのようである。鉄道疑似物は幻だった。




新旧の航空写真を見較べてみた。
最近の平成29(2017)年版と、関越道の工事が始まる直前の昭和51(1976)年版である。

もともと水路があった場所に「24」があるのではないかと思ったが、どうもそうではないようだ。
昭和51年の写真に、そこを通る水路は見当らない。

あるいは、農業用水路ではなく、関越道の路面排水と関係した施設だったりするのだろうか。
どの方向に水が流れているかも不明で、残念ながら、水路の正体は突き止められなかった。
もしお近くにお住まいの方がこれをお読みになったら、代わりに調べていただけないだろうか。

今回の物件は、高速道路の築堤の下で二つの函渠が交差しているという初めて目にする風景であり、当初は謎のコンクリート軌条を思わせる物体にも遭遇したので、愉快であった。
ミニレポくん、久々に出て来てもいいネタだったんじゃない?


「 ……………… zzz 」

← あまりにも放置されすぎたミニレポ君。


完結


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