ミニレポ第279回 兵庫県道558号天谷佐田線 天谷不通区 前編

所在地 兵庫県豊岡市
探索日 2022.06.11
公開日 2023.10.12

忘らるる起点に始まる血河の県道


《周辺地図》

兵庫県北部にある豊岡市の東部を占める但東(たんとう)地区は、平成17(2005)年まで出石郡但東町という人口6000人弱の町であった。この地区は丹後山地のただ中にあり、町域の9割近くを山林や原野が占めた。北、東、南の三方を峠越えによって京都府域と通じ、町の内外に多数の峠を持っていた。

今回紹介する兵庫県道558号天谷佐田線は、旧但東町内で完結する全長5871mの短い一般県道だ。

だが多くの道路地図は、この短い県道を満足に表現していない。右の「スーパーマップルデジタルver.24」も同様で、兵庫県道252号佐々木小谷線を北から南へ辿っていくと、いつの間にやら県道558号へ変化しているような表現になっている。
だが本当の県道558号は、チェンジ後の画像のような経路を持っており、県道252号とは中間地点で分岐しているに過ぎないのである。

県道558号の本当の起点で、県道56号但東夜久野線から分岐する天谷(あまだに)から、県道252号と分岐する佐々木までは、約2.2kmの短い山越えの区間であり、徒歩道を示す単破線で表現されているが、県道としては描かれていない。というか、起点からいきなり徒歩道表現なので、スーパーマップルの描写ルールの中では、ここを県道として描きようがないというのが正しいかもしれない。

この区間の一部は、後述するとおり、道路法施行規則が定める【自動車交通不能区間】未改良道路(供用を開始している)のうち幅員、曲線半径、勾配その他道路状況により、最大積載量4トンの貨物自動車が通行することができない区間に指定されているのだが、これは逆に言えば、未開通や未供用ではなく県道の供用自体は行われているわけで、少なくとも行政の扱いの上では、(自動車が満足に通れない)県道が起点から終点まで通じていることになっている。


一方、最新の地理院地図は、この区間をちゃんと県道の黄色い色で描いている。
道自体の描写も、徒歩道である破線の表現は途中の500mくらいだけで、大半は実線の軽車道として描かれている。

いくら短い点線区間であっても、等高線との関係から明らかに車道ではない山道と推定出来る場合も多く、それだと自転車による突破を前提とした探索計画を立てるのはリスキーだが、今回は点線の区間が短いうえに、推定されるアップダウンも100m以下で、地形も比較的緩やかそうなので、県道56号上の起点から県道252号まで、自転車で走破する探索計画を立てて現地へ臨んだ。


だがこのとき、

私は地形と道の関係に意識を向ける余り、大切なことを見逃していた。

この地方の事情を、季節と天気の問題を、完全に見逃していた。

その結果が、“表題”の結末を惹起することに………。(何が起るか予想出来た人、挙手)



……いたずらに不穏を煽る幕開けの前に、もう一つだけ、事前情報を提供したい。

右画像は、兵庫県但馬県民局が作成した平成22年度 道路交通センサス交通量・区間設定図の一部分である。

ここに点線で描かれているのは「自動車交通不能区間」であり、今回探索しようとしている区間の大部分が、その指定を受けていることが分かる。
そしてこれが今のところ私が把握している唯一の「この区間の県道を自動車交通不能区間とする」根拠である。

ここで注目したいのは、チェンジ後の画像に赤枠で強調した「61740」「66060」「66090」という3つの地点の交通量だ。
この3つの地点のうち、交通量の実測が行われているのは、県道252号上にある「61740」地点だけで、この地点の【平日12時間交通量】平日の午前7時〜午後7時の交通量は180台だそうである。同地点の【平日24時間交通量】平日の午前7時〜翌午前7時の交通量は推定値となり、238台となっている。これらは現実に即した閑散ぶりを感じる数字だ。

ここまでは良いのだが、今回探索することになる県道558号の不通区間の入口にある(実質的には行き止まりにある)「66060」地点に、推測値とはいえ、平日12時間=504台/平日24時間=665台という、前掲の地点と比較しても明らかに過大な通行台数が表示されているのが面白い。面白い。それだけ、笑

そして、いま挙げた2つの地点を束ねる位置にある県道558号上の「66090」地点の交通量も、推定ではあるのだが、単純に前記2地点の台数を合計した値に極めて近い推定値となっていて、産出の根拠が分かり易すぎて草。まさかこういう適当すぎる推定の数字を根拠に道路計画を云々してはいないとは思うけれど、とにかく昔の「シム●ティ」ばりに謎の交通量が行き止まりから湧き出していて、これには笑ってしまった。笑。


さあ、良い具合に頬が緩んだところで、探索だ。


……苦いぞ、今回の探索の結末……。





2022/6/11 7:30 《現在地》

ここが豊岡市但東町天谷の県道558号天谷佐田線“起点”である。

ものの見事に、な〜〜〜〜んにも、ナイ! 県道の存在を示唆するものナシ!

オブローダー的には少々寂しいが、この目立ってなさゆえに、(私が探索前に簡単に検索した限りでは)未だネット上に当区間の踏破報告は見当らなかった。
大抵の県道分岐には存在する“卒塔婆標識”さえ見当らないのである。
起点でこの有様というのは、なかなか気合いの入った、黙殺ぶりだ。一応は供用中の県道だというのに……。




県道558号の起点は、県道56号に架かる円田橋(えんだはし)の左岸にある十字路である。
橋の下を流れているのは地形図では無名の小川で、県道56号沿いを流れる天谷川の支流である。県道558号はこの無名の支流を源頭まで遡って隣の佐々木地区へ越える無名の峠に至る。ここから峠まで地図上の距離は1.3km、高低差130mほどと手頃な距離と高さである。

県道558号へは、県道56号を豊岡市街方面から走ってくると左折して進入することになる。
左折直後こそ1.5車線の舗装路だが、わずか30m足らずで……。




ごらんの有様だよ!!!

人里から始まる県道って、大抵は最初のうちに集落内を走ることで、その先が仮に不通区間だとしても、最低限は沿道住家の利用者が想定される経路であることが多いが、ここはそういう家屋が1軒もないまま山に入っていこうとしている。したがってこの道単独で利用者を獲得する力は非常に弱いわけで、前後が繋がっていなければどうにもならない道である。これで推定利用者数が毎日600人以上居るとか、どういう計算なんだよw

で、起点には全く県道らしいものがないと言ったが、前言撤回で見つけた! 一つだけそれっぽいものを! 不通県道にはつきものの「通行止」の工事看板だ!

これに「豊岡土木事務所」みたいな県の土木担当課名でも書かれていれば、いよいよ県道の証拠といえるのだが、残念ながら、文字が掠れすぎていて「通行止」の大きな文字しか読めない! いったいいつから放置されているんだこの看板……。こんなになってるのに更新もされずに……悲しい。



早速突入〜〜! と行きたいところだが、ちょっとだけ待ってくれ。

さっき、気になるものがチラッと見えた。

確認のため、一度最初に戻りたい。



(↑)冒頭の場面、赤矢印のところに、橋の欄干が見えていたのに気付いただろうか。

引きのアングルで見ると、この橋はちょっとばかり……、“謎の橋”である。

一応、橋の前後とも道に繋がってはいるのだが、橋の幅の割に前後の道が狭いなど、なんかちぐはぐだ。
とくに手前側は、一見すると道が繋がっていないように見えるほど、不自然な取り付き方をしている。
立地的には、すぐ隣にある県道56号の円田橋の旧橋っぽくもあるのだが…、なんか違和感がある。 ない?


これはもしかしたら……

県道558号にこそ関わりのある橋なのではないか?

……そんな予感がしたのである。 しない?



“謎の橋”は、拡大した地理院地図だと、このように表現される。

県道56号の円田橋のすぐ隣に並んで架かっているが、前後の道が狭く、繋がりも良くない中で、この橋だけはギリギリ2車線を取れるくらいの幅があるので、違和感が強い。
この橋の来歴を地図上からいろいろ想像したが、想像だけでは限界があった。

ちなみに、県道56号の円田橋の竣工年は明らかではない。それを記した銘板がないうえに、ネット上で閲覧出来る橋の定期点検記録や全国道路構造物マップにも記載がない。




これが、下流側から見た“謎の橋”の全体像だ。

しっかりした作りのコンクリート桁橋で、立地を除けば、橋そのものはいたって平凡だ。高欄や親柱に銘板は取り付けられておらず、橋名を知る手掛かりがない。
行政による橋の定期点検記録や全国道路構造物マップにも、本橋の記載はない。
しかし、現状は廃橋ではない。立地的に利用者は多くないだろうが、前後に道が通じていて使われている。

だが、思いがけない位置に橋の素性を知る手掛かりがあった。
橋台前面の壁に立派な建造銘板が埋め込まれていたのだ。この配置は気付きにくいので、仮に多くの橋に設置されているとしても、しばしば見逃されていると思う。

で、肝心の内容は、橋名や路線名はなかったものの、「1984年3月 兵庫県建造」とあることから、橋台は昭和59(1984)年3月に兵庫県が発注して建造されたものであることが分かった。おそらく橋全体の竣工も同時期であり、それが兵庫県の事業ということは、県道の橋として作られた可能性が高まったが、県道56号か558号か、そのどちらであるかが分からなかった。



ただ、実際に“謎の橋”を渡ってみると、県道558号の旧道(旧橋)である可能性が高いように感じた。

渡り終えると道は直ちに左折して、県道56号と十字路で交差する。この僅かな区間は未舗装であるが、十字路は県道558号の現在の起点であり、直進するとそのまま同県道へ入ることになる。
仮に県道56号が存在しない世界線を考えれば、シンプルにこれが県道558号の一連の経路だったと断定出来そうである。




逆に県道56号側から振り返ると、こう見える。

“謎の橋”の右岸側は、1車線の狭い豊岡市道前田線と丁字路でぶつかっている。直進する道はない。
この市道の名前は、市道を左折したすぐ先に天谷川を渡る【円田橋】があり、その橋には銘板も親柱も無いのだが、全国道路構造物マップによって橋名や路線名が分かったのだ。(竣工年は不明)
この市道前田線の円田橋は、県道56号の円田橋とは別の橋だ。

話がややこしくなってきたが、まもなく一気に解明するので我慢して欲しい。ややこしい分だけ、解けた時が気持ちいいぞ。
探索の途中だが、ここで机上調査的手法で一気に謎を解明する!



@
昭和39(1964)年
A
昭和51(1976)年
B
昭和61(1986)年
C
平成元(1989)年

右図は、昭和39(1964)年から平成元(1989)年までの4枚の航空写真を比較した。
この比較によって、“謎の橋”を巡るルートの変遷が判明した。

まず1枚目、@昭和39(1964)年版を見る。
なおここでは橋名が分からない旧橋を「橋1」「橋2」のような仮名で呼ぶ。
@の時点では、この場所に県道56号(緑の線)と県道558号(青い線)の分岐があったことが分かる。現在の風景はこのようになっている。
ここでは、これらの県道がいつ認定されたかはとりあえず不問とする。それぞれの県道の元となった路線を区別せず考える。

続いて2枚目、A昭和51(1976)年版を見ると、ほとんど@と変わらないものの、「橋3」が新たに登場し、当時は天谷川の左岸に通じていた県道56号と県道558号を短絡する通路となっている。

問題は次の3枚目、B昭和61(1986)年版だ。
青い線で描いた県道558号の径路上にある「橋2」の新橋として「橋4」が新たに登場していることが分かる。水色で描いたラインだ。

そして最後が4枚目、C平成元(1989)年版だ。
ここで突然出現するのが、愛宕橋、円田橋、百合橋を束ねて通じる、県道56号の新道だ。そしてこれが現在の県道56号でもある。
この段階では、@からあった「橋1」は現在の「昇橋」(竣工年不明)になっており、「橋2」は「橋4」へ置き換えられて消えた。Aで登場した「橋3」は現在「円田橋」と呼ばれている。

「橋4」こそが、“謎の橋”であり、それは県道558号の橋であった。

橋台の銘板に昭和59(1984)年竣工とあったが、航空写真でもBで始めて登場しており、矛盾しない。
「橋4」=“謎の橋”は、明らかに県道558号の橋としてこの世に生み出されたものだった。だからこそ「兵庫県建造」だった。

だが、なんという悲哀!
橋の完成からわずか5年後の平成元年の時点では、すぐ隣に県道56号の新道である円田橋が開通したことで、県道558号としての役目を失い、さらに新道工事と同時に行われた水田の区画整理によって、橋の北側を直進する道も失われて半ば孤立したような立地になってしまったのである。

ぶっちゃけ、これはちょっとバレたらマズイ感じの二重投資になっている気が…。
県道56号の新道整備がもう少し先行していたら、完全に「橋4」を整備する必要はなかったように思う。
まあ、災害とか何かやむを得ない事情があったのかも知れないが……。



さあ、誰かこの橋にゴメンナサイをしなきゃイケない人はいるかな?

徒花をコンクリートで作ったような可哀想な橋ではないか。名前さえ分からないし…。

ともかく、こんな形で県道558号の名残がここにあるとは思わなかったね。




さあ、気を取り直して、ここからが本題だ!

県道558号の現道探索へGO!



続く


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