万世大路工事用軌道 その3 

公開日 2006.01.16
探索日 2004.11.20



 烏川橋から約2.3km。
我々は、約1時間30分をかけて、殆ど判然とはしない軌道跡を辿り、ついに稜線直下へと辿り着いた。
そこで発見した、紛れもない人工的な道の痕跡。

 もう峠の切通し「新明通」までは、直線距離で200mほどな筈だ。
されども、残る高低差はまだ70mほどはある。
この過酷な斜面を、人力のトロッコが通じていたのだという。
そして、ここは工事用軌道最大の難所であったとも伝えられる。

 今度は新明通から主要資材を逆落としをして人力トロで烏川橋上流部の倉庫まで運搬した。
このためセメントは乱袋(セメント袋が破れてこぼれた袋)が生じ,消耗は少なくなかった。

『栗子峠に見る道づくりの歴史』より引用。

 岩波国語辞典によれば、この聞き慣れない「逆落とし」という言葉が確かにある。
 

(1) 切り立った崖(がけ)のようなところから、まっさかさまに落とすこと。

(2) 急な斜面をかけおりること。

『goo国語辞典』より引用。

 私は(1)の意味しか知らなかったが、現実的に考えると、この場所で行われていた逆落としは、(2)のような意味だったのではないかと考える。
もっとも、乱れ袋が生じ…などとあるほどだから、本当にトロッコから荷物だけを転げ落としていた可能性も残ると思うわけだが、それを否定する次の資料を発見した。
 工事用軌道について、おそらく現場に最も近い位置で書かれたと思われる資料の一つ、『福島県直轄国道改修史』には、次の記載がある。

 

 約60mも深い谷底へ資材を降ろすのに苦心し、
斜面勾配1/10を3段に造ってトロで下ったが、急速度のため物品の損傷も激しかった。

『福島県直轄国道改修史』より引用。

 逆落としの意味として、先の(2)の意味をとれば、これらの記述の間に矛盾はないことになる。


 今回は、この逆落としの舞台をお伝えしよう。

 そして、その上に待ち受けるものこそは、
 上空からも確認できる、まぼろしの巨大切り通しである。



遂に遭遇! 決定的な痕跡!

 前回お伝えした区間では、距離はあったが、目立った軌道の痕跡は一切得られなかった。
おそらくは、烏川の河道と軌道は軌を一にしていたのではないかと思われる。
そして、いよいよ谷も狭まり、前方頭上にUの字型のスカイラインが現れると、ちょうど時を同じくして、河床から少し離れた高い位置に、かつてない鮮明な平場が出現したのである。

 これが、軌道の痕跡であろうことは、状況証拠から見て、ほぼ確定的であった。
歓喜に溢れた我々は、自ずからペースを上げ、この痕跡を辿り始める。
遂に現れた、工事用軌道の真実の姿である。


 8人の目で辺りをくまなく探しても、この突如現れたといって良い軌道跡が、河床から5mほどの位置にまで、どのような経路で登っていたのかが、特定できなかった。
その点は心残りだったが、ともかく先へと進んだ。

 その幅は、斜面の狭い場所では1メートルにも満たない。
斜面を削って平場を拵えただけの、極めて簡素な軌道跡であり、土留めのような施工(例えば石垣とか)は何一つ無い。



 崖下には、ますます急峻さを増す烏川源頭の流れ。
あっという間に、軌道跡との比高は広がり、滑り落ちないように注意を要する高さになった。

 しかしそれにしても、これまで私が知り得たあらゆる軌道のスペックの中で、この区間に採用されたという 1/10の勾配というのは、本当に圧倒的な急勾配である。

 道路畑の住人にはぴんと来ないかも知れないが、山岳道路の標識で時たま見かける(上り勾配配10%)がこの1/10勾配と言うやつだ。
鉄道的に言えば、100パーミルと言う数字になる。
参考までに、静岡県の「大井川鉄道」は「アプトいちしろ駅」から「長島ダム駅」の間で、現役の鉄道(ケーブルカーを除く)として日本最急勾配の90パーミルの勾配がある。
そこでは、アプト式軌道という特殊な補助軌条用いており、そういった施設を用いずに100パーミルなどというのは、それこそ、正気の沙汰ではない設計と言えるだろう。

 つーか、よく人夫達もこの斜面をトロッコ押して登れたもんだな…。


 左に崖を見下ろしながら進んでいくと、先頭を行くくじ氏が突然立ち止まった。
そして、足元を無言で見つめている。

 何があったのか?

 思わず駆け寄る私は…、


 ミターー(゜∀゜)ーー!





 ショボイ!!


 何だー、この石垣はー!

 それは、とうとう工事用軌道の、“決定的な”遺構と出会った瞬間だった。
個人的には、ありきたりではない、この余りにも貧相な石垣が、余計にそれっぽく思えて、興奮した。
 いかにも、
いかにもこれは、「工事用軌道なんで、適当に造ってみたよ〜。」ってな感じの石垣じゃあないか。

 そしてまた、こんなスカスカな石垣が、よくぞ

 よくぞ! 残っていたものである。


 それは、紛れもなく橋台跡だった。
しかし、橋台の間にある沢にはまるっきり水の流れはなく、わざわざ橋を架ける程のものとは到底思えない。
黙ってヒューム管を一本埋めてしまえばそれで完了っぽいのだが…。
また、橋台とは言っても、本当にただ石を積んだだけで、橋桁が架かっていたのかは分からない。
直接レールが橋台の間を跨いでいた可能性がある。

 一同は、この発見に本当に興奮し、静かな山中に我々お歓喜の声が暫し止まなかった。
そして、一人が言った。

 こんな石垣に興奮しているなんて、俺たちってオカシイ。


 ガーン …た、たしかに…。



逆落としの九十九折れ

 橋台跡を跨いでさらに左岸の斜面に穿たれた軌道跡を一列に進む。
地形は急であるが、一面は岩場ではなく森なので、自由に高度を上げ下げして往来することが出来る。
その気になれば、この位置から真っ直ぐ稜線に上り詰めることも出来るだろう。
おそらく、そこには目指す切り通しが待ち受けているはずだ。

 だが、特にせっかちなくじ氏を除いては、私を含め軌道跡を探して進んだ。
そこにある物を、何一つでも見逃したくなかった。

 そんなとき、眼下の谷底に、不自然に平坦な窪地を発見した。
人為的と思われる長方形に整形された平場は、軌道とは一定の高度差があり、人工物だとしても何のためのものであったのかは想像する以外にないが、人夫達の詰め所があったのかも知れない。

※右の写真にカーソルを合わせると、赤線で軌道跡と平坦部の外枠が表示されます。

 その先は、軌道としては前代未聞の線形で、稜線の鞍部を目指していた。

 斜面勾配1/10を3段に造ってトロで下った と記録されている区間には、確かに、ヘアピンカーブともスイッチバックとも取れる極めて鋭角な九十九折りが3段、すなわち6つのヘアピンカーブが連なっていた。

 それを目の当たりににしたときの感激も小さい物ではなかった。
なにせ、これまで誰も実在を報告しなかった軌道跡が、70年前を記述した工事記録の通りにそこに存在していたのだから。
自分たちで探し当てたのだという喜びが、大きかった。

 なお、この九十九折りの詳細な写真は、相互リンク先『福島1960’アーカイブ』内に詳しいので、ご覧頂きたい。
※左の写真にカーソルを合わせると、赤線で軌道跡などが表示されます。

 途中、ヘアピンカーブを無視してさらに左岸を進むと、この烏川源頭の滝にぶつかる。

 数段になって落ちているが、斜面が急であり近づけなかった。
滝マニアのくじ氏が喜ぶかと思われたが、余りにも水量が少なく、食指は動かなかったようである。

ヘアピンカーブのうち、滝側(上流側)に向いているカーブの各頂点付近は、スラブに近い急で滑らかな斜面となって、頭上の鞍部付近から直接河床まで落ち込んでいる。

 くじ氏だけは、ショートカットだと言いながら、そこを強引に上っていった。



 ちょっと写真だけでは、どこが軌道なのか殆ど分からないと思うので、記憶に従ってお節介にも赤線を引いてみた。
軌道跡を辿った赤線は、写真にカーソルを合わせれば表示されるので、ご覧頂きたい。

 とにかく、信じがたいような敷かれ方をしていたのが、お分かり頂けよう。

※右の写真にカーソルを合わせると、赤線で軌道跡などが表示されます。

 一つ二つとみるみる段を重ね、見る見るうちに稜線へと近づいていく軌道跡。
軌道跡のイメージでは絶対にあり得ない景色だ。

 我々は、この場所では一列で軌道を歩くのみならず、思い思いに斜面を歩いた。
なんだか、ガキの頃の山遊びそのものだ。
目茶苦茶楽しいんですけど。
この山。

※右の写真にカーソルを合わせると、赤線で軌道跡などが表示されます。

 先頭を歩いているつもりの私が、あくまでも丁寧に軌道跡を九十九折りに従って登っていくと、、先にの木にもたれかかるようにしてくじ氏が待っていた。
一挙にヘアピンを二つぐらい端折ったようである。


 執拗に軌道跡を追跡しようとする私は、この6つのヘアピンカーブからなる九十九折りで、少しは懲りておくべきだったのだ。

 ここをなまじ楽しく攻略してしまったものだから…、この後ほど、
ある場所で引っ込みが付かなくなってしまうのだった。

※右の写真にカーソルを合わせると、赤線で軌道跡などが表示されます。

 そして午前9時2分。

 もう、それ以上うえには、軌道のラインが見えなくなった。

 そして、前方には、先ほどまで谷底から見上げるていた鞍部が、間近に見えていた。


 我々の誰しもが、峠を 予感した。




 まるで、秘めたる峠を森が隠そうとしているかのように、軌道跡は突如不鮮明になり、代わりに猛烈な藪が立ちはだかる。
だが、もう我々の目を欺くことは出来ない。
観念しろ、工事用軌道。
全てを、我々が解き明かす!

 藪を掻き分けると、今度は右へカーブ。
そうして、鞍部の方へと向き直った軌道跡。

 ついに、我々は辿り着いたのか?!




 まっすぐだ。
 そして、深い。


 あったぞ! 
   切り通しだ!!






そこには、夢にまで見た景色が、本当にあった。

それは、「新明通」と名付けられた、
万世大路のもう一つの峠である。

昭和8年から12年までの、僅か5年足らずしか使われなかった、
“幻”と言っても大袈裟のない、峠だ。
工事用軌道の最高所であり、
国鉄の板谷駅からここまで、17段に及ぶヘアピンカーブの末に、
どうにかこうにか持ち上げられた資材が、
我々の登ってきた斜面を、“逆落とし”にて、
国道の工事現場まで降ろした、
その中継地点。

今も、この発見の嬉しさは、忘れられない。

叫ぶような興奮とは少し違うんだよな。
なんかこう、しみじみと味わったのだな。この感動を。
切り通し以外には何もない峠の、余りにも純粋な姿に、

我々は心から、笑った。






 次回は、この切り通しを徹底解剖。

 そして、いよいよ工事用軌道後半戦のはじまりだ。