廃線レポート 万世大路工事用軌道  その5 

公開日 2006.01.22
探索日 2004.11.20



 栗子山塊を股に掛けた“幻”の工事用軌道捜索の旅も、一つずつ幻を現実に置き換えながら、遂にその頂にたどり着いた。

 あとは、この山を起点であった板谷駅めがけて駆け下るだけであるが、その標高差は実に300mにも及ぶ。
そして特に、峠から西に落ち込んだ鎌沢の谷底までの高低差150mが、難関である。

 そこには、いまだかつて遭遇したことのない、異様な軌道が存在していたに違いないのだ。




17段のヘヤーピンカーブ

 

本当にあるのか?!

 線路敷設工事は明通(あけとおし)山に突き当たり,山の谷間を通れるものと思ったが,谷間は無く,結局山の峰に出るほかないと,17段のヘアピンカーブをつくって頂上に達し…

『栗子峠に見る道づくりの歴史』より引用。
 

 いよいよ、今回の道中の中で、その実態の解明が最も待たれた部分「17段のヘアピンカーブ」にさしかかる。

 現在地である海抜821mの新明通から、真西の谷底を流れる鎌沢の岸まで、約150mの高度差を埋めるヘアピンカーブ群が、地図上からは想像された。

 実際に現在営業中の鉄道で、このような多重ヘアピンカーブ(九十九折り)を用いている例は極めて少なく、唯一私が知っているのは、富山県の立山カルデラにある「砂防トロッコ」くらいなものである。

 往々にして、時代の古い工事記録などには、関係者の苦労を顕彰する人情が差し入るのか、やや大袈裟と思える表現が見いだされることが少なくない。
私の中には、「17段も本当にあるのかな?」と言う疑念が、あった。




 新明通から西を見ると、足元に落ち込んだ鎌沢の対岸に、まるで屏風のような岩塔を天辺に頂いた稜線が立ちはだかる。
鎌沢が福島と山形の県境線に一致しており、それを挟んで、我々のいる新明通は福島県側の稜線のピーク。
一方、向こうの稜線は山形側のそれである。

 つまりは、ほぼ同じくらいの高さの稜線が二本並行し、この中間の谷間が県境という、やや奇妙な地形となっているわけだが、この関係は、現在の国道の栗子峠が、東西栗子トンネルという二本のよく似た長さのトンネルで貫通されていることを考えると合点がいく。

 この二筋の稜線の中では、山形側の稜線のほうが奥羽山脈の主稜線としては部がありそうだが、万世大路が栗子隧道で貫通する辺りはもっと北寄りで、その辺りでは既に二つの稜線は一つに纏まっている。

 我々はこれから、栗子山塊に挟まれた県境の谷へと下っていく。



  つづいている。

 稜線に開いた窓を通り抜け、日影斜面の住人となった一行の前に、斜面に描かれた等高線のような軌道跡が続いていた。

 晩秋の海抜800mでは、もう既に葉を付けた木は少なく、地形の微妙な凹凸が、ずっと遠くまで把握できた。
この時期は空気も澄んでおり、ときに何キロも離れた山の木々の枝振りまで見えたりして、自分の視力が極端に良くなったような錯覚を覚える事があるが、この時も同じだった。

 足元には、何十年分の落ち葉が厚く堆積しており、そこに踏み跡のようなものを見いだせないことが、むしろ嬉しく思えた。
もしかしたら、自分たちが廃止後に初めて辿っているのではないか?
実際にはそんなことはないはずだが、そう思える事が、嬉しかったのだ。


 振り返れば、なにやら谷底に視線を泳がせる、どこか足取りの覚束ない一行。

 高所恐怖症のくじ氏は仕方がないとしても、歴戦の道路戦士であるはずの彼らは、何を見ていたのか?

 まるで穏やかそうな地形ではないか?




 実は…

 結構厳しかったりして…。

 葉を落とした秋の森は、水平方向だけではなく、鉛直方向にも視界が鮮明になり、谷底まで一気に滑り込む足元の斜面は、必要以上に迫ってくるような印象を与える。


 斜面をなぞりながら少しずつ高度を落とす軌道跡は、これまで200mほどずうっと南へと向かっている。

 17段のヘアピンカーブの、“へ”の字も見えてこないので、だんだん不安になってくる。
まさか、道を間違えたとか?
あるいは、そもそも工事用軌道ではない道を辿って大騒ぎしていたのでは?

 そんな不安を余所に、スケールの大きな斜面を上と下にに分かつ線として、見渡す限り道は続いていた。


9:40

 峠を離れ13分。
正確な自分たちの位置を知る術はないが、普通のペースで歩いたので、約500mくらいは南方向に歩いているだろう。

 それなのに、未だに一つも下っていく気配が無い。
17段のヘアピンカーブだと騒ぎ立てる以前の問題ではないか?

 私の不安が絶頂になりかけたとき、実は、一つめのヘアピンカーブはもう、すぐそこに近づいていた。
この写真には、下へと下るヘアピンカーブと、一つ下の段の道が、不鮮明ながら写っている。


 遂に遭遇!
これが、万世大路工事用軌道に名だたる、
『17重ヘヤーピン』その1のカーブである!

 …多少テキストで盛り上がりを演出しないと…、

 地形に掘られたヘアピンカーブ自体に確固たる見た目のインパクトはない。
まして、このように目の前に一つだけ現れても、ねぇ。
この景色に素で感激できるのは、やはり、長い捜索の末にこの地を見つけた我々一行だけの特典ではなかったかと思う。



 …などと、あなたの感激が薄いのを「現場にいなかったからだ」などと暴論で片付けてしまおうとした私ではあるが、しっかりと見ておきたいという読者もおろうから、


やや単調になるやもしれぬが、現れた順に景色を紹介していこう。


 なお、写真ではメンバーが斜面の色々な場所に散り散りになっているが、これは決してヘアピンが単調だったためにショートカットせんという輩が多数でたというわけではない… たぶん。



17段のヘヤーピンカーブ 前半

9:42

 一つめのヘアピンカーブを過ぎると、当然進行方向は180度逆になった。

 一面は、穏やかに陽の射し込むブナの森で、どうやら峠を経ってからの最初の長い水平移動は、地形的にヘアピンカーブを存分に描ける場所を探してのことだったらしい。


9:47

  今度は100mくらい歩いたら現れた、2つめのヘアピン

 一つめのヘアピンカーブとは、鏡で写した写像のように瓜二つである。


 この段階ではまだ、予告されたヘアピンは二つ現れただけであり一同には緊張感があったが、このあと徐々に数を重ねるにつれ、緊張感は安堵感へと変わっていった。
それは、今我々が紛れもなく工事用軌道を辿っているのだという、課せられた任務に対する安心感だ。


 2つめのヘアピンを過ぎた辺りで下を覗いてみると、そこには明らかに不自然な地形が…。

まぎれもない、4つめのヘアピンカーブの姿だった。

 既に一同のうちで最も堪え性のないくじ氏は、ショートカットしたくてうずうずし出したようだった。



 2つめのヘアピンカーブからはそう距離を置かず、すぐに3つめのカーブ。

 またしても変化のない景色に、なんとなく私は、この後の展開について、予感めいた物を感じてしまった。



 一段一段の高さの差はあまりなく、ガソリン機関車が資材を引っ張って自力で走行できる程度の勾配だったことがうかがえる。

 写真の中には二人の人物が写っているが、この二人の位置がそれぞれ、一段違いである。
もっとも、撮影者の私が3つめのヘアピンカーブの頂点にいるので、頂点からそう離れていない部分の比高であるが。



 鉄道にしては十分に急なカーブを描きつつ、斜面に沿って緩やかに走る軌道跡。
一応路盤めいた物は存在し、良く踏み固められたような土のラインがそれである。
写真では僅かな凹凸でしか感じられないが。

 また、上方の斜面にはいま自分たちが歩いたばかりの上段の軌道跡が時折見えていたが、写真ではかなり不鮮明で、これであると特定できるほどではない。
ただ、印象としては2段くらい上までは見えていた気がする。



 先ほど上の段から見下ろしていた4つめのカーブに、くじ氏を先頭にした一行は着いた。

 軌道跡の真ん中に太っといブナが生長しているが、70年という時の長さを感じさせるに十分な光景である。

 こうした活動をしていると、自分の生きてきた長さを越える年月というのを容易に口にすることになる。
例えば40年前だ、50年前だと一口で言ってしまうわけだが、この間の10年間というものを深く考察する事はあまりない。
 だが、冷静に考えてみれば、この軌道が使われ廃止された70年前というのは、いまの世の大半の人間が生まれる前の出来事なのである。

 そのことを、はっと気が付かせてくれたのは、この無言で軌道を通せんぼするブナの成木だった。



9:58

 うぉう、これは結構凄いかも。

 やっと、万世大路工事軌道探索を山行がのネタ収集として考えたときに、「ものになりそう」な景色が現れたことに、安堵した。

 不謹慎かも知れないが、今や私の山歩きにはこうした“打算”は欠かせないものとなっており、このまま淡々と17回も切り返しの写真を撮影させられて、「はい17段ありました」と終わってしまうことを、かなり恐れていた。

 しかし、いま足元に一挙に数段の軌道敷きが見えたことにより、17段がこのようにある程度の密集度と集積度をもって存在していたのだということを、効率的にお伝えすることが出来る。



 とはいえ、局所的に見れば、ただただひたすらに似たようなヘアピンカーブと、それらを結ぶほぼ一様な道跡があるのみだった。

 ここは、5つめのカーブである。




 つづいて、6つめ。

 軌道跡には枕木やレールなど鉄道を連想させるものはおろか、入山者の置き去りにしたゴミなど、人の踏み込んだ痕跡さえ見つけられなかった。
この山自体には、例えば基準点を調査する国土地理院の役人や山菜採りの人などがときどきは入山していると思うが、地形的に軌道跡を歩く必然はなく、むしろ緩やかな勾配を維持するために九十九折りを繰り返す軌道跡は、道としてあまりにも非効率的なのだろう。

 工事用軌道という性格からしても、この鉄道に思い入れのある人物などというのは、工事関係者の他は我々くらいなものだろうし。



 はい7つめのカーブだ。

 ひたすらに下る一方なので別に疲労するということもないのだが、上から見下ろすと既に何も残っていないということがほぼ確定している軌道跡を、淡々となぞって歩く行為は、申し訳ないが作業的というより他はなく、山菜採りなど何か他に楽しみがあるでもない一同は、次第に口数も少なくなった。




 上を見上げると、結構な勾配の場所をつづら折れで下っていることが分かる。

 大局的に見れば、この17重のヘアピンというのはかなりスケールが大きく、エキサイティングな物件であることは間違いなのだが、いざその中に入ってしまうと、淡々としたものと感じてしまう。

 ヘアピンカーブ一つ一つの位置関係などは、他のメンバー(信夫山氏やおばら氏)がGPSを持っており、ある程度鮮明なものを把握していると思うが、私の中では後から地図に書きおこせるほどの記憶はなく、ただただ腸のようにグネグネと続いていたという印象しかない。



 段数にして約半分を過ぎたところで、谷底の鎌沢の水音が聞こえ始めていた。
しかしそれはまだ、山に響きわたる音というレベルで、そこに川があるという感じではない。
実際、まだ谷底までは100m以上の高度差があった。

 また、ここに来て笹藪が現れ始め、行く手に若干の不安を感じさせた。
ここまで来て軌道跡を見失ってしまうのは痛い。




 眼下の鎌沢。
まだまだ相当に遠いことが分かるだろう。
この谷底まで、ひたすらにヘアピンは続いていた。

 この軌道をルート設計した人は、複雑なルート設定は面倒だと考えたのか、どうせ工事用だからと思ったのか、至ってシンプルな設計を採用したようだ。
いや、そもそもがこのヘアピンカーブ自体がすべてイレギュラーだったと言うことを忘れてはいけない。
山の谷間を通れるものと思ったが,谷間は無く,結局山の峰に出るほかないと,17段のヘアピンカーブをつくって… などということが工事記録にあるほどだから、人夫達だって「もうついて行けねーぜ!」と嘆いたに違いない。

 それ以前に、工事用には軌道を用いず、それまであった万世大路を工事用道路として利用しながら改良する(常識的な)案も出されていたことを考えれば、この工事長というのは、相当な軌道マニアだった…というか、鉄道礼賛主義者だったのだろうと想像する。



 スリルを餌に生きるくじ氏の後ろ姿も、なんだか徐々に光を失っている気がするが、ともあれこれで8段完了である。

 8つめのカーブだ




 見上げればそこには整然と並ぶ数段の軌道跡。

 様になる景色である。

 約70年ほど前の数年の間だけ、この斜面に築かれた道にレールが敷かれ、そこを右に左に揺られながらマッチ箱のようなガソリンカーが、数両のトロッコを引っ張って上り下りしていたのだ。
それに、斜面の木々をなで切りにするでもなく、出来うる限り森を残したままに施工されていた痕跡がうかがえる。
単純に施工量を減らすためであったのかも知れないが、おかげで、ここまで森と同化するほど沿線の自然は回復している。

 想像力を少しだけ逞しくすれば、なかなかに見応えのある景色ではないか。



 やっと半分か。
9つめのカーブである。

 既にこの段階で、一行は必ずしも一列に歩いているのではなく、前を歩くメンバーの位置を見て適宜段をショートカットしたりしながら、思い思いの歩き方をしていた。

 そのなかでも、私はどうしても全てのカーブを確認し、本当に17段だったのかを見極めたく、いちいちカーブのためにボイスレコーダーに声を吹き込みながら歩いていた。



10:13

 一行は、やっと17段の半分を超えたところで集まって休憩を取った。

 実はもう、峠を経ってから45分も歩いていた。
直線距離では500mにも満たないだろうが、忠実に軌道跡を歩いた場合の距離は、2kmを余裕で超えていた筈だ。
最初は一気に谷底まで下るつもりでいたが、想像以上に距離が長く、時間的には余裕があったこともあり、途中のこの場所で15分ほど休んだ。

 和やかな休憩は、妙に火を焚きたがる人物によって煙たくなったが、誰が犯人であるかは写真から分かりそうなので、敢えて触れない。