2020/1/23 8:03 《現在地》
ループトンネルに至る北側のカーブは、比較的よく原形を留めた状態で森の中に放置されていた。しかし残念なことに、隧道の北口は跡地も明確ではない形で消失してしまっていた。
これで貴重な隧道が“貫通”している目はなくなってしまったが、“開口”という一縷の望みをかけて次に向かうのは、尾根を越えた反対側の南口である。
【この激藪】を正面突破したら辿り着けたはずのループトンネル南側区間へ。
このとき私は、尾根上を縦走する町道をなんの目印も道もない地点で横断して、そのまま反対側の山へ入った訳だが、その心境は野生動物になったようだった。端から見たらきっと気持ち悪いだろうな(苦笑)。
不法投棄の使用済みサスペンション4本とその箱が散らばっている、悲しみの道路下の斜面へゴー! ここに細田がいたら絶対に口にするだろう。「ボストンバッグに大金」(それで見つけた山盛りの●●●ということがあったな……)
なお、この下って行く過程で気付いたが、町道は盛り土の上に造成されているようだ。
これではますます、下を潜る隧道の現存は絶望的という感じも受けたが、一縷の望みに縋る心境で向かっている。
この状況から、あと少し手足を動かすのを面倒くさがって、南口を確かめずに引き下がるというのはあり得ない。
せめて埋没がはっきり分かるような、見て分かる坑口の遺構を見たかった。
斜面を1分にも満たないわずかな時間下って行くと、早くも見えてきた!
意外にしっかりした感じの築堤が、鬱蒼としたスギ林に横たわっている!!
これを見た私、再び興奮する。
マジでループ線だったんだ! と今さらながら。
要となる隧道にこそ巡り会えていないが、軌道跡がある尾根の両側で軌道跡を確認したことで、ループの存在は確信となった!
今さら旧地形図の誤記でしたという、超絶がっかりパターンの可能性は、完全になくなったと思う。
なおこのとき、私は敢えて南口の擬定地を少し西に外すように下っていた。
その理由は、もし開口していた場合、隧道直上から下降するのは危険であること。そして、今日のここまでの2時間の決算(まだ終点まで行っていないので総決算ではない)となる場面を、正面から捉えたいという気持ちが強く作用していた。
8:06 《現在地》
ほどなく路盤へ降着!
まだ見ぬループ隧道内も全て下り坂だったようで、先に見た北側の路盤最終確認地点よりも、尾根との落差は大きくなっていた。
こちらから見る谷戸の空を背景にした築堤は、なかなかサマになっていた。
しかし、築堤上に育っている樹木(植林されたスギ)の太さが、すっかり成木のそれだ。
軌道は昭和25(1950)年の廃止と聞いてきたが、廃止後に道路へ転用されることがなかった可能性が高い。勾配に強い道路交通にとって、ループも必要ではなかっただろうし。
チェンジ後の画像は、築堤に到達して回れ左をした方向。こちらに隧道がある…… あった…… はず。
一縷の望みは、この先に。
左へカーブしているのが見えるが、その先はもうすぐ隧道南口だと思われる。
勿体ぶるに値するものが待っている分からない状況では、さっさと決着を付けろと思われるあろうが、
探索者の心境としては、やはりこちら側、起点方向も見ないわけには行かないのだ。
まして、そこにこんなはっきりとした切り通しが見えていたとなれば、尚更だ。
というわけで、今度こそ最後の寄り道です! 隧道とは逆方向へも少し行ってみることに。
少し隧道を彷彿とさせるくらい深い切り通し。
ここで得られたのは、ループトンネルが掘られた山の地質の情報だ。
見ての通り、分厚い表土の下には砂岩質の柔らかそうな岩がある。
脆い岩だが、日本各地のトンネル多産地帯でしばしば見られる地質がこれだ。
崩れにくいということ以上に、まずは掘りやすいということが、古い時代の隧道建設にとっては重要なことだったのだろう。もちろん、常磐炭田の開発においても。
切り通しを抜けると、急激に藪が濃くなった。
すぐさま引き返そうかとも思ったが、普段の私であれば引き返してはいないだろうというくらいの、キツいけど我慢できる藪なので、ちょっとだけ深追い。
確率は低いが、この区間に地図にない隧道が隠されている可能性もゼロではない。
このように、名古谷のループ上端から須賀作第二堤に至るまで約800mは、双葉炭礦軌道の中でも特に荒廃した区間だ。
これより奥の大部分が車道として現在も使われていることとは対照的である。
あくまでもループを前提とした区間だったので、転用もままならなかったのだろう。
8:18 《現在地》
笹藪に苦労しながらも、引き返すきっかけを得られないまま10分近くも左岸をトラバースし、藪の隙間の眼下に須賀作谷戸の溜池上流にある茶色い谷底が見えるくらいまで進んだが、地形図にもある常磐自動車道の巨大な盛り土が、視界を完全に遮る密度の笹藪に包まれた姿で眼前に立ちはだかり、これより少し上流に在ったとみられる、軌道がUターン線形で谷を渡っていた“架橋擬定地点”は、既に地形ごと跡形もなく破壊されていると予感したので、ここで撤退を決断した。
結局、ここでは左岸を300m近く踏破し、未踏破区間は対岸に約300mを残すだけとなったが、今のところ再訪の計画はない。
8:24 《現在地》
最初に降り立った地点へ、速歩で戻ってきた。
今度こそ、このまま南口擬定地へ!
(この流れ……、今までのレポートのパターンからしてきっとこうだなんて予想を立てちゃうベテラン読者さんも多そうだが、今回は私の予想通りにはならなかった)
案の定、軌道跡は最後に左へ曲がると、上に道路があるせいで
もの凄く平に見える尾根が、真っ正面に立ちはだかった。
やはり、ここがループトンネルの南口で、
地形的にいまひとつ痕跡が見分けられなかった北口と較べれば、
遙かに坑口跡の特定に期待が持てる、急傾斜の地形だった。
私は、執拗に視界を邪魔する枯れ枝を両手で払いのけながら、前進した。
そして、直後に我が目を疑う。なんと、視界の中央に“黒い”部分があるではないか。
慌てて歩速を早めたせいで、ムチのような小枝で両眼と両頬を強くひっぱたかれた。
それで一瞬頭が真っ白になりながら、フラフラと到達した――
8:36 《現在地》
南口擬定地に存在していた、
巨大な開口部の正面へ。
いや…… これは、他ならぬ、
ループトンネルの南口でしょ?
なんと、私の直前までの予想を覆し、
ループトンネルは現存していた!
これが、私の前にようやく姿を現わした、双葉炭礦軌道のループトンネル、その唯一現存する南口だ。
とても長い間放置されていたことは、坑口前の雑多な障害物の多さから一目瞭然だった。
しかし、坑口そのものには意外に崩れがなく、現役当時の姿をよく遺存しているように見えた。
扁額も何もない完全な素掘りの坑口で、サイズは見慣れた林鉄隧道と同等程度。意外に小さくない。
そして……、向こうの光は当然見えない。
いつもならこのタイミングで、「それでは次回」と、レポートを引っ張るところですが、
これまでの探索成果の低調さから来るストレスのため、ここで1日待たされるのはキツいかなと思ったので(苦笑)、
このまま間を空けずに洞内探索の模様をお送りします。 この下のテキストをクリックしてね!
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