廃線レポート 双葉炭礦軌道 第5回

公開日 2020.02.28
探索日 2020.01.23
所在地 福島県楢葉町

深く、深く、水底へ、沈降してゆく……


2020/1/23 9:37 《現在地》 

第2隧道(仮称)の東口を発見した。
昭和19年というかなり早い時期に廃止されたとされる隧道であり、坑口の立地も沢底でよくなかったが、開口していた。
とはいえ、まともに通行出来る隧道には見えなかった。
かつては真っ当だったとしても、現状はもう……。

おそらく、廃隧道を見慣れた人ほど、この状況に強い警戒心と違和感を持つと思う。
警戒心は、坑口がいわゆる“底穴状態”と私が呼んでいる状況(坑口が大きく崩れて上方へ移動し、洞内へ入るために下りの狭い隙間を潜らねばならない状況)になっていることに対する先行きの不安であり……

違和感は、底穴の斜面が、明らかに水中にあるもののような気配を見せながら、実際には歴然と陸上にあることに対するものだった。

前回、ファーストインプレッションを“地下の三途の川”のように評したのも、この洞奥へ通じる斜面が、いかにも玉石の散らばる河原のように見えたからで、普通こんな状況は……

こんな状況は……

…………

このような水中環境下にある隧道に見られる特徴だと思う。




こんなに、得体の知れない、気味の悪い入洞は、久々だ……。

単に気持ち悪いというだけなら、珍しくない。土に埋れかけた隧道で、狭い隙間を掘り起こして入るようなことがたまにあるし、ここはそれより遙かに開口が広く、這いつくばるような真似をしなくても良いのは良心的と言えた。

しかし、水中環境下のような兆候を見せる隧道に、生身の身体で立ち入るというのは、あまりにも未経験であり、得体が知れなかった。

この隧道に何が起きたのか。或いは現在進行形で起きているのか…?!
最近まで長い間ずっと水没していた洞内が、何かの事情(例えば反対側坑口の閉塞の破壊!)で、水が抜けたとでもいうのだろうか?!
もしそうならば、探索者としては奇跡的な巡り合わせであった。

しかし、もしそんなことではなくて、何らかの事情(?)のために、短いスパンで水位の上昇と下降を繰り返しているなんてことがあったとしたら。
そして、内部探索中に水位が急上昇するようなことがもし起きたとしたら、考え得る限りで最悪の死に方をすることになる……。

洞床に向かって数メートル下降し、写真の狭窄部(底穴)を中腰姿勢で潜り抜けると、そこからは外光が直接届かない洞内だ。
今にも満々の水面が現われて良い状況……どころではなく、この泥気の少ない玉砂利や、漂着物らしき白木の枝など、既に潜水夫が見る景色のように私には思えた。
普通に呼吸が出来ているから、まだ陸の上の洞内だが、景色が知識の理解を超えかけている。


そんなこんなで、私が初めて目にした洞内は――





干上がった地下水路みたいだ…。

干上がったといっても、洞内の壁はどこも湿り気を帯びており、非常に湿度が高い。

むしろ、水が溜っていないことが不自然なのだが、洞床が砂利っぽいので、伏流しているのかも…。

入ってすぐのここは、天井が大きく崩れてホール状のスペースになっているが、
その崩れた土砂は、あるべき量の半分くらいしかない気がする。
残りは、水流で押し流されていったのではないだろうか。

奥へと。


そうだ。 奥へ流れている。


勾配は、手前から奥への、下り坂だ…。




ああっ! 息が詰まりそうっ!!

これが比喩でなく本当に息が詰まるのだとしたら、今すぐに引き返さないと危険なのだが、
これは精神的な圧迫から来るものだろうと思う。
とにかく、実際の広い狭い以上に、土と水の圧迫感が猛烈で、目の前が暗くなりそうなのだ。

写真は、最初のホールで坑口を振り返って撮影したのだが、
流体に近い状態の土砂が、坑口から大量に流れ込んだ形跡が非常に濃厚だ。
その土砂の斜面には、流水特有ののたくったような凹みが、無数に刻まれていて、
砂利の大きなものと小さなものの分布も、小さな河川の模型のようであった。

単純に、谷底に掘られた隧道の悲惨な末路に過ぎないとは思うのだが、
なぜか水が消えているせいで、私は洞奥へ向かうしかなかった。
これを読んでいる読者の100人中99人までは、ここでちゃんと引き返すだろうに。




9:40 (入洞3分経過) 《現在地》

もう振り返っても坑口は見えない。

直前に越えた、天井崩土の土砂が作る狭窄部のせいで、まだ坑口から20mくらいなのだが、もう断たれた……、心の支え。

代わりに別の光が前方に見えてくれれば良かったが、その望みは多重に薄いと言わざる得まい。

まず、この隧道は長い。地形図が大幅に間違っていない限り、この山は200mでは抜けまい。最大300mまで覚悟する必要がある。
となれば、入口から20mそこらで出口が見えるには、残りの洞内が完全に直線で、かつ閉塞や断面の半分以上を塞ぐような障害物がないことが条件になるだろう。

この隧道に、そんな好展開を望めるはずもなく……、出口は、見えない。
…ちなみに風も感じないです……。



あ〜〜〜。 来ちゃったぁー。

泥濘んできた〜!

最初は玉砂利で清楚な雰囲気だったが、洞外から流水と一緒に入り込んだはずの土の行き場を懸念していた。
恐れていたことが、早くも現実になりつつある。

幸い……と言える自信もなかったが、現段階では、泥はまだ締まっていて、あまり泥濘まない。
このくらいなら歩行可能だが、泥の厚み自体は、おそらく1mではきかない。

1号隧道と較べると天井が明らかに近いが、その差は洞床の堆土の厚みの可能性が高いのだ。
したがって、水分量が増えると、私は身動きがとれないレベルで深みにはまるリスクがある。極めて危険だ。
この先の洞床の状況変化には、細心の注意を要する。ますます気が重いぜ……。



進むにつれて、天井が高くなった感じがする。
おそらく、洞床の泥の厚みが減ってきたのだ。これは、洞内に入っておそらく最初の、喜んでもいい変化だと思う。
隧道の断面が広くなるのは、少なくとも気持ちの面ではプラスしかない。

……が、嫌なものを見てしまった。

両側の壁が、ある高さを境にして綺麗に色が違う。
これは、単純に濡れているか乾いているかの違いではなく、長く水に浸かっていた部分と、空気に触れていた部分で、何らかの化学的な作用によって、こういう色の違いが生じるのである。

そして、この色変化線は、泥の洞床から1mほどの高さにある。
つまり、この地点にはかつて、かなり長い時間にわたって、深さ1mの水があった。
洞床が泥であることも踏まえると、おそらくこの水深1mは、歩行不可能だったと思う…。
私は、そんな危ういところに足を踏み入れてしまっているのだ……。



光がない。

風がない。

これだけでも嫌なのに、さっきから気付いている人は気付いているだろう。

レンズの曇りは心の曇り……じゃなく、空気が完全に水蒸気で飽和している。
いわゆる、霧が出ている状況だ。風があったら、霧は押し流されるのだが。

過去の経験上、水気の多い閉塞隧道の大半で、閉塞地点へ近づくにつれて霧が濃くなった。

つまり、現状は、いわゆる、「察し」の状況なんだと思うが、それだけを理由に撤収を決断できない自分が悩ましい。



9:42 (入洞5分経過)

入洞直後にあったのと同じくらいの規模のホールが現われた。ホールの終わりの部分では洞床が大きく盛り上がって、これまででは一番の狭窄部を作っていた。
大量の崩土が水流によって押し固められて、この狭窄部を作ったのだろう。水が溜っていた当時は、この狭窄部によって下流への流出が或る程度堰き止められたことがあったはず。手前の平らな泥底の光景は、そんな深い水の底にあった当時のままで、静止しているように見えた。
水がなくなった理由が分からないのが、とにかく気持ち悪い。

狭窄部などを見ると、その下半分が土砂に埋れているとしても、それでも第1隧道より小さな断面だったように感じた。2本の隧道の廃止時期は6年違い、こちらが早く廃止されたとされる。この狭さが大量輸送を阻む隘路となったことは想像に難くない。




初めて、洞内で生き物を発見した。
ホールの4mくらいある天井にぶら下がった、小さなコウモリたちの群れだ。
冬眠中らしく、身動ぎ一つしなかった。

私は隧道内でコウモリを見ると、その下にどのくらいのグアノが堆積しているかを見るのだが、ここには堆積物なし。
つまり、最近に棲み着いたか、最近まで水が溜っていたかだ。

これだけ大量の水が、どこへ行ったんだろう……。
一番期待したいシナリオは、この先の西口から流れ出しているというパターンだ。
そしてそれだけが、この隧道を貫通できるシナリオだと思う。

で、こんなホールの直後に待ち受けていたのが、一転して狭い箇所で――




ごく最近まで水の底だったという感じが全く隠せていない、泥地面の狭窄部。

ここは極端に天井が低く、未成隧道でもない限り、泥は2mくらい堆積していると考えられる。

そして、この部分の天井に目を向けると、ますます息苦しくなる光景が――




うわぁ…

天井スレスレに、例の水位線が……。

洞内は、最初から一貫して下り勾配である。

そして、ラインはずっと同じ高さに刻まれている。


つまり、私は、


どんどん



ど ん ど ん




地底の水の底へ、沈降している。


三途の川底……


その想像だけで、私の精神は強烈なストレスに晒されて、息苦しくなるのだった……。




さらに深く、深く深く、水底へ潜行してゆく……


2020/1/23 9:44 (入洞7分経過) 《現在地》 

“この場面”が私に与えた衝撃の度合いは、今日の出来事の中では、ループ隧道発見の瞬間を遙かに上回っていた。
なので、もう少し言葉を尽くしたい。

かつて、或る程度の長い間、この高さまで水位があったことを物語る不気味な線が、これから潜ろうとしている狭窄部の天井スレスレに存在した。
そのことが非常に印象深く、そして、私の足を怯ませた。

過去のこういう洞内探索の経験が、この場面の印象を強く増幅した。
とにかく、息苦しかった。
ここに溜った水は(不思議なことに!)全くないのに、まるで、喉元まで水に浸からされているような、精神的呼吸困難があった。

そして私は、この隧道の酸素濃度が実際に低く、そのため息苦しいのではないかという“恐ろしい想像”を、完全に振り払うことは出来なかった。
冷静に考えれば、この隧道の現実的状況は見慣れた陸上の廃隧道であり、過去に生還した膨大な隧道たちと較べて特に低酸素になる理由はないと分かることだが。



前回要望があったので、洞内の簡単な断面図を用意してみた。

図の説明は不要だと思うが、ポイントとしては、坑道全体が東口からここまで一方的な下り坂であること、洞床には常に堆泥や崩土があり本来の路盤が敷かれていた面を一度も目にしていないこと、入洞直後から内壁のかなり高い位置に1本の水位痕跡線が続いていて、2箇所目の天井崩落地点(ホール)の直後に現われた「現在地」である狭窄部では、その線がほとんど天井に接するばかりであることなどだ。

ちなみに、現在まで入洞から約7分が経過しているが、実際に東口からどのくらい進んでいるかは、よく分かっていなかった。(なので、さきほどの「現在地」の地図はテキトー)
とにかく、数メートルおきに一度足を止めて確認したくなるような状況の細かな変化があり、洞床のアップダウンもあるせいで、決まった速度でスタスタと歩けず、経過した時間から進行距離を推測することが出来なかった。振り返って入口が見えれば、それも距離を知る重大な手掛かりになるのだが、今回は入って数歩で見えなくなっていた。




水位痕跡線よりも下へ頭を下げて(これだけでも気味が悪い)、
第2狭窄部へ進入する!


ここは身を屈めないとならないほどに天井が低いが、原因は洞床に堆積した大量の泥だ。
この泥は良く締まっており、歩行に困難は感じなかったが、減水した後もずっと最近まで水に浸かっていたような生々しさがあった。
もちろん、泥の面には何者の踏み跡もない。真っ茶色な新泥…。

この隧道が水に満ちていた時期の到達報告がないことが残念だが、当時なら、この先はほぼほぼ、潜水しない普通の人間には入り込めなかった領域だろう。
もちろんこれは、反対側が貫通していなければという仮定の話だが…。 たぶん貫通してないよこれ。




幸い、頭がつかえるほど狭い部分は、ほんの数メートルだった。

そこを抜けると、一転して、上り坂が待っていた。
ここにも“例の水位線”があるので、洞内のアップダウンが如実に分かる。

もっとも、坑道全体が下り坂から上り坂に切り替わった訳ではないはずだ。
そんな奇妙な縦断線形は、滅多にあるものではない。
だから、ここにある上り坂もやはり、天井の落盤によるものだろう。

つまり、狭窄部にあるのが本来の天井で、その前後は落盤地点なのだ。
この隧道の崩落進行具合のヤバさが、ヒシヒシと感じられる展開である。

ここまで高頻度で崩れながら、それでも閉塞せずに坑道が残存しているのは、一見すると奇跡のようだが、これはたぶん、水に浸されていたことが有利に働いた面があると思う。
大量の水によって崩土の嵩が圧縮され、上部により大きく隙間を作ることになったのだと思う。

……別に喜んじゃいない。



ザブザブザブ……

そんな擬音を脳内で再生しながら、“幻の水面”から浮上していく。
皆さんも、真っ暗な地底湖から、歩行姿勢で浮上してくるヨッキれんの姿を、想像して欲しい。

この先もまた、立てないほど天井が低いところを進むようだ。
しかし今度は水位痕跡線よりも高い位置である。
どうやら、入洞直後からここまで一定だった水位痕跡線の高さを規定していた水口が、ここ(矢印のところ)にあったようだ。
簡単に喩えていえば、ここが洞内地底湖のダムで、その唯一の排水口でもあったらしい。

となると、ここから奥へ流れ出した大量の水がどこへ消えたのかが気になるところ。
あまり期待はしていないが、西口が今も開口していて、洞外へ排出されていたなら、嬉しいかな……。




炎のように赤々とした天井の下を、前屈みの姿勢で進んでいく。
これまでで最も頭上高が低く、前屈みの姿勢から自然に四つん這いとなって進む部分もわずかにあった。

全身で感じる洞床は、柔らかな崩土の山であり、枕木やらレールが敷かれていたはずの本来の洞床は、2mも3mも下に埋れているはずだった。
これほどの量の土砂は、全てが天井の崩壊によって洞内で生じたものではないように思う。谷に口を開けていた東口から、泥流のような形で持ち込まれた部分が相当量ありそうだった。

また、ここに至って内壁の水位痕跡線は見えなくなった。
おそらくこの辺りに長期間水面があったことはなく、先ほどの切り口から流れ出した水は、写真左の低い溝状の部分を流れていたのだろう。
私は、そんな幻の水流に従って、さらなる洞奥へ呑み込まれていった。

水位線の幻想に代わって、今度は現実の天井の低さに強烈な圧迫を感じながら前進すること約1分。

再び状況に変化が……!




9:45 (入洞8分経過) 《現在地》

“短い土砂の坂”を下ると、いくらか頭上高に余裕が出来た。起立は無理だ。

ここで注目すべきは、天井の驚くべき丸さ。超綺麗なアールが出ている!

ここで初めて、隧道の本来の形状の片鱗を目にした気がする。
さすがに坑口から100mは来ているはずで、ようやくだ。
とはいえ、完全ではなく片鱗だ。洞床が依然として大量の土砂に埋立てられている。
これは泥ではなく、瓦礫が混じった良く締まった土だった。歩行には差し支えない。

次の写真は、いま下ったばかりの“短い土砂の坂”を、振り返って撮影した。



あぁ…、この眺めもきつい……。

大量の土砂が、狭い坑道を遮って押し迫ってくるようで、圧迫感が半端ない。
胸が押さえつけられるようだよ……。

そして、この土砂にも、水の流れた痕がまざまざと残っていた。
それも、あまり見ない土砂の溜り方のような気がするのだが、もしかしたら、水面下で堆積したのだろうか?

水中での土砂の流れ方に関する知識が不足しているのでなんとも言えないが、この土の流れ方は、なんか普通じゃない感じがした。

誰も見ていない状況を想定した話であり、何もはっきりとしたことは言えないが、廃止から70年以上も経過した廃隧道であるから、過去の洞内外で起きた様々な天変地異によって、洞内の水位も相当に変化したはずだ。
この辺りが完全に水底にあったという、考えるだけで恐ろしい状況も、十分に想定されるべきだろう。

ますます精神にダメージを食らいつつ、前進を再開。

次は、洞内で初めて撮影した短い動画をご覧頂こう……。




相変わらず曇りがちなレンズが捉えた、人跡未踏っぽい洞奥風景だ。

動画には、冷静に周囲の状況をレポートしている私が写っている。
格好いいような気がするかも知れないが、内心かなりビビっていたのは内緒だ。

動画でも洞内の起伏が多い様子が見て取れるが、
坑道が崩壊によって上部へ遷移することはあっても、その逆はないので、
基本的に、天井の高い部分は全て、落盤した跡ということになる。怖い。

そして動画の最後でまた、本来の高さに残された坑道を見下ろしている。
次の写真は見下ろした風景で、そこに奇妙なものが写っている。




これから下ろうとしている数メートル下の洞床に見えた、黒っぽい塊と、そこから伸びたひょろっとした白いもの。

私はこの段階で、正体についてピンときたが、次の画像は近づいて撮影したものだ。




9:46 (入洞9分経過) 《現在地》

正体は、モヤシのようなもの。
本来の生育環境ではあり得ない暗黒環境下に芽吹き、儚い一生を遂げようとしていた、何らかの植物のスプラウトだった。

これほどの洞奥に、植物の種がもたらされる理由は、動物の糞しか考えられない。
つまり、この黒いものは糞と思われ、この洞奥まで動物(隧道ぬこ=ハクビシンか?)が入り込んだことを意味している。
さすがに水没していれば立ち入らないだろうから、水が引いてからの来訪なのか、それとも…

反対側の西口が開口しているのか!

これは、洞内に入って初めての、貫通への期待感が大きく増大する発見だった。
相変わらず、風も光もなく、水蒸気も濃いが、そもそも今日は風がほとんど吹いていなかったと思うので、貫通していても洞内無風の可能性はあるはずだ。



……相変わらず、狭いなぁ……。

引き返す決め手となるような場面は現われていないが、だからといって、こんな狭苦しい穴を進めるだけ進んでいくというのは、気が滅入る。
もしこんなところで何かあったら、何年後に見つけて貰えるだろうか…。

この先も微妙に天井が膨らんでいて、おそらく崩壊した跡なのだろう。
膨らんだ天井の奥には、また極端に天井の低い部分が見えており、こういう展開が何度も繰り返されている。
しかし、常に洞床は土や泥に埋れていて、本来の隧道断面の上部しか見えない。

この膨大な土砂が、隧道を埋め戻すために人為的に外部から持ち込まれたものである可能性も考えた。
土砂に廃材とかが紛れていればその可能性はより高まったが、特にそういう不純物はなし。坑口前の状況も加味して考えると、やはり自然の経過によるものだと思う。



上の写真の奥に見えた狭門部分を、反対側から撮影したのがこの写真。
またしても、隧道内に強烈な水流現象があった痕跡が写っている。

先ほどは、同じような場面で粒の小さな土が流れたような地形があったが、今度は土石流の末端のような、粒の大きな瓦礫が流れ込んだ地形だった。
瓦礫は、ここまで到達し、しかしこれより奥には流れ込まなかったようである。

現在地が東口から何メートルなのか分からないが、150m前後は来ていると思う。
隧道の全長は2〜300mだから、半分は超えたはず。場合によっては、4分の3まで来ているはずだった。
実感は全くないが、既に地上の峠を越えて、着々と西口の地表が近づいている段階にあるはず。

でも、貫通していなければ、ますます救いがたい領域に近づいていることになる。
頼むぞ、貫通!
ここまでどうにかこうにか来られた状況を、前向きに捉えたい。
水の作用が、隧道の閉塞を阻止したと、信じたい……!




9:47 (入洞10分経過) 《現在地》

貫通への期待感を、論理というよりは願望として深めつつ、それでも一歩ごとに西口が近づいていることを励みとして、さらに前進を続ける。

ここに来て、天井の落盤はやや沈静化の傾向を示し、本来の隧道の上部半断面を歩く展開が続くようになった。
ぎりぎり起立姿勢で通行できる高さがあり、進行ペースも上向いている。

また、洞内を覆っていた靄が晴れた
依然として、風も光もないが、西口開口部接近の兆候であると期待したい!!

また、洞床にわずかだが水溜まりが見られるようになった。
むしろこれまでなかったのが不思議な水溜まりだったが、ここの洞床は良く締まった泥であり、水が溜りやすい状況だと感じられた。 問題はこの水がどこから流れ込んだものなのか。
壁から滴っている感じはあまりしない。
今さらながら、不気味だった。



小さな落盤と、それによる崩土の山を、右に左に躱しながら、不思議な上半断面だけの隧道を突き進む。

そろそろ、反対側の、西口の光が見えてもいい距離に差し掛かっていると思い、何度か照明を消して真闇に身を浸してみたが、光はおろか水の滴る音さえ聞こえない世界に怖気が走った。




そして、洞内で2回目の動画を撮影した。

わずか40秒ほどの短い動画だが、最中に大きな展開の変化がある。

注目は、その変化に直面した私の行動だ。
躊躇いがなかった。
プロっぽいようにも見えるが、冷静な判断の結果なのか、事態を受け止める気力の摩耗による無判断なのか、ちょっと分からない感じもする。




9:50 (入洞13分経過) 

というわけで……、ここに来てようやく水没である。

もちろん、待ち望んでいた展開の真逆だったが、少しだけホッとしたような、諦観の境地もあった。
ここまでこれだけ“水の気配”を見せつけられて、さすがに覚悟の決まっていた部分はあったし、
水没が現われるとなれば、もうこれ以上の状況の悪化はないだろうという変な期待もあった気がする。

水没の先には、貫通にせよ、閉塞にせよ、水位上昇による探索不能にせよ、引き返しの決め手があると思った。
それが嬉しかった。 (もうこの隧道から早く出たくて仕方がなかったのである)

動画の中で行動したとおり、私はほとんど躊躇いを見せず、入水した。
一応言っておくと、この日の探索では、初めての濡れであった。
そして、写真の水の色を見れば一目瞭然、この水没は深い。
その深さたるや、これまで洞床を分厚く覆い続けていた泥の層が、水の層に置き換わった感じがあった。

つまり、この水没エリアにある坑道は、入洞後に初めて目にする、本来の断面サイズだった。
下半身の無事と引き換えに、ようやく本来の隧道の大きさを目にすることになったのだ。
実測はしていないが、第一隧道よりも幾分小さな、炭鉱軌道らしい狭隘な隧道だった。



2011年に起きた出来事をはじめ、地表が様々な天変地異に晒される中にあっても、
地下深くに隔絶し、コウモリたちだけが音波で認識し得たに過ぎないこんな地底湖からは、
世界の激動する変化を観測することは出来なかったろう。
おそらく、水の満ち引きと、濁りの程度だけが、この世界の変化である。

青く透き通った水面は、この日久々に掻き乱され、平凡な濁りを見せた。
しかし、変化はそれだけで、何かを語り出すようなことはない。
私が立ち去るのを、ただ黙って待っていた。



もはや、行くところまで行ってしまった感がある、
“魔の沈水隧道”の結末や、いかに……!