飯田線旧線 中部天竜〜大嵐 (第9回)

公開日 2011.1.17
探索日 2009.1.25

【昨日】のやり残しを、今日はやっつけよう。

日暮れのため探索を打ち切ったのは、右の地図で青色のラインで示した区間である。
距離的には大嵐駅から2km弱である。
2kmといえばそれなりの距離に思えるが、実際にはそのほとんどが県道として再利用されており、しかもその大半が「夏焼隧道」の中というシチュエーションだ。
流石に前日のように苦しい探索にはならないと思う。




平成20年1月25日(日) 10:23。
私は探索道具と輪行袋につっこんだ自転車を持って水窪駅のホームに立っていた。
その手には、たった一駅分だけの切符(水窪→大嵐)が。

希望としては、【あれ】【これ】が終わったあとすぐに現地へ移動し、もっと早くからこの探索を始めたかったのだが、日曜日には旧佐久間町旧水窪町一帯のガソリンスタンドが一店も営業していない!という驚きのトラップを食らい、車では現地へ行くことが出来なくなった(なさけない…)。
だから仕方なしに飯田線を利用して移動することにしたのであるが、ろくに走ってねー列車の本数が少ないのでだいぶ待たされてしまったのである。

とはいえ、水窪から大嵐へ行くには鉄道が何よりも便利なのは確かである。
飯田線だとわずか1駅10分(約6km)で済むこの移動が、車だと山越え(大津峠越え)で約18kmの林道走行、もし一般道だけを使うとなると40kmもある(しかもそれは佐久間湖畔の有名な“険”道1号を走るという2時間コースだ…)。
同じ自治体に属する隣の集落への移動手段としては、信じがたいくらい遠い。

ほんとこの辺りの交通事情の弱者ぶりは想像を超えていると思う、失礼だけどマジそう思う。
仮にいつか三遠南信自動車道が開通しても、天竜川沿いの不便はさほど解消されないだろうしな…。
天竜川を挟む水窪〜豊根〜東栄を結ぶ横軸の幹線道路が一本あるといいのに。




10:57

やがて定刻通り列車は現れ、私と荷物を大嵐へ運んでくれた。
駅に着いた私はさっさと自転車を組み立てると、昨晩の道を逆方向にこぎ始める。
足元にある1車線の舗装路は、静岡最凶の県道とも言われる「県道288号大嵐佐久間線」だ。

この道自体が、目的としている廃線跡(旧線跡)なのだが、とりあえず昨日「ここまで」とした所まで行こうと思う。
幸いにして道は緩やかな下り坂が続く。
これならば私の壊れた自転車(【こんなこと】があったので)でも、なんとか自走できる。
ブレーキは前後とも外しているため、制動には足と路面の摩擦ブレーキ以外ないという状態だったが。



続・湖畔の廃隧道 〜難波隧道〜


あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!

おれは自転車に乗って坂道を下っていたと思ったら、いつのまにかリアディレイラーが回転するリムに巻き込まれ、それが根元から切断されていた。

……。


終了。

俺の愛車、終了のお知らせです orz。

昨日あんなに苦しい思いをしながらもなんとか廃道から運び出した愛車は、本日走り始めてからわずか300mの地点で斃れた。
車輪に巻き込まれたディレイラーは、その勢いでチェーンまでも変形させ、完全に自走不可能になってしまった。
そしてこの傷が致命傷となり、第10代ルーキー号は逝った。

…もちろん、捨てて帰るわけにはいかないので…。

今日はこの、下り坂以外は常に押すことしかできない自転車を、残り半日連れて歩くことに…なった。

死んだ花嫁を墓から掘り出して何年も一緒に暮らしていた人が居るが、そんなことを思い出させられた。


いろいろ、つらかったよ。




11:20 《現在地》

しかし!

これで戦意喪失となったわけではない。

むしろ犠牲になったチャリの分までこの道を、最期の道を、味わい尽くさねばならないという、そんな少々キザな考えになった。

長いトンネルをくぐってたどり着いたのは、夏焼のバリケード。
この先は廃道だ。
昨日散々苦しみを味わった廃道だ。
今日もまたこのバリケードを侵す。
まるで廃道に取り憑かれたようだが、今日の目的は昨日とはぜんっぜん違う。




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11:28 《現在地》

どうせ戻ってくる予定なので、チャリは置き去りにして進む。

まだ舗装が残る廃道を300mほど進んだところで、路肩から湖の方を見下ろしてみると…。





灰色の湖面が木立の向こうに見下ろせた。

それらしい物は見えないが、あの湖畔を横切るように旧線は通っていたはずだ。

どこかで必ず下りなければ始まらないので、木が手掛かりになりそうなこの場所から、湖畔へ下降してみることにした。




ょっしゃ!!

なかなか話が早くて良いねぇ!

さっそく発見。

隧道だぜ!!

勿体ぶるような真似はしないらしい。

ただ、ずいぶんと土砂に埋もれているようだ。
ちゃんと反対側に抜けられると良いんだが…。

愛車を失った哀しみも忘れ、目の前の獲物に飛びつく! がぶっ!





うぐぐぐ。

かなり埋もれているが、通れるのか?

貫通の有無はさておき、昨日もたくさん見たような廃隧道の姿である。
シンプルで飾らない、昭和初期の鉄道用コンクリート隧道。
生まれは私鉄の三信鉄道だが、予め国有化を想定して、国鉄準拠の規格で作られた。

そしてこの隧道の名前は…、おそらく「第二難波隧道」と思われる。
当時の『三信鉄道建設概要』によると、この辺りに第一〜第三難波隧道が並んでいた。
このうち、昨夕に南口へと到達するも、洞内閉塞のため北口未確認となっている隧道が「第一難波隧道」であることが判明している。




隧道を背にして、南方向を見る。

足元は隧道に連なる路盤であるはずだが、雪崩のような土砂で全て隠されてしまっている。
この斜面の上には廃道となった県道があるので、県道の建設が路盤を埋めてしまったという推測が成り立つ。

とりあえず、昨日の探索との間の“穴埋め”をしたいので、背中の隧道を後回しにして南へ進んでみた。




こ、これは酷いな…。

路盤がどこだか皆目見当つかない。

それに、ひとつひとつの岩塊が大きな瓦礫の山は、少し足を踏み込んでみて、その危険を実感した。
なんだか全く不安定で、足を乗せるとゴロゴロころがり出すもの多数。
30cm四方もある岩を数個、10m以上も下に見える湖面に落としてしまった。
そして、思わず萎縮するような、嫌すぎる音を響かせてしまった。

今はダムの水が相当に減水しているのでこんなに高い景色だが、水位が上がればここはギリギリ喫水する位置であり、逆に言えばそういうことは数年に一度も無いと思われるわけで、この岩山はカラカラに乾ききっていた。
それゆえこんなに不安定なのだろう。




私が路盤を見失いあたふたしている光景を唯一見守っていたのが、夏焼集落の数戸の家屋。
昨日もなんか、無意識のうちに…こんな目線を送っていた気がする…。
まあ、集落はあっても人影は見えないので、万が一湖に滑落したら助けは出ないだろうな…。

現在は浜松市天竜区水窪奥領家夏焼で、数年前までは水窪町奥領家夏焼といった。
水窪町域で唯一天竜川に面した集落で、町の中心部へのアクセスは、前述したとおり鉄道が頼りである。




ハラハラしながら湖畔の崖をへつり進むと、すぐに小さな“泥の浜”が現れた。

その上には一枚岩が斜めになったような大岩盤。

そこはとても横断できそうにはないので、一旦泥の浜へ下降して進む必要がありそうだ。

って、もう見えてるし!

隧道が見えてるし!!


ということは、あれが昨日断念した「第一難波隧道」の反対側の坑口なのだろうか。
そんな気もするし、なんか違う気もしつつ、とりあえず下降のあと近付く作戦へ。




崩れやすい岩場のため、慎重に足を運んで泥の浜へ下り着く。

昨日もこんな所を散々歩いたことを思い出す。

しかし、今は気持ち的には全然楽だ。
もう一度ゴールしているし、ね。
何より、夕暮れではない日射しが私を勇気づけてくれる。




振り返りざまに見上げてみて、びっくり。

なんと、そこにもまたひとつ坑門が。

私がいま居る場所は、2つの坑門に見下ろされている、小さな泥の浜。


しかし、何となくこのシチュエーションには、見覚えがあるような…。




こ、これは…

あのトンネルの重なり方には、やはり見覚えがあるぞ…。


うん、やはり間違いないな。

ここには昨日、一度来ている。

そこに見えるは「第五白神(しらなみ)隧道」と「下松沢陸橋」だ。

となれば、振り返って…




11:48 《現在地》

ここに見えるは、昨日の最終到達地点。
第一難波隧道」に他なるめぇ。

その洞内は【こんな感じ】で完全に落盤閉塞していたわけだが、それは先ほど通った【この瓦礫の山】に坑門が埋もれているという、そういうことなのだろう。
この後戻りつつ、改めて地上から北口坑門を探してみたが、圧壊してしまったのか完全に埋没しているのか、全く痕跡を見つけることは出来なかった。




11:55

昨日の探索と今日の探索がひとつにつながったので、ここからは新たなエリアに挑戦しよう。

といっても、残りはもうほんのわずか。

目の前の「第二難波隧道」から、「夏焼隧道」までである。