2009/1/24 11:13
第二の崩壊。
廃道区間の実質的な入口となった最初の崩壊よりも、遙かに大規模な崩壊であることが一目で見て取れた。
さきほどのは「落石」の範疇を出ていないが、今度のは「山崩れ」である。
崩れてきた岩混じりの土砂が、道路の全幅を越える厚みをもって遮断している。
しかも、 これが一番重要と思えることだが…。
この崩壊は前のよりも全然古いと思う。
しかも今も崩れ続けていると言う風ではなく、もう崩れ終わって安定し、新たな山腹になろうとしている状況。
その証拠に、杉の若木が斜面の至るところに育っている。
これまで見た中で、「一番古い」崩壊が道を塞いでいる状況。
しかもそこに、朽ちたバリケードが残っている。
この地点で「通行止め」になっていた時期があるのではないか。
この意味は、とても重い。
おそらく、ここがこの道の廃止を決定づけた、最初にして最大の崩壊なのではないかと思う。
かなりの高確率でこの崩壊は一度も復旧がされていないと感じたが、どうだろう。
地元の人が語ったという「忌まわしい廃止談」の根拠となった崩壊は、これではないのか。
私はここにトラックが埋まったままになっているとは思っていないが、土砂崩れの復旧を県が諦めてそのまま廃道になったという事実があったとしたら、ウワサに実に真実みを帯びてくるように思うのだ。
この崩壊は、谷の窪んだところにあるせいか特に薄暗く、言いしれぬ不気味さを醸し出していた。
前述の通り崩壊自体はもう落ち着いていて、歩きならば越えることはそう難しくない(と思う)。
そこに自転車が加わっても、なんとかなる。
しかしとにかく重苦しい崩壊現場。
自分の命の危険というよりも、道の苦しみが私を追いつめる。
何を馬鹿なとお思いかも知れないが、さっきから点々と現れている「朽ちたバリケード」や、「例のウワサ話」なんかが、頭の中でぐるぐる回っている。
私の心が、道に対して過剰な感情移入をしてしまったようだ。
“第二の崩壊現場”というより他、特に表現のしようがない場所。
湖底を通る飯田線の旧線も、今は長い「山室隧道」に潜ったきりで、地上に何ら地名のヒントとなるようなものを与えてはくれていない。
しかし、崩壊地点の中ほどで見上げれば、ご覧の通り。
大きな“空の切れ目”を見せる、立派な谷になっていた。
そして、おそらくは一挙に崩れたのであろう、一様に枯れ草や杉の若木の苗床となりつつある崩壊斜面には、本来の地表に露出していないような、白い岩が大量に散乱している。
そのうちの一番目立つ岩塊(写真右端)などは、乗用車よりも巨大だ。
もしここがさほど役立つ道でなかったとすれば、県がわざわざ多費を掛けて掘り返す気になれなかったとしても頷ける、致命的崩壊現場だ。
(←振り返って撮影)
これが崩壊現場のほぼ全幅。
不思議なのは杉の若木の存在で、これは植林されたのだろうか。
なんか、ほぼ等間隔に植わりすぎている感じを受けた。
「廃道化」することを前提として、斜面を少しでも安定させるために植えたのではないかとも推測できる。
(→)斜面に入り込んだ段階では崩壊の先の道が全く見えなかったのであるが、ようやく路盤を確認できた。
とりあえず無事? なようだ。
あとは仄かな期待として、この道の廃道化を決定づける崩壊現場を過ぎたことによって路面状況が幾分改善し、基本的に乗車して進めるようになることを祈りたい。
11:20 【現在地:第二崩壊 北側】
突破。
またひとつ栄光のゴールに近づいたと同時に、生還への閂をひとつ掛けたことにもなる。
いくら佐久間湖が大きいからって、ダムサイトから大嵐までの流長20kmにわたって渡河施設が一切無いというのはいかがなもんだろうか。
もちろん、沿岸にもう少しでも人口があれば状況は変わっていたに違いないが…、地図の印象よりも、実際には遙かに隔絶された孤立の地である。この左岸廃道の中間付近というのは。
この写真一枚でそれを伝えようとするのは無理があるのかも知れないが、「諸悪の根源」と目された“第二の崩壊”を過ぎても、路面の状況はさほど改善されなかった。
否。
少しも改善された様子はなかった。
相変わらず乗車不可能な、瓦礫渡りと倒木越えのアルバイトが続いた。
第二の崩壊から、小さな尾根をひとつ越えたあたり。
ここも当初から崩壊の心配された悪辣地形であるらしく、今まで見た中では最大の土留め工が威を利かせていた。
しかし、今のところここは綺麗だ。
近代土木を打ち崩すほどの崩壊には見舞われていない。
しかしながら、とばっちりを受ける形で廃道である事実に変わりなく、久しぶりに乗車が可能なほど綺麗な路盤にも、若い雑木がすくすくと育ちつつあった。
古き道の、弱き守り手たち。
そんな言葉が脳裏に浮かんだ光景。
本来の路面が見えないほどに落ち葉と小さな瓦礫を戴いた路盤。
その切り立った路肩に佇むのは、県名を晒す7本の旧式デリニエーターだ。
彼らのその華奢な体では、自転車くらいならばいざ知らず、自動車の逸走を防ぐべくもない。
それは設置者とて分かっていただろうが、それでもこれしか立てられるものはなかった。
この道にあてがわれた予算の限界(≒期待のされて無さ)を感じてしまう光景だ。
余分だったのか、捨て置かれたままのデリニ君2本が涙を誘った。
11:29
第二の崩壊からここまでの出来事は、せいぜい500mほどの間に凝縮されている。
地図上からは窺い知れなかった、濃密な廃道が続いている。
で、
またなんか出てきた。
…百人乗っても大丈夫って奴?
うん。
これはやはり間違いなく「物置き」のようだ。
しかし、なぜ道路上に物置が?
小屋ではダメなのか?
これはマジで「百人乗っても大丈夫」そうな、頑丈そうな物置きであった。
家庭用物置のようなプレハブではなく、コンテナのような鉄製である。
さらに、開いている錠前も頑丈で、そこに書かれている「御推奨」が凄いお歴々だ。
御推奨・通商産業省・食糧庁・日本産業火薬会・全防連
納入 全 農 ・ 全集連 ・ 日通商事
いままでこういうのをマジマジと見たことがなかったが…。
しかも、平成初年代に名前が変わったりして、今は無くなった組織名が多い。
いつ設置されたかはさすがに分からないが、道路が現役だった当時からあったのか。
物置の少し先。
再びの小さな谷地だ。
今度は落石防止柵はなく、路肩側には長々と駒止によって守られた石垣が続いている。
やはり落石を防ぐ手だてを持たなければこうなるのだろうが、第一第二の崩壊に次ぐ規模で、路上を土砂が塞いでいる。
当然、乗り越えて進まねばならない。
特に問題となる場所ではないはずだった。
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11:31 【現在地:第三の崩壊現場】
崩れてからだいぶ経っているらしい、枯れ枝混じりの崩壊現場。
チャリを担いで3、4歩でその天辺へ立つ。
あとは同じくらいの歩数を下るだけ。
第三の崩壊と私の関係は僅かそれだけで終わるはずだったが、天辺からの見通し思いのほか良かったため、思い直して立ち止まり、そこから写真を撮っていた。
そうして得られた1枚目が、この写真(→)。
そして、同じ場所から撮影した2枚目が…。(↓)
チャリが…!
崖下に、チャリが…!
やってしまった。
チャリで山道を走るようになって20年以上経つが、ミスでこれほどチャリを墜としてしまったのは初めてだ。
ホントやってしまった。
カメラで撮影するあいだ、谷側にあったチャリを私の体に立て掛けておいたのだったが、自分の足元のことならばいざ知らず、チャリの前輪が乗っている岩が動くことを予期できなかった。
腰にあったフレームの感触がふと緩んだ次の瞬間、チャリは無人のまま路肩へ自走し、感心するほど上手に前輪から飛んだ。
そして約5mほど下の岩場に前輪から着地すると、前のめりにつんのめって後輪が前輪を追い越し、左前方へ跳ねた。
2度目のジャンプは非常に不格好で、思わず目を覆いたくなった。(それは、致命的なダメージを予感させた)
2〜3m下に再び着地したときは既に転倒しており、あとは斜面の摩擦力とチャリが得た慣性力および重力との勝負だった。
私はハッとした表情のまま見つめているより無かったが、幸いにしてチャリは湖水に至る最後の絶壁には届かず、その少し手前のお椀状に凹んだ谷底で止まった。
落ちたのが生きた仲間なら、すぐにでも駆け寄っただろう。
しかし、相棒は相棒でも、道具のチャリだ。
私はすぐに駆け寄る気にはなれなかった。
薄情だと言われるかも知れないが、私は自らの保身を第一に考えたことを告白する。
つまり、間違いなく平静ではない“すぐ”の心境で、この瓦礫の斜面を下ることの危険を恐れた。
チャリは幸いそこで止まったが、どう見ても入りたくなどない瓦礫の崖だ。
間違えれば湖水へ直行しかねない。
私は直立したまま、体の向きだけを変えて四方の写真を撮影した。
特に、墜落したままぴくりとも動かない相棒の体は、ズームを使ったりして繰り返し写した。
オイシイ場面だとはさすがに思わなかった。
これでチャリを無事に引き揚げられなければ、「オブローダーとしての最大の屈辱」に塗れることになるのだと恐れた。
以後ここを訪れる同胞達に、「ヨッキが墜としたまま回収できなかったチャリだ」と嘲られる場面が、怖かった。
自分のしょうもないプライドが情けなかったが、無視できるはずはなかった。
果たして私は、相棒を救出できるのか。
冷静になるにつれて、
2度目のジャンプのあの嫌らしい跳ね方が何度もフラッシュバックして、心臓の鼓動が激しくなってきた。
もうっ 我慢できない…!
安否と救出の可否を確かめに、下ることにしよう。
少し北側に巻いて路肩の石垣をかわし、それから大きな瓦礫が石段のように積み上がったおおよそ45度の斜面を一歩一歩下った。
やはりというか、人が踏むことのない瓦礫の山は安定性が無く、ゴロリと動く岩があった。
焦って飛び込んでこなかったのは正解だと思った。
チャリはあと5mほど下に止まっていた。
次第にその姿が大きくなってくるが、今のところ目立った破損箇所は無いように見えた。
多分、走れないほどに壊れてはいないだろうという予感があった。
それよりも心配なのは、この瓦礫の斜面をチャリを伴ったままよじ登れるかだった。
ロープを持ってくるべきだったと悔いた。
着いた。
墜落からは、4分が経過していた。
やはり、目立った外傷は無さそうだ。
が、
後輪は外れていた。
外れた車輪は、すぐに正しい位置にセットした。
一番故障を不安視していたディレイラー部も、外見的には壊れている様子はない。
よしよし。 チャリはどうやら無事だったようだ。
あとは…
よじ登るだけだ。
大嵐駅起点まで… 停滞中
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