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廃線レポート 祖谷川三縄堰堤軌道(仮称) 第3回

公開日 2026.04.12
探索日 2026.03.16
所在地 徳島県三好市

 改めて上流方向へ、軌道跡探索のスタートだ!


2026/3/16 11:16 《現在地》 

下流側終点から、軌道跡と最初に遭遇した地点まで、約150m戻ってきた。
写真中央のザックの場所が軌道跡と道路の交差点で、今度は道路を突っ切って、上流方向へ軌道跡を進む。

引き続き、全く情報のない軌道跡である。果たして何が待ち受けているだろうか。
ぶっちゃけ、最初にとても珍しい遺構を発見できたことで、この時点でかなり満足していたが…。



なんだこりゃww

軌道跡の入口に、その全幅をちょうど塞ぎきるサイズの大きな岩が、ドスンと置かれていた。
偶然にしては、塞ぐという目的に特化しすぎているように見えるし、こんな大きな岩がポツンと一つだけあるのも不自然だ。
が、道を塞ぐ目的で、こんな大きな岩を動かしたというのも、不自然と言えば不自然。

とりあえず、この岩で塞がれているという実態だけを報告しつつ、背景不明のまま、進入。



11:19

50mほど進むと、軌道跡はまたしてもスギ植林地に飲まれた。
例によって、道としては廃道状態で、踏み跡などはないのだが、写真の右端に写っているように、道に沿って点々と赤ペンキや赤プラスチックの見出標が設置されており、おそらくは現在でも国土調査の対象になっていることが窺えた。

(国土調査は地籍調査であり、ときには明治期などの古い公図に基づいて土地の区画や利用状況を記録・測量する仕事となるため、実態が廃道である道へ立ち入ることが最も多い行政の仕事である。そのため、私が廃道探索中最も頻繁に見る先行者の痕跡は“彼ら”によるものである。ただ、実際に現場で遭遇したことが一度もないから、本当に人間の姿で実在しているの者なのか、ずっと不思議に思っているが…)

――そんな仄かな先行者の気配を感じながら、鬱蒼としたスギ林へ分け入って行くこと、わずか1分後――



11:20

えっ マジ?!

橋が、見えてきた……?!



11:21 《現在地》

マジだった!

絵に描いたような、ナローゲージ鉄道用のコンクリートガーダーが架かっておる!

個人的な好みで言えば、木橋>プレートガーダー>コンクリートガーダーなので、その中では最弱だが、橋の種類でえり好みをするなんてのはもって贅沢な話であり、基本的に架かったままの橋が残っているだけで、そうではない橋跡の100倍は好ましい。

つまり……



超絶嬉しい!

しかし、この状況で突然この規模のコンクリート橋が現れたのは、完全の意表を突いてくる予想外だった。
地形を見ても、ここは支流を渡るような場面ではないし、全く目立たない場面である。
それなのに、川岸の凹んだような所に、さりげなくこの規模の橋が架かっている。

橋としての規模は、3径間で、全長20mほど。高さは中央部で7〜8mと目測した。
周りが鬱蒼としたスギ林で、川からもやや離れているので、対岸を走る県道からだと、季節を問わず全く見えない。
まさに、想定外の“お宝出現”であった!

久々に、かつて鍛え上げた渡橋術を披露する場面となったが、昨今めっきり機会が少なく、トレーニングも怠っているから、衰えが著しい。
とはいえ、この程度の“平均台”なら、流石に心配には及ばない。
スタスタを渡って、対岸へ(迂回も簡単そうだった)。



11:23

振り返る橋の全景。

桁の上面に枕木を固定していたであろう鉄筋の突起が沢山突出しており、明らかに鉄道橋として使われていた形跡がある。
橋脚を支える部分に石垣が使われているほかは、全て鉄筋コンクリート造りのようだ。
苔生していて古びてはいるが、煉瓦のような特別古そうな素材は使っていないので、建設時期の想定が難しい。
鉄筋の断面が、現在使われる異形ではなく、古い丸型なので、戦前のものだとは思うが。

文献によれば、この軌道の開設は大正元年頃で、廃止時期ははっきりしないが、昭和34年以前と考えられる。
構造物の外見から受ける印象もこれと矛盾しないが、当初木橋であったものを後年に架け替えたような想像はしている。

まだこの軌道跡を500mも歩いていないが、早くも現存橋が現れるという大番狂わせの好展開!
これはいよいよ本当に、“お宝廃線跡”を、掘り出した?!



コンクリート橋を渡り終えると、軌道跡の上下に沢山の石垣が同時に現れた。
狭い軌道跡の中央に、一際太いスギがそそり立っていて、廃止からの年月の経過を物語っていた。
やはり廃止からは50年どころではない時間が経過していそうだ。
しかも、その間ずっと道ならざるものとして過ごしてきた感がある。



11:26

周囲の石垣は、路盤の路肩と法面だけでなく、上方斜面の相当範囲に亘って段々に築設されていた。
廃村跡や、段々畑の跡にしては、いささか急峻に過ぎるので、古い治山工事の現場だろうか。
石垣の古びた感じも、軌道が敷かれていた年代と一致するような印象だ。



路盤から見下ろした祖谷川の底の様子。
現在のところ、水面との高低差は15mくらいだろうか。

三縄堰堤が建設される以前は、平水時も水量は多かったのだろう。
かつての水勢を物語るように、河床にはオブジェのような巨石が乱舞している。
現在の水量は見る影もないが、それでも淀んだ感じがしないのは、頻繁に取水量を超える増水があって、その都度川の役割を果たしているからだろう。



11:33 《現在地》

入口(今回冒頭の地点)から400mほど進むと、急に川岸の地形が絞られて、路盤は岩場へ突入していく。

この変化は、この道を描いていない地理院地図にも、川縁に200mほども続く崖記号の列として表現されており、どうやら軌道跡は最初の難所と呼ぶべき地形へ差し掛かったようであった。
まず、この時点で既に高巻きが困難な地形を見せられているが、このまま軌道跡を正面突破が出来るか、要注目である。



11:36

国土調査員が残した目印は、まだ路盤上に続いている。
私も負けじと先を競う。
川側もだいぶ切り立つようになってきて、逃げ場がなくなったところで、小さな橋の跡が現れた。
木橋だったようで、桁は完全に喪失していたが、空積みされた石垣の橋台が綺麗に残されていた。

簡単にここをパスして、前進継続。
最初の難所と目される崖記号連続地帯も、そろそろ中間越えかと、そんなことを考えながら歩いて行くと。




11:35

えっ マジ?!

隧道“も”、見えてきた……?!?!




11:36 

マジだった〜!!!

旧地形図にも描かれてなかった、正真正銘の初登場隧道?!

ってか本当に隧道でいいの?

左にも道あるけど、そっちは何?! まさかの旧線跡とか?!!




とりあえず、穴は貫通してるみたいだし〜〜……。

これはマジで、隧道発見か?!






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