2014/9/14 7:18 《現在地》
朝露に濡れた草むらを突破してきた我々は、この時点でもう下半身びしょびしょ。
しかし、遮るものの無い湖底世界の爽快感は、そんな身体の不快を忘れさせるほど、我々を興奮させた。
ここで私がまず一発目の雄叫びをあげる。
見渡す限りの世界には、我々しか居ない。
手を伸ばせば届きそうなほどの低空を、真綿のような白い雲が流れていた。
「気持の良い湖底」というのもなんか変な感じだが、暗く冷たい水中から解放され、おいしい酸素と直射日光に触れる喜びを思い出した、そんな大地の喜びを想像した。
下ってきた湖岸の斜面を振り返る。
そこには北上線や峠山林道があるのだが、緑に遮られて見えない。
斜面は日常に潜む非現実と現実世界を隔てる、グリーンベルトである。
この斜面の緑は手前から3つの色に塗り分けられているが、淡い草色の所が「最低水位」(海抜215m)。
濃い草色と森の境界線が「平常時最高貯水位」(海抜236.5m)である。
あの上まで水位が上がるとき、頭の上には25mの水かさが存在することになる。それは1平方メートルあたりに25トンの水圧を与える、脅威の破壊者だ。
これから我々が目にするものは、すべてこの破壊者の恒常的な暴力に耐えたものである。
最初は僅かに盛り上がって見える路盤跡を歩いて駅へ向かうつもりだったが、実際にはそれはかなり大変であることが分かった。
10年前の11月に探索した時に較べれば、まだこの辺りの湖底は干上がってから時間があまり経過していないらしく、泥のぬかるみ方が半端無かったのである。
不用意に突入すると、細田氏のようにケツを汚す羽目になるのは目に見えているし、それで済まない…
笑えない事故もあり得る――。
どうやれば泥濘地獄を回避して「ホームに立てる」かをしばし考えた結果、湖岸とホームが最も接近している辺りまでは、泥溜まりの路盤ではなく、小石が敷かれた湖岸寄りの緩斜面を歩く事にした。
駅を目指して、泥海の縁を前進中。
微妙な土地の起伏が、強烈な朝日の照り返しの前に白い陰影となって現れていた。
白い部分は光を良く反射している、すなわち水気の多い部分。
我々は、出来るだけそうでない場所を選んで歩く必要があった。
ワクワクが止まらねぇ…!
10年ぶりにあの駅が、近付いてきた!!
近くに寄れば寄るほど、その大きさと広がりに目を見開かされる。
個人的な印象だが、このくらい大きいものが「駅」という言葉のイメージに相応しいと思う。
ここは山中で昔から人口の希薄な場所に違いはなかったが、周辺に栄えた鉱山がいくつもあったことや、
短期間とはいえ鉄道の終点であったことなどから、今日のローカル線の田舎駅の慎ましい姿とは異なる、
本格的な駅の体裁を整えていたのであった。 それは、公共施設を含めほとんどが木造であったがゆえ、
取り壊しによってほぼ跡形も無くなってしまった集落になり替わり、大荒沢を代表する遺構となっている。
最初に湖底に下り立った地点から300mほど下流へ進み、いよいよ駅のホームの西端が、湖岸から正面に見える位置まで来た。
湖岸線と駅のホームはほぼ平行しているので、その間隔はホームの西側、中ほど、東側のどこでも大体一緒である。そしてどこかで踏み出さなければ、ホームに立つことは不可能だ。
だが、西端付近の湖底は水捌けが悪いようで、ここを横断してホームへ辿りつくことは難しかった。
カンジキのような対泥沼の特殊装備でもあれば別だが、長靴という平凡な装備ではとても太刀打ち出来ない泥の柔らかさと深さだった。
間近に見えるホームに辿りつけないもどかしさに身悶えしながら、なおも湖岸を東へ歩く。
7:35 《現在地》
ホーム中央付近の横まで来た。
…といえば近そうだが、だいたいホームは300mくらいもあるので、結構歩いている。
このまま歩いていても埒があかないという焦りを感じていたが、ここで湖岸とホームを隔てる湖底の様子に変化が現れた。
上の写真と右の写真で、泥の変化が分かるだろうか。
ここではまるで干魃にあった田んぼのように、泥の表面がひび割れているのである。
ひび割れは、水気がそれだけ失われている証拠であり、ぬかるみにくいに違いないのである。
これはもちろん今回に限った事ではなく、オブローダーの知識として役立つものだ。
「泥はひび割れていたらイケる」。
そしてここで、これから向かおうというホームを見つめながら、
鉄道愛の塊のようなミリンダ細田氏が、
私の度肝を抜く、
トンデモナイ発言(発見?)をした!!
↓↓↓
ミ 「アレ、改札じゃ…。」
ヨ 「!!!」
10年前の写真を見直してみたが、確かにあれは写っていた。だが、10年前の探索でこのことに気付いた人はいなかったように記憶している。
気づいてたら、無理してでも行ったでしょ。あそこまで!
これまた個人的な思いだが、私の中で駅といえば改札が一番のコア(核)。改札こそ駅と利用者を結ぶ象徴であるようにカンジながら、日々駅を利用している私がいる。
そんな私の前に、改札かもしれない木造柵が、一つだけホームに突っ立っていたのである! このことに運命を感じずにおれようか。
半世紀近くも前に水没した駅の木造の改札(こういうのだ→google画像検索)が、建物はまるで無くなってしまっているのに、それだけが残っているとか……!! そんなことって……
あり得るの?
出来すぎでないか?
ちなみに、今回「改札」を疑っている木造物の背後に写る“2本の枯木”には2年前の机上レポ(ミニレポ170)の時点で気付き、それは駅前広場の入り口に植えられた(おそらくは桜の)木ではないかという考察をしていた。
この2本の木の位置(駅の正面口)と、「改札」らしき木造物との位置関係にも、極めて符合するものがあった。
お待たせしました!
次回、いよいよ忘れられた鉄道駅を大探検!
果たして、“改札”の正体は?!
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