※このレポートは、「廃線レポート 千頭森林鉄道 千頭堰堤〜大樽沢」の続きになります。
※千頭森林鉄道全体については、【こちら】にまとめています(執筆途中)。
[千頭営林署林道系統図] …千頭営林署資料(昭和30年代初頭のものと思われる)に「逆河内支線」を書き加えて、本稿紹介区間を黄着色
逆河内
読みは、サカサコウチ
なんでこんな名前なんだ?
どうしても「真っ逆さま」というという言葉を連想してしまって、良い印象がないんだが。
それにここは、一部で有名な“あの橋”のある谷だろ…。
ともかく、この逆河内は寸又川最大の支流であり、河内には谷という意味があるせいで、地図でも「〜川」とか「〜沢」は付いていない。そのまま逆河内という。
そしてこの逆河内に沿って、千頭森林鉄道の支線が存在した。そのまま、逆河内支線である。
本線との分岐地点は大樽沢(おおたるさわ)だが、ここからして既に最奥集落の大間(寸又峡温泉)から軌道跡を14.1kmもさかのぼった地点である。この探索の模様は、「廃線レポート千頭森鉄 千頭堰堤〜大樽沢」をご覧頂きたい。
逆河内支線について、「東京営林局百年史」は次のように書いている。
逆河内支線の新設が大樽を起点として、昭和35年度から始まり、(昭和35年度、1564m 昭和36年度、1070m 昭和37年度、1156m)昭和37年度までに3790mを完成させた。
千頭山における森林鉄道の建設は、この逆河内線の昭和37年度をもって、全て終わりをつげたのである。「東京営林局百年史」より
この最後の一文にあるとおり、千頭森林鉄道はこの逆河内支線の新設が最後で、昭和43年度をもって全線が廃止されている。
(ちなみに東京営林局全体で見ても、これが最後の新線建設だった)
したがって、開設から廃止まで10年にも満たないという極めて短命な路線であったが、
建設の構想自体は相当に早くからあったようだ。
昭和12年に「土木10ヶ年計画」が立てられた。これによると、昭和15年度より昭和18年度の4年間に千頭本谷軌道を16km延長して柴沢の出合まで延長する。
昭和19年度から3ヶ年で逆河内軌道を12kmアケ河内の出合まで開設しようとするものであった。(略)
逆河内線の方は、昭和35年になってようやく手がつけられた。「千頭だより 昭和45年2月5日号収録 『千頭山の開発をどうすすめるか(その四)』」より
おそらく戦争の激化などがあり、着手出来ないまま時間が経過したのだろう。
そして、昭和35年頃から改めて建設をはじめたものの、既に森林軌道の時代は終わりつつあり、林野庁の方針としても早期に林鉄を車道化すべしと言うことが明確にされていたので、東京営林局も昭和37年に管内各営林署にあてて、林鉄を段階的に廃止する旨を通達している。
このようなことがあり、わずか3.8kmを建設したところで逆河内線の延伸は終了したと考えられる。
結局この逆河内の開発という使命は、昭和40年代に建設された日向林道が受け継ぎ、当初の計画通り、源流のアケ河内付近にまで伸ばされた。
地図上で寸又左岸林道を千頭林鉄本線に、日向林道を逆河内支線に置き換えてみるとぴったり当てはまる事からも、以上の経緯が確認される。
というわけであるから、逆河内支線攻略の第一到達目標は、日向林道との合流地点である。
そこには最新の地形図でも隧道の記号があって大変気になるし、何よりそこまで辿り着ければ、ようやく現役林道という“生”あるものに辿り着ける。
この長く厳しい林鉄探索も、やっと人心地が付けるはずだった。 (←変なフラグ立てんなよ…)