2010/5/4(火) 9:51
出発から5時間15分という長い時間を要して、いまようやく辿り着いた軌道跡であるが、ここはまだ前回探索した範囲内である。
前回の最終到達地点は、千頭起点から27.6km地点にある大樽沢停車場の宿舎(らしき廃屋)から、約100m先にある廃トラス橋を渡った地点だ。現在地からは1.5kmほど先だ。
本日はその先へ進み、大根沢を目指す。
大根沢はかつて大根沢事業所があり、千頭国有林における奥地開発の一大拠点となっていたところである。
山中泊を決行するにも、きっと居心地が良い場所だろうと期待している。
この大根沢までは、現在地から約7.5kmある。そしてその途中には、ゥ之沢と小根沢という停車場もあったようだ。
軌道跡の歩行を開始すると、それから100m足らずで壊れた堰(湯山発電所土砂留堰堤)があり、直後に写真の建物をくぐる。これらは中部電力の(たぶん現役)施設である。
2週間ぶりの私にとっては、懐かしいというよりは、また来たよという愛着と、果たして自分は目標を達成出来るのだろうかという緊張、この二つの気分が同じくらい強かったように思う。
だが、はじめ氏にとっては、私よりも遙かに鮮烈な印象であったのかも知れない。私にこの探索話を振られた時から焦がれた場所に上陸した悦び、徒行という自身の得意ジャンルに入った安堵、それらの心の夜明けを迎えていた。
…そうであって欲しいと私は思った。
そんなことを願ってしまうくらい、私は不安を感じていたのだ。
普段のひょうきんさを忘れさせるほど口数が少なく、しかもときおり足を庇う仕草を見せながら、何かの思案を続けるように歩く、はじめ氏のことを。
10:06
軌道跡を歩き始めて15分。盆と正月…ではなくて、私にとってはそれらよりも嬉しい橋とトンネルが、同時に現れる“黄金セット”に到達した。
まずは橋。踏み板と手すりがあるおかげで労せず渡ることが出来るが、見れば見るほど味わい深いいぶし銀のPG(プレートガーダー)だ。
そしてその橋端は、枕木やキロポストなどが置き去りにされた林鉄臭の濃密すぎる小空間であり、一方は本日初となる林鉄隧道に繋がっている。
このコンボは、満たされる!!
はじめさんも、やっと嬉しそうだった。来たゾ来たゾ。これが、この濃密さこそが、私の知る、知りたい、千頭林鉄の真骨頂なのだ。
そしてこの勢いは、少なくとも私が知る限りの区間において、全く留まるところを知らないのだ。
“疲れは遺構が癒やしてくれる”とは、いつから口にしているかをまるで思い出せないが、探索中、辛いときにこそ感じられる真実だと思っている。
我々は、癒やしてくれる林鉄遺物に囲まれながら、ここでも5分少々休憩を取った。
10:14 《現在地》
休憩後、隧道をくぐるとまもなく、この写真の人工物がある。
こいつは「天地測水所」という中部電力の施設で、前回も紹介しているので詳細は省くが、我々にとって重要なのは、軌道跡が現在も道として利用されているのはここまでだということ。
先ほど渡った綺麗な吊り橋や、親切にも踏み板や手すりが追加された林鉄橋は、全てこの施設を終点とする中部電力の管理歩道としてのみ、整備されているとみられる。
林業が既に行われなくなった千頭国有林内においては、林道が維持される理由が乏しくなっている。
さらに古い軌道跡ともなれば尚のことであるが、それがなされた唯一の理由は電力会社の施設の存在なのであって、…いわゆる“手ほどき”は、ここまでだ。
今回の私にとっての本番は、もう少し先からだが、
軌道跡としての本番は、一足早くここから始まる。
10:20
私の言う“変化”は、それはもうてきめんに現れた。
なんだかんだ言って、ここを通行するのはまだ“たった”2回目(前回の帰路はここを通っていない)であるから、初めてでないといっても、そう安心出来るほど全てを把握しているわけではない。
むしろ、覚えているつもりが案外と忘れていて、目の前に現れたこの崩壊にギョッとしたのは秘密だ。
…そういえば、こんなのあったな。
確かここは、かつて路肩だったコンクリート擁壁の縁を歩くのが“解法”だったはず。怖いけれども、前はそれで無事に越えている。
今回も同じルートで進む。(なお、縁を渡っている最中よりも、手前のこんもりとなった土山から狭い縁に降りるところが、一番怖くて危険)
あー…、自分が渡るより、人が渡ってるのを見る方が怖いッ!
でも怖いだけ、問題は起きていない。
10:27
その後、逆河内支線が左の山側上手を並走するようになり、何百メートルもかけて両者は徐々に距離を縮め、最後は合流する。
この合流地点こそ、千頭林鉄の重要な拠点の一つだった大樽沢停車場であるが、ちょうど合流前後の20mほどが大規模に決潰していて…、おそらく前回と今回とで2度歩く軌道区間内では最大の難所になっている。
が、ここは危なげく通過する。
私だけでなく、はじめ氏も全く危なげがない。
さすがは慣れている。
歩行を開始し、さらに険しさも加わってきたことで、徐々にではあるが(普通とは逆の反応だろうが)、はじめ氏の顔に本来の生気が蘇ってきている気がする。
「奥秩父」を呼び合った仲(彼のサイト「森のむこうのかくれ道」が行方不明になってしまったせいで、ちょっと意味が分からないと思うが…。本人曰く、サイトは遠からず復活予定だそうなので期待しましょう)として、そうでなくっちゃと頼もしく思った。どうやら、杞憂に終わりそうだ。
10:31 《現在地》
森の向こうの、のび太君ハウス。
祝!到着!
大樽沢宿舎(が正式名称かは不明だが)に、無事到着した。
自転車デポ地点からは、途中一回休憩したにもかかわらず、45分弱で着いた。
ここまで来れば、今度こそ、初探索エリアは目と鼻の先である。
ただ、今回はほとんど探索的な寄り道をせず、直行に近い形で来たのにもかかわらず、大間出発からこの宿舎に到達するまでに要した時間は、前回忠実に軌道跡を辿って来たときより余計に架かっていたのは、痛いところだ。前回は5時間半、今回は6時間を要している。もう1〜2時間は早く着けると思っていた。
もっとも、前回は千頭堰堤附近に停めていた自転車を、今回は大樽沢の手前まで連れてこられた意義は、帰路&無想吊橋への寄り道(3日目の行程)に大きな意味を持ってくる。長い目で見れば、決して無駄ではない頑張りだったはずだ。
せっかく来たので、少しだけ宿舎に寄っていこう。
ヘッドライトを点けて、路盤と同じ高さに有る3階部分から、薄暗い屋内へ。
玄関先にあるこの壁の文字やモールス符にも、もちろん見覚えがある。
手回しハンドル式の黒い電話機が下に落ちおり、これらを組み合わせれば、自ずと、林鉄時代に閉塞の連絡などを行った名残と考えることが出来た。
(後日、まさに想像したとおりの使われ方をしていた可能性が高いことが判明した。→大井川鉄道の磁石式電話)
「エンテイ」(千頭堰堤か)、「大樽」(=現在地)、「大根沢」と、事も無げに3つ並んだ壁書の地名のうち、前2つは前回征服したが、最後の大根沢だけは野営準備のない状況において、どうしても諦めなければならない存在だった。
そのことが、心残りであった。
記録で大根沢まで軌道があったのだと知るよりも、このようなナマの証拠を見せられるのは、とても強い…煽り…であった。「お前にここまで来れるのか」と、名指しで挑発を受けた気がした。
…壁を前に、そんな遺恨を思いだしていると、何やら足元の真っ暗なところから、落葉が踏まれるような気色悪い音が聞こえてきた。
ハクビシン、お前かよ!w
(「山行が」では、伝統的に「隧道ぬこ」と呼ばれてきた、ジャコウヌコ科のかわいいニャンコンだ。)
外敵となるような大型の動物が入って来なさそうなこの廃屋は、彼にはきっと居心地が良いのだろう。
いつ見ても、人に見つけられたときに見せる彼らの臆病さに充ちた動きには、保護欲を駆りたてられてしまう。
私は決してそれをしないが、もし私がその気になれば、むんずと捕まえられてしまうのではないだろうか。
この後、一通り各部屋を巡回してから外へ戻った。そして、ちょうど用足しを終えたはじめ氏と合流。
結局20分ほど滞在してから、この“大樽沢一郎”出会いの地に、別れを告げた。
ここを出れば、すぐに難関だ――
10:55
大樽沢橋梁(仮称)、再登場!
既知と未知とを隔てるこの偉大な境界線を、リスクごと踏み越えねばならない。
私だって、この橋を余裕だなどとは口が裂けても言えない。
前回、ここを渡ってから引き返すと決めてから、意地になって一往復してみせたが、綽々(しゃくしゃく)と渡ったなんてことはない。
しかも実を言えば、引き返すことが前提であったから、背負いの荷物を全て降ろして身軽の状態で挑んでいたことも告白する。
だが今回は、パンパンに詰まった60リットルのザックを負ったまま渡る必要がある。
しかし、ここで逡巡を見せていたら、はじめ氏に余計な不安を与えてしまうだろう。
大丈夫だ。渡れる橋だと証明済みだ。
こんなものは精神論だと嘲られるかもしれないが、重要なことだと私は思う。
私自身、かつて仲間のHAMAMI氏が自信を持って行う渡橋を見て、やっとこうした廃橋に踏み出す勇気を手に出来た人間である。
そして、慣れは重要だ。「北アルプス表銀座逆走をテント泊装備で行ける」程度の高い踏破力を持ったはじめ氏であっても、慣れない廃橋を渡ることには、今一度精神の飛躍が必要なはずだ。
そして、その飛躍を与えるシンプルな方法が、目の前で経験者の仲間が安全に渡ってみせるということだった。
私は自身の中の臆病を抑えつけて、すぐさま渡橋姿勢に入った。
そしてまめに振り返りながら、口を出しすぎない程度に、はじめ氏の動きを見守ることにした。
本橋の迂回は(不可能ではないだろうが)確実に面倒であるうえ、腰まで水に浸かって渡渉することになる。いずれ渡渉を行う覚悟はあるが、濡れれば疲労は蓄積しやすくなるので、そのタイミングをできるだけ遅くしたい意図もあった。また、この先にも同様の廃橋が現れる可能性の高いことも思えば、既に渡れることが証明されている本橋を避けるのは、タメにならないとも考えた。
はじめ氏も、迷わず橋に取り付いた。
極端な高所恐怖症で足がすくんだり、気絶したりするのでもない限り、この橋は恐ろしく頑丈で、常に三点支持以上の安定した姿勢で渡れる安全なもの。ただ怖いだけの存在でしかない。多分、迂回する方が危険だ。
はじめさんの渡橋姿勢は不格好に見えるかも知れないが、私の渡橋姿勢と同じものだ。
これはとても安全であるのだが、背中に重い荷物を背負っていると、谷側に引っ張られる怖さがある。
そのため、最初は荷無しの方が安心して渡れると助言し、私が二往復して彼の荷を運んだ。
2人が渡り終えるのに、約20分を要したが、
前回最終到達地点に、再到達!
ようやく、ようやく、
スタートラインに到達したんだな、俺たち…。
橋頭でまた10分休む。そして、前を向く。
11:31 《現在地》
前回は、踏み出せるのに踏み出さない決断を下さざるを得なかったこの路盤に、
祝すべき第一歩を刻む。
出発からこの垂涎の状況を手にするまで、実に 6時間45分を要した。
いくら3日間という、私の林鉄探索としては前例のない長時間を用意したといっても、
初日の行動可能時間は既に半分以上失われた。この先、少しペースを上げないと、
今晩を大根沢で過ごすことは出来ないかも知れない。とまれ、臨機応変に行こうと思う。
力が及ばないなら、それを受け入れるしかない。今この地に墓標を立てる気はない。
振り返ると、またちょっとトボトボしはじめているはじめさん。
何とか元気を取り戻して欲しいよ……。
あっ!
はじめさん、大変だっ!!
↓↓↓
11:34 《現在地》
廃橋(もちろん新発見)
キターー!!
あっはっはっはっは!! まだ3分、100m足らずだぞ!
それでもう新たな橋が出てくるとか、話しが早すぎる!!
さすがは千頭林鉄! 退屈を全く与えぬ希有なる林鉄だ!!
寸又川を渡る巨大なトラス橋から、ほんの100mばかり新探索区間へ入ったところで、待ってましたと言わんばかりに現れた、小規模なPG橋。
小規模とは言っても、現存する林鉄橋として見れば、全然上等な部類である。
支流というほどの流れを持たない、本流左岸の崖壁に穿たれた岩欠のような部分を一跨ぎにする、径間10m程度の単径間PGだ。
本橋の桁には製造銘板が見あたらなかった(か見逃した)が、ここへ来る途中で通過した【昭和30(1955)年製造の銘板付きPG】と同年代に、それまでの木橋をリプレースしたものとみられる。旧橋の橋脚台が残っていた。
また、トラス橋に続いて、本橋にも枕木とレールが存置されていた。おそらく廃線後も歩行通路として利用するために残したのだろうが、枕木の腐朽が進み、今は平均台のように桁材を渡るしかなくなっている。その橋上には、ピンポイントに落ちてきたわけでも無かろうに、一抱え以上もある巨大な落石が見事に乗っかっていて、レールがかなり歪んでいた。
迂回困難な地形だし、橋自体も頑丈であるから、スタスタ渡って進んだ。
新探索区間に入ってすぐこれとか、本当に幸先良い。ヤバイ!楽しすぎる!!
思えばこの橋、千頭林鉄の本線では初めて目にする、架かったままのPG廃橋だと思う。
2週間前、起点の沢間から大間と千頭堰堤を経て、大樽沢まで来た探索の中でも、車道や歩道に転用されていたPG橋は沢山見たが、最初に遭遇した架かったままの廃橋らしい廃橋が、先ほどのトラス橋だった。
本橋はそれに続き、2本目の純然たる廃橋だ。
(ちなみに、大間川支線や逆河内支線では、既にこうした廃PGを見たり渡ったりしていた、特に大間川支線は廃PGの宝庫であった)
11:38
橋を渡り2分ばかり進むと、前方の路盤が見事な斜面に呑み込まれていた。
何が見事かと問われると答えにくいが、もともとあった路盤を全く感じさせないくらいに埋め戻している点が、見事だった。
自然の完全勝利だ。
とはいえ、こうした場面は前回の探索でも散々体験している。
我々の進撃を止めるには明らかに不足だ。
ただ、斜面でうっかり足首を捻らないことにだけ気をつけながら、ハイペースのトラバースでのり越える。
11:39 難なく斜面を乗り越えると、次は深い切り通しが現れた。
ぎりぎり、隧道でも不思議ではないくらいの深さを持っている。
が、あくまでも切り通し。惜しかったのかも知れないが、切り通しも美しいから十分嬉しい。
そして、この切り通しをくぐり終えようかというところで――
あ〜、これはまたですね(笑)。
橋 だ。
凄いペースで、遺構を見せて来やがるっ!
出し惜しみは、しねぇのかぃ?
はなからする必要が、ねぇのかぃ? ゾクゾク
11:40 《現在地》
キッ …いや、待とう。
これはちょっと、私の「キター!」の方を勿体ぶっていかないと、マジで「キター!」が枯渇(=陳腐化)しかねないペースで、遺構が溢れ出てきてる。
ここはちょっとモードを切り替えよう。いわゆる賢者モードだ。
現在地は、大樽沢トラス橋から300m地点だ。
ここにも短い橋が存在していた。
それは、千頭林鉄の純然たる廃止区間では初めて目にした、コンクリート桁橋だった。
コンクリート桁橋は、林鉄の橋としては全国的に見ても、木橋に次いでPGとともに多数架けられていたとみられる珍しくない型式だが、千頭林鉄では案外に珍しいのかもしれない。
木橋でも用足りるくらいの小径間だが、山側の桁がすっかり逸失しているところから察するに、初期の木橋は頻発する土石流でしばしば流出の憂き目に遭い、対策として、耐久力の高いコンクリート桁橋に改良したのかも知れない。
「いやぁ、はじめさん! 序盤から飛ばしますねぇ、この林鉄!!」
あれ? はじめさん。 大丈夫??
「ヨッキさん。 とても残念だけど、私はここで撤退します。」
「はじめさん………、分かった。了解した。」
はじめ氏は、これ以上の前進を断念する決断を述べた。
そして私は、受け入れた。
こういう事態が起きたときのことについては、事前に取り決めのようなものがあった。
気軽にリタイアを宣言出来る関係でないなら、同行しないという互いの誓いだ。
また、事情があって単独行になった場合であっても、自分一人で安全に帰還出来ないと思うならば、その先には進まないということも事前に話し合っていた。(これらは、はじめ氏との間だけでなく、これまで本格的な探索を同行した全ての仲間との間で約束してきた、マイルール。)
いまのこの状況についてはじめ氏が判断し、決断したのであれば、私がそれをとやかく言うことはない。
と同時に、進むならば単独となる私が、決行するか否かの判断を迫られるが、もともと1人で探索をする準備をしていたのだから、これで状況が悪化したわけではない。装備品云々も、個々の必要品を背負っていたので、このまま解散は可能だ。
単独探索に伴うリスクは高まったが、庇い合って探索することにも、別のリスクがあるだろう。
はじめ氏は、先日送って下さったメールの中で、このときの決断について次のように振り返っている。
「自分自身が行きたい気持ち、ヨッキさんが行きたいところ。無理をすれば徒歩区間は得意な分野ですから、行けたかもしれません。が、動けなくなる最悪の事態だけは避けなければなりませんから、今でもあの判断は間違っていなかったと思っています。ただそのかわり、ヨッキさんはこの山の中で、1人で夜を過ごさなければならないと思うと、頑張ってくださいとしか言えませんでしたが(苦笑)。」
この決断を彼が後悔していないとしても、ここまでで彼が両足を激しく疲労させ、しかも重い靴擦れを負い、これ以上の長距離歩行を危険であると判断する原因を作ったのが、重量物を背負っての慣れない自転車による長時間長距離移動であったことは明白だった。私がもう少し丁寧に計画を立て、より周到な説明を行うことで、この事態を回避出来た可能性があったが、それをしなかったことを詫びた。
彼のこのタイミングでの撤退は、悩んだ末でのギリギリの判断だったと思う。
二人とも無事に下山して今を生きている。そしてやり取りが続いている。彼の判断に感謝している。
さて、私は今日はじめて緊張の解れた顔を見せてくれたように思うはじめさんから、彼が愛用する携帯ラジオを預かった。今夜からの話し相手にするのだ。
代わりに私は、東京から千頭までの足である「ワルクード」のカギを渡した。駐車場に戻ったら自由に乗り回して時間を潰していてくれとお願いした。
そして最後に、再会の場所と時間を決めた。
2日後の5月6日(木)夕方以降に、今朝出発した寸又峡温泉の駐車場に集合だ。
もしも私が少しくらい遅れても、決して遭難ではないから安心していて欲しいとも。
はじめさん! 無事でまた会おう!!
帰路も気をつけてね!
11:55 大樽沢トラス橋から300m地点で、単独行となる。
栃沢(軌道終点)まで あと8.1km
柴沢(牛馬道終点)まで あと16.5km
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