廃線レポート 大井川鐵道井川線 接岨湖水没旧線 最終回

公開日 2015.4.28
探索日 2010.4.20
所在地 静岡県川根本町

湖水に浮かべる最後の橋。


2010/4/20 9:17 《現在地》

とんでもないものが現れた。

…そう思った。


だが、すぐさま思い直した。

正確には、

とんでもない場面に遭遇した。

というのが、より正しいと思い直した。


橋自体は、多分そんなに珍しいものでは無い普通のプレートガーダー(PG)。
でも、その“今日ある姿”が、凄まじいものだった。



廃の神は、本当に気まぐれで、そして偶然を装った“奇蹟”を見せるのが好きだ。

今日の水位は、何かの裏付けがあって私を誘い込んだわけでもない完全な偶然なのに、その一番最後の場面で、こんなにも劇的な光景をプレゼントしてくれるのだから、自信の技量を超えた“奇蹟”の存在を思わず信じたくなってしまう。

…まあ、論理的に冷静に考えれば、それも全ては探索の回数を重ねてきたことによって自然に起こりえた、レア事象でしかないのだろうけれど…。

息を呑むような眼前の光景に、真摯な目を向ける。
全くといっていいほど透き通っていない、青色の染料を溶かしたような水面が、鋼鉄のPGをほとんど呑み込んでいた。
だが、その上に載せられた枕木とレールからなる路盤が、水面上に、まるで浮かぶように“置かれて”いた。
今よりほんの30cm水位が高ければ、この橋へは足を踏み入れる事が出来なかったろうし、30cm低ければ、ここまで劇的な光景ではなかったと思う。



なお、この本日の旧線探索における明瞭な終着点は、ある意味で衆人環視と言うべき現在線の直下であった。
幸いにして、今の時間はまだ井川線の営業時間外(既に午前9時を回っているが、始発電車はまだ走らない)だから、実際に人目にさらされる畏れはなかったが。

新旧の橋が、目測20mほどの高低を挟んで、同じ進行方向に架かる。
そしてその両方にレールが敷かれているのが、廃止直後でもない限りあまり見られない光景であるし、実際にレールが水面下へ驀進していく場面というのが、俄には受け付けがたいような衝撃性をもっていた。

そして、この立地を見て、私はより具体的に、この探索が終わった後の“脱出ルート”を考え始めていた。実際に現地探索を行うまでは地形がほとんど読めなかったこともあり、探索後の帰路について、考えが十分でなかった。
単純に来た道を戻るのが基本ではあったが、現時点では井川線の営業時間外であり、新線の橋を渡って湖上駅へ脱出するという大胆なルートがここで唐突に思い浮かんだのだった。今まで憧れの対象でしかなかったレインボーブリッジを…!




そんな“野望”を、徐々に、そして急速に脳内で開花させつつも、

私の旧線探索はまだ終わっていなかったと、ハッとして目前の橋に向き直る。

「この橋を渡ってみよう。」

こんな状況の橋を渡る体験は、もう2度とできるか分からない。



誰も見ていない水面上で、最後の渡橋を開始する。
極限的な風景ではあるが、やることは少し前に渡ったPGと同じであるし、実際は前よりも大胆に足を運んでも大丈夫そうだった。
つまり、レールとレールの中央にある踏み板と枕木が交差する部分を踏んでも問題が無さそうだった。(前の橋ではレールや桁材の上だけを踏もうとして苦労している)

これは“高くない”という精神的な楽さのおかげもあるが、地上より水中の方が木材の保存に向いているのか(そういえば、ブナ材用にに水中貯木場というのがあったくらいだから、ブナと同じ広葉樹のクリ材を用いている枕木の場合も、同じかも)、枕木の腐朽が前の橋ほど進んでいないのが見て取れたことが最大の理由である。

それにしても、未だかつて体験したことがない、奇妙な感覚のある渡橋体験であった。さすがに水面を歩いていると感じるほど足元を疎かには出来なかったが、本来は空中を渡るべき橋の上にありながら、底の見えない水面を相手にすると言うのは本当に奇妙な感覚であり、もし私が魚となって水底からこの橋を見上げれば、どんなに幻想的なシルエットなのか……、出来れば晴れた日に魚になりたいと思った。



この橋の上さえも完全な平坦ではなく、水没へ向かう下り勾配があるようだ。
その証拠に、わずか20mほどの単径間の橋でありながら、対岸の方が水面に近いことが見て取れたし、もはや橋上の中盤を過ぎた私の目からも、果たして対岸に本当に“陸”があるのか、自信が持てない有り様だった。

橋は本当に水面すれすれに架かっていて、現地の地形に脇へ逸れる自由度がほとんど無い事と相俟って、私は橋本体(PG)の姿はほとんど見ていなかったりする。
私がこの橋で見たのは、枕木やレールからなる路盤と、その下に直接しているPGの上面だけだった。
水中にある側面部分にも、橋梁銘板などの遺物があったのかもしれないが、それを私は知らない。

そして渡橋の後半は、一年の半分くらいは水没しているにもかかわらず、めげずに(たちの悪い呪いのように)対岸の陸から絡みついている謎の生体(植生)によって、幾らか足運びの平穏を脅かされた。
しかしそれも、橋が“高くない”という事実の前では、大きな障害とはならなかった。(この程度のものでも、橋が高ければ非常な危機感を煽るのだが)



ただし、

私がこの橋に恐怖を感じなかったかと言えば、

答えは間違いなく、ノーである。

確かに、多くの廃橋で感じるような転落への恐怖は余り感じなかったが、その一方で、私の生存をひたすらに否定する大量の水とあり得ないほど接近している状況に対する、根源的な恐怖があった。それはおそらく、質量に対する恐怖といってよい。私の存在を脅かす呼吸が出来ない領域によって、私の周囲の一定割合以上が占められたことで、息苦しさを感じる。

しかも、この日は雨だった。
私が橋の上にいるときもパラパラと降っていて、水と空気との境界は、目で見る以上に曖昧な感じでしかなかった。ここまでの探索で既に雨水で濡れた体は、気を許せばあっという間に湖水と同化して、私の命の火を消し去ってしまうのではないか。

…そんな、少々荒唐無稽な不安さえ憶えたのだった。だから、この状況にある橋は確かに私を恐がらせた。



9:20 《現在地》

2分ほどかけて橋を渡り終えると、果たしてそこには、私の両足を受け止めてくれる“陸”があった。

しかし、本当にもうギリギリのギリギリで、道床に敷かれたバラストの盛り上がりによって、枕木から上だけが辛うじて水面上にある状況だった。

傍らを見れば底知れぬ水面が路肩の縁を呑み込んでいて、それはとても怖ろしい圧迫感を与えてきた。
巨大な湖だけに水位の変動も常に緩やかだとは分かっているが、それでも、いまここで突然気絶でもしたら次に起きたときには水中かも知れないなどと思うと、怖ろしかった。

…今度こそ、本当に水没への覚悟を決めるときが来たようだ。

今日の私が辿り着ける最後の地点まで、もう数歩。




ここまでだ。

これが、約束されていた、

水没エンド。

私がこの路盤に最初に降り立ち、レールが敷かれたままであることを知った瞬間より期待していた、

「レールが水中に没していくという、廃線跡ではおそらく見たことがないシーン」 も、

ご覧のように、私が期待した通りに実現していて、水没エンドを象徴していた。



今日の限界地点から振り返る、旧線路盤。これから帰路につく。

なお、私が引き返したその先の水底にも間違いなく路盤は存在していて、レールも敷かれているだろう。
仮に20‰の勾配で下っているとしたら、約100m進むうちに2mの水深が加わるわけで、
首まで水に浸かる覚悟があれば、70mくらい進み得たのかも知れない。

でも、そんな無謀なことをしなくても、時期を選べば水位がもっと遙かに下がることを知っているのだ。
むしろ今回は、この水位であったことを喜んでいいと思う。今日のこの風景は、
この水位だけに与えられた、プレミアム だったと思えるから。



なお、帰りの渡橋では、動画を撮影した。

動画の中でも、水位のことを口にしているとおり、
やはりこの時の私は、引き返さなければならないことに対する未練を強く感じていたようだ。

…再訪は、したいと思っている。




湖上の覇者の威を借って。


さて、どうやってここから戻るか。

来た道を戻るのが基本ではあるが、それでは面白みが薄いし、正直、県道から旧線へ降りてきた谷のような急斜面を上り直すのは億劫だった。
無論、それしか無ければ黙って引き受けるのだが、今の私には、どうにもまだ列車が来る時間ではない頭上の橋、現在線のレインボーブリッジこと大井川第三橋梁が、魅力的に見えてしまった。

まあ、ここから先は旧線探索ではないので、オマケだ。
しかし、今まで見たことがないアングルで旧線を見るチャンスでもあった。




とりあえず現在線へ上ってみることに決め、上の写真の第23号隧道脇の斜面をよじ登り始めた。

写真はその登り始めに、旧線を振り返って撮影したものだ。
水没していく旧線の、水没しかけている橋が見えた。




9:32 《現在地》
案外すぐに現在線の高さに辿りつくことが出来て(ちなみに道らしいものは無い)、第三大井川橋梁の橋頭に立った。

でも、実はその名前の橋は奥のトラス橋の部分だけを指していて、その手前に連なる計5連のPGには、第2犬間橋の名前が与えられていることを、この場所に来て初めて知った。
橋にそのような銘板が取り付けられていたからだ。

そして、現在地から空中を隔てることおおよそ350mの地点に奥大井湖上駅が存在していて、やや霞んではいるが、見えてもいる。
現在時刻は9:32だが、公表されている時刻表によれば(もちろん探索当時)同駅の本日最初の列車は、9:57発の井川行きであった。
あと25分ある。実質的に、あと20分は列車が来る心配がないだろう。



第二犬間橋にも、その先の第三大井川橋梁にも、立派な歩廊が設置されており、歩行する上での危険は特に感じなかった。
特に後者の歩廊の造りは、現在一般に歩かれている第四大井川橋梁上の遊歩道と全く同じであった。
それは写真のように橋の湖面側だけでなく線路側にも高いフェンスがあるもので、幅は広くないものの、もの凄い高橋を渡っているという恐怖感をあまり感じないで済む造りだ。
(これはかつて第三大井川橋梁を含めて遊歩道として解放する計画があったためらしいが、詳細は明らかでない)





第三大井川橋梁の歩廊から見下ろす、水没旧線と半水没橋の姿。
余りじっくり観察している余裕は無いが、こうして旧線を上から眺められるのは、贅沢だ。
解き終えたばかりのテスト問題を、すぐさま答え合わせをしているような心地よさがある。

なお、辿り着けなかった(絶賛水没中の)犬間駅方面が奥に見えるが、当然のように路盤は見えず、隧道を含めて水底にあるのだろう。

走る列車の窓からも、ある程度はこの風景が見えるはずで、旧線路盤にレールが残っている事も知られていたはずだ。乗ったことのない私だけが知らなかったのか。




そして遅ればせながらにして、情報提供をして下さった方々が眺めた光景を、私も目にする事になった。

こんなにまで、美味しそうに旧線跡が見えたんだ、現在線からは。

そりゃあ気になって当然だし、県道からどう行けばいいのか傍目には分からないところも、余計そそるじゃないか。



今となっては誇らしく、そして安堵した気持ちで平穏に眺める事が出来る、旧線の廃橋。
しかし、一度辿りつく前にこれを眺めていたら、色んな意味で戦慄を憶えたことだろう。
探索の途上で感じる、「はたして私は辿りつけるだろうか」というプレッシャーは、
対象が素晴らしいほど楽しみや期待を上回る度合いも強く、苦痛に感じられる。



9:37 《現在地》

間もなく私は、奥大井湖上駅のホームに無事到着した。
これでもう安心だ。
あとは、遊歩道をのんびり歩けば県道に戻る事が出来るのだから。

なお、このホームの赤色の部分はまだ地上ではなく、引き続き第三大井川橋梁の上に存在している。




ホームが地上にある部分は、井川側のたぶん半分くらいだけで、そこには見ての通りの地上駅風な光景が存在する。

これが長島ダム付替線内で(起点のアプトいちしろ駅を除けば)唯一大井川の左岸に存在する路盤だが、左岸道路との連絡には登山道程度の小径で高低差が100mくらいもあり容易でない。
そもそも、道路というのが一般車通行禁止の大井川林道なので、実質的には右岸県道から遊歩道を通って訪れるのが(列車によらない)唯一の方法となっている。



駅員は無論、待ち人もいない、遅すぎる始発列車前の待合室で、
数分間意味もない雨宿りをした後、県道へと戻るべく、
駅の井川側に直接している第四大井川橋梁上の歩廊(遊歩道)に進入した。

現在線の第22号隧道の坑門から、遊歩道はバリアフリーを嘲るような凄まじい階段で、
県道への100mの高低差に挑むのであった。これも廃線とは無関係ながら、一見の価値があろう。

それから30分ほどでスタート地点に戻り、幽玄なる湖畔の探索を完了させた。