2016/5/6 8:42 《現在地》
越境者、ここに現る。
振り返れば船着き場と船があるが、もう戻ることは許されていない。
あくまでも県道として渡船を利用したのだから、もう一度船に乗りたいから戻って欲しいとは、とても船頭さんの顔を見ながら言えることではない。
ここは潔く渡船に別れを告げ、群馬県道へと変わった県道熊谷館林線の続きを辿ろう。
群馬側は埼玉側のような広い河川敷がなく、陸に上がったらすぐ目の前に高い堤防が横たわっている。
そしてここから堤防の上へ行くのには、3つのルートが存在する。
最短距離で正面の階段を上るか、左右どちらかのスロープを上るかだ。
このどれかが(複数の可能性もある)県道の区域に指定されているはずだが、残念ながら答えが分からない。
群馬県館林土木事務所が所有する道路台帳を見れば分かると思うが…。
8:45 《現在地》
とりあえず私はなんとなく右の道を選び、自転車を漕ぎ進めた。
すると100mほどで3本のルートが再び出会う、下からは堤防の天端と見えた場所へと着いた。
ここに来て分かったがことだが、実際には堤防の中腹であった。
堤防の中腹に、先ほどからずっとピンクのバスが停まっているバス停と、埼玉県側にあったプレハブ待合室よりは遙かに上等な平屋が建っていた。
このバス停の広場から先は舗装されており、普通の県道らしくなる。
地理院地図やスーパーマップルが県道色で道を描いているのもこの広場から先であり、いよいよ道路界の特異点とも言える渡船区間と完全に決別する。
明らかにまだ新しい雰囲気のする建物で、赤岩渡船場の看板を掲げていた。
待合室兼関係者待機室か。
すぐ隣には自転車置き場があり、5台が駐輪されて満車になっていた。
船上では、渡船を通学通勤に利用している人はほとんどいないと聞いたが、この満車という状況は少し意外だった。何百人もいるわけじゃないから、「ほとんどいない」ということなのかも。
背後の堤防天端に、大型の木製灯篭が設置されているのが写っている。
目の前の建物の雰囲気といい、昔風の渡船場を再現しようという整備の意図が感じられた。
先に見た埼玉側よりも遙かに手が入っていて、洗練されているように見える。
ただ、この全体的な化粧が入る前の姿も見てみたかった気はする。
橋のない県境を跨いでいるので当然といえば当然だが、熊谷市で見たのとは全然違うバスがいる。
館林市に本社があるつつじ観光バスという会社の路線バスだ。
そして背後にあるバス停の名前は、そのままずばり、「赤岩渡船」である。
時刻表及び路線図を見ると、ここは館林駅を起点とする館林千代田線の終点で、現在は1日4往復の便がある。
私がたまたま着いたときにバスがいたので、もっと便数があるかと思ったが、埼玉県側が1日20便近くも葛和田まで来ていたのとは雲泥の差だった。
適当な時間に渡船を利用すると、ここからの足に困ることになりそうだ。
でも、渡船を挟んで両岸にバス停があり、定期的にバスが行き来しているというのは、生きているって思えて嬉しい。
8:45 《現在地》
群馬県の旅を始めた県道83号線。
まずは堤防を乗り越えるためのヘヤーピンカーブを一つ。
天端で歩行者自転車専用道路と交差するのは、埼玉県側と一緒だ。
基本的に、路線バスおよび渡船の利用者と関係者以外は、この県道の区間を通る用事はなさそうだ。
主要地方道とは名ばかりの1車線道路であるが、対向車とのすれ違うに苦労するような場面もまずないだろう。
って、写真を撮ってたら、キタキタ。
私を乗せることが出来なかったバスが、諦めて帰っていく。
桃色に染まった巨大な顔から腹、そして最後には尻をこれ見よがしに見せつけて、行き先表示板の「館林駅西口」、この県道の終点である館林の街の中心へと、路傍の草を震わせながら走り去っていった。
これでもう、次は昼前までバスは来ない。
渡船の1日でもっとも退屈な時間が始まってしまったかも知れない。
バスが行った堤防の下には、これまで堤防で隠されて見えなかった千代田町赤岩の街並みが、平穏に広がっていた。
こちら側も土地はひたすら平坦で、見渡す限り山がない。地図で調べても、この方角には60kmも先の筑波山まで本当に山がなかった。
それでは私も、赤い岩なんてどこにも見えなそうな赤岩へ。
堤防を降りると直ちに道は直角に左折し、渡船場を背にして北へ進み始める。
が、すぐ先には互い違いの変則十字路があり、直前に見送ったバスが直進路へと小さくなっていくところであった。
なるほど、あれが館林への経路か。道案内ありがとう。
これは堤防を振り返って撮影。
堤防が出来る前は、ここから真っ直ぐ船着き場へ達していたのだろうか。そんな感じだ。
そして、「利根川に新橋を」の看板がここにも。
とりあえず葛和田にも幟が立っていたし、川の両側で架橋への思いが感じられたのは物語としての円満さを感じる。もし片方だけの活動だったら、喜びは半分、辛さは倍になってしまう。
8:47 《現在地》
群馬県道さん達、こんにちわ。
橋がないのに川を渡ってきましたよ。
私が日本唯一の県跨ぎの渡船県道、熊谷館林線です。
そんな挨拶が聞こえてきそうな(←病気だ)、渡船区間明け1発目の信号交差点は、その名も赤岩。
昭和30年までこの場所は邑楽(おうら)郡永楽(えいらく)村の役場所在地であり、再び道路元標がありそうな雰囲気だったが、残念ながら見当らない(地の底へ消えたのか…)。
我らが県道83号は、ここを右折して、県道38号足利千代田線との短い重用区間となる。
県によっては、番号が同じだったり逆さまだったりと混同の起こりやすい国道や県道の接触を避けるケースがあるが、見事にここは逆さま番号の県道が絡み合っている。
ここで私はミスを犯す。
県道83号は上記の赤岩交差点を右折すべきなのだが、館林駅西口行きだという路線バスに釣られて直進してしまった。
結果、県道152号赤岩足利線に足を踏み入れることとなった。
が、ここに怪我の功名あり。
まだ誤りに気付く前の段階であったが、振り返った交差点に「赤岩渡船 Akaiwa tosen 500m」の案内標識を見つけた。
この青看は、観光地や駅などいわゆる著名地点を案内するための様式なので、赤岩渡船がそのように認識されていることが分かる。埼玉県側には、こんなオシャレなものはなかった。
疑うことを知らない無垢な私は、さらに県道152号の深みにはまり、赤岩交差点から300mも進んだところで、再び怪我の功名を与えられることに。
やはり振り返って見る青看に描かれた、直進「赤岩渡船 Akaiwatosen」の輝かしい行き先表示。
埼玉側で見た【この青看】と対になるものだが、それぞれ、「渡船場」と「赤岩渡船」という異なる表現をしているのが面白い。
深い意味はないのだろうが、心底真っ当に県道の一部として観念するなら、ここにはやはり対岸の地名を堂々と書いて欲しいところである(笑)。
左は久々に登場した、私お手製の“妄想青看”だ。
渡船場を経由した熊谷行きをどのように表現すべきか悩んだが、残念ながら「渡船場あり」という道路標識が制定されたことはなく、ここは苦心の末、「自転車及び歩行者専用道路」の規制標識にご登場願うことにした。
これだと交差点直後から規制区間のようになってしまうので、正しくないが……。
皆様ならどのように表現されるだろうか。もし作例があったらぜひ見せていただきたい。
そんなこんなで、私はまんまとこれだけの成果をせしめてから、地図を見たことで道の誤りに気付いた。
赤岩交差点へ引き返す。
(→)
県道152号側から赤岩交差点に進入すると、今度は見覚えのある黄色いパトカーが私を先導するように(←妄想が過ぎる)右折していくところだった。
当地を管轄する館林土木事務所の道路パトロールカーだったが、これはどうしたことだろう! 県道83号の渡船場をパトロールしに行かないのである(←別にいいだろ)。
私は今度こそ先導車に惑わされることなく、正しい県道83号の経路へ、左折した。
8:50 《現在地》
県道38号と83号の重用区間は、わずか200m先のこの赤岩東交差点で終わる。
この間、古くからの河岸に発展した町らしい落ち着いた風景だが、取り立てて紹介するものはなかった。
千代田町の特産であるらしきうどんの製麺所があるこの角を左折するのが、我らが県道83号だ。
しかし、この赤岩東および赤岩交差点の前後の県道38号上には全く青看がないために、そもそも県道83号と遭遇していることにも気付かない仕組みである。これは不当な冷遇といわざるをない。
あとはもう、渡船場から外れていくだけだ。
埼玉県側もそうだったが、あっという間に道路特異点の存在を示唆するものはなくなり、いつもの顔をした県道が伸びていた。
群馬県道になってから初めて現れた“ヘキサ”には、ちゃんと熊谷の名前が踊っていたが、そこ至る経路にあるものを語る余白はない。
私にとって今回の旅は、道路法が作り出す深大な道路世界の一つの極致を覗くものとなった。
制度はあるが、実例は存在しない。そういう風になってしまう前に体験できたのは、とても良かった。
9:01 《現在地》
赤岩渡船場から約3.5km、千代田町役場周辺の広々とした畑を走り抜け、県道20号足利邑楽行田線と交差する野辺町交差点へ達した。
この県道は利根川に架橋しており、埼玉県への帰還路となる。
県道83号はなおも5.5km先の館林市青柳交差点へ伸びるが、私のトレースはここまでとする。
県道20号へ入った直後、とんでもなく【塩っ辛そうなバス】とすれ違ったが、写真は上記の野辺町交差点を振り返った青看で、県道83号の行き先の一方は赤岩と案内されている。やはり渡船の匂いは隠されていた。
このあと私は、利根川に架かる武蔵大橋を渡り、ワルクトレイルの元へと帰還した。
一周おおよそ16km、うち渡船延長0.4km、所要時間1時間20分の楽しいミニサイクリングだった。
レポートはこれで終わりだ。
前説と本編内で、道路法の渡船施設に関するウンチクもあらかた語り尽くしたし、もう言うこともないかな。
ああ、でも一つだけあった。
最後は、架橋の夢の話をして終わりたい。
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