右の地形図を見て欲しい。
これは最新の2万5千分の1図であるが、幅の広い水域を渡る一本の橋が描かれている。
橋には「六厩橋」という注記がなされ、西側の岸辺には三角点がある。
「六厩」は地名で、これで「むまい」と読む。
橋を中心に3本の道が存在する。
一本は南西へ、一本は北へ、一本は東へ放射状に伸びているが、いずれの道も橋の周辺は「破線」で描かれている。
これらの道は、かつてトラックも通る林道だったが、現在は廃道になっているとのことである。
3本が、3本とも廃道になっているとのことである。
現在この橋がどうなっているかを知っている人は、かなり少ないらしい。
だが、そこには大変雄大な、訪れた誰もが息を呑まずにはいられないような巨大吊り橋が架かっているのだという。
この橋が存在する場所は、岐阜県高山市(旧荘川村)と白川村との境を流れる六厩川河口部である。
そこは、巨大な御母衣(みぼろ)ダム湖右岸の、かなり山へ入り込んだ峡谷である。
一見するとダム湖の左岸を通行している幹線道路(国道156号)から離れていないのだが、実際は湖を渡る橋が少ないために、近くはない。
橋から伸びる3本の道は、それぞれが別の終点を持っている。
最も短距離である「右岸ルート」でさえ約13km、次ぐ「森茂ルート」で約14km、「六厩ルート」が約15kmもあるのである。
この橋の情報提供者は過去に二人いた。
一人(原付3種氏)は約10年前にバイクで右岸ルートから橋を目指し、果たせずに途中で断念をしたという。
もう一人(パンダ使い氏)は約4年前に自転車で六厩ルートから橋を目指し、見事に達成した。
だが惜しくもそこで時間切れとなり、来た道を引き返したのだという。
(お二人がその後再挑戦されていたとしたら申し訳ないです。その場合ご連絡下さい。)
原付3種氏はさらに、この橋を紹介した数少ない(恐らく最初の)サイトとして、『冒険伝説』というサイトを教えてくれた。
その管理人のt.s氏は、今から約11前にバイクで森茂ルートに進入し、途中から廃道を徒歩に切り替え橋に到達。
それを渡って、さらに右岸ルートの秋町隧道まで到達して、引き返した模様である。
時期が古いせいもあり、決して豊富な画像で綴られているわけではないのであるが、橋の姿をモニタ越しに見た私は、トリハダがたった。
そして、強く思った。
自分もいつか、六厩川橋を目指してみたい!
そして、出来ることならそこで終わらず、橋と隧道の通り抜けを果たしたい。
2009年11月22日(日)。
よごれん氏との初めての合同調査を翌日に控えたその日、
私に宿願を果たす挑戦の機会が巡ってきた。
3本あるルートはいずれも興味深かったが、その距離を考えると、1日で辿りきれるのは2本が限度であろう。
そのような読みから、泣く泣く六厩ルートを削った。
そこは4年前にパンダ使い氏が苦労しつつも自転車で乗り越えたルートだから、私としては自転車による踏破の記録が無い右岸ルートと森茂ルートの連続攻略を目指すこととし、六厩ルートは緊急時の脱出ルートと位置づけることにしたのである。
そして、渡橋用の秘密兵器として「安全帯」をいつもの荷物に加えた私は、日が昇るとほぼ同時に「道の駅荘川」を発ち、秋町隧道と六厩川橋を経て一周する探索を開始したのであった。
それは、長く苦しい戦いの始まりだった。