2009/11/22 8:01 《現在地》
起点から6km、秋町隧道まであと5km、六厩川橋まで7kmという地点。
とうとう現れた全面通行止めのチェーンゲートであったが、脇を抜けて進み始めると、まだ道は続いていた。
さすがに一段と路面状況は悪化したが、廃道と言うにはまだ少し足りない。
別に、廃道を待っている訳じゃないんだが。
これまでに増してクリティカルな場所に道は付けられている。
護岸工事もされていない湖岸の崖と、路肩の崖とが、同一のものである。
当然そんな状況だから路肩は徐々に崩れるのであって、崩れて減ってしまった道幅の分は、太い橋梁枕木のような材木が敷かれているのだった。
自転車だからいいが、四輪車で来てたらここでもう嫌になりそう。
もし一歩でも足を踏み外せば、或いは崩れる路肩に巻き込まれたとしたら、直行するのは底の見えない御母衣の海。
1200人の生活が沈んだ巨大水面が、一声のもとに私の小さな命を呑み込むだろう。
ぞくぞくするよ…。
うわわあぁ…。
すっごい遠くまで見えるよ。
ガードレールってナニ? おいしいの?
この道の続きが、滑り落ちそうな崖の縁に、延々と続いている…。
そして、道影の見えない半島がある。
秋町隧道が貫通する半島(秋町半島と仮称)だ。
そこまではまだ…、遙かに遠い道のりである。
望遠で覗いた御母衣ダム堰堤。
現在地からは、湖上を6kmも隔てている。
石垣のように見えるのは、それがロックフィルダムという形式だからだ。
御母衣ダムから六厩川橋へ直接向かう道があれば、こんな長途を要することはなかったのだが…。
晩秋というのは、一年で一番オブローディングに適した時期だと思う。
なんといっても藪が明るくなり、しかも涼しいからハードな運動もこなしやすい。
必然的に飲料水も減らせるので、荷重も減らすことが出来る。
春先も悪くはないが、残雪を心配する必要があるのは大きなストレスだ。
ただ、晩秋ならではのデメリットもある。
それは、日がとても短いと言うことである。
午前6時〜午後5時の11時間しかない。
それにしても、水位が低い…。
満水位に較べ、20m以上も低いと思われる。
この崖の下あたりにも「海上」という集落があったはずだが、何も見えない。
そこは旧荘川村の中で一番広い耕地を有する、豊穣な所だったという。
また、荘川営林署の海上貯木場があった。
久々に橋。
これまでと同じ、欄干の無い橋である。
今度は親柱すら無かった。
ただ、道幅は少しだけ広いような気が。
橋上のコンクリート路面には、かつて行き交っただろうトラックのタイヤ痕が、白く太く無数に刻まれていた。
当然そのタイヤは秋町隧道を潜り、巨大吊り橋を渡ったのだろう。
路肩にトラップ!
コンクリートの護岸があっても、油断は禁物。
しっかり足元を見ながら行かないと、ズボッと行きかねない。
だが、これでもなんとか車1台通れるだけの幅は確保されていた。
いかにも崩れやすそうな崖下の道。
しかし、全くと言っていいほど瓦礫は散らかっていない。
どうやら、比較的最近に手が入っているらしい。
やはりまだ廃道ではなかったのだ。
意外に、このまま六厩川まで行けちゃったりする?
チェーンゲートから約2.2km地点。
行く手に大きく深い谷が立ちはだかった。
ブラインドカーブで右に90度展開すると、フィヨルドのような険しい谷奥を見通す事が出来た。
道はあくまで等高線に沿って、この谷の一番奥まで回り込む。
地形図上でも目立つ大きな迂回である、
この枝谷沿いの区間に入ってから、なぜか路面状況が改善。
逆に考えると、この区間は最近手入れをされるまでひどい廃道だったのかも知れない。
焦げ茶の鳥(鴨?)が、青い湖面から一斉に飛び立った。
それはしばらく止まず、視界の右から左へ次々流れた。
訪れる人も稀な湖湾は、彼らの絶好の休息地だったのかも知れない。
ボーリングのピンのような体が、バタバタと西の上空へ飛び立っていった。
私はそれをポカンと見上げていた。
新旧の地形図にも注記が無く、名前の分からない沢。
道は右折から700mで、その最奥の渡橋地点に着いた。
沢は橋の直前で二又に分かれているために、ごく近接して2本の橋が連なる。
手前の橋の桁下には、3つの大きな蜂巣がぶら下がっているのが見えた。
でも、幸いにして今は蜂を恐れる必要はない(地域による)。
私は躊躇わず進んだ。
背後の山の尾根には、赤茶けた林道が見えた。
緑はほとんど伐られていた。
→【写真】
足元の道が最近“復活”させられた、その理由が分かった気がした。
8:35 【現在地:9km地点】
2連の橋。名前は分からない。
ここまでは予想以上に順調だった。
早くも9km。
隧道まではあと2km。決して遠い距離ではなくなった。
しかし、 遂にここで…
轍が消滅…
今度こそ、廃道。
「廃道なるなる詐欺」の9kmを修め、
これから何キロ続くのか分からない廃道 へ。
ひとつ意外だったのは、この場所には一切のゲートも看板も無かったことである。
すんなり、廃道になった。
2本の橋を渡ったところから車の轍が無くなり、枯れススキの茂る路面となった。
それでも中央付近に藪の浅い部分があり、道を見失うほどではない。
ここまで限りなく100%に近かった乗車率が、80%くらいに低下するだけである。
だが、事前情報から「途中のどこかで廃道になるだろう」という程度の予測は出来ていたとはいえ、実際にそうなった事実は、やっぱり重い。
一旦廃道が始まってしまった以上、その回復は秋町隧道や六厩川橋を越えるまで期待できないだろう…。
それは、少なくとも4km以上も廃道が続くこと、そして廃隧道と廃橋を、この自転車とともに越えてゆかねばならないという事を意味していた。
廃道化から100mほど進んだ所で、また小さな橋を渡った。
600mほど進むと、浅い掘り割りを過ぎて枝谷の出口に着く。
この先は、再び本流沿いの道である。
湖湾の向こうに、先ほど通ってきた道がよく見える。
通っているときには意識しなかったが、そこは凄まじい断崖絶壁の道だった。
あそこがぎりぎり廃道でなくて、本当に良かった。
一箇所でも路盤が流されていたら、もう駄目だった。
これでも、私は良い時期に来た。
かなり路上の藪の深い場所があるので、時期を誤れば3割増しに苦労しただろう。
水捌けの悪いところには、大きな沼地も出来ていた。
この区間に車通りが尽きてから、10年くらい経っているだろうか。
9:02 《現在地》
起点から10.6km地点にある、ピョコンと湖に突きだしたカーブに着いた。
ここまでで2時間を要したが、廃道になってからの1.8kmには30分を使った。
やはりペースは目に見えて悪くなっている。
救いがあるとすれば、日射しが照りはじめたことであろうか。
水面を初めて美しいと思えるようになってきた。
対岸の白山に連なる山並みが薄雪を被っているのも、また同じ。
裾の帯は国道156号だ。
で、この“ぴょこん岬”まで来ると、いよいよ“秋町半島”も間近に見える。
ちょうど、半島の付け根の低くなった所のほぼ真下に、目指す秋町隧道はあるはずだ。
隧道が作られたおかげで、半島を回り込むような道は作られなかったのである。
そして、半島の手前の湾状になった辺りには、白川村の秋町集落が沈んでいる。
すぐ足先に見える小さな入り江が、旧荘川村(高山市)と白川村の境であった。
岬から秋町隧道南口までの推定距離は1.2km。
たいした距離ではないが、この区間で40mほど登るので、たとえ廃道でなかったとしてもペースは鈍ったであろう。
そして確かに、岬を過ぎるとすぐ登り坂が始まった。
そして間もなく一本の短い橋が、枯れススキのコーナリングに架かっていた。
橋を渡って、今度は妙に幅の広い直線登り。
片側は低い丸石の石垣である。
余り日当たりの無い場所は雑草が茂ることもなく、道は良く保存されていた。
前方に見えるスカイラインが、隧道のある尾根である。
いよいよ核心部が近付いてきたことを実感する。
そして、またも短い橋で、水のほとんどない急峻な沢を渡る。
何の標識もないが、ここが高山市と白川村の境界である。
これで一旦は白川村に入るが、次に六厩川橋を渡ることが出来れば、そこでまた高山市に戻ることになる。
もっとも、その高山市は平成17年まで清見村だったところである。
同年までこの無人の山岳地帯で、荘川と白川と清見という三つの村が接していた。
この橋を渡り、写真にも写る次のカーブで、一度道は平坦を取り戻す。
おそらく、隧道までの最後の休み場。
9:20 《現在地》
起点から10.6km地点にある、雑木林の静かな広場。
道はここで直進と右折に別れているが、右折が本線であり、直進は湖畔へ下る道となる。
ダムが湛水する前まで、この直進の道は秋町集落に繋がっていたと思われる。
隧道の工事車両も盛んに行き来したことだろう。
秋町は森茂川や六厩川沿いに当時敷かれていた林鉄網の収束点で、庄川を渡る大きな橋で国道156号と結ばれた林業街だった。
なお、この地点はこれまで私を誘った村道岩瀬秋町線の終点でもある。
それでは、この先の本線は何という道なのか。
そのヒントとなる標識が、さっそく現れた。
通 行 止
ここから先は 荘川営林署 の専用林道です
現在 事業実行中で危険ですので一般
の通行を禁じます もし無断で通行されて
事故等が発生しても一切の責任は負いません
荘川営林署長
ここは廃道に閉ざされた、ゲート無き通行止めである。
かれこれ、「事故などがあっても責任取らないよ」という文言を聞かされるのは3回目だ。
しかし、自己責任なら通って良しとも取れるこういう表現は、古き良き時代の名残りかも知れない。
今なら普通に頑丈なゲートで封鎖して終わりだろうが、見たところ周囲にはゲートの残骸もない。
ともかく、この先は「林道」であるらしい。
ここまでは原則的には(崩壊などで危険な状況でない限り)一般の通行が制限されない「村道」であったのに対し、これから先は営林署の管理する専用林道。
この違いは、現役当時から道の規格や整備状況に現れていたかもしれない。
隧道までは、もう500m。(これは貰ったも同然か?)
吊橋までは、あと2000m。(こっちはまだまだ不安あり)
大きなトラブルさえ無ければ、秋町隧道は次で出るな…。
お読みいただきありがとうございます。 | |
当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口 | |
このレポートの最終回ないし最新回の 【トップページに戻る】 |
|