2009/11/22 9:22 《現在地》
ゲートはないが、通行止めの表示がなされた所を過ぎると、荘川営林署の専用林道となる。
しかし、ここから見える範囲はこれまで同様穏やかな雑木林の道であり、乗車のまま進むことが出来る。
隧道までの残距離はおおよそ500m。
確かに2.5km手前から廃道になりはしたが、事前情報のほど荒れていたとは思われない。
正直なところ少々拍子抜けもしたのだったが、よく考えればまだまだ先は長いのである。六厩川橋を渡りきるまでは油断出来ない。
それに、ここまで来ればむしろ“別の興奮”が、ヒタヒタと張り付いてきた。
既に360度の視界から湖の姿は消え、前面は秋町半島付け根の山影に塞がれた。
まだ坑門自体は見えないが、その所在と彼我の距離は、ほぼ明らかである。
間もなく現れるだろう秋町隧道の南口については、事前調査で視覚的情報を一切得られなかった。
つまりは、初見。
10年前には(バイクで)辿り着きがたかったほどの場所であり、その後も恐らく訪れた人は限られていたらしい。
はたして隧道は正しく開口し、そして、貫通しているのか…。
前方の峠は見上げるほど高く、他に道もない。
もし隧道が通り抜けられなければ、そのときはたぶん、撤収…。
いよいよ荒れてきた急坂を、自転車を押し上げるようにして進む。
緊張と興奮のない交ぜになった複雑な感情は、焦燥感に近いものがある。
秋町の分岐を過ぎて、明らかに廃道上の藪は深くなった。
草藪だけでなく潅木が育ち、流れ込んだ瓦礫が山を成していた。
…これから先、このレベルの廃道が何キロも続くのだとしたら…。
隧道を抜けた先こそ、本当の地獄なのかも知れない…。
そんなことを思った。
あ?!
…いや…、見間違いか?
でも、確かに何かが見える。
そこにあるのは、
秋町隧道ではないのか?
夏場なら、絶対この位置からは見えないだろう、コンクリートの構造物。
気になりすぎるその正体は、10m進んだところで完全に明らかとなった。
キタ―――!!!
9:32 【現在地:11km地点】
心臓バクバク!
これが、待望の秋町隧道の南口。初見。
岩瀬の国道分岐地点から、ちょうど11km地点。
うち廃道分は約3km。
所要時間は2時間半。
想定より少しラクな道だったが、隧道直前の状況だけは別物だった。
そして、この坑口の有様も…
この埋もれ方はヤバイ…。
抜けれんのか?
正直、隧道の存在自体は知っていたし、11年前の『冒険伝説』の写真によって貫通も確かめられていた。
だからこの隧道に期待することは、発見されてくれることではなく、“本分”を果たしてくれることだった。
“隧道の本分”
それがなんであるかは、言うまでもないはずだ。
林道上の隧道ということで、お馴染み『隧道リスト』にも記載がない秋町隧道。
よって正確な緒元は不明であるが、とりあえず坑口はコンクリートで巻き立てられており、一般道路のものに遜色ない。
坑門の意匠といえるものは、タイルを埋め込んだ扁額と、ほとんど角の取れてしまった笠石くらい。
アーチもボロボロで、露出したコンクリート内部から赤子のこぶし大もある川砂利が露出している。
現在多く使われている砕石砂利ではない、古い材質である。
そして、一番肝心な貫通の有無についてだが…
たぶん…
OK!
orz じゃなくて OK!
だって、かなり勢いよく風が吹き抜けて来ている。
ここに立っているだけでたちまち汗が悪寒に変わる、真冬の風が。
いざ、入洞。
9:54
それはそれは、手ひどい敗退だった。
全身ずぶ濡れ。
その代わりに得たものは、動画1本。
駄目だぁ…、この深さは駄目。
水位が低い時期もあるかも知れないが、今は駄目。
ここまで深いとは、思ってなかった…。
寒風に震えながら、ガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチ
着替えた。 ガチガチガチガチガチガチガチガチ
濡れて身体に張り付いたカッパを脱ぎ、真っ赤な肌が露わになる。ガチガチガチガチ
あまりの痛々しい場面に天も憐れを覚えたか、日が射した。 ガチガチ
それは、まごう事なき敗者の風景。 ガチ
もう、今日は駄目だ。
完全に心も折れたし、事実、今の私にこの先へと進む術はない。
自転車、着替え、撮影機材、リュックサック、
これらを持ったまま、深さ2m、長さ300mのプールを渡る術はないし、
強引に尾根越えをすることも出来そうにない。
身軽な状態で尾根越えをして、2km先の六厩川橋までだけでも探索する選択肢も考えたが…
もう
次の手段に懸けてみることに決めていた。
これは“残る2本のルート”を究めるチャンス。
私はそう考えることにした。
決行日は、明後日。
今回の飛騨方面探索の最終日、私は全てを賭けて闘うだろう。
こうでなければ、私と六厩川橋との出会いには物足りなかろう!!
10:15 帰路に就く。
来た道を素直に戻る。
行程には分岐がいくつかあったが、全部行き止まりなので、基本的には一本道だ。
11:37 【現在地:0km地点】
負けたけれども前向きな帰り道は、来るときにはなかった淡い日射しに照らされた、長閑な1時間22分だった。
逆に言えば、私のように途中撮影に立ち止まることが多くなければ、この程度の時間で秋町隧道南口まで近づけると言うことである。
もちろん、自転車使用の場合。
この日の残った半日は、白川〜荘川間の国道156号旧道探索に使うことにした。
とりあえず私と六厩川橋の物語は、中座された。
本編の最後に、右図を見ながら「秋町隧道」の歴史を紹介しておこう。
「荘川村史(続巻)」には、村で一番長い村道として今回の「村道岩瀬秋町線」が紹介されているが、そこに次の記述がある。
この道は、かつて六厩川国有林、清見村森茂国有林の木材を森林鉄道で秋町まで出材していたが、ダムで水没したため、秋町から六厩川をトンネルで貫き自動車道として開設された。国有林材は昭和四八年頃までこの道を使って牛丸貯木場へ運送されていた。しかし、トンネルが陥没して不通になり木材は六厩地区にさかのぼり、大きく迂回して牛丸、白鳥の貯木場に運送された。
この路線は行き止まりで利用する人は少ない(後略)。荘川村史(続巻) p.429
六厩川橋を取り囲む3本のルートの関係が明らかになった。
これらは全て、御母衣ダム建設のため廃止された林鉄の補償として建設された、付け替え林道だったのである。
また、今回は秋町隧道の竣功年を示すものには出会えなかったが、ダム工事が最も盛んな昭和33年頃だろうと推定することも出来る。
もし秋町隧道がいまも健在ならば、六厩川橋もまた健在だったかもしれない。
それは残る2本のルート、森茂ルートと六厩川ルートが効率的に運用されるための重要な道だったのである。
ひとつの隧道の崩壊(陥没)が、それに繋がる全ての道を、殺した。