東北最大の都市である仙台の中心部を流れる広瀬川に沿って、関山街道という奥羽山脈越えの重要な道が延びている。現在の国道48号である。
熊ヶ根(くまがね)は関山街道の宿場町として発展した集落で、仙台と国境関山峠のほぼ中間(仙台市中心部から約20km)にある。
この辺りの地形の特徴は、典型的な河岸段丘にある。
広瀬川とその支流である大倉川および青下川の水面が浸食基準面であるが、これら河川により四分されたほぼ同じ標高を持った段丘面上に、熊ヶ根、萱場、苦地、道半などの集落が点在する。集落を隔てる段丘崖の高さは、おおよそ50mもある。
ある人は、平成18(2006)年にこの地の地形を、“杜の都のグランドキャニオン”と名付けている。
さて、こうした地形的特徴を持った場所は、土木技術が貧弱な時代においては特に交通の難所であった。
最低でも、幅100m、深さ50m程度の峡谷を一跨ぎ出来るような架橋技術を持つことで、初めて我々は、移動のたびに段丘崖を上り下りする苦労から解放されたのである。
この地図中に見える、広瀬川を渡る熊ヶ根橋や、青下川を渡る青下橋は、共に現代の技術で架けられた巨大な橋である。
そして、熊ヶ根橋が架けられる前の旧国道のルート(野川橋)も、地図に描かれている。
だが、青下橋の旧道についてはどうだろうか。
それが、今回紹介する 天野橋 である。
今ある青下橋は2代目で、初代の青下橋(橋台が残っている)は昭和33(1958)年に架けられた。
青下川を段丘面から段丘面へと初めて一跨ぎで渡った初代青下橋が出来る以前に、天野橋が使われていた。
最新の地理院地図でも、天野橋がある位置には破線の道が描かれているが、橋の記号は無く、道自体も橋の東側で途切れて描かれている。
なお、天野橋の存在を私が知るきっかけとなったのは、平成20(2008)年8月に宮城県在住の盃氏より寄せられた、次のような情報提供メールであった。
旧青下橋の下流の現青下橋。その更に下流、広瀬川との合流点に廃橋が架かっており、その先は廃道が崖っぷちを登っております。
この廃道は、昔(戦前?)は車が走ったそうです!
廃橋は、確かコンクリ製で、小さいものでしたが、歩いて渡るのも気が引けるくらいの状態だった気がします。この12年間未確認です。
さらに、平成21(2009)年6月には、にょ氏 からも同じ橋の情報をいただいた。
仙台市青葉区の国道48号線熊ヶ根橋近辺で広瀬川が青下川という支流と合流しますが、その合流点付近の青下川に「天野橋」という昭和11年竣工のボロボロのコンクリートの橋が掛かっているそうです。 (中略)
最近行ってみた人の話だと、橋に至る道は完全に廃道になっている(ので辿り着けなかった)そうです。
にょ氏はさらに、天野橋の来歴について解説した資料2点を示し、その記述内容まで教えて下さった。
その詳細な内容は「後編」で紹介するが、最も重要な部分を抜粋すれば、天野橋とその前後の道は、地元の有力者であった天野政吉という人物が、私財を投じて建設したものであり、ゆえに天野橋と名付けられた。
このように、2人から相次いで情報を寄せられた天野橋を私が探索したのは、平成24(2012)年5月15日であった。
以下、現地レポートだ。