2020/10/7 15:53 《現在地》
始まりの地、ヘアピンカーブ、再び。
今度はここから、下山方向へ辿っていくぞ。 【こっちへ行く!!】
航空写真を見る限り、こちら側にもう一つヘアピンカーブが残っているはず。
果たしてどんな状況になっているのか、楽しみである。
路肩がごっそり落ちたヘアピンカーブを回り込むと、やっぱりギザギザに切り刻まれた地割れだらけの舗装路面が伸びていた。
地割れには灌木な勢いで成長していて、本来陽当たりのよい道路上を占拠しつつある。
また、道は微妙な下り坂になっていて、これは本来の九十九折りの勾配と整合しているが、たぶん偶然そうなっただけで、滑り方が少し違っていれば、上り坂と下り坂が入れ替わっていた可能性もありそうだ。
ガサゴソと枝葉を掻き分け掻き分け、足元の亀裂に注意しながら進んでいくと……
路上の亀裂や起伏が落ち着いて、普通の廃道っぽい風景になった。
だが、路上の様子は普通でも、周囲の地形とのマッチングとかも含めた実際の雰囲気には、やっぱり違和感がある。
なんというか、起伏があるのに、水の気配が感じられないせいかもしれない。
普通、小さな起伏は水の侵食作用が作り出すもので、谷の部分には水が流れていたり、流れた痕跡があったりすると思うが、ここでは起伏の成因がまるで違うし、地形が出来てから10年しか経過していないこともあって、その作用がほとんど進んでいないせいだろう。
少し大袈裟な表現だが、人間の皮を巧妙に被った人間とは異なる生理によって作られた異星人を見るような、そういう違和感が拭い去れなかった。
こっちの違和感は、もっと強烈。
木が斜めに生えている!!!
やべぇ……。
これは強烈な違和感を醸しているぞ。
太陽はどっちから出ている? 地球の法則がバグってしまったみたいな景色だ。
なんで斜めになったのかは想像できるが、10年経ってもそのまま育っているんだな……。
台風でも落ちなかったリンゴとか、奇跡の一本松じゃないけど、滑っても枯れなかった杉林にも、何かご利益あるんじゃないかな?
育ってもたぶん伐採されないだろうけど…。
デリニエータの背後に白い棒が見える。
これはもしや……
そう思って近づいてみると、やっぱり道路標識だった。
この廃道で見つけた2本目の道路標識。
しかし、隣のデリニエータは真っ直ぐなのに、標識だけ倒れているのが不気味だ。
流されてくる過程で自然と浮き上がってきて、ポロッと倒れたっぽい感じ。地面の支持力が蕩けてしまう瞬間があったということだろう。
16:02 《現在地》
もう一つのヘアピンカーブの入口に差し掛かった。
この辺りには路面の地割れや凹凸がほとんどなく、勾配も普通なので、いわれなければ300mも流れてきた道だとは誰も思わないだろう。
ところで、トリさんの目線が注がれている路面上の白い物体にお気づきだろうか?
こいつの正体は……道路鋲だ。
道路鋲とは、センターラインなどに設置される小さな金属板であり、タイヤが乗り上げた際の振動でドライバーに注意を促したり、取り付けられた反射材やLEDで視線誘導の補助をしたりする。したがってデリニエーター(視線誘導標)の一種である。
帰宅後に、形状やロゴマークから製品の特定を行ったところ、株式会社倉本産業が製造するキャッツアイKC-8という現行製品と判明した。定価は2620円。このカーブだけで10個以上は使われていたと思う。
うおーーー!!
めっちゃバンクしてる!
荒砥沢サーキットでもあったのかここに?笑
辺りの地面全体が右へ20度ほど傾斜しているようで、杉も斜めに生えるわけだ。
歩行者にとっては、気持ち悪いことこの上ない傾斜だった。
でも、こんなに傾いているのに、アスファルトにはひび一つなかった。
ここだったら! ここにいたのなら、巻き込まれてもたぶん助かったと思える。
まあ、そのあと自力で人里まで脱出できるかは分からないが…。
ヘアピンカーブの出口付近。
バンクした路面が、うねるような曲面を見せていた。
今回歩いたここにある一繋がりの路面は、総延長が約550mほど。
地滑りに呑み込まれた区間の全長は推定で約3000mあるので、その5分の1弱だ。
残りの5分の4については、ほとんど地表に形を留めず消滅した模様。
16:07 《現在地》
第二のヘアピンカーブを過ぎると、路面の傾斜は平常に戻ったが、同時に路上への土砂の流れ込みが増えてきて、あっという間に緑化完了! …となった。
下り坂の勢いも借りて掻き分けるように進んでいくが、気付いた時には足元の感触は土に変わっていて、方向的には見失うはずのない道が、視界から消えていた。
道と原野がシームレスに繋がっている感じで、このまま廃道は我々の前から姿を消してしまうのだと理解した。
道が消え去るおそらく最後の瞬間に、彼は秋の恵みを我々に見せた。
キノコである。
地面を埋め尽くす量だった。
食えるキノコなのかも知れないが、ありすぎて正直気持ち悪かった。
廃道からの餞別だと思ったが、お気持ちだけ……いただいて……サヨナラした。
突然に地面いっぱいのキノコとか、やっぱり何かがバグっているのかもしれない。
16:15 《現在地》
キノコの山から、そのまま道の延長線上にある灌木帯を数十メートル掻き分けると、
見覚えある工事用道路の一角に脱出できた。これで一連の“流され廃道”の攻略は完了。
早朝からハードな林鉄を探索し、少しだけ早く下山できたからと、
すぐさま変な廃道に連れてこられた仲間達の困惑気味の表情がウケる。
彼らとは、ここでお別れしよう。HAMAMI氏は秋田へ帰り、明日の勤務に備えねばならない。
トリさんに至っては、東京から夜通し走ってきたのに、また東京に帰らねばならない。
予想される日没時刻まで、あと55分しかないが、私だけが居残りして、
「B」地点を目指したい。(可能そうなら「A」地点も)
2020/10/7 16:43 《現在地》
前回最後のシーンから約30分後、独り現場に居残った私は、付け替えられた市道荒砥沢線を車で走り、ここへ移動してきた。
ここは市道荒砥沢線旧道の北口付近で、前後に伸びている1.5車線道路は、市道馬場駒ノ湯線という。
奥の車を駐めてあるところが旧道の北口であるが、手前に「指定方向外進行禁止」の標識が設置されていた。
そしてなぜか「自転車を除く 21-5」という補助標識がついていた。
自転車以外の車両は21時から5時まで左折できないということだが、逆に言えば、歩行者と自転車はいつでも左折できるということだ。
左折、できる……?
特にバリケードには何の説明書きもないので、公道を封鎖するにはいささか説明不足の違法状態であるが、「四の五の言わないで判れ!」と言わんばかりである。
この先は、荒砥沢地滑りという一時は報道も頻繁にされたニュースの現場だ。
にゃん♪
っと、ぬこ用のバリケード隙間を利用して、道路交通法に従いつつ自転車で進入した。
それ以前に、道路交通法では交差点内とその5m付近への駐停車は禁じられているはずじゃ…。
入るまで気付かなかったが、通りの反対側にカーブミラーが設置されていたんだな。
ここが分岐でなくなった今、不要の存在になってしまった。
これは発災2日後の航空写真の画像。
これまた、300m移動した道とは別の意味で衝撃的な光景だと思う。
なんというか、一道路利用者の心理として、恐ろしい。
全く瑕疵のない存在のような2車線道路が、唐突に崖になっている。
その途中にガードマンやバリケードがある様子はない。
この撮影時点では、既にここへ来る手前で道は封鎖されていたか、あるいは崩壊のため車では辿り着けなかったと思うが、仮にそうでなかったとしたら、たとえば地震の直後にここにいたとしたら、それは決死の状況である。
震度6弱の激しい揺れに驚かされた直後、まずは下山を急ごうと、うっかりこの綺麗な道に車で突入してしまったらと思うと……、恐ろしい。
まあ……、現状では、心配は要らないかな。
綺麗な道を走っていたら突然崖から落ちるという心配は、なさそうだ。
こんなんだもの。♪グリーングリーン。
平成20年まで健在だった2車線道路の跡とは思えないくらいの藪である。舗装は残っているのだが。
あと、よく見るとここにはA形のバリケードが幾つも散らばっている。本格的バリケードを設置するまでの繋ぎか。
最初の15mくらいが激藪で、そこを過ぎるとマシになった。
このくらいなら、自転車に跨がってゴイゴイと進んで行ける。
微妙に下り坂になっているしな。
分岐地点から、主滑落崖によって道が切断された「B地点」までの推定距離は、たった160mほど。
このペースで進んでいけば、あと1分くらいで到達しそうだが……
くれぐれも、速度は出しすぎるなよ!
きっ きた?!
・・・・・・、
いや、これは違うな。
ぽつーんと置かれたグリーンなコーンの先で、唐突に舗装路が途切れていたが…
これはまだ、主滑落崖ではない。
16:45 《現在地》
分岐から40mほどの位置で旧道を寸断していたのは、災害対策工事の工事用道路だった。
この道は最新の地理院地図にもなぜか全く描かれていないが、広大な地滑り被災地内を縦断する形で開設されている。
もともと道のなかったところに急遽作られたものであるが、なんとご覧のように、市道荒砥沢線の旧道をぶった切っていた。
まあ、なんの役にも立てなくなってしまった旧道を尊重しろというのは無理があるのは分かるが、残酷な光景だった。
そんな訳だから、「B地点」へ進むためには、工事用道路を横断しなければならない。
しかし、横断のためにはここから降りる必要があり、急なので容易ではない。
ここは一旦仕切り直して、足元の工事用道路へ別ルートから進入することにした。
転進!
16:47 《現在地》
わずか2分後。
今度は、市道荒砥沢線の旧道入口から市道馬場駒ノ湯線を30m西へ進んだ地点であるが、ここにもう一つの新旧道分岐地点がある。
上記の《現在地》を見ていただくと分かるが、荒砥沢地滑り災害によって付け替えられたのは荒砥沢線だけではなかった。
この馬場駒ノ湯線についても、約700mにわたって付け替えが行われた。
崩壊に直接呑み込まれたわけではないが、主滑落崖が近すぎたため地盤不安定となり、将来の危険防止のために付け替えられた。
右がその新道で、左のガードレールの向こうに横たわっている草むらが、旧道。
だが、電柱は今も旧道沿いで維持されている。
馬場駒ノ湯線は1.5車線道路で、荒砥沢線よりも狭かった。
だが、歴史は遙かに古い道であり、路線名にある終点の駒ノ湯は江戸時代から湯治場として存在していた。
車道として整備されたのは、駒ノ湯付近の栗駒高原一帯に、耕栄開拓地が大々的に開発された戦後間もなくで、麓から遠く離れた開拓民達の生命線として維持されてきた道だった。
旧道を自転車に跨がって進むこと50mほどで、視界が急に開けた。
そこにあったのは――
16:49 《現在地》
だだっ広い工事用道路!
ダンプカーなどの大型車両がたくさん出入りした工事用道路は、さすがに余裕の道幅である。
馬場駒ノ湯線の旧道は、ここで工事用道路に進路を奪われる形になるが、これは旧道の一部を工事用道路に転用したためである。
だが、この工事期間中に一般車両を通行させる目的で別の仮設道路が整備された。それが正面に見える旧道と同じ幅の舗装路の正体だ。
以上のことを文章だけで説明しても分かりづらいと思うので、《現在地》の地図を見て納得して欲しい。
ともかく、私の探索の合目的的には、ここから工事用道路へ左折する必要がある。
いざ、数分前に【見下ろした】工事用道路へ進入!
幅は広いが砂利敷きという、いかにもダンプカー好きがしそうな工事用道路だ。
何かのケーブル類が道端にまとめて這わされているのが、なんだか物々しい。
道はすぐに急な下り坂となり、どんどん私の自転車に加速を促してくるが、
いい気になって飛ばせばアウトだ。すぐに“問題の現場”が来るはず。
16:50 《現在地》
来た!!
市道荒砥沢線との接続しない交差地点だ。
目をこらしていないと絶対に気付かないと思うが、両側の法面上に寸断された旧道が横たわっている。
ここから右の斜面を適当に登り、主滑落崖「地点B」へ通じる旧道へアプローチする!
登攀!
ぞくぞくぞくーッ
なんか急に戦慄が走った。
……もちろん、私に予知能力なんてものがあるのではなく、
既にこの先を、反対側から見て、【知っている】が故の反応だった。
夕焼け色の空が、小さな切り通しの向こう側に見える。
普段ならなんてことのない、ささやかな峠の風景だろう。
だが、あの夕焼け空の下に、
地面が無いとしたら…?
“5”
これは振り返った景色。
すぐ後ろで道は切断されていて、まるで退路がないかのよう。
こんなに綺麗なまま、誰からも顧みられなくなってしまった不幸な道を、こういう日没間際に歩くというのは、精神衛生上宜しくない。
ここまで気持ちに「来る」とは、いざ独りになってこの状況に踏み込むまで、考えていなかったな……。
道はまだ世界と繋がっていた幸福な時代の記憶を、道路標識として留めていた。
……いや、引っこ抜かれて側溝に捨てられた状況では、留めていたとは言えないか…。
ともかく、丁字路を予告する標識が落ちていた。
もちろん今回冒頭の交差点を指している。
市道荒砥沢線の旧道で見つけた3本目の道路標識であり、この3本だけが地上に残ることができたようだ。
倒れたバリケードが再び出現した。
これがかつての“最終警戒線”かも。
工事用道路によって旧道が寸断され、うっかり立ち入る可能性が無くなった時点で、
この位置のバリケードは役目を終えたことだろう。
“4”
道が続いているべき位置に、空がひらけ始めた。
“ 3 ”
もう、これ以上の封鎖物はないらしい。
“ 2 ”
私は、世界の果てに立つときの心境が、どういうものであるかを知った。
“ 1 ”
“ 0 ”
お読みいただきありがとうございます。 | |
当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口 | |
このレポートの最終回ないし最新回の 【トップページに戻る】 |
|