道路レポート 栗原市道荒砥沢線旧道 最終回

所在地 宮城県栗原市
探索日 2020.10.07
公開日 2021.06.13

 「B地点」 主滑落崖による旧道切断地点


2020/10/7 16:56 《現在地》

世界の果て。

日没直後、私はここに辿り着いた。

市道荒砥沢線が、地滑りの上端に出来た巨大な崖、主滑落崖によって切断された末端だ。

ここの崖は主滑落崖の中では側面にあたる部分で、高さは30〜40mといったところか。
最も高い部分は150mに達するので、それと比べればだいぶ「大人しい」のだが、
万が一滑り落ちたときの結果はどちらも変わらないだろうから、やっぱり恐ろしい。
勇気を振り絞っても、写真の立ち位置が限界であり、左にぶら下がっているガードレールの
行き先をこれ以上眼で追いかけることは、恐ろしくて出来なかった。



崖下は、このように巨大な空間となっている。
地滑り前は、一歩先からずっと先まで緩やかな斜面があり、
爽快な道が続いていたのだが、見渡す限り失われた。

平成20(2008)年6月14日8時43分、この北北東約14kmを震源とするマグニチュード7.2の大地震が発生し、
その瞬間、荒砥沢ダム付近では1000ガル以上の烈しい衝撃があった。(最寄りの震度計は震度6弱を表示)
(この地震が震源付近で観測せしめた4022ガルという数字は、
地震による最大加速度のギネス世界記録であり、そこにあった橋はこうなった



この衝撃をきっかけに、地下に潜在していた地層境界面を滑り面とする地滑りが発生し、
幅900m、長さ1300mの地表面が、平均斜度5%の緩やかな滑り面に沿って最大で300m以上滑動した。
もともとの地表の平均斜度は10%程度だったが、このような一見崩壊とは無縁そうな緩やかな山が、
地震の衝撃と地中にあった層理が複合した原因となって、観測史上稀に見る巨大地滑りを起こした。

上図の「移動体」の部分は、地表が比較的原形を留めたまま移動したため、
先に探索した“旧道の九十九折り”が残ることになった。



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地滑り跡地を全天球画像で見ると、まるでクレーターのようだ。

異様な光景ではあるが、10年の間でかなり緑が復活しており、
特徴的な周囲の崖壁や、2つあるリッジと呼ばれる山脈状の突起地形の存在を除けば、
災害地の物々しい雰囲気は薄れつつある。

それだけに、行く宛てなく空中に飛び出しているガードレールが一層奇異な存在に見える。
私の一歩先の路面は、ただ陥没によって崖の下へ落ちたのではない。
落ちながら遠くへ流されていった。そして、次に道路が地表に現れるのは、
ここから約200m離れた、第2リッジの左側付近である。



これまで何度もご覧いただいた発災2日後の航空写真を見ると、
「C地点」の位置にも、一欠片の路面が見えていた。
このスケールだと小さく見えても、実際は50mくらいの長さがある塊だろう。

チェンジ後の画像は、災対工事が進捗した3年後の状況だが、
ちょうど「C地点」のすぐ近くを、工事用道路が通過しているのが分かる。
「C地点」の路面自体は判別しにくくなっているが、わざわざ撤去したとも思えないので、
普通に残っているのではないだろうか。



「C地点」は、地理院地図上だとこの位置だ。
工事用道路が第1リッジと第2リッジの間の陥没地帯を通過しており、その入口付近で「C地点」を掠めている。

前半の探索で【陥没湖】のために近づけなかった「A地点」へ辿り着くための時間は、もう残念ながらない。
せめてこの「C地点」を攻略することで、今回の探索を締めたいと思う。




この図は、地滑りによって各地点がどれだけ移動したかを東北森林管理局が調査したもので、紫、赤、青の矢印は、それぞれ沈下、隆起、水平方向に滑動したことを示している。

これから向かおうとしている「C地点」にある路面は、元々は現在地「B地点」の50mほど先にあった路面だったが、それが水平距離248m、鉛直距離-35mだけ移動したと推定されるというのである。


それでは、行動開始! 「C地点」を目指すぞ!


17:01 《現在地》

工事用道路に戻り、自転車を飛ばす。
この道は主滑落崖の比高を短距離でクリアしているので、かなりの急勾配になっている。
明るいうちに「C地点」に到達することが今日の最後の目標であるから、下り坂に任せて全速力で移動した。



17:03 《現在地》

ひとしきり下ると丁字路に突き当たった。
左右共に工事用道路だが、私は右へ向かう。




右折の先はこんな道。
簡単なチェーンゲートが閉じられていた。
道幅もここから急に狭くなり、ただの林道のようだ。
急な下り坂も終了し、ほぼ平坦である。

チェンジ後の画像は、分岐地点の北西側に見える池だ。
もうすっかり馴染んだ風景に見えるが、10年前の山崩れで谷が堰きとめられたことで誕生した新しい地形である。
池のある谷が地滑りの境界線で、向かって左側が動いた大地である。
特に緑化のための工事はしていないらしいが、すっかり緑に覆われた。植物強し!



17:05 《現在地》

右折するすぐに長い真っ直ぐな切り通しがあり、抜けると直ちに視界が開けた。
写真はそこで撮った。

正面に見える採石場のような巨大な崖が、この地を一瞬で地獄へ変えた元凶である主滑落崖であり、その落差は150mに達している。
緑の山の中にあるその崖は、日本各地でそれなりにありふれた、採石場のようだった。
普通、大自然の猛威を人工的な採石場のようだと評することは矮小化のようだが、こんなに馬鹿でかい崖が緑の中に忽然とあることの不自然さが、採石場を思わせた。




同一地点から右側に視線を移動させると、樹木の向こうに10分前までいた「B地点」が見えた。
あのガードレールは、目印として部類の強さを発揮している。
あれがなければ、下にいてあそこが道だと知ることは出来ないだろう。

さて、足元の工事用道路は、このあと第1第2リッジの隙間を抜けて、荒砥沢ダム方向へと下っていくが、私はそちらへ向かわない。
ここにいる時点で既に、少しだけ道を間違ったのだ。
少しだけ引き返すぞ。



ここは、直前に通り過ぎた“長い真っ直ぐな切り通し”である。

「C地点」と私が勝手に名付けた、わずか50mばかりの飛び地的な道路遺構は、この南側の法面の直上にあると考えている。

見ての通り、現地的には完全ノーヒントであり、事前の航空写真調査(縮尺の異なる新旧の航空写真を正確に重ね合わせる面倒な作業)を綿密に行った故の気付きである。
よく気付いたと、いつものように自分を誉めてあげたい。(私の探索に対する自己評価は総じて高いぞ…笑)

……まあ、よく考えたら、誉めるのは、成果を挙げてからだな。

こんなツマラナソウナ法面をよじ登って何もなくて、しかも時間切れで夜になって終わったら、だせぇ。
なんでここは、是否とも道があって欲しい場面。

ガシガシ登る!




17:10 《現在地》

あった〜〜!!

絵的には超ツマラナイ藪の中の廃舗装路。

こんなものを見つけて「あった〜」とか、中学生時代だってもう少しクールだったぜ。

……でも、このデリにエータなんてさ、俺がこうして見つけてやらなかったら、奇跡的に地上に残った意味がないからな。
ほんと、ちゃんと見つけてあげられて良かったと思う。
時間的にもギリギリだった。





この路面は、本当に“狭い世界”である。

この路面を乗せた推定50m四方ほどの小さな地面は、巨大な地滑りによって濁流に揉まれる木の葉のように流されながら、ひっくり返ることなく最後まで地上に残った。
248m移動する間に、35m沈降し、道の向きも117°も変わってしまっているという。
それでもこの路面は残った。




すぐさま道の先端を目指して歩き出した。
路面は酷く凸凹していたが、舗装が残り、センターラインも見えた。
烈しく南高北低に傾斜していて、まるで沈没する船の甲板のようだった。

すると1分もかからず終わりが見えて来た。
やや遠いところの目線より少し上に、土っぽい風合いの岩脈が突出しており、それは第2リッジであった。




17:12 《現在地》

欠片となった道の終点、「C地点」に到達した。

ここから見えるのは、引きちぎられた大地の様相だ。
いまいる小島のような小丘は、本来なら第2リッジと地続きだった部分だろう。
既に大半が緑へ還った地滑り地形内の起伏は想像を超えて複雑であり、
すぐ近くに見える場所でも、道がなければ、容易には辿り着けない。

やはり、工事用道路からも離れた「A地点」への到達は、一筋縄ではいかない。



おおよそ50m先に見える第2リッジだが、その名の通りの鋭さを見せる尾根上に、

なんと人工物が見えた!

それも2つも。

まずは、左側の黄色い枠線のところには――



正体不明物体?!

コンクリート製の巨大な三角柱状の構造物が、狭い尾根の上に、意味不明な感じで乗っていた。

天と地がひっくり返った、それほどの天変地異の現場だが、それでもこの突拍子の無さは印象的だった。

しかも、残念ながら時間的にもう近づいては確かめられないのがね……。



そしてもう一つ、

第2リッジ上にある人工物が――



あそこにも、路面がありますね…。

第2リッジの尖った尾根の上にも、一欠片の路面断片が!!

これを見つけたことで、同リッジ上にある前述物体の正体は、路肩の重力式土留擁壁と判断できた。



第2リッジ上の路面断片を、「D地点」と名付ける。
だが、到達可能性は現在まで未確認である。

日没のため探索終了し、撤収。


報道によると、地滑りの当日、宮城県大崎市に住む55才の男性1人が
釣りの目的で荒砥沢方面へ車で出掛けたまま、いまも行方不明である。

既に樹海になりつつある荒砥沢の道路外には、深い闇が横たわっている。
危険な地形であり、気軽な探索は慎むべきなのかも知れない。
とはいえ、存在しうるあらゆる道の態を知りたいと思う者にとって、
見るべきものがあるのも確かである。