2009/9/28 11:04
←鼻欠地蔵の鮮明ならざる御尊姿を拝しつつ、
「入ったら最期」を思わせる看板がある道へと、進入する。 →
ところで、この道の行き先はどこなのだろう?
「車両の」通り抜けが出来ないと案内されているが、行き止まりだとは書いていない。
試しに地形図を見てみよう。
問題の道は、横浜市金沢区と鎌倉市を隔てる山脈(三浦半島の脊梁)の一角へ分け入ろうとしているようだ。
もっとも、横浜市側の“山”はもうあらかた切り崩されて整然たる住宅地へと変貌を遂げており、
この道がどれほど羊腸険阻な展開を希望しようとも、限界がすぐに訪れる事は明白であった。
上手く北西方向へ峰伝いに進みでもしない限り、数百メートルで終るに違いない。
とまれ、何処へ通じているかについては、まったく見当がつかなかった。
もちろん、何のための道であるかについてもだ。
それでは、いざ進入!!
道はかなりの急登坂で、北の方向へ向かっていた。
そして、案の定というべきだが、道幅が狭い。
入口に幅員1.7mの制限標識があったが、そこからずっと乗用車1台分の幅しかなく、待避するようなスペースは皆無である。
しかも山腹に沿って道は小刻みにカーブしているのだが、カーブミラーのようなモノもないから、万が一対向車と鉢合わせになったら…
…一方は“オールバック祭り”ということになる。
こんな風にただでさえ道幅が狭いのに加えて、路肩に背丈のある落石防止柵まであるものだから、いよいよ圧迫感が凄い。
すぐ下には平穏な“日常”があるというのに、不幸なドライバーがここで顔を真っ赤にして、首を捻挫する勢いでバックに興じている光景を想像すると、そのギャップが面白かった。
入口から7〜80m進むと、道の高さは早くも下界の家々を見晴らすようになっており、勾配の激しさを物語っている。
路面のコンクリート舗装が特殊なパターン舗装になっていることにも注目したい。
そして、道幅もここまで全く緩むことなく狭いままであったし、路肩から来る圧迫感も変化が無い。
ここで特筆したいのは、素掘の法面が纏う緑の衣の事である。
垂直に近い法面の表面には、隙間無くアジアンタムが茂っていた。
アジアンタムというのは、園芸用としてもメジャーなシダ植物だが、関東では自生しているのもよく見る。
しかし、これほどアジアンタム一色の法面というのは見覚えがない気がする。
まさに緑色の壁だった。
続いて現れたるは急な左カーブ。
ここで道は片勾配の山腹を離れて、急な登りのまま尾根筋に取り付いたように見受けられた。
道幅も相変わらず狭いままであったが、左側のアジアンタム法面は無味乾燥な吹き付け斜面に置き換えられてしまった。
対して右側に立ち上がった法面は素掘のままだったが、そこに清涼を呼ぶアジアンタムの姿は無かった。
ところで、この次のカーブを曲がったところ、
驚くべき展開が待ち受けていた。
それは、まったく予想外というべき光景だった。
ナンダッテー!!! →
向こうから、車がやってくるではないか!
しかも、
バックじゃない!!
これってどういうこと? ゆゆしきじたいだ!!
以上のような可能性が考えられるが、個人的には「3」を期待したい。
なんてあっけに取られている内に、車は私の横を素通りして下界へと消えていった。
それにしても、こういうとき秋田なら絶対“軽トラ”なのに、さすがは都会だなと思った。
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おっ、 これは…!
なんだか、トトロの森(by となりのトトロ)っぽいな。
いいかんじだ。
道は相変わらず細い(ここまで離合可能箇所なし)が、雰囲気はだいぶ変化している。
冒頭を支配していた、都会の片隅にある森の“肩身の狭さ”はナリを潜め、言われなければ決して横浜市内とは分からないような風景である。
誰かが丁寧に掃除しているのか、そもそも立ち入る人が少ないのかは分からないが、都会の山にありがちな不法投棄の山も全く見られない。
そもそも、この直線的な掘り割り道は、なんなんだ?
これが新しい道でない事は、もう明らかだろう。
しかもそれは“明治馬車道”でさえなく、古道や街道が纏う独特のオーラと同じものであるような気がした。
…そういえば、
入口のお地蔵さまは、どうしてあそこだったんだろう?
ある可能性に考えが至ったが、それは探索が終ってから改めて。
今はそれより、行く手が明るくなってきた事に注目だ。
11:10
明るさは木々の切れ間からもたらされたものであり、行き止まりというワケではなかった。
まだ右の方に道は続いていた。
だが舗装はここまでで、この先は未舗装のようである。
そして、この舗装の終わりの地点には、初めてクルマの転回が可能な広さがあった。
先ほどの軽自動車は、ここまで来てUターンしたと考えられる。
はっきり言って、“あの脅迫看板”の結末としてはインパクト不足であると思ったが、私の心は既に別のもので満たされ始めていたから、がっかりする事もなかった。
それに、なんだかんだ言っても、入口から400mにわたって待避所もなく離合不可能状態が続いていたのであって、やはり、看板の脅しには素直に従っておいた方が良い事は、間違いないであろう。
未舗装化=車道でなくなった。
そういう風に判断して良いのだろうか。
この先の道幅は、いよいよ4輪車が入れないものである。
(ちなみに、この左には旧耕作地なのか、明るい草地があった)
シングルトラック化したが、相変わらず私にとっては楽しい道であり続けた。
というのも、勾配が依然として車道ベースから逸脱せず、藪も蜘蛛の巣が多少顔にかかる程度であって、自転車で走行するには何ら問題とならなかったからだ。
おそらくこの辺りでは希少価値がありそうな、MTBの走行が規制されていない天然のダート道路であった。(ダート市道ですな)
やがて道は登り尽くしたようで、小刻みな起伏と曲折のある尾根線の上を行くようになる。
ここは出会う人もなく、静かな林間の道である――と書きたいところだが、さすがに後者は望むべくも無い。
おそらく横浜横須賀道路から聞こえてくるらしい車の絶え間ない走行音があり、反対の方向からも学校のチャイムなどの生活音が聞こえてきた。
子供が自分だけの秘密の場所を見つけたときに感じる高揚感のやや老いたるものが、私を普段以上に前のめりにさせた。
普段の廃道ではリスクを恐れて試さないようなアクション的な走行を、しばし(といっても3分)楽しんだのだった。
11:13 《現在地》
再び森が途切れ、左の方向に明るい世界が現れた。
しかも今度はかなり広々としており、
地形図上ではあれほど窮屈そうに見えていた山が、
起伏のある現実の世界では、
意外なほどの広がりを持っていることを知ったのだった。
そしてここは、無人ではなかった。
とても良い意味で。
明るい緑の広がりは、果樹園だった。
そして私がいる道からは、ほっかむり姿の優しげな背中が間近に見えた。
八景島シーパラダイスがある横浜市金沢区内に、
自動車では来られない果樹園が現存していようとは、
まだまだ私の想像力が現実世界を正確に象るには、経験が足りな過ぎるのだ。
様々な歴史を織り込みつつ、
道(未知)はなお続く。
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