道路レポート 塩那道路工事用道路 導入

公開日 2015.5.22
探索日 2011.9.28
所在地 栃木県日光市〜那須塩原市


【周辺図(マピオン)】

再び、天空に挑む。


―― 塩那道路、6年ぶりの再会の日の出来事 ――





と言う感じで、いつにも増して仰々しくタイトルを飾ってはみたが、この道路については既に別の媒体で発表している。
2012年11月に刊行された「廃道をゆく4」がそれである。
しかし誌面の都合上、どうしても短くまとめねばならなかったから、私としても生涯で十指に入るであろう愛すべき廃道「塩那道路」で再び過ごした時間について語り尽くせなかった部分があることや、何より塩那道路のレポート本編を2005年に公開してから現在に至るまで、皆さまから再訪についての要望が多く寄せられている。
その中でも特に多いのが、第7回に少しだけ登場する「工事用道路」を解明してほしいというものであった。
「廃道をゆく4」で紹介した後でもそのようなコメントは多かったので、2011年に行った塩那道路工事用道路の探索の模様を今回改めてレポートにまとめることにした。

あなたはこの編で、時を経た工事用道路というものの現実を痛いほど思い知るだろう。  デュフフフフ…




まずは塩那道路についての簡単な復習だ。

塩那道路は、昭和39(1964)年に栃木県が建設計画を発表した、塩原温泉と那須高原を結ぶ全長約51kmに及ぶ山岳観光道路である。
標高1700mを越す稜線を走る文字通りの「塩那スカイライン」だが、沿道集落は無論のこと、途中で接続する既存道路も皆無という、極めて困難な工事条件であったことから、栃木県は自衛隊に工事を委託し、昭和46(1971)年には全線にわたるパイロット道路(完成形のベースとなる道路)が完成した。

だがその後の本格的な整備は、有料道路としての採算への疑問や、県の財政悪化、環境問題などから停滞。
工事中を理由に大部分の区間を一般車通行止めとした状態のまま、県道266号に指定して最低限の維持補修を続けてきたが、平成16(2004)年に栃木県は遂に整備中止を決定し、廃止する大部分の区間の植生回復事業(廃道化工事)を今後20年程度かけて進める事が決まっている。
おそらく、実際に建設された単一の道としては日本最長の未成道である。

今回のレポートで取り上げる、“工事用道路ではないかと私が考えた道”は、右図の青線の位置にある。
この道をもし利用できれば、塩那道路の中でも標高の特に高い核心的なエリアに、塩那道路を利用するよりも遙かに短距離で近付く事が出来るはずだ。
そしてもし塩那道路がプロジェクトとして成功していた暁には、この道も支線として仲間に加わっていたのかも知れない。
とにかく、妄想がいろいろと捗る道だった。



前述した通り、塩那道路の途中に接続する既存道路は皆無だが(公的な登山道さえない)、私が初めて塩那道路の探索を仲間とともに行った平成17(2005)年頃の電子地形図(ウオッちず)には、“工事用道路ではないかと私が考えた道”が破線で描かれていた。

だが、その後の平成24年頃の更新によって破線の区間は削除されてしまい、さらに平成27年の現在では、塩那道路そのものがすっかり消されてしまっている。
これが、公式に廃道と決められた道の現実なのであろう。
道の消えた峠になぜか出現した「瓢箪(ひょうたん)峠」の注記が、なんとも痛々しい。


ところで、この探索が相当に困難なものになるだろうということは、地図を見た段階で予測出来ていた。
探索当時の最新の地形図からも既に消えている破線道に挑むのだから当たり前だが、それ以上に私を怖れさせたのは、その圧倒的な高低差であった。

スタート地点として設定した国道121号沿いの日光市横川の標高は約780mで、塩那道路(記念碑)は約1700mにある。標高差920m。
このうち“消えてしまった破線の道”が担うのは、標高1080m付近から上、つまり620mもの高低差を地図から完全抹消された道で上らねばならない。
この数字がどれほど大変なものであるかは、オブローダーのほかには、藪山登山をされる方にしか分からないかもしれない。


そして、そんな大変さを覚悟して挑んだ道の正体は、ぜひとも「塩那道路と関わりがある道」であってほしかった。
そう願うのは、オブローダーとしては当然のことだろう。
私は別に、道無き山河を跋渉して、何でも良いから塩那道路に立ちたいというわけではないのだ。
あくまでも、塩那道路と関わりがある廃道を辿って、塩那道路をもっと深く探りたいのである。

そして読者諸兄にとっても、この“工事用道路ではないかと私が考えた道”の正体は、大いに興味のあるところだと思う。
人によっては、その現状以上に興味があるのではないだろうか?
探索のレポートと順序が逆になってしまうが、先に私が知り得た正体を明かしてしまおうと思う。
私は説明可能な根拠を持っていなかった探索前の時点から、なぜかこれを工事用道路と信じて疑っていなかったが…。





“工事用道路ではないかと私が考えた道”の、 本当の正体


ずばり正体は、塩那道路の工事用道路でした。

はい。以上。(笑)

経緯は次の通り。
私は2011年9月に探索を終えてしばらく経った翌2012年の夏頃に、県道266号(塩那道路)を管轄する栃木県の大田原土木事務所にメールで問い合わせたのである。「以前の地形図に描かれていたこの破線の道は、塩那道路の工事用道路でしたか?」と、単刀直入に。もちろんワルニャとかそういうことは書いていない。
お返事を頂けることは必ずしも期待していなかったが、1年の間に栃木県立図書館を訪れて新聞記事を含む塩那道路建設当時のいろいろの資料を漁っても、この道の正体についての成果が得られなかったが故のほとんど最後の手段であった。

そしたら、メールを送ったことも忘れつつあった10月終わり頃になって、とても丁寧なお返事を頂戴したのである。
以下、その最も重要な部分を転載する。

大田原土木事務所から送られてきた回答文(一部)

お問い合わせから本日までの確認結果ですが、横川地区は旧藤原町で日光土木事務所が工事を担当しておりました。
また、お問い合わせにありました「工事用道路」は、まさしく中間部付近の工事を行うための「工事用道路」で間違いないようです。
昭和39年から自衛隊がパイロット道路建設に着手し昭和46年10月に貫通しておりますが、その際に工事用道路として建設し、保全工事の際に資材搬入路として利用したようです。
その後、昭和50年に起点塩原側と終点板室側の優先区間を除き、改良工事が一時休止となり維持工事のみとなりました。
そして、昭和50年前半に工事用道路は植栽が施され森林管理署に返還されたようです。


標高差600mを一気に駆け上る工事用道路は、確かに実在したのである。



↑「栃木県土木史」に掲載されていた、塩那道路の工事風景写真。昭和46年撮影。


それでは私の探索の模様をご覧頂こう。

あの日2011年9月28日、快晴が予感された、暁の出発を。



暁の出発  塩那道路の先制精神攻撃


2011/9/28 5:22 《現在地》

ここは日光市横川の国道121号。
目の前の国道をあと2kmほどの真っ直ぐ進めば福島県南会津町に入るという、関東地方の一極地である。

既にクルマはこのすぐ近くに停め、いつもの自転車に乗り込んでいる。
まだ東の空に日は見えていない。
今回予定している行程の前例を知らないので、どのくらい時間がかかるのかも分からない。だから夜明けとともに走り出すことにした。

9月28日というまだ平野では暑い時期なのに、標高800mを越える当地では、嘘でなく震えるほどの寒さだった。
しかし防寒着を着てスタートしても日が昇ればすぐに暑くなって脱ぐと分かっていたので、悩んだ末、念のためリュックにねじ込んだ。
今日は私一人だから、出発の声を掛けあう相手はいない。
「よし」といつものように独りごちてから、すぐ先に見える右の道へと漕ぎ出す。




国道から右へ折れた通りは、横川の旧国道である。
その両側には近世の会津西街道に由来する横川の小さな宿場街が、まだ寝静まっていた。

今までも明るい時間には何度もここを通っている。
旧国道として走ったこともあれば、男鹿山林道にも別の用事で途中まで分け入ったことがあった。
だから、私にとってこの集落には愛着と呼べるものがあった。
そういう景色の中を黙然と突き進む自分の姿を、故郷に別れを告げ戦場へ向かう兵士と重ねて連想したのは、些か出発のヒロイズムに酔い過ぎか。
しかし、今回は自衛隊の碑を目的地に据えた旅だから、全く無関係な連想というわけではないだろう。それに、あの滅多に人を寄せ付けない碑と再びまみえる事は、目的のひとつだった。

宿場の通りの突き当たりで、道はまた二手に分かれる。
左は旧国道の続きですぐに現国道と合流するが、私が向かう男鹿山林道および「塩那道路方面」は、右折である。




そして右折と同時に、呼吸を一瞬忘れるような光景が。



スタート直後に、もう見えちまった。

この探索の最終目的地と言うべき、塩那道路が走る稜線が。


この瞬間、地図上では確かに長さを数える事が出来た13kmという道のりが、

その数字の何倍も、何倍も、想像できないほどに長いもののように思われた。

圧倒的に気圧された! 間もなく日の出を迎えようとしている、黒い稜線の高さに!


望遠で見てみた↓↓


画像に書いてあるコメントは、本当です。

残念ながら私は、何度もここに来ているのに未だに生で見たことがないですが、
(意外に天候の条件が厳しいみたい)

ここから塩那道路が見えるときがあります。

この時も見えなかったが、でも、あそこを通っていることだけは分かっていた。
だってそれは、地図を見れば分かること。

だからこそ、私はこの眺めだけで気圧され、

標高差900mの登攀に、戦慄を憶えたのだ。



え?  でも見たい?  見せろって??



そうですか……



分かりました。

ご覧頂きましょう!


これは、私の探索後にかっつぁん氏という方が送って下さった画像である。



これでも天空に挑みますか?
今ならまだ、やめられますよ?


ある意味、私が挑戦したときに塩那道路が見えなかったのは、
この道が私にくれた優しさか、エールだったのかも知れない。
(いや、実際にはきっつい先制精神攻撃を食らった気分だったが…)



塩那道路まで あと130km