道路レポート 
静岡県道38号掛川大東線旧道にある
3本の煉瓦トンネルの先代ルート(掛川大坂往還) 第3回

所在地 静岡県掛川市
探索日 2023.03.19
公開日 2024.08.11

 子隣村から岩井寺隧道へ


2023/3/19 10:53 《現在地》

現県道の旧道と呼ぶにしてはいささか年代が離れすぎている、言うなれば祖先のような経路を慎重に辿っている。
現県道であればほぼ直線の平坦路1本で終わる区間を、よちよちと、曲がり、登り降りしながら、少しずつ進み、旧檜坂隧道の擬定地を過ぎて、舞台はかつての子隣村(掛川市子隣)へ。

引続き、市道和田子隣線を進んでいるが、ここで道端に可愛らしいオリジナル道路標識を発見した。
モチーフは「動物注意」の警戒標識だろうが、子供向けかと思うほど低く小さい手作りの木製標識。
そこには、手書きらしきしろねこが描かれており、よく見ると「すみません しろ」の文字。
ここを通行される方は、どうか、しろねこしろちゃんの飛び出しに、お気をつけ下さいませ。



10:57 《現在地》

旧檜坂隧道擬定地から約500mで、広い道路に三叉路でぶつかった。
これが【板沢】以来、約1.5kmぶりの再会となる現県道である。
ただいま〜〜。



写真は、三叉路を振り返って撮影。

これ、ちょっと地味に感動したんだが

三世代の道路が、この一点から三方に分れていた。

実はだいぶ前に檜坂隧道と岩井寺隧道を(雨降りの夕方に駆け足で)探索したのだが、あの時は旧旧道があったなんて知らなかったから、この交差点も単純に旧道と現道(と脇道)の分岐としか見ていなかった。
でも、今なら分かる。この景色の深み!
こういうふうに、新たな知見によって同じ景色が別のものに見えるのは、探索を深化させた醍醐味で、とても嬉しかった。

それにしても、右に見える檜坂隧道が開通し、ここが始めて新旧道の分岐地点になったのは、明治38(1905)年と随分な昔だ。
その後、中央にある現在の県道が開通したのは、昭和58(1983)年から63年の間(航空写真による)だから、80年くらいは檜坂隧道が“最新”の世代だったことになる。
それと比較してしまうと、いま通ってきた旧旧道の峠の隧道は、さほど長く活躍は出来なかったことだろう。



進行方向とは逆だが、こんなに近くにあるのだから、ちょっとだけ寄り道。

檜坂ひのきざか隧道。

既に見た【青田隧道】の煉瓦坑門と比較しても、こちらの方が断然上等に見える。
完成は10年こちらが新しいが、断面のサイズ感は似通っていて、煉瓦アーチの4重巻きという肝心の部分も一緒だ。
長さを除けば、両者の最大の違いは外見で、坑門における胸壁や扁額の有無にある。青田隧道には無いこれらの様式的な要素を檜坂隧道は完備している。近代化遺産として鑑賞されようにも、自らの名前を名乗るものを持たない青田隧道は少し気の毒だ。檜坂隧道は、あるべき場所にあるべき美しい扁額を備えている。この差は大きい。

鑑賞終了。反転して南下を再開。



10:58 

現在、三位一体の県道を南下中。
写真は、子隣地区に架かる「子隣橋」という、昭和45(1970)年竣工の小さな橋。
以前この橋を見つけたとき、すかさずツイートして、それが別にバズったりもしなかった橋だ(笑)。

この橋の片側の欄干は、少々変わり種だ。
鉄の支柱を持つコンクリート高欄とだけ聞けば、少し古い橋でありきたりなパターンだが、コンクリート高欄の直線的イメージに似合わず、これは他で見たことがないくらいぐにゃりと曲がっている。どうやって作ったんだ。こんなに曲がった型枠を用意して流し込んだのか? 
そこまで古いわけでもないのに、敢えてガードレールではなくコンクリートを使っているのも不思議である。



11:00 《現在地》

檜坂隧道前の変形四差路から南下すること約200m、ファミリーマートが角にある十字路が見えてきた。
背後には、再びこんもりとした黒い丘の連なり。これがかつて岩井寺隧道によって克服された、この子隣村と次の高瀬村の境界である。
そしてよく見ると、十字路の少し手前で道は二手、いや、実際には3本に分岐している。
これが、またしても変形四差路として姿を現わした、現道、旧道、旧旧道の分岐なのである。

言うまでもなく、直進の広い道が県道38号掛川大東線の現道で、そのまま奥の交差点も直進する順路である。これは昭和60年代に開通した。また、直進して奥の交差点を右折すると、路線名がよく似た県道249号掛川大東大須賀線となる。
手前の3本分岐の真ん中の道が旧道だが、これは既に役目を終えて簡単な方法で封鎖されている。
で、右のフレーム外に、旧旧道である里道の名残が沿道民家の出入り通路としてしぶとく存続しているのだが、現地ではうっかり失念した次第(申し訳なし)。グーグルマップやストリートビューでここを見ると、旧旧道の小道の存在がよく分かる)

ここでは、旧道を選択。



11:01

ごく短い廃道敷と化した旧道は、すぐに県道249号と交差。
この交差点から先、岩井寺隧道方面は現役利用中の旧道区間である。また、ここから先は掛川市の市道子隣大東線に認定されている。
ここまで来ると、岩井寺隧道はもう目と鼻の先である。

ところで、本編に登場する県道や市道の路線名にしばしば見える「大東(だいとう)」という地名は、平成17(2005)年まで小笠郡の太平洋岸に存在していた大東町(だいとうちょう)という自治体名に由来する。同年に、隣接していた小笠郡大須賀町と共に掛川市と対等合併し、新たな掛川市の一部になった。
さしあたり、岩井寺隧道を越えた先は大東町域であった。



11:07 《現在地》

またしても、ほとんど上り坂がないままに、峠の隧道に到達。

岩井寺がんしょうじ隧道。

先ほどの檜坂隧道とは、名前と長さ以外はほぼ一緒という、双子のような隧道である。
つまりこれも明治38(1905)年竣工の古物であり、オブローダーの経験則的には、これが第一世代の隧道と考えるのが普通だと自己弁護。
少なくとも私はそう信じており、2016年にここを訪れたときも、通り過ぎるだけで満足している。
そのときは、先代の道にも隧道があった可能性については、少しも考えなかった。

今回、明治22(1889)年の地形図を見たことで、始めて“識った”のである。
当然、再訪せざるを得なくなったが、こんなに楽しみな再訪はない。
旧檜坂隧道は残念であったが、航空写真などで事前観測した現地の状況的に、私の中での本命は最初からこっちだった。

現存していてもおかしくないと思うぞ……、旧岩井寺隧道は!



ここだな。

青田隧道と同じように、坑口手前から左の山手へ立ち入る踏み跡が用意されていた。
最新の地理院地図にも、この道が徒歩道として描かれていて、そのまま隧道上部の稜線上に達している。
とはいえ、道は稜線を越えるようには描かれていないから、これだけでは旧旧道と思わなかった道。

でも今は、これがめっちゃ怪しい。



11:03

岩井寺隧道の古ぼけた煉瓦坑門を横目に観察しながら進む。

目指すは、さらに奥。



道があるぞーー!!

それは幅2mくらいもあるしっかりとした掘り込みで、緩やかに登りながら稜線へ正対している!! 

これまで無数に見てきた峠のトンネルに挑む道の兆候、いわゆる“覚悟を決めた道”の雰囲気が、ここにはあった。

これはいよいよアツくなってきた!



日陰ながらも鬱蒼と下生えが茂る路上に、白くて目立つ小さなポリ容器が落ちていた。
拾い上げてみると、手書きの文字が書かれており……。
これは……、小豆……入れ? 妖怪小豆洗いの事を思い出したのは内緒だ。



11:05

道は完全に廃道状態となり、大量の倒木と青い葉っぱの跋扈するところと化していた。
しかし、道形そのものに迷いは感じない。
一直線に、峠の稜線を目指している。
しかも、登り方は傾斜にだいぶ負けており、進むほど掘り込みが深くなる。

この展開の果てに待つのは、切り通しか、隧道か。 

もうそのどちらかしか無いと思われる状況に。

計らずも、明治22年の地形図では、峠の頂上は切り通しとも隧道とも読み取れる奇妙な表現がされていたが…。



11:06

障害物が多くて、なかなか先を見通せない。
ええい! まどろっこしいわい!!!
でもでも、いよいよ、いよいよだと思う。
前方、一際高く聳えるスカイラインは、旧市町境の稜線に違いあるまい。



11:06

廃道が最終に行き着いたのは、巨大な岩場の峙つところ。


……!




おわああああ!!!!!

(満を持しての200pxフォント出現!)






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