道路レポート 青函トンネル袰内工事用道路 前編

所在地 青森県中泊町〜外ヶ浜町
探索日 2014.11.11
公開日 2017.05.20

朔風の谷間に響く、鉄馬のいななき


※このレポートは、「ミニレポート227回」の続編ですので、先にそちらを一読されることをおすすめします。

【周辺地図(マピオン)】

青函トンネルについては、いまさら説明は不要だろう。
本州と北海道を結ぶ全長53.85kmの鉄道用の海底トンネル(海底部分は23.3km)で、昭和63年の開業当初は世界最長の鉄道トンネルであり、現在もなお世界第2位の地位にある。
まさに我が国が誇る土木構造物の一つといって良いだろう。

青函トンネルの建設着工が昭和36年で、開業は昭和63年だから、その工期は27年間にも及んだ。この間は本州と北海道の地上にそれぞれ1ヶ所ずつの建設基地が設けられ、本州側のそれは龍飛崎の突端近い、現在の「道の駅みんまや」および「青函トンネル記念館」の位置にあった。工期中に延べ1400万人の作業員が働き、その多くが建設基地の周辺に作られていた宿舎で暮らしたことから、当時の三厩村は今(外ヶ浜町)とは比べものにならないほどの人口を有し、財政的にも県内トップの充実ぶりを誇った。
そんな時代が確かにあった。

私が国道339号の旧道を探る目的で、その末端の袰内(ほろない)集落を自転車で訪れたのは、2014年11月11日の午後だった。
無事にその目的を果たしたので、マイカーを残してきた三厩駅付近へ戻ることにしたのだが、出来れば通ったことのない道を多く利用したい。
そんな気軽な理由から白羽の矢を立てたのが、右の地図に「青函トンネル工事用道路」と注記した道だ。

この道は最新の地理院地図にもちゃんとした(?)二本線で描かれていた。
ただし、その表記は途中でぷつりと切れていて行き止まりのようなのだが、その終点付近はとても平坦な地形として描かれており、これはおそらく青函トンネルのズリ捨て場だったのではないかと考えた。
ならば道はなくても無理矢理に国道339号の「ウィンドパーク」辺りへ抜けられるのではないかという、……まあ私にありがちな、少し無理のある打算をした。

なお、これは思いつきからの行動だったので、この道についてら事前の情報を持っていなかった。
ここが青函トンネルの工事用道路だということについても、確信があったわけではなかった。
だから当然、そこが廃道だということも、知らなかったんだぜ…。





2014/11/11 14:36 《現在地》

写真は袰内川の河口を望む高台に立って上流方向を望んでいる。すぐ下に見えるのは、たった4軒からなる袰内集落の最も南の民家だ。
袰内川は地形図上に描かれている水線の長さが僅か2.5kmという、沢と呼んだ方がしっくり来そうな小さな川だ。そして、流域にダムや堤防を持たない、いわゆる原始河川でもある。
河口付近は強い海風のために無立木化しており、奥の方にある山林との対比が鮮やかだった。

そんな上流の山林から材木を切り出し、おそらくこの海岸線から直接船で運び出していたのであろう古い時代のなごりが残っていた。
川の左岸に微かに見える平場は、袰内沢森林鉄道の廃線跡と思われる。正式名称を袰内沢林道というこの森林鉄道は、『全データ東北編』によると、昭和4(1929)年に「小泊村袰内海岸」から「燈篭沢落合」まで1240mが開設された。だが、昭和23(1948)年に全線廃止され、以後は牛馬道になったとある。
短命で短距離、しかも廃止時期も古いという探索対象としてはとても地味な存在だが、痕跡が残っていたのは純粋に嬉しい。




軌道跡にも興味はあるが、残念ながら今回は時間が足りない。
既に時刻は午後3時に近づいており、11月の日暮れの早さを思えば、もう帰り始めなければならない時間だ。帰還目的地の三厩駅周辺までは最短ルートでも15kmくらいは離れている。

これから私は軌道跡の対岸にある町道(と思われる道)を通って、「工事用道路」を目指す。
そしてその「工事用道路」は、ここからもよく見えていた。
コンクリートが吹き付けられた法面がとても目立っており、崩れている様子も見えなかったので、廃道になっているとは思わなかった。




ここに来るまでは海岸沿いの高度30m付近を通っていた道は、袰内川の谷に入るとすぐに河床近くへ急降下した。

これは多分珍しいことなのだろうが、今日の袰内は全くの無風に近い。
しかし周辺の風景は風の叫びを強く連想させるもので固定されており、相当に生命感が乏しかった。




振り返る見る、袰内川の河口および袰内集落。
遠くの重畳たる山並みは、もちろん北海道でっかいどうだ。

さきほど上から見たときには気づかなかったが、河口に突き出た“さもありなん”と思える場所に、お社らしき小屋が本当にぽつねんとした感じでたたずんでいた。
きっと海に根ざして暮らしてきた袰内ならばこそ、あそこには海上安全・大漁祈願の神社があるのではないか……いやむしろあって欲しい。そう思えるほどに情感滲む風景だった。



河口付近には視界を遮るような高い木が一切生えていないため、対岸にある軌道跡の有様が手に取るように見えた。
ここまであからさまに見えると、実際に藪をかき分けてまで探索をしてみようという意欲を削がれてしまうが、時間のない今は純粋に喜べる。

既に述べたとおり、昭和23年という相当早い時期に廃止された袰内川林鉄であるが、路盤の跡は思いのほかよく残っていた。
土工だけでなく、路肩に石垣を築いている場所もあったし、河口付近には岩場を開削したと思える凹みもあった。
林鉄廃止後は牛馬道になったそうだから、その時代に手を加えられている可能性はあるが。




14:38 《現在地》

河口から500mで、袰内川を渡る橋が現れた。
高欄のガードレールが赤く焼け焦げた、それなりに古ぼけた橋。
なぜか親柱も銘板もないので、橋名をはじめとする素性は不明。

そのほか取り立てて述べることのない橋だが、これを渡ることで道は軌道跡と合流し、舗装下にその痕跡を封じてしまう。
早くも袰内川林鉄の探索は終了か。
また、河口から続く無立木地帯もこの辺りで終わりで、これより上流の山腹には低木が密生している。




おおっと!

ここで突然の全面封鎖?!

橋を渡ってほんの50mほど進んだところで、なんの前触れもなく、そしてなんの説明もなく、施錠された鉄製フェンスゲートによって道は全面封鎖されていた。
利用者を突き放していくスタイル。きっとこんなところへ迷い込む、無垢なる部外者などいないという判断だろうか。

道路法では掲示が定められている「通行止めの理由や期間」を表示していない瑕疵のある封鎖は守る必要がないのではないかと嘯いても、私の前科を見られたら、説得力は皆無だな(苦笑)。

いつものように、ここは……



わるにゃーん。


なるほど、道はこの先もまったく何ごともなかったかのように続いているが、

私がこの後で通ろうと考えている「工事用道路」の現状については、危険信号が灯ったな。

封鎖された道路からしかアクセスできないという時点で、ちょっと嫌な予感が。



ゲートを越えて少し進むと、ずっと高い位置からこちらを見下ろしていた「工事用道路」がじょじょに下ってきて、高低差が急激に縮んできた。こちらが登っている量はごく僅かだと思う。

そんな「工事用道路」に、橋が架かっているのを見つけた。
これは地形図にも描かれている橋で、ごく短い区間に2本の橋が連続して架かっているようだった。
高欄として使われているガードレールの白が、一面の茶褐色の山の中では、ことさら尊いもののように際立っていた。

私もあともう少しであそこを通れるのだと思うと、普段以上にわくわくした。




14:46 《現在地》

その後は封鎖区間内にいるとは思えないほど順調に進み、数分で河口から約1km地点にある、「工事用道路」の入口である分岐地点に到達した。

左折して川を渡るのが「工事用道路」だが、このまま川沿いを進む道もある。
最終的に進むことを決めている左折の道の先を覗くと、地形図に描かれている線形のままに川を渡ってから下流方向へ曲がっているのが見えた。それと、どうやら舗装はされていないらしいことも窺えた。

ここまでは順調である。
時間の余裕があまりないとはいえ、乗りかかった船でもある袰内川林鉄の終点を確認するチャンスだと思った。
全長1240mとされる軌道の全長のうち、ここは既に起点から950m前後の位置にあり、もう300m程度で終点があるはずだ。
しかも見たところ、その軌道跡に重なっているだろう直進する道はこの先も舗装されていて、走りやすそうである。

よし、一度直進してみることにする。



直進の道へ入ってすぐに、“ある変化”に気づいた。

袰内集落を離れて以来一度も見なかった電線や電柱が急に現れ始めたのだ。
おおよそ電気を使う施設などありそうにない山中だと思っていたが、封鎖ゲートがあったことと合わせて、何かしら現代的なものがあるらしい。
そしておそらくはこの道がそこへ向かっていると思う。

なお、電柱に取り付けられたプレートも、普段見慣れた電力会社のものではなかった。そこに書かれた文字は――“工力(ホ)4  S59.11.27” というもの。

“エカ(ホ)”って、なんかの略だろうか? その後のは年月日だろうが、はて?




分岐から350mほど進んだ地点で、再び袰内川を渡る橋が現れた。
この橋も銘板や親柱を持っていない。(橋の左側に親柱状のものが見えるが、これは並行する水管の基礎だ)
また、この直前で舗装が途絶え、本来の交通量を物語る半藪道に変わってしまった。

……さて、ここは河口から1.3kmの地点である。
となると、袰内川林鉄の終点はこの辺りということになろう。
結局、車道に重なられてしまってからは何一つ遺構らしいものを示せないまま終わってしまった林鉄に、敬礼! (この手の林鉄探索は膨大な件数をこなしているが、ほとんどが公開されずボツ物件になっているのである……苦笑)

さて、もうこれ以上奥へ進む目的はなくなってしまったが、電柱がまだ先へ続いているのが気になるなぁ…。



14:55 《現在地》

橋から50mほどで、電線の行方が判明した。
そこにあったのは、フェンスに囲まれた明らかに無人の建物で、フェンスにこう書かれていた。

北海道旅客鉃道 袰内ポンプ場」。

もう少し早くに気づいても良かったのかもしれないが、私はこの「北海道旅客鉄道」(看板では「鉄」を「金へんに矢」の字)という文字を見てようやくピンときた。
袰内川流域で連続して遭遇している全ての“似つかわしくないもの”に文字通り通底した、巨大な存在があることに。

突然の封鎖、突然現れはじめた電柱、妙に頑丈そうな舗装路や橋、そしてこれから私が向かおうとしている「工事用道路」などは、いずれも青函トンネルがこの付近の地底を通過していることによるものだったのだ。
もっとも地下が目には見えない以上、実感は伴わなかったが……。

この袰内ポンプ場は、おそらく海面下にある青函トンネルの地下水をポンプアップして地上へ排水する機能を持った施設なのだろう。

先ほど謎だとした電柱の「エカ(ホ)3」という文字列の意味は帰宅後に調べた。
これは漢字で「工力」と書いたもので、初期の鉄道事業が政府の工部省の所管であった時代から伝統的に用いられる国鉄を意味する「工」の字と、電力を意味する「力」を合わせて、国鉄が敷設した電柱を意味するようだ。なお、JRになってからもこの記法は変わっていない模様。「(ホ)」は、袰内のホかな? 国鉄時代に設置されたようなので、JR北海道の「ホ」ではないと思う。




ポンプ場から先には【山道しかない】ことを確認して、すぐに引き返してきた。

ここは先ほど直進した分岐地点。今度は川を渡って、「工事用道路」へ。

「こっちはちゃんと通じていてくれるよね?」


そうお願いしながら橋を渡ったのだが――



普通に行き止まりみたいなんですけど。

橋を渡った先の轍は、そのまま無抵抗でフェンスゲートの向こうへ消えていた。


フェンス越しに奥を覗いてみると――



トンネルだ!!


というか、これは――



15:00 《現在地》

“袰内斜坑”!!

これは青函トンネルの斜坑口だ!

すっげぇ……、初めて見た。

いや、トンネルの規模を考えれば途中に斜坑や横坑があることはむしろ当然といえたのだが、予期しない場所で突然出会った衝撃は大きかった。
私にとってこの出会いとは、何気なく道を歩いていたらそこで憧れの芸能人とばったり出くわしたようなものだ。そういえば理解してもらえるだろうか。
別に普段から「青函トンネル好き〜!」というわけではなくても、こいつがトンネル業界の偉大なマイルストーンであることは当然知っていて、それはやはり憧れの対象といえた。

いままで青函トンネルといえば、観光パンフレットによく登場する、「青函隧道」の扁額が誇らしげに填め込まれた面白みのないコンクリート坑口を遠目に眺めるイメージしかなかったが、こういう観光と無縁の土臭い地上施設を見たのは初めてで、その点も先ほどの「芸能人とばったり」という喩えにそっくりだ。そんな出会い方をした芸能人には、だいたいが身近さを感じてより好印象を持つと思う。私もこの出会いで一気に青函トンネルを身近に、愛着を持って感じることが出来るようになった。(ちなみに利用体験は、修学旅行で一度だけ……)



【青函トンネル全体における現在地は、このへん】

いやー、かっこいいなぁ。

斜坑というだけあって、本当に最初から地下へ斜めに下っていくのだな。
普通のトンネルや横坑とは明らかに違う作りになっている。

私はフェンス越しに見ただけであり、奥がどうなっているのかは永遠の謎だが、ぎりぎり見える範囲についていえば、坑口から20mくらいの位置に防風用と思われる大きな鉄扉が設置されていた。
その鉄扉の一部には通用口があり、そこはさらにフェンス扉で閉じられているようだった。
坑道は普通に大型車両が通れるくらいのサイズがある。
斜坑を設ける目的は、本坑の掘進現場である切羽の数を増やして工期を短縮することと掘削中にズリだしを行うことであり、基本的に完成後はあまり役割がない。
この地上から本坑合流地点までの傾斜長は不明だが、地図上で測定した本坑との最短水平距離は600mほどである。

ついさっきまでは「実感が伴わない」と思っていた青函トンネルが間近にあるという事実は、もはや私の中で完全なリアルになった。




聞こえてきた〜〜!! 青函トンネル本坑の列車走行音!

目を瞑れば、無機質的な非常灯が連なる時の止まったような坑道を、
あらゆる空気を揺るがせながら驀進する鉄馬の姿が幻視できる。

しかし一度聞こえ始めたと思ったら、その音の長いこと長いこと!!
変化しているのかも分からぬ走行音が、寂しい冬枯れの原野にいつまでも吐き出され続けた。
終わりがないと感じた私は、仕舞いに動画の録音を先に止めてしまったのだった。

とまれ、大いに満足した。 間違いなくこの底を鉄道が走ってますッ!



それはそうと、



私の道は、どこ?






目指すべき場所は!


2014/11/11 15:03 《現在地》

私は持参した地形図の裏切りに、愕然とした。
記号が「徒歩道」や「軽車道」だったならば、ここまで驚きはしない。だが今回は「1車線の道路」として描かれていたのである。
最終的に行き止まりになっているとしてもである……。入口の段階でここまで完全に道形が消失しているというのは、想定していなかった。

時間があまりない状況で、これは悩ましい。
一番の問題は、自転車をどうするかだ。
この激藪に自転車を連れ込んだ場合、それだけで大変なのは目に見えているが、最終的に道の状況が悪すぎたり、、どこにも通じてなかったりという事態に遭遇して引き返す羽目になったときが、致命的といえる。日没後の激藪で自転車同伴となると、進路不明となって遭難しかねない(危ない目に遭ったことがある)。




苦渋の決断であったが、結局は自転車を置き去りにして進んだ。

これにより、仮にこの廃道を踏破し終えたとしても、最後は戻ってこなければならないことになった。
日没が迫っていることを考えれば、これもあまり良い手でないのは明らかだが……。

時間のない状況で道の状況が予想以上に悪かった。
これはやはり素直に探索を中止するのが正解だったという気はする。でも、目の前にある廃道に少しもチャレンジせず入口だけ見て逃げるのが、やはり悔しかった。


15:11 《現在地》

嫌だこれ。 撤退します。

呆気なく前言を翻す。
でも5分以上は格闘したので良しとしよう。
この藪はただ深いだけでなく、トゲだらけだ。もう完全に歩かせる気がないヤツだ。
それだけならまだしも、私は今回あらかじめ対岸の道から、この道の先のどこに何があるかを、だいたい見てしまっている。【見えすぎたのだ。】
だから私はもう知ってしまっている。この先300mほどの位置にある“橋”までは、特に見所がないことを。

そして現状は、たった100mを進むのに5分以上もかかってしまっている。この調子だと“橋”まで行くのに15分は余裕でかかりそうだし、往復なら30分以上だ。日没まではあと1時間くらいだが、貴重な時間はこの辺りでではなく、下からあまり見えなかった橋の先でこそ使いたい。





15:22 《現在地》

というわけで潔く(潔かったか?)転進して、問題の橋がよく見える場所まで自転車と一緒に戻ってきた。

往路であの橋を見たときは、まるで廃道か現役か区別が付かなかったが、今ならばはっきり分かる。

あの橋は、廃橋

そう思いながら見ると、同じものでも印象が変わる。
ここからだと全体像は見えないが、直感的にかなり大きな橋だと感じた。
そんなものが、おそらく青函トンネルの完成と引き換えに丸ごと放棄されたのだ。ゾクゾクする。 ああ!早くこの足で踏みたいッ!

現在地から橋までは、直線距離でおおよそ250m。高低差が3〜40mある。
行程としては何のひねりもない。目の前の袰内川を渡渉し、原野を突っ切って、橋のある無名の沢を遡行するアプローチプランだ。
一見これは大変そうだが、先ほどの激藪廃道を行くよりも距離は半分くらいだし、根性の曲がった藪に覆われた廃道よりも、天然の川や沢や原野や山肌の方が藪は浅いと思う。



善は急げだ。 さっそく行動を開始する。
もちろん、今回も自転車は置き去りにして、単身で向かう。
当初の計画からはだいぶ違った形でこの「工事用道路」を相手しようとしているが、まあ想定外があるのも醍醐味だよね。

袰内川は飛び石伝いで簡単に足を濡らすことなく渡ることができそうだ。
適当に渡渉場所を見定めて河床へ降りると、そこで意外なものの存在に気がついた。




コンクリート製の立派な橋台が、今までいた道のすぐ下に隠されていたのである。
路面からは見下ろしても気づかなかったが(上の写真がちょうど上から見た眺め)、かつてはこの位置にも橋が架かっていたことになる。

この橋の正体は、帰宅後に過去の航空写真を調べたところ容易く判明した。
次の図は、昭和51(1976)年に撮影された航空写真の一部である。




現在は一面の原野が広がる袰内川の谷底だが、青函トンネルの工事が盛んに行われていた昭和50年当時は、ほとんど隙間なく様々な施設が建ち並んでいたことが分かる。
川に架かる橋もたくさんあり、そうした橋の一つがこの場所に写っている。

この写真では当然のことながら、工事用道路もバリバリで現役の色を見せている。
この工事用道路自体は、袰内斜坑から運び出したズリを山の上の堆積場へ運搬するためのものであったと思われる。
そのため、本坑が貫通してずり出しの必要がなくなると、人員の輸送程度にしか使われなくなったかもしれない。
そしてトンネルの完成後には、もう何の意味も持たなくなったのだろう。

なぜこの道が未だに地形図には鮮明に描かれているのかは不明だが。




工事用道路はそのまま廃道となって残されたようだが、それ以外の工事用施設は綺麗に撤収したようで、横断した原野には何も残っていなかった。
そして問題の橋が架かっている沢の入口に辿り着いた。
今は橋は見えないが、あと100mも登っていけば、橋の直下に辿り着けるはずだ。

ここしばらくは山に隠されて見えなくなったままだけど、次に現れるときは、一気に近づいているんだろうな。
ああ!
どんな風に見えてくるのかを想像するだけで、ドキドキする。

多分だけど、結構いい橋がある気がするのだよ…。




ふぉっ!キタッ!

両翼に廃橋の同時展開!!