磯根崎海岸道路(仮) 第5回

公開日 2010. 6.22
探索日 2010. 2. 4

磯根崎から南に連なる大坪山。
古くから東京の海の守りを担ってきた軍事的重要の地に、朽ちたループ橋に始まる未成の自動車道が存在している。
その全容を確認すべく、房総では最もヤブが薄いと思われた2月上旬に挑戦した私であったが、その道行きは突如困難にまみれた。
巨大な東京湾観音が東京湾に背を向け房総の大地を俯瞰するように屹立する山中で、私は背丈を遙かに超える超高密度藪に覆われた広場に突き当たり、そして道を見失ったのだ。

前回見たとおり、藪の守りは鉄壁といえるもので、自転車を置き去りにして身軽な状態であったとしても、とても踏破できそうに思えなかった。
そこで仕方なくではあるが、残り1.5kmほどの未踏破区間を後回しにして、先に終点であるところの当初「目的地」へと向かうことにした。

基本的にオブローダーとしては、一本の繋がりのある道であれば、一方向から連続的に踏破したいと思うものだ。
そのほうが、現役当時の風景や、旅した人々の情感を追体験しやすいからだ。(まあ今回は未成道路のようだが…)

そんなわけで、今回は磯根崎海岸道路本体から少し離れ、その「終点」へと外からアプローチする内容である。

個人的に、この道で最も衝撃を受けた風景(ループ橋や観音像以上!)が「終点」には待ち受けていたのであるが、果たしてあなたの目にはどのように映るか……期待していて欲しい。



広場からの離脱 そして迂回



2010/2/4 8:52

前回のグダグダな彷徨からとりあえず、棄てられた自転車の元まで戻ってきた。
広場に最初辿り着いてから、もう1時間近くが経過している。

この場所から最寄りの車道までの距離は、地図上だと150mくらいしかない。
しかし、藪だけじゃなく結構な落差もあって、直に向かうことは不可能である。
ここはおとなしく、破線の道の描かれている谷地を350mほど辿ることにする。




9:01 《現在地》

あ〜あ、疲れただけだったな…。

珍しくそんな後ろ向きな感想を持ってしまったほど、ここの激藪には生気を吸い取られた。
上の写真のところから、左の門柱が立っている地点まで、300mほど藪の中を移動するのにもまた10分を要しているが、全くの平坦地のヤブヤブで絵的に見どころゼロなので途中は省いた…。

門柱は一般のお宅にもありそうな普通のもので、特に表札は見あたらなかった。また、扉やチェーンも無い。




そして門柱からさらに50m。
今度こそちゃんとした道に脱出した。
これは東京湾観音へ行く(唯一の)道である。
その途中に、ズボッと出た。

私は写真の左側に写る幅広の谷の中で1時間を費やした訳であるが、明らかに大々的に人手が加わり、全体が整地されていたのが印象的である。
また確固たる証拠には巡り会えていないものの、おそらくは駐車場か、或いは東京湾観音に付随する園地のような整備を目論んでいたのではないかと思う。

「磯根崎海岸道路」が開通していれば、これと東京湾観音を結ぶ道路も通っていただろう。
そもそも、磯根崎海岸道路の開通を前提とした整地の可能性さえある。
現状でも東京湾観音は観光地として著名だが、ここに巨大な“仏教リゾートパーク”的なものが生まれていたとしても、千葉という土地柄、なんら不思議はない気がするのである。


以前別の大仏を訪問した時に、「東京湾観音脇に宗教テーマパークを作る計画があった」と聞いたことがあったんです。
結果的に資金難で途中で話が無くなって、その後ゴルフ場建設に転向して、それもとん挫したとか・・・

現地に詳しい某氏による、某寺院関係者からの聞き取りによる


東京湾観音は大坪山のてっぺん近くにあり、麓へ下る車道は一本しかない。
それが、おそらくは富津市道であろう、2車線のこの道だ。
全長1.5kmで高低差80mを駆け下り、国道465号に結ばれている。

途中には僅かに別荘などがあるだけで、ほとんど東京湾観音の専用道路の様相を呈しているわけだが、途中で一箇所旧道を見つけたので、ついでに報告しておく。
場所は下りきる直前、国道合流点の300m手前が「新旧道分岐地点」である。
写真では左が旧道、右が堀割となった新道(現道)だ。

自転車ごと行く。




9:08 《現在地》

廃隧道あったし!


地形図はまだ、ここの新道を反映しておらず、隧道も現役として表示されている。
だが、実際にはご覧の通り隧道は廃止され、そして封鎖されていた。

2車線の道路上でこの隧道だけが1車線しかなく、交通上のボトルネックになっていた事は容易に想像できるが、それだけじゃなく前後の線形にも問題がありそうだ。
直角に近い急カーブの先に、この狭い隧道は突然現れた。




微妙に隧道の軸方向に対して傾斜した坑門は、コンクリートのシンプルな外観。
しかしタイル製の扁額(後述)と、アーチを模した溝が備え付けられている。

ただ、このアーチは酷い出来だ…。
はっきりいって、「残念」といって良い。
左上の辺りで、アーチのカタチを大きく外れてしまっている。
飾りなら飾りでいいので、もう少し拘って欲しいところである。




かんのんトンネル

という、何ともストレートな名称である。

その下には「 昭和33年12月竣功 」と書かれている。

東京湾観音の完成が昭和36年で、4年がかりの工事であったそうだから、ちょうど着工当時に隧道も生まれたことになる。
以来、半世紀にわたって参拝客を通してきた隧道も、今や房総の深緑に沈む日を待つばかりである。




高いフェンスで塞がれた坑口だが、どこかの誰かがフェンスの一部を切り取っている。
そのため、身を屈めて洞内に入ることが出来た。

全長70mほどの洞内は直線で、出口に向かって一方的に下っている。
路面は舗装され、天井はモルタルが吹き付けられているものの、側壁は完全な素堀りのままだ。
そのため一部の壁は薄皮を剥がすように崩れており、その下に土砂の山を生んでいた。

坂道…素堀…観光地の入口…、
さしずめ、“千葉版 釜隧道” といったところか。




自転車を置いてきたのと、出口にもフェンスがあり通り抜けが出来ないので、適当なところで引き返す。
房総では珍しくもない、素堀の廃隧道。
魅力的なエピソードのひとつでも見つけられれば印象も変わるのだろうが、残念ながらそういうのもない。

なお、本隧道の詳しい緒元は次の通りだ。

観音隧道
昭和34年竣工 全長68m 幅4.4m 高さ3.0m 
出典:平成16年度道路施設現況調査(国土交通省)



反対側の様子はご覧の通りで、右のガードレールの先に短い旧道と坑門が眠っている。

坑門のデザインは同じで、違いは扁額の文字だけである。
こちらは「観音隧道」と漢字になっている。

ちなみに、両側の銘板間で「漢字」「ひらがな」の対になっているのは、房総の隧道ではよく見かけるが、他県では滅多に無い。
しかも房総でも、昭和30年代頃に作られた隧道によく見られる特徴だ。
これなどは一種の地域色といっていいものであろう。

もっとも本隧道に関していえば、「かんのんトンネル」「観音隧道」という具合に翻訳まで含まれているのが面白い。




そして国道465号との交差点である、観音下交差点(観音下は最寄りバス停)。

信号もない、静かな交差点である。

私はここを右折して、JR内房線佐貫町駅付近まで国道を走行したあと、さらに県道256号を経由し、染川河口部にある「終点」へと近付いていった。

そして、思いがけず印象的な場面に遭遇するのであった。




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染川河口の終点現状


9:21 《現在地》

磯根崎の絶壁を北端とし、大坪山のたおやかな膨らみを南端とし、西側は直線的に切れ落ちて東京湾に没し、東側のみ房総丘陵と山続きになっている一連の丘陵。
その南を流れる染川沿いの田園地帯からは、山上にぽつねんと立ち尽くす白亜の観音像を見ることが出来る(赤色の矢印の地点)。
そして山裾に沿うように点々と屋敷が連なっている。そこが背景の山の名を冠する大坪の集落だ。

目指す「磯根崎海岸道路」の終点と目されている地点は、染川が東京湾に流れ出る河口の右岸である(青色の矢印の地点)が、そこへ至る道は、地形図の中からは一本しか見出せなかった。
それも、とても入り組んだ集落内の道を右往左往してようやく辿り着けるような場所だ。

あの大貫側で見た「4車線」や「ループ橋」に連なる風景は、どうにも想像できない感じであった。




「黒い」という形容がぴったり来る、房総の山の色。

2月でこれだというのが困っちゃうわけだが、そんな“激藪色”の森にも、なんとなくだが…

びみょ〜ではあるが…

これから向かうべき道のラインが、うっすら見えているような、ないような。


私は寡聞にして、この区間の現状を伝えるレポートを見たことがない。
地形図上ではいかにもな車道の線形を示している、1.5kmの「破線」。
オブローダー的には、とても気になるものなのだが、都会に近い立地でありながら報告らしい報告がない現状は、いったい何を意味しているのだろう。

嫌な予感しかしない。




大坪集落に入っていく途中で目撃した

← ウシ 

ネコ →


なにこれ、こいつらデキてんの?

“おそろの毛皮”着てるぜ。

ちなみに、サイズ的には右の方が大きい。

…なんてすぐにばれそうな嘘を書きました、ゴメンナサイ。




田圃の中の表通りから、一本うちに入り、さらに橋を渡って、また脇道へ。

実は途中で道迷いをして、少しグルグルしたけれど、最終的には車一台ようやく通れるような、目指す道に入っていくことが出来た。

ここまで、未成道の気配は一切無し!




道幅一杯で切りそろえられた常緑樹の生け垣と低い石垣のコラボレーションは、かすかな磯の匂いとともに、まだ見ぬ南の島を連想させた。

自転車で来て良かった極狭の道。
この道の果てるところが、目指す河口に違いない。

ちなみに地形図だと、既に破線の道として描かれている。




最後の民家を過ぎると、道のカタチだけになった。
もう車の入ってきた気配はないし、舗装も途絶えた。

そして、だめ押しのように車止めが現れた。

しかしこの車止めによって、逆に頼りなかった踏み跡は、より強い前進の意志をもって収束し、垣根から解き放たれた荒野にあって明瞭な“道”を生んでいた。

ここに至る道は、外界から見れば何の案内もない細い一筋ではあったが、染川右岸の海岸線に出ることが出来る、そして「磯根崎海岸道路」の終点にアプローチ出来る“唯一の道”としての存在感が「ある」ように見えた。
(ぶっちゃけ後者は思い過ごしかも知れないが…)




背丈ほどのススキ藪に覆われた、染川河口右岸の風景。

少し高みに登って川の方向を見下ろすと、堀割港のようにコンクリートで固められた河口と、その向こうに連なる弧状の砂丘海岸線が手に取るように見えた。
新舞子海岸といい、房総を代表する海水浴場のひとつであるというが、ここから見えるのは無人の浜だけだ。
さらに果ては上総湊(かずさみなと)の港から、明鐘(みょうがね)岬、鋸山の稜線へと続く遙けき眺めだった。

意外に険しい房総半島南部の風景を、これで上と下から眺めた感じがする。(上からの眺めは、第2回最後の写真参照




9:30 《現在地》

砂地になった踏み跡をなおも辿ると、右から下ってくる緩やかな斜面を横断するような感じになった。
そして、正面には東京湾の静かな海面が一文字に広がった。
ここまで海岸に近付くと、草丈もくるぶしを越えない。

東京湾に面した自然の海岸で、これほど東京に近く、そして寂寞(せきばく)とした場所を、私は知らない。
この写真だけを見せて、「北海道」と言って誰が「違う」と分かるだろう。
対岸に見えるのはクナシリ島ではない、三浦半島だ。

心ないキャンパーの空き缶や、スーパーのビニール袋がひとつも見あたらない事実は、この地に辿り着く道のいかに“知られざるか”を伝えていた。






確かにこれは良い景色だ。



が、忘れてもらっては困る。


そもそも、私がこの場所に来た目的を。


道を探しに来たんだろ?




思い出したように、道を探しはじめる私。

藪のないこの場所で、もし道があるならば、すぐに見つかっていいはずだ。





あたりに道は見あたらないが、

代わりにコンクリート製の小さな溝があった。


よく見ると、溝はもう一本あった。

数メートル先に、平行して…。



道発見!!






山より下ってきた道は、次に海へ伸びようとして、

そこで河口に遮られ、諦めたのか。


道は橋を架けることもなく、目の前の盛り土を最後にして、唐突に終わっていた。

まさに、未成道。





足元では色褪せたシャボテンが、海風に揺れるともなく揺れていた。




末端部から、風化した未成道の現状を見る。


道はこれより、地形図に描かれている破線を倣うように、雄大なつづら折りで山上を目指す。

ここから眺める姿は、かつて誰もが憧れた「スカイライン」という単語に象徴されるような、

“昭和的観光道路” そのものだった。





北方の海岸線を遠望する。

磯根崎は思いのほか遠いが、引き潮の時なら海岸線をどこまでも歩いて行けるかも知れない。

道など無いと分かっていても、歩いてみたい衝動に駆られたが、ここは我慢した。


それにしても、こうして見ると東京湾って意外に大きい。

ベイサイドのイメージばかりが先行するが、本州に深く切れ込んだそれは、

日本有数の“巨大湾”なのである。

こうして相応のダイナミズムを感じさせる地形と眺めが、ちゃんとあったのだ。






地形が海岸の砂浜に向かって、急に落ち込む数メートル手前で、路盤を作る盛り土は唐突に終わっていた。

その先は海であり、道を伸ばそうとするならば、どうやっても海上に進路を取らねばならない。


長い海上橋でカーブしながら染川河口を渡河し、そのまま新舞子海岸の砂丘を横断する計画だったのだろうか。

実現していれば、山に描いた“スカイライン”にも負けない、房総を代表する壮大な“シーライン”になったことだろう。








草むらに側溝が影のように続いている。

次回はいよいよ、不踏領域へ。