静岡県道388号接岨峡線旧道 東藤川地区 第3回

公開日 2011.7.18
探索日 2010.4.19
所在地 静岡県榛原郡川根本町

短いが、濃密な廃道



2010/4/19 17:38 《現在地》

奇妙な景色。

間違いなく、ここまで辿ってきた道とは不釣り合いな橋の姿だ。
道幅が軽トラ1台分しかない上に、欄干の作りもこれまで見てきた昭和38年前後生まれの橋とは全然毛色が違う。

昭和58年に県道接岨峡線が開通するまで、この道が大井川筋の幹線であったことを踏まえれば、本橋の架設は、それ以降の出来事だと結論付けて良いだろう。
旧道となり、或いは廃道になることを予感されている状況だったからこそ、このような不釣り合いな橋が架設された。
おそらくは、斜面崩壊という災害復旧のために。

橋のまん中付近に小山をなしている瓦礫は、その斜面崩壊が復旧後も完全に治まっていないことを示している。




旧道を破壊した斜面崩壊の規模は、凄まじいものであったようだ。

おそらく元々は、ここも前後と同じように崖を削り出した道があったのだが、20メートルほど上部から谷底付近にまで達する巨大な崩壊が路盤を完全に消し去り、復旧のために桟橋を架設せざるを得なくなったのであろう。

斜面の全体がコンクリートの吹き付けに覆われているのは、再発の防止を期してのことだろう。
旧道ならば放っておいても…とならなかったのは、この現場が現道の谷栗トンネル坑口から10m程度しか離れておらず、さらなる崩壊が現道に悪影響を及ぼすことを懸念したのだろう。




ここから先は、全長342.9mの谷栗トンネルに対応する旧道であり(前の区間とは不可分だが)、その長さは450m前後である。

道は大井川の谷底から80m高い位置にトラバースする感じで付けられており、ここからもうっすらとラインが見える。

これまでは、対岸に人の暮らしを見ながらの旧道探索であったが、ここからは無人の山峡に孤立した廃道探索となろう。
決して長い道のりではないが、冒頭でこの大崩壊であるから、侮ることは出来ない。





橋の上で何気なく振り返ると、

思い出に残るショットをゲットした。

これこそ、泉大橋がもっとも映えるアングルではないだろうか。
旧道との対比も、鮮やかだ。
(ちょっと旧道が旧道らしくないが)

この眺めに後ろ髪を引かれながら、
私はいよいよ廃道へ…




突入する。

親柱も銘板も持たない橋を渡りきると、橋上の落石に予感した通りの景色が、広がっていた。

しかし、道幅は橋の前と同じ1.5車線に戻っている。
やはり橋だけが異質であり、ここから先は元来の大井川林道の“遺構”である。

それにしても、この左に見えるガードレールはゴツイ。
ガードレールというか、ガードフレーム(鉄骨)といった感じである。
そして、その手前側の先端が橋とは明後日の方向に向かっているのは、消滅した路盤の名残なのであろう。




ものすごい大荒れっぷりである。

もはや舗装されていたはずの路面はまったく見えず、大小の瓦礫(大きなものは乗用車くらいもある!)がそこかしこに散乱。
それらの隙間には落ち葉が堆積し、未来の大木が芽吹き始めていた。

それなりに当初の道幅が広かったことが感じられるだけに、余計この惨状はインパクトは大きく、昭和58年以来の30年にも満たない間にこれだけ荒れてしまうというこの地の山河の凶暴さに、軽く身震いした。

私は自転車を押したり曳いたりしながら、恐る恐る進んでいった。




ひときわ激しく崩れ、大岩が路上に山となっている箇所を乗り越えようとすると、その先に突如美しいガードレールに画された一角が現れた。

険しい絶壁の区間に設けられた、待避スペースに違いない。

たまたまそうなったのか、故意にここが選ばれたのかは分らないが、待避所にはほとんど落石が見られず、今では別の意味での待避所…というか、避難所のように見える。

まだこの区間は前半戦。
そしてこれから中盤戦といったところであるから、軽く休憩する。




待避所からの大井川谷の眺め。

先ほどは「無人の山峡」としたが、厳密にはこの廃道の他にもう1本、山峡を通う道がある。

それは対岸のかなり河床に近い位置を横断する、大井川鐵道井川線の鉄路である。

私がこの探索をしている最中はたまたま一度も列車の往来がなく、廃線跡だと言われても信じてしまいそうな景色だったが、そこは確かに血の通った道なのである。
しかも、こちらの林道よりも遙かに息は長く、昭和10年に大井川電力専用軌道として生まれてから、今日まで“細く長く”生きている。

未知の旧線跡でもなかろうかと周辺に目を凝らしてみたが、そういうものは見あたらなかった。




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待避所を少し過ぎたところで、振り返って撮影。
美しい泉大橋が、劣悪な廃道の向こうに輝いて見えた。

待避所より先では、いくぶん路上の荒れ方は落ち着いたが、それでもまだまだ大荒れだ。
舗装されているはずなのに、その路面が見えない状態が続いている。

そして、これはもともとそうだったのだろうが、路肩の構造が公道とは思えぬくらい簡素だ。
ガードレールはもちろん、より簡易な駒止さえもなく、ぽつぽつとデリニエーターが設置されているだけ。
こんなモノは、ハンドル操作ミスを防ぐ効果はあっても、いざ事故が起きたときの転落防止の役にはまったく立たない。

最後まで県道ではなく林道だったということを、再確認する景色だ。




更に進むと、そのデリニエーターに変化が現れた。

デリニエーター同士がトラロープで接続され、まるで簡易なガードロープのように振る舞っていたのである。

だが、こんな程度では人が転落するのも防げない。
まさに、気休めのトラロープである。

しかしそれでも、ここにあるデリニエーターには皆ロープを通す穴が空けられていたので、当時の林道では規格化された装備だったのかも知れない。
私はおそらく初めて見るが…。





なんか、綺麗…。

久々に舗装された路面を見た。
そして、初めて駒止も。
欲しいところには決してないというのが、RIN-DOUのクオリティ。




17:47 《現在地》

ひと荒れ、ふた荒れ乗り越えて、辿り着いたのは、ちょっと明るい広場。

谷栗トンネルが貫通している出っぱりの突端であり、旧道はここで120度くらい転回している。

久々にガードレールを見たが、ここは待避所も兼ねているようだ。
それ以外に何があるわけでもない、殺風景なカーブだった。




カーブを曲がってみたらば、ガードレールは即座に尽きて、またしても“何にもない路肩”に逆戻り。

この路肩の“なで肩”っぷりが、何とも気持ち悪くて素敵だ。

気づけば、デリニエーターさえないし…。

そしてそんな薄ら寒い廃道の向こうに、透けて見え始めたのは現道だ。




現道との合流地点がどうなっているのか、もしかして切断されていたらこれまでの苦労が水の泡だなと心配していたが、どうにかぎりぎり繋がっているようだった。

でも、まったく車が入り込んでいる様子はなく、出口ぎりぎりまで廃道の状況だった。

写真正面に見えている苔むした巨大なコンクリートが、現道谷栗トンネルの坑門である。





旧道の終わり付近に、大井川上流方向を見渡せる場所があった。

500mほど上流にある尾根筋に、トンネルの坑門がある。
その向こう側は、長島ダムの湖であるはずだ。

地図を確かめると、あれは県道接岨峡線の市代トンネルのようだ。
だが、この隧道は県道が出来る以前の【昭和42年地形図】にも描かれている。

事前情報はないが、もしかしたら、旧隧道があるかも知れない。