2010/4/19 18:00 《現在地》
谷栗トンネルの北口にて、廃道と化した大井川林道と県道388号接岨峡線は初めて合流する。
前者の起点からは約2km、後者の起点からは700mの地点である。
これから約900m先にある長島ダム付近までは、大井川林道を拡幅改良することで、県道接岨峡線に仕立ててある。
地形図にも後者のラインしか描かれておらず、大井川林道の残存部があるかどうかは地形図上で判断出来ない。
既に時刻は午後6時になり、だいぶ暗くなってきた(画像は最大限明度を上げている)が、900m先までのチェックくらいは出来るだろう。
引き続き、探索を続行する。
長島ダム方向へ向かって走り出すと、間もなく1本の橋が現れた。
親柱も銘板も持っておらず、名前が分らないが、微妙に曲線を描いた桟橋だ。
そして案の定、この短い桟橋に対応する短い旧道が棄てられていた。
いわゆる“三日月路”であり、山岳道路の現道改良シーンにおいて、最も良く見る旧道廃道のパターンである。
旧道にも桟橋を発見!
これらの桟橋の下にあるのは沢ではなく巨大なガレ場で、流れているのも水ではなく瓦礫ということになる。
霞むほどの高さから始まっているガレ場は、約100m下方の大井川谷底にまで達していた。
現役である新道と、廃棄された旧道。
この両者の関係性を、これほど端的に示す風景も珍しい。
ほぼ同じ環境に置かれた、同じように舗装された2本の橋であるが、
その路面状況の差は、交通の有り無しに因るもので、
欄干の健全性の差は、管理の有り無しに因るものだ。
現道と旧道は現道側のガードレールによって画されており、旧道は完全に無視された存在になっている。
自転車を現道に残して単身旧橋の上に立つと、先ほどまでの旧道と変わらぬ景色である。
旧橋も銘板が全て失われており、やはり橋の名前などは分らない。
と、ここでイレギュラーな事態が発生。
突如、橋の周辺で落石が始まったのだ。
音もなく斜面を小石がいくつか滑り落ちたのを皮切りに、パラパラサラサラと、いずれも小さな石粒ではあるが、大量に流れとなって落ち続ける。
幸い、私がいる橋の上にはひとつも降ってこないが、それでも“跳び石”が怖いので少し距離を取る。
なおも止まないので動画に撮り始めたところ、ほどなくして治まった。
桟橋を1本渡って更に進むと、路肩の眺めがいよいよひらけて来る。
そして前方対岸の山腹に、二又になった発電用導水管が現れる。
あれは奥泉発電所の施設で、大井川にそって15kmほどさかのぼったダム(奥泉ダム)から導水している。
さらに上流にある井川ダムとほぼ同じ時期に建設された、中部電力一連の発電施設だ。
そんな遠景を見ながら進んでいくと、また桟橋が現れた。
先ほどよりも一回り長い桟橋には、またしても銘板がない。
取り付けられていた形跡もないので、別に盗まれたというわけでもなく、省略されているのだろう。
そしてこの橋にも、これに対応する短い旧道と旧橋が存在していた。
再び前後をガードレールで封印された、完全なる廃道。
ここにいても全貌は把握出来るが、橋があると言うことで、探索は省略出来ない!
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先ほどの橋よりは少しだけ長いが、地味な橋に違いはない。
特に大騒ぎするような景色は何も無いが、全般的に良く残っており、風通しもあって居心地がよい。
そして、欄干代わりのガードレールの支柱が四角いのが、私好みである。
現在使われているガードレールの支柱は全て丸い断面をしているが、これまでの経験を総合すると、昭和40年頃を境に、それ以前は四角い断面だったようである。
本橋は銘板にも「昭和38年12月竣工」とあるのでまさに“四角ガードレール”の時期である。
橋を渡るとその先の現道接続地点まで、大きな土砂崩れによって路盤が埋没していた。
これらの2本の旧橋の老朽化が限界に達し、自然に落橋する日がいつか来るだろう。
だが、それで困る人は誰もいない。
そしてそれを悲しむ人がいるとしても、そもそも彼のもとに、その報が届くこともない。
2本目の桟橋を過ぎると、市代トンネルに到着する。
眼下には、再び大きな蛇行を見せる大井川と、
その狭隘な谷間に点在する奥泉発電所の施設、および大井川鐵道井川線の鉄橋。
(この谷間には鉄橋の開通により休止線となった実質的廃線がある。いずれ紹介したい)
また、有名な「アプト鉄道」区間は、この発電所の敷地にある「アプトいちしろ駅」が起点だが、
今回のレポートとはまったく関係がない。
18:10 《現在地》
市代トンネルの坑門レリーフは大変に手の込んだもので、アプト鉄道の勇姿と長島ダムが描かれている。
ちなみに先ほどの谷栗トンネルの西口にもレリーフがあり、向こうは登山をする人の姿が描かれている。
このようなレリーフの存在からも明らかなとおり、このトンネルは古いものでは無い。
銘板曰くには昭和57年の完成であるから、県道接岨峡線と共に生まれたことが分る。
ちなみに全長は302mとある。
昭和42年の地形図(左)と、現在の地形図(右)。
長島ダムの建設にともなってルートが大幅に付け替えられた鉄道が目を引くが、この市代トンネルが昭和42年の大井川林道時代から存在していたことに注目。
しかも、よく見ると微妙にトンネルの位置というか、線形が違う感じも受けるが…。
あゃすぃ。
怪しがってみたらば…
トンネル脇に、
謎の平場ヲ発見。
こいつは、あるっぽい!
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