2009/3/2 6:39 《現在地》
県道701号を全線走ってみようという単純な今回の探索。
現在地はスタート地点の“終点”から400m入った角ヶ谷戸の交差点。
ここで県道は、右に平凡な道があるにもかかわらず、なぜか地形図にさえ描かれていない左の小道へ進路をとる。
左右の道は、どちらへ行っても700m先で再びひとつになるのであるが、県道は敢えて左の狭い道。
もっとも、道路指定におけるこういう理不尽さにも、たいていは何か理由があるものだ。
その辺を想像しながら先へ進んでみよう。
直角気味に左折すると、すぐまた右に直角曲がりがある。
写真はそこを過ぎた場面で、狭いのは入口だけじゃないのが分かる。
それどころか、この先はさらに嫌らしい展開になっている予感…。
さて、左右どちらが正解か。
…なんて悠長なことを言っていられるのは、私が小回りの利く自転車だからだ。
カーナビに誘導されてここまでクルマで来てしまったとしたら、発狂する。
どっちも嫌だが、普通の神経だったら左に行きたくなるはずだ。
その方が、まだ幾分道幅に余裕があるように感じられる。
だが、ハンター701は、そんな弱気を狩りに来る。
申し訳ないが、左は下るだけ下って行き止まりという一番悲しいパターンだ。
よって正解は、右。
興味本位で来て脱輪→壮絶死のコンボをかましたとしても、私は責任持てません…。
こんなどうでも良さそうなカーブでも、この道幅だと異常な圧迫感。
つうか、物理的に普通車は無理な気もするが、どうだどうか?
超人的な車体感覚があれば行けるか? (試さなくて結構ですからね)
ちなみに、真っ白なガードレールが、密かに車道をアピールしている。
余り意識することはないと思うが、ガードレールというものは本来自動車用の道路構造物で、そもそも自動車が通らない道に設置することは稀なのだ。
「狭い せまい〜」 って言うのは簡単だけど、証拠を見せてみろよ。
というわけで、コレが証拠。
ね? 狭いでしょ。
ガードレールが少しだけ空気を読んでいるのが救いか…?
この後、道は左にカーブしながら下り始める。
狭い道が下っていくのって、なんか気持ち悪い。
そして遂に、ここではっきりとしたクルマの轍を発見。
ただでさえ狭いコンクリート舗装路なのに、山側から土が落ちてきて路上に泥となって堆積しているのだ。
そこにさほど古くないタイヤの痕がくっきりと残っている。
やはりこの道は歴とした自動車道なんだと、狭さを他人事のように無邪気に喜ぶ私。
まったくもって、チャリ万歳である。
そして、下りきった先には…
小さな川と橋が待っていた。
6:42 《現在地》
“狭区”に入って125mの地点で渡るこの川の名前は、中丸沢。
橋は「上中丸橋」という、どことなく間の抜けた名前だ。
しかし、橋自体は ち ゃ ん と 1車線分の幅がある。
とりあえず最も狭い部分は抜けたかも知れない。
少なくとも、あの一切はみ出すことが許されない段差やガードレールからは解放された。
思うにこの“狭区”の凄みというのは、クルマを完全に拒絶はしないという微妙な狭さにあると思う。
この半分の幅しか無ければ単なる歩道だし、これより広ければそれも平凡な?狭い県道だ。
おそらく1.53mくらいの微妙な幅。
上中丸橋自体は、前述の通り平凡な橋なのだが、この凡庸さも「県道らしい」と思える。
というのも、この道の狭さや実際の利用度を考えれば。これでも立派すぎる橋だ。
たぶん、県が施行したのだろう。
橋の幅や作りの頑丈さだけじゃなく、4枚揃った立派な銘板も県道らしいし、手すりの追加された欄干もそうだ。
この橋はゴージャスだ。
というか、4枚の銘板のうち2枚が漢字、2枚が平仮名で橋の名前や川の名前を書いているのだが、私にとって大切な竣工年の銘板がない。
お役所仕事にありがちな無駄だ。
まるで昔ながらの土橋のように泥が堆積した橋上には、軽トラのものらしい細めのタイヤ痕が大量に残されている。
そして、その主が主に向かっているのは、橋を渡って左の土道の方である。
そこには小さいながらよく手入れされた果樹園があり、前の集落の住人の誰かが足繁く通っているのだろう。
あの激狭県道を慣れた手つきで運転しながら。
またしても、県道はあまのじゃくだ。
右が正解。
流石に腐っても県道は舗装路だぜ!
…でも狭いぜ?
はっきり言おう。
不気味である と。
この“狭区”最大の目的地たる「畑」を過ぎた今、この道の前途は相当に… 薄暗い。
再びのこの狭さだが、一般的な狭道の要件ではない。
つまり、地形による制約ではない。
単に必要がないから誰も拡幅を打ち出さず、土地の所有者も敢えて拡幅しようとはしない。
河川改修の絡みで橋だけは“それなり”になったが、陸上の道は極限まで狭い。
おそらくそれは、この道が開通して以来変化のない“古い狭さ”だと思われる。
自動車時代の道ではない。
それでもまだいくらかの轍は残っている。
鋪装部分が狭すぎるので、こうして少しくらいはみ出せる場所になると、気のゆるみから容易にはみ出してしまうのだろう。
これがさっきの場所だったら、とっくに落ちていた(笑)。
一体この狭さはどこまで続くのか。
まだ200mも来ていないが、十分堪能した。
それより、こんな序盤から藪が始まったりすればテンションが劇下がりになる。
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6:43
はぁ?
穴です…。
こんなものがあるとは聞いてなかった。
というか、誰もこの道の話題をしないので知らなかった。
確かに穴だし、人が入れる大きさもあるが…。
明らかに道路の隧道ではないし、防空壕にしては狭いと思う。
ここがもし房総だったら、絶対に無視していた。
(あそこにはこういうものがありすぎるので)
だが、いま確かめておかないと、後で後悔しかねない。
おあつらえむきというか何というか…、なぜいまこのタイミングでポッと穴が出てきたのか。
全然嬉しくない据え膳だ。
私の経験から来る観測眼は、ほぼ確信的に“どうでもいい穴”だと訴えていたが…
こんな思わせぶりな矢印(しかも2つ)まで見付けてしまったら、入らないわけに行かない。
地下とは思えぬほど涼しくも何ともない、ただ土臭いだけの穴に、屈んで入洞する。
流石にチャリは外でお留守番だ。
おそらくは水路か何かだろう…
入るなり左に急角度で曲がっていく。
当然この方向は肉厚の地山なので、出口が見えるはずもない。
見た感じはまるで土の山なのだが、壁を触ってみると意外に硬く締まっている。
とりあえず崩壊した痕跡もないし、とても安定した穴のようだ。
さらに進む…
ぶ、 分岐かよ……。
この時の私の如何にもめんどくさそうな表情を見て欲しかった。
ほんと、まるっきりそそらないのだ。
私は隧道が好きだが、べつに地底空間なら何でもいい訳じゃないのだと最近やっと自覚した。
あんまり奥深いのならば帰るぞ、マジで。
県道が俺を呼んでいる。
なんか落ちてきたと思えば、天井にはカマドウマの大群だよ…。
どこまでこの穴は嫌らしいんだ。
しかもこのカマドウマたちが妙に活発で、屈んで歩かねばならない至近距離の天井から、こぞって熱いラブ・ダイブを決めてくる。
まるで大粒の雪のように、ポトッ、ピトッ、ポトッ という感じである。
ぎゃー!! 首入った!!
入った! 入った!!
入った〜〜〜!!
…は、 入ってなかった。
アブねー。 マジ目ん玉剥いた。
あと10mで引き返すぞ。
しかめっ面になりながら、分岐を確認。
幸いにして、2つ連続していた分岐は、分岐と言うほどの奥行きもない、単なる凹みだった。
しかし、倉庫と言うには謎の狭さだし、水が出ている様子もないし、謎は深い。
冗談で掘るほど暇じゃないだろうし…。
ああ、県道が呼んでいる!!
もう出たいよー。
ウオッ!
やったー! 出口だ。
洞内には2つの横穴があっただけで、メインの洞は20mも無いと思われる。
そして、最初から最後までずっと左にカーブし続けていた。
… と い う こ と は ?
バカだ(笑)。
入った穴と出てきた穴とは、直線で10mも離れていなかった。
しかも、私は来るときに「出てきた穴」の方はスルーして、奥の穴にだけ気付いたことになる。
バカだ…。
めっちゃバカにされた気もする。
あらゆる意味で価値のない穴だった。
まあ、オチが楽しかったから許せるけれど…時間を無駄にした。
さて、気を取り直して先へ進もう。
得体の知れない土穴よりも、県道が大好きさ。
なお、この穴の真向かいにも小さな畑があって耕作されていた。
さては橋の先にあった轍は、ここの主だな。
6:48
橋を底に緩やかな登りに転じた道は、穴の前を過ぎたところからムキになって登り始めた。
鋪装がなければ車輪が空転しそうなほどの急坂で、実際にクルマかバイクのタイヤがそうなった真新しい痕が残されていた。
こんな道でも廃道ではないらしく、左右の法面も刈り払いが行き届いている。
おそらく県道だからというわけではないだろう。
どうにもならない過疎化が進んだ田舎とは違う、人が暮らす場所の温もりを感じた。
道が道として生きようとしている姿には、いつも感銘を受ける。
直線的にひとしきり登ると、道は右に急旋回。
道の反対側には広々とした空き地が広がっており、しかもすばらしい眺めも付いてきた。
丹沢の裾野の下に広がっているのは秦野盆地で、その向こうには箱根の山々が右端の足柄山まで連なって見える。
箱根といえば芦ノ湖という大きなカルデラ湖があるが、この秦野盆地の地下には芦ノ湖を上回る膨大な地下水が埋蔵されており、いまでも市内の随所にわき水がある。
また、この辺りは都市化が進む以前、葉たばこの一大産地だったともいう。
新しい土地に来て、その俯瞰を自分自身の足で得る快感は、オブローディング以前の私の嗜好に合致するものだ。
自転車ならではといえば語弊があるが、それでも自分にはこれ以外考えられない。
…ほんと、予想外のカマドウマまみれになった後だけに、爽快〜。
カーブだからといって鋪装は広がっていない。
四輪車ならば確実に内輪なり外輪がはみ出す事になるが、鋪装の外側にもいくらかの余地があるので、まあ最初の辺りほどの圧迫感はない。
ただ、あくまで鋪装にこだわるのならば、これまでで一番狭く感じられる場所なのも確かだ。
県道701号の“狂”隘区間は、この急カーブをクライマックスとして、いよいよ解放へ向かうことになる。
まるで地下駐車場の出口のような、鋭角的な登り着き。
約360mの、「地形図にさえ載っていない」区間は、ここで一旦終わる。
一時的にではあるが、道は平穏を取り戻すのである。
6:51 《現在地》
県道は終点から約800m地点の大字蓑毛(みのげ)久保地区に入った。
ここには山腹を緩やかに横断する市道が通じており、県道はその肩を借りるような感じで、最後の集落である横畑を目指す。
現在地の標高は220mと、出発からさほど登っていない。
この狭隘区間にしても、中丸沢を渡るアップダウンに終始していた感じである。
峠(海抜450m)は遙かに高いし、全長5km足らずの県道でも、決してラクじゃ無さそうだ。
この場面だけを見ればやっといくらか県道らしい道になったと思うかも知れないが、ここまでの経緯を見て来た私にとっては、単に市道を間借りしただけの面白みのない道である。
ここまで、県道の標識や表示はひとつもない。
おそらく自動車の不通区間に入れば、ますますそんな物が出てくる可能性は低いだろう。
このまま行けば、表面上は県道701号の存在が見えないまま終わる可能性がマジで出てきた…。
それって5km近くもあって一応は開通している県道としては、異例のことだぞ。
東に向かって直線的に上っていく途中、右手に一軒のそば屋がポツンとある。
場所柄豊富なわき水を利用していそうで、美味しそうだった(まだ営業時間前…実は私はそば大好き)。
そこを過ぎると、右から一本の同じ幅の道が登ってきて合流した。
これが、700m手前のここで分岐した道である。
県道をトレースしたいか、途中にある畑に用事がない限りは、普通はあっちの道を使う。
それで何も不自由はない。
いよいよ車道の終点がある横林の集落が見えてきた。
目指す峠を戴く山は、既に背景ではなくなっている。
約200mの高低差だが、直登しようとすればもの凄い急坂になっている予感だ。
朝日を背負った山には切迫感があり、頂きの近くまでゴルフ場に占領された姿は苦しそうだ。
さすがは関東近郊だけあって、ゴルフ場の獰猛さがすごい…。
プレーしながらあんなに登るのではそれだけで疲れそうだが、問題は県道の邪魔をしていないかどうかだ。
地図を見る限り、県道はゴルフ場の縁を行くようではあるのだが。
ぬーおーー!
「ぬおー!」にしてはフォントが小さめだが、いや、これは結構萌えた。密かに萌えた。
集落手前で道はさらに幅員を増し、路肩無しの2車線幅を得たのである。
そのアスファルトは敷設以来一度も手入れされていなさそうなひび割れの状態であり、如何にも不通県道の末端らしい。
それだけではない。
今はかすれて色が消えてしまっているが、センターラインが存在した痕跡がある。
これは集落内を真っ先に 「県道」として 整備した名残であろう。
不通県道ではありがちな風景で、末端の集落の道が広いというのは、将来の「通過交通」が想定されていた証だ。
簡単に言えば、県道はさらに車道として新設される計画があったのではないかと思われる。
“隠し2車線”の道の途中に、再び野仏を発見。
双体道祖神と、自然石の「天社神」碑だ。
県道の拡幅によって一箇所にまとめられたものかも知れないが、いずれにしてもこの道に付随したものだろう。
道の来歴が、どんどん深く根を下ろしていく気がするのである。
進路を北に変え、ひび割れまくった“隠し2車線路”が集落最奥の家の前まで一気に登っている。
そして、最後は右へ折れて二本目の橋にさしかかる。
写真に赤い○で示した部分に、橋の素性を示すものが残っていた。
橋は久保橋といい、長さも幅もデザインも狭隘区間にあった「上中丸橋」と瓜二つだ(ただし銘板は2枚だけなので沢の名前が不明)。
2本の橋は同時期に同じ県道の橋として建設されたのだと想像される。
ただ、2車線化工事の前に建設されたのだろう。
どう考えてもこの直角曲がりは不自然だし、幅も合わない。
前回の冒頭で触れたとおり、この峠道を高額な工事費を用いて車道化するメリットは余り大きくないから、今後も延伸は難しい気がするが…。
まあ、「高速道路アクセス関連」とか訳の分からない事業費が付けば、どうなるか分からない。
橋桁の外側に付けられていて普通は気付かなそうな場所だが、この橋の場合はたまたま目立つ。
たぶん前の上中丸橋にもあったのだろう。
「久保橋」の竣工は「1991年3月」(平成3年)で、「神奈川県」の発注とはっきりした。
「 道示 (1900)二等橋 」の道示とは「道路橋示方書」の略で、橋や高架の技術的なルールブックのことである。県道に限らず近年の公道の橋はみなこれによる。
「二等橋」という表現は1994年まで使われていたもので、制定当初にはずばり府県道の橋であることを示していたが、1994年当時はそれに限らず一等橋には強度的に劣る規格の橋である。
解せないのは(1900)の部分である。
普通ここには、何年版の道示に準拠する橋であるかが西暦で示されるのだが、1900年ってオイ!
明治33年だぞ、道示なんてまだ無いぞ…。 エラーなのか、手抜きなのか、特例なのか…。
橋を介して道は150度くらい進路を転換する。
その先は、明らかにまたあの…
激狭道だ。
個人的な不通県道の萌えポイントである、「通行止め」などの標識が一切無いのは残念。
つうか、県道を明示するものが工事現場や橋くらいしかないというシャドーっぷりが悲しい。
敢えて隠しているわけではないと思いたいが…?
ゴルフ場の入口だ!
県道は左のアスファルト舗装路である。
しかし、流石にこれが正門というわけでは無い。
これでは大正時代のゴルフ場だ(笑)。
重要なのは、この入口に立っている警告板の文言と、県道の行き先を示す木柱の存在だ。
ハイキングコース的に県道は現役か?!
(ハイカーの方はハイキング道路をご利用下さい)
って、そんなことは言われなくても分かっている。
オレが心配しているのは、ゴルフ場の方が道を分断していないかと言うことだが、「高取山」(峠のそばの山)というハイキングコースらしい木柱が県道の方を向いているので、大丈夫そうだ。
廃道の危機はひとまず去ったかも知れないが、県道探索はもちろん続く。
看板に対し「ハイキング道路じゃなくて県道だよ」とつっこみたい気持ちを抑え、薄暗さを増す県道へ進む。
さてさて、左を選ぶとすぐにシカ避けネットが道を遮った。
しかし、もちろんその先にも道は続いている。
ハイキングコースというとオブローダー的にはちょっと萎えるが、まだ県道の全てがそうと決まったわけではない。
それに、足元の激狭舗装路はとてもそそるものだ。
“細切れ”県道701号の完全走破めざし、いざ入山ッ!
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