2009/3/2 7:06
山道の入口にはお馴染みのシカ避けネットが設置されている。
親切にも「開けたら閉めてね」と書いてある=人間は出入り自由だよと言うことだ。
でも、シカ避けネット自体が、自転車には結構な難関だったりする。
こいつがまた、ハンドルとかサドルとかペダルとか、出っ張っている場所によく絡まるんだよな。
ネットを潜ると、そこにもまだ舗装路が続いていた。
だが、左にももう一本の道がある。
まるでボブスレーのコースのように深く掘られたそれは、如何にも古道の様相を呈している。
一体どちらが正解(県道)なのだろう。
その答えを求めて、小さな祠を覗いてみると…
ウオッ!
めっちゃ古い案内標識発見!
江戸時代の案内標識…道標石だ。
設置場所が変化してなければ、この分岐を右に行くのが 「大山道」 だと言うことになる。
「文政五年庚辰七月吉祥日」とあるから、江戸時代末期(西暦1822年)の建立だ。
また上部には風化した観音坐像が付属しており、碑自体の大きさといい、かなり手の込んだ道標石(追分石)といえる。
県道名にも入っている大山(おおやま)は、現在でも名の知られた観光地だが、江戸時代から明治頃までは全国指折りの霊場として知られ、各地から大勢の参詣客を集めていた。
各地から大山へ通じる街道が何本もあり、それらは「大山道」と総称されたのである。
県道701号の前身もまた、そんな大山道のひとつだったようだ。
しかし、道標石はあくまでも江戸時代の大山道を指し示しているに過ぎない(移設の可能性もある)。
県道の確かなルートを知るには、やはり道路台帳しかない。
そんなわけで、道路台帳記載のルートを市販の地図に落としたのが左図。
県道は、この交差点を直進である。
浅間山林道に合流する峠までは、途中の九十九折りを交えつつ1km強の道のりである。
そして高低差が200mある。
…それって、黙っていても平均勾配20%ってコトか?!
うへぇ
さっそく、死んできた…。
まだ一応鋪装はあるし、クルマも通れないことはないだろうが、シカ避けネットがあるせいで四輪車はまず入ってこられないだろう。
遊歩道らしからぬカオスなムードはオブローダー的には歓迎だが、先が藪になってないことを祈る。
グリーンが近いッ!
そして、どう考えてもこのネットの“目”の大きさは、ゴルフボールを貫通させる。
早朝の今はプレーしている人影はないが、ちょっと嫌な県道だ。
見たところ道路上にボールは落ちていないので、ハイリスクではないだろうが…。
陽と陰、明と暗、生と死、活と廃。
県道がゴルフ場内道路よりも整備されていないのはありがちな展開だが、こうやって綺麗に対比させられると悲しくなる。
喩えとしてはどうかとも思うが、壁を隔ててスラムと高級住宅地が隣接しているムードだ。
そして私はこの後、
人工的に作られた緑地を横目に、
ナマの自然との格闘に没入する!
くーおー!!
急激な登りを観測!
鋪装も遂に消滅。
右の塀が水平に組まれていることに注目。
猛烈な角度である。
しかも、こんな状況なのにまだ轍はしっかり付いている。
何 者 だ?!
…同業者か?
塀を蹴って、第一の反転カーブ。
竹林ベース照葉樹混在という“南関東的”な山中に、前史的な掘り割り道が続いている。
その道幅は…、序盤の狭隘区間と同様である。
この幅にコンクリート鋪装を乗せたのが、“あれ”だったのだ。
これらは紛れもなく、一連の道なのだ。
県道の名をかたってはいるが、実態はモータリゼーション以前のままだと思われる。
掘り割りが特に深くなっている、第二の反転カーブ。
これほど深ければ水捌けが悪くて大変そうだが、意外にも路面はしっかりしている。
それはひとえに、道が今も頻繁に利用されているからだ。
刻まれたタイヤパターンから、その主が判明した。
オフロードバイクである。
四輪車は当然としても、自転車の細い轍も見あたらない。
この道を藪化から守っていたのは、大山詣での旅人でも、山を越えての交易でも無かった。
私と同じく道を趣味の場と考える、“オフローダー”達だった。
確かに、関東近郊という立地を含め、これほどおあつらえ向きなコースは多くないかも知れない。
ハイキングコースと言いつつも見晴らしが悪いので歩く人は少なそうだし、自転車では勾配がきつすぎて漕いで登ることが出来ないので楽しくないだろう。
何より、バイクを含む自動車に対する通行規制がない。
公道として大手を振って走ることが出来る。
きっと、県道とは知らずに腕を磨いているライダーも少なくないと思われる。
第三の反転カーブを過ぎると、少しだけ勾配が緩む。
緩んでも、こんなに厳しいのだが。
とても自転車では漕いで進むことが出来ない。
路面に泥が露出して滑りやすいせいもあるし、私がせっかくのMTBなのにスリックタイヤに換装しているせいもある。
スリックの履き心地が好き。
路肩から下を覗くと、そこには「第二の反転カーブ」が、もうあんなに小さくなっていた。
九十九折りをしていてもこんなに急勾配なのだから、地山自体の傾斜はもの凄いのである。
これでは容易に自動車道に改築できないわけである。
しかも、まだまだ登りは序盤だ。
第4の反転カーブ。
カーブを出たあとの勾配が殺人的…
確かにバイクだと楽しいかも知れないが…。
チャリだったら、下ってくるのもゴメンである。
多分私はすっころぶ。
間を置かず、第5の反転カーブ。
もう、押せ押せ!! である。
チャリの押せ押せは… 辛いッ
昇る朝日と競争だ〜!
眩しさ以外のモノに顔をしかめつつ第6の反転カーブを超す。
こんなアグレッシブな道がいつからあるのかについてだが、道標が建てられたりした江戸時代には、さらに直線的な道が使われていたのではないかと思う。
古い資料に「坂本道」として記載されている道は、麓の秦野から横林を経て峠を下った先の坂本(現在の県道の起点に一致)まで33町(約3.5km)の距離があったという。(横林には500mにも及ぶ杉並木があったとも)
しかし今日の県道の場合、もし終点を秦野まで下ろすとしたら6km近い道のりになる。
この不一致は、資料の間違いか、九十九折りの新設によるものと考えるより無い。
すぐ上に真新しいコンクリートの路肩とガードレールが見えてきた。
別の道が近づいているようだ。
そもそも、県道としての「大山秦野線」の歴史だが、これも相当に古い。
大正9年の(旧)道路法公布を受けて発行された「神奈川県公報号外」において、既に現在と全く同じ「大山秦野線」という路線名で指定されている。
そして、現行の道路法に切り替わった後も引き続き、現在に至るまでずっと県道の座を守り続けている。
つまり、県道としては最古参の古株というわけだ。
(余談だが、旧道路法制定時から現在まで路線名さえ変わらず指定され続けている県道は、全国的に見ても数が少ない。そのような“重要路線”は、後により大きな道に組み込まれて国道化・主要地方道化する事が多いからだ)
それにもかわらず今日まで一度も廃止されず、また自動車道として開通もしていないところに、この道の険しさと、いぶし銀の参詣道という性格が現れていると思う。
大山道(坂本道)から県道大山秦野線へ切り替わる課程のどこかで、時代の要請に応じた道路改良が行われたと思われる。
現在の激しい九十九折りなどは、曲がりなりにも勾配を緩和して徒歩以外の交通の便を図るためのものだろう。
流石に馬車や人力車は無理だったようだが、荷車や馬を利用した交通が行われていた記録は残っている。
特に大正の終わり頃までは県道として盛んに活用されていたという。
もしかしたら、この道に“自動車”を初めて通したのは、貪欲なオフローダー達かも知れない。
スポンサーリンク |
ちょっとだけ!ヨッキれんの宣伝。
|
7:21 《現在地》
標高350mにある、浅間山林道支線との分岐地点だ。
県道はここを右に進むのが正解。
ただ…
林道支線の方は最近になって手が入ったらしく、ちゃんと車道になっている。
言うまでもなく、ギブアップ時のエスケープルートである。
私は当然県道へ進んだが、
この後は… さらにキビシー展開も…。
なんだか、明らかに道のスペックが低下している。
あれ以上どう低下するのかと思われるかも知れないが、さらに道幅が狭まっていて、もうどうやっても四輪のクルマは通れないだろう。
それでも、路肩には土嚢が積まれていたり補修はされていて、歩く分には問題の無い道だ。
歩く分にはな…。
チャリだと、とにかく路盤がヌルヌルなのでまともに漕ぐことが難しい!
見下ろせば、ゴルフ場。
遠くには白亜のクラブハウスがちょうど目線くらいの高さに見える。
しかも、まだ朝の7時過ぎ(しかも月曜日)だというのに、山陰の薄暗いラウンドでプレーしている人がいる。
これがウワサの“接待ゴルフ”というやつなのか… 辛そうだ(私にはそういう風にしか見えない)。
とりあえず、藪越しにキャディさんの盗撮を狙ったが、敢えなく失敗した(笑)。
6:48
ぬぅあんと!
ついさっきあんな猛スパートな九十九折りで突き放した筈のゴルフ場が、気付けば同じ高さにいる!
いったいこのコースはどれほど高低差があるんだ。
高いコースから下の方に向かって打球すれば、素人でもすったけ(すごく)遠くまで飛ばせそうだ。
しかも、流石に眺めが良い。
悔しいのは、県道からだと常にフェンスが邪魔をして、この眺めを欲しいままには出来ないことだ。
金を払ったプレーヤーだけがクリアーな視界を得られると言うことか。 感じ悪〜い。
嗚呼…。
県道はますますしょぼくれたが、場内道路の方は晴れやかなムードに包まれている。
向こうも勾配はかなりのもので、自転車だとラクではないだろうが、それでもこのヌメヌメ路盤から解放されたい!
だが、当然のように乗り移るチャンスは皆無なのである。
古くは汗と馬糞、いまはオイルとゴルフボールが染みついた土の路盤こそ、唯一の県道だ。
優雅に水面をたゆたう白鳥も水面下では激しく足をばたつかせている事が、努力家の表裏を示す喩えとして使われることがあるが、この道にはもっと表面的で深みのない同様の状況が起きている。
よく整備されたゴルフ場内は、急斜面でもさほど険しくも見えないし優雅さを失ってはいない。
一方、泥と轍と岩塊と竹叢に支配された県道は、同じ勾配にも酷く喘いでいるようだ。
むろん、私も優雅にこの道を探ることなど出来はしない。
7:45 《現在地》
林道分岐から450mほど進むと、コースに邪魔をされるようにして進路が左に変化する。
海抜は400mに届こうとしており、残りは50m足らずとなった。
いよいよ、終盤戦である。
最も険しい、最後の登り。
どうやら先ほど私に盗撮されかけたプレーヤー達が、前のコースを終えて登ってきたようだ。
カートのモーター音や人の声が追いかけてくる。
今の私に本来負い目はないはずだが、普段の悪い癖なのだろう、追いつかれれば誰何を受けるのではないかという煩わしさに支配され、私は疲労を承知でペースを上げた。
また、“悪さ”の最中でなくても、そもそも私は苦労の姿を人に見られるのが苦手な質だ。
たぶん、ねぎらいの言葉をもらったときのに、どんなに疲れていても張り付いたような笑顔を作ってしまう自分が苦手だからだろう。
そんな些細な事を悩みながら、登っていった。
峠はもう間近に見える。 …高いけれど。
続いての右カーブ。
これまでと違って、路盤がだいぶ洗鑿されて掘られている。
これまで以上に滑りやすく、私は唇を噛んだ。
海抜410m付近。
一番下のコースより150m近くも高いところに位置する「東6番コース」の脇を登ってゆく。
前も書いたが、こんなにコースに近接しているのに、あまりボールは落ちていない。(少しは落ちてる)
その辺のゴルフ練習場と違って、みんな上手い人なんだろうか。
もう少しで、やっとゴルフ場との近接から解放される。
ハードなものも含めて山道は大好きだけど、ゴルフ場という「エセ自然」を見せつけられながらの登攀は、正直あまり楽しくない。
(←)
まるで登山道の様相を呈してきた。
これを思えば、序盤の道は確かに車道だった。
(→)
ひどく荒れた路盤の瓦礫に混じって、「道界」と彫られたコンクリートの標柱が無惨な姿を横たえていた。
既に路面を構成する一部になってしまっているが、紛れもなく県有地たる県道の存在を示す標柱だ。
なお、この様な標柱は一本だけではなく、終盤にかけて道路の両側に散見された。
ヘキサも標識もない県道701号にとっては、かなり直接的な県道の証拠品だ。
あのー。
「神奈川県」のマークが刻まれた境界標が、明らかにゴルフコース内に有りますけど…。
そこまで「僕らの」道敷じゃないんですかねー。 (←嫌らしい通行人を演出)
もちろん、真偽は不明。
ぬーおーー!
振り返れば、ニッポン!
7:56
海抜420m。
ようやくこの反転カーブで、ゴルフ場とはおさらばだ。
後はこの杉の植林地を上り詰めれて、峠だろう。
完全に登山道である。
本来ここまで険しくある必要はなかったはずだが、頑張りすぎたオフローダーが道を激しく研磨している。
道の全体がウォータースライダーかボブスレーのコースの用に掘られてヌルついている。
流石にそれではバイクも辛いからだろうか、伐木が盛んに溝に投入されているが、チャリにとってはどちらにしても走りづらい。
つうか、押しづらい。登りづらい。
再び折り返して、スカイラインが林間に露わとなった。
遂に峠だ。
名前も知らずに登ってきた峠。
秦野市と伊勢原市の境である。
8:01 《現在地》
海抜450mの「峠」である。
車道の峠ではないので、掘り割りも無ければ、登りきった道が反対側へ下っていくでもない。
むしろ、稜線を通る歩道との丁字路である。
県道はここでも進路を反転させ、さらに少しだけ高いところを通る浅間山林道との交差点へ向かうことになる。
残念ながら、こういう場所なので見晴らしはない。
しかし、即席で峠の名前が明らかとなった。
傍らの木に「不動越」と書かれた札が付けられていた。
また、道を挟んで反対側には、上部が折れた道標が安置されており、そこには「不動明王」と刻まれていた。
「○政五年」(○は欠けていて読めない)の記年があり、その形状から見ても、麓にあった追分石と同じ年に建立されたものだと思う。
この年に大規模な道路の改修でも行われたのだろうか。
いずれにしても、県道701号が大山道をなぞっていた事を裏付ける証拠品である。
なお、後日の調査により、この峠の別名(正式名か?)が分かったので付け加えておく。
いより峠
…というそうだ。
この地方の方言には明るくない私には、その由来は分からない。しかし、平仮名の峠名はどこか不気味である。
「いより峠」がピークではなく、そこから30mほど北に稜線を辿った林道との交差点が最高所である。
車道の峠に慣れた身には不自然な線形だが、元々こうであったようだ。
地図を見ると分かるが、そのまま尾根の裏に下ってしまうと「坂本」へは行けない。
次回最終回では、林道を間借りしながら、
知られざる起点を目指す。
お読みいただきありがとうございます。 | |
このレポートの最終回ないしは最後に更新した回の 【トップページへ戻る】 |