2012/9/15 6:33 《現在地》
前回の続き。
現在は、渇水の草木湖湖底に現れた足尾線旧線の遺構を探索中。
ここはかつて白浜という集落があった場所で、旧線は渡良瀬川の左岸沿いに存在していた。
(おそらくは、図中に破線で示したような位置・線形で)
そして、右前方に見える湖面を渡る巨大な「草木橋」の下辺りに、草木駅があった。
現在地と草木駅を結ぶ旧線の痕跡を辿っていきたいが、今のところ、200mほど先に擁壁の一部らしきものが見えているだけだ。
それ以外は何も見つかっていない。
ということで、とりあえず“それ”を目指して歩き出す。
歩き出してまもなく、気付く。
ここは確かに「白浜」だと。
同じ湖底でも、泥が分厚く堆積している場所があるかと思えば、
このようにサラサラの砂の層もある辺り、廃道とは関係ないが不思議なものだ。
そういえば、ずっと左岸の旧線の方ばかり見ていたが、
対岸の旧国道についても、ここでひとつ、大きな発見があった。
次の写真を、いざ。
橋を発見!!
先に草木橋の上から旧国道の橋を2本見つけているが、これはそのいずれでもない。
あの2本の橋の500mほど上流側に、さらに3本目の橋が発見されたのである。
でもなんか、変じゃない?
私はこの橋の見え方に、違和感を覚えた。
しかし肉眼では少々遠く、その違和感の正体ははっきり言えない。
ただ、橋ならばある必要のないものが見えている。それは確かだった。
あの橋には、後でぜひ立って見たい。
といった具合に対岸にも浮気しながら歩いて行くと、此岸の山手に怪しい動きを察知。
小規模ながら、石垣を有する路盤のようなものを見付けた。
そこはちょうど喫水線ギリギリの高みで、白浜集落跡を見下ろせる位置だ。
この路盤の正体は、十中八九、東宮橋から続く左岸の町村道であろう。
右の昭和27年版地形図では、縮尺の関係からか線路と道路が隣接しているように描かれているが、実際はこの程度の間隔が空いていてもおかしくはない。
旧線に加え、この旧村道についても、これからは積極的に意識を向けるようにしよう。
6:37 《現在地》
さて、さしあたっての目的としていた地点にやって来た。
この場所には、左岸の山手から小さな沢(地形図では無名)が流れ込んでおり、鉄道は何らかの方法で沢を渡っていたはずである。
それが橋なのか暗渠なのか不明だが、何らかの構造物があったことは確かなのであり、私が目指してきた“擁壁のようなもの”の正体についても、そんな期待感を持っていた。
ここでその“擁壁のようなもの”の正体に触れる前に、新たに見つけたもう1つの“擁壁”を紹介しておこう。
向かいの斜面の途中に逆さ富士形に見えている見知石の石垣は、確実に旧村道の路肩擁壁と言って良いだろう。
先ほど見つけた旧村道の続きに違いない。
改めて、私を誘ったこの“擁壁のようなもの”だが、私は大きな勘違いをしていた事に気付いた。
この“擁壁のようなもの”は、位置的に考えても確かに足尾線旧線の遺構ではあったようだ。
それは期待通りだった……が、
これ、線路は上じゃなくて、
下だったのな。
つまり、私がずっと“白浜”を歩いているうちに、路盤はどんどん地下へ潜っていったということで。
もう、この先の地表に何か痕跡がある希望も、無いわけで…。
終了ですね。
足尾線旧線の探索は、これで終了。
これ以上先に行っても、地表に路盤が現れているとは思えないので、終了。
左岸の探索はこれで終了として、一旦湖底を離脱して地上へ戻ることにした。
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車をデポしてきた県道へ戻るのに、今歩いてきたルートを逆に辿っても良かったが、あの草むらをもう一度歩くのが嫌だったので、別コースを開拓することにした。
県道に辿りつきさえすればどこでも大差ないので、目の前にある無名の沢を遡ってみよう。
現時点でも、旧村道の擁壁の20mほど上方に県道のガードレールが見えている。
直接あそこへ向かうのは地形的に大変そうだが、沢を登っていけば。どこか楽にアプローチ出来る場所も見つかるだろう。
そんなワケで土と砂の急な斜面をよじ登り始めると、
即座に予想外の光景に出会った。
やったぞ!
旧村道の橋は全て木造で、とても現存は期待できまいと勝手に想像していたが、
そ ん な こ と は な か っ た。
しっかりとしたコンクリート製の永久橋が、架かって居るではないか。
こんな小さな無名の沢に!
それにしても、堆積した土砂の量には改めて驚かされた。
水が流れている部分は小さな滝のようになっているが、あれが本来の地表なのだ。
一見すると旧来の地形のようにも見える湖岸線も、実は大量の堆積土砂によって形作られたものであるとことを念頭に置いて探索を行わなければ、不要な混乱の元になりそうである。
橋の左岸橋頭部には、ほんの僅かに路盤が露出していたものの、少し離れると余丈の堆土に覆い隠されていた。
なお、この時点で橋には親柱が現存している事を確認。
銘板を読むことが出来れば、新たな情報が仕入れられそうだが…。
おおおぉぉぉ…
単独行ながら、思わず声が漏れた。
こんな顧みられない状況になりながら、なお架かったまま朽ちるに任されている橋の姿に、人に作られたものの哀れさを感じたからだ。
せめて今一度、静かに渡ってあげるのが情けというものだろう。
その役目、私が喜んで勤めさせていただきます。
さらに嬉しい事には…
銘板が現存していた!!→→→
「 滝の澤橋 」
そう刻まれて(浮き彫りにされて)いた。
滝ですか。
それは橋のすぐ下にある、小さな滝のことだったろうか。
いずれ、今まで無名沢と呼ぶしかなかったこの沢の名前が滝の沢であることが、ほぼ確定した。
見たところ、残り3本の親柱も原形を留めており、おそらく銘板も健在だろうと思われた。
しかし、それらは銘板の部分が土砂に深く埋没しており、短時間で掘り出すことは難しそうだった。
今回は時間の限りもあるので、泣く泣く発掘は断念したのだが、いずれ竣工年の銘板だけでも掘り出しに行きたいものである。
これはもう、橋は単なる河川の障害物になってしまっている状態だ…。
おそらく大雨などで大きな出水があると、土砂に埋没して狭まった橋下の空間だけでは水を通しきれなくなり、橋の上を越流するのであろう。
それだけでも大いなる“愚弄”だが、橋はダム湖の水位上昇によっても容易く冠水してしまう。
私がもしも“意識ある橋”だったら、こんな運命だけは御免被りたいと思うだろう。
私は静かに一往復した。
生命を感じない、橋上からの眺め。
湖底を流れる水には、今ひとつ鮮烈さがない。
なお、旧村道についてはもう少し下流側まで地上にあり、探索も不可能では無さそうだったが、この後で対岸の旧国道を探索する予定があり、そこからでも観察出来るだろうと判断し、これ以上の追跡は行わなかった。
滝の澤橋を一往復して満足した私は、この橋の右岸橋頭にある草付きの斜面をよじ登り、樹木が茂る狭尾根から県道へ復帰した。
期待はしていなかったが、この狭尾根には踏み跡が存在しており、草付き斜面をよじ登る部分以外は苦労しなかった。
実際に体を預けると、その意外な高低差に怖さを感じた草付き斜面。
満水時の水位は、ちょうど私がいる辺りになる。
その事を想像すると、少し前まで私がいた橋も十分深い湖底ということが分かり、ゾクゾクした。
…旧村道でさえそうなのだ。足尾線旧線に至っては、本当に深淵の存在だと言うことがお分かりいただけるだろう。
今回の水位は、やはり数年に1度以下の異常渇水だったと言わねばならない。
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