道路レポート 緑資源幹線林道八幡高山線 馬瀬萩原区間(馬瀬側) 後編

所在地 岐阜県下呂市
探索日 2019.12.20
公開日 2023.07.12

 山中孤立の高規格林道をゆく……


2019/12/20 13:37 《現在地》

キター!!!

この道路のことを調べ始めた数年前のこと、当時の Google Earth の航空写真で計画路線上にあるものを調べていた私は、この場所に孤立して存在している立派な二車線道路を見つけて大いに興奮した。
今やっと自分の足で辿り着いた。今はまたとても興奮している。

このシチュエーションが私は大好きだ。未舗装の林道を何キロも辿っていった先で予告なく現れる立派な2車線道路のギャップと不思議さが堪らない。
以前経験したこの道も似ていたが、そういえばあそこも別の大規模林道由来だった。まさに同じ穴の狢である。

ここまでの林道がことさらに悪い道だったわけではなく、林道として至って標準的な整備状態だったと思うが、今現れたこの道は、かつて“大規模林道”の名で計画されたものであり、その名は決して伊達ではなかったと思わされるだけの規格の違いがある。それは道幅が広いとか舗装されているというだけではない、線形の緩やかさとか、法面や路肩部分の保護の手厚さまで、外見に関する全ての点でいえることだ。

だが、これだけ道の規格は高くなっても、交通量だけはこれまでと変わらない。変わりようがない。行き止まりの未成道ゆえの悲しみが、そこにある。




Google Earth (2015年6月撮影)より転載。

これが以前私が目にした Google Earth の画像だ。撮影は2015年6月となっている。
薄雲の下に広がる碧い地表に。雄大なカーブを連ねた真新しい2車線道路が見えるだろう。
そしてこの道が、前後ともにどこにも繋がっていないように見えたのである。

実際には、「現在地」である南側の端部は、いま通ってきた林道によって下界と繋がっていた訳だが、航空写真のスケールだとその道が見えず、完全に行き止まりである北側の端部と合わせて、山中孤立のどこにも繋がらない2車線道路と見えたわけだ。確かに、2車線道路としてはどこにも繋がっていない。

ここが大規模林道→緑資源幹線林道という過程を経た、平成20(2008)年に建設が中止された未成道であることは資料からすぐに分かったが、これより古い平成14(2002)年9月撮影の画像を見ると、ちょうどこの周辺で工事が行われており、この一連の山中に孤立した2車線道路は、幹線林道としての工事中止直前まで工事が行われていた“最新の区間”だったことも分かった。
探索(2019年12月)時点では、工事中止から11年しか経過していなかったわけだ。

そんな道の姿を、これからご覧いただく。




まずは、道の規格が変化する地点の振り返りだ。
この眺めも、強烈なインパクトがある。
未成道の行き止まりは見慣れているが、こういう半分だけ行き止まりのようなのは目新しい。

通常の道路の幅員が変化する部分と明らかに異なっていると感じるのが、2車線道路のカーブが最後に途切れる直前、地山へぶつかるような方向を向いていることだ。右へ外れていく林道とは明らかに不整合だ。
正面の山を削って道路を真っ直ぐ伸ばそうという“意思”がありありと見える。林道とはここで接続しているだけの本来は別の道なのである。

だが、その“意思”を実行に移す前に、工事が終わってしまったわけだ。
ここから正面の山腹伝いに約2km離れた下流に、約1時間10分前にUターンをした【最初の行き止まり】がある。
この露骨なミッシングリンクは、今後奇跡的に工事が再開されない限り、二度と埋まることはない。それまでは、ずっと孤立したままである。



こんなに道の様子が変化したが、周りにそのことについての説明はない。標識も何もない。こんな変化に疑問を持つのは当然なのに、答える意思は全く感じられない。
まあ、事情を何も知らないままこんなところまで来る部外者は、あまりいないだろうが…。

突然高規格になった道の上には、初っ端から無造作に落石が散らばっていた。
片づける人も、わざわざ寄せて通る車も、ないのだろう。
そんな落石の出所である切り立った法面に目を向けると、犬走りに座る一頭の大きなカモシカがじっと私を見ていた。人を知らないのか、逃げるそぶりも見せなかった。

この静かな遭遇を奥山からの挨拶と受け取った私は、再びペダルに力を込めた。これまでよりも遙かに小さな力で自転車は前進を始めた。




幹線林道との再会地点から約150m進むと、右に1本の砂利道が分かれていく。
この砂利道こそ、私をここまで運んできてくれた黒石谷沿いの林道の続きだ。

地形図を見ると、林道はここからさらに4km以上も延々と山奥に伸びているようだが、幹線林道と再会する機会はない。
幹線林道は、こうした既存の林道に頼ることをせず、独自のルートでこの山を越える意思を見せている。
というわけで、私とのこの林道との交流はこれで終了。まあ、帰り道も同じ所を通るけどね。




13:42 《現在地》

林道と分かれてまもなく、幹線林道は緩やかに左折しながら初めて黒石谷を跨ぐ。

この渡河部分は、最新の地理院地図とも違った線形になっていて、地図の風景と実際の風景の印象が大きく異なる。
地図だと、奥山の割に幅広で水量豊富な谷を橋で渡るように見えるが、実際の谷は跳ね越えられそうな小川でしかなく、そこをカーブした築堤と暗渠でドライバーにはほとんど意識されないうちに跨いでいる。したがってこの部分に橋はない。

こうして素気なく黒石谷に別れを告げた幹線林道は、先線がいない未知の山域に入っていく。それに伴い車窓も新鮮に変化していく。




渡ったばかりの黒石谷を左手に見下ろしながら登っていく。
対岸には山腹を撫で切りにする“来た道”が見えるが、その唐突な終わりが印象的だ。

計画通り全通していれば、点線を描いた所に道が通じていたはずである。
というかむしろ、麓から順序よく道を作っていれば自然にそうなったはずなのだが、
敢えて奥地から先に手を付けたのは、出来るだけ工事を先回りさせて峠の貫通を急ぎたかったからか、
それとも、奥地の国有林の方が麓の民有林地帯よりも容易く土地を入手出来たからなのか。
……後者の可能性の方が大きいとは思う。



ずどーーーん。

ここから見ると、ただの行き止まりにしか見えないな。

それも、廃道の……。

カモシカたちが散らかした落石を片づけないから…。



誰も塞いでいないのに、ほとんど誰も来ない(稀には来ているだろうが本当に稀だろう)独り占めの道は、誰も見ていないところで歳を重ねている。

これらの画像は、私の常からの疑問に1つの答えを投げかけていた。
その疑問とは、交通量が少ない道路で、タイヤ圧によって掠れて消えるとは思えない白線が、なぜ時とともにすっかり消えてしまうのかというものだ。
この道路の序盤を思い出してみても、ほとんどの白線はすっかり消えていた。

答えは、人が手入れをしない白線というのは、タイヤに踏まれて掠れるまでもなく、雨水によって自然に流されて消えていくものらしい。
この区間の白線は、全体に滲んでしまってなんとも哀れな姿である。これでどんなに長く見積もっても、開通から20年は経っていないのだ。
道路の白線は、思っていたよりもずいぶんと儚いものだったようだ。




13:46 《現在地》

“復活”から、約500m進んだ。

道はここで黒石谷を見下ろす尾根の上に達し、等高線に沿って尾根を乗り越す。
尾根沿いに行き止まりの林道(作業道?)が南に分岐する。
最新の地理院地図では、この地点で道の描き方が変化する。ここから先の道は、先ほど登ってきた林道と同じような「軽車道」を表わす単線に戻っている。

だが、実際には完全な2車線道路がまだ続く。
このことは航空写真から事前に把握していた。
ここから先もまた、最新の地図に正しく反映される機会を得ないまま、形だけがすっかり完成している道路である。

それでも、やがて来る行き止まりに近づいていることは、路面が教えてくれた……。(↓)




🌾 すすきセンターライン 🌾

尾根を過ぎた道はまもなく、こんな路上に花壇を置いたみたいな和やかな景色を見せてくれた。

アスファルト舗装の境目であるセンターラインからすすきが生えるのは、原理的に分からないでもないが、

普通は、こうなる前に、どうにかされる。

何度もしつこく書くが、封鎖された廃道じゃないからね、ここ…。誰もがウェルカムなんだよ…。




ふぅ…

🌾すすきセンターライン 🌾 は、日当りの良い短い距離でなりを潜めたな。

さあ、速度出していくぞ。




もう塞いでおけって… これは(笑)。



 地図にない道の果て――緑資源幹線林道“最後の終点”へ


13:51 《現在地》

幹線林道が“復活”地点から約1km進んだ地点である。

🌾すすきセンターライン 🌾 よりも悪い状況が現れた。
落石してきた大小の瓦礫や大量の落葉が、急坂の路面を勢いよく流れた水の痕跡も鮮やかに、路上一杯に散らばっている。
特に山側の車線は酷い状態で、もはや廃道と変わらない。

しかし周囲には注意喚起のカラーコーンひとつ置かれていない。管理者がこれを知れば、さすがに放置できないと考えると思うが、知らないのかもしれない。それほど見捨てられていると見える。

また、GPSで現在地を確かめると、最新の地理院地図に描かれている道の終点が、ちょうどここだった。
しかし、実際の道はまだ終わらず、相変わらず封鎖のないまま続いている。
ここから先は、地形図には一度も描かれたことのない道である。
いったいどこまでこの道は続いているのだろうか。どこまで、峠に迫れるだろう。



地図にない区間に入っても、道の様子に変化はなかったものの、ガードレール越しに見た眺望の広大さは、しばし足を止めるほどの大きな驚きと感激があった。
チェンジ後の画像がそれだ。

何気なく覗いた路下の風景だったが、これまでこの道で感じたことがない開放感に満ちていた。
まもなく標高1000mであり、これは確かに高所といえるが、重要なのは単純な数字の大小ではない。それよりも、探索のスタート地点である馬瀬川谷の底から400m近く登っていて、かつこれまでの行程では見下ろす機会がなかったその谷と、獲得高度の全てを、ここで初めて見ていることが、新鮮な驚きの理由であった。

この道は最序盤にこそ【こんな長閑な馬瀬川谷の眺望】があったが、それからまもなく雑木林に紛れ込み、さらに石谷や黒石谷といった支流の谷に分け入ることで、大きな眺望を失った。しかしその間も粛々と高度を蓄え続けていた。そして起点から6kmを過ぎ、再び馬瀬川谷へ戻ってきたところで、ここまでの雌伏に報いるような眺めを得たのである。



まだ新しいはずの法面も、一部で既に崩壊が始まっていた。
通常、こういう法面の小さな崩れが発生した場合、すぐに崩壊部分をブルーシートで養生して雨水による崩壊の進行を防いだり、土嚢を下に並べて斜面の下支えをするといった応急処置が行われる。それをしないと崩壊は連鎖的に拡大し、簡単に復旧出来ない大きな崩壊に繋がり兼ねないからだ。

だが、ここでは放置されている。

もっとも、これに違和感を覚えるのは、視点の置き場によるかもしれない。
仮にここが先ほど通過した黒石谷沿いの林道のような普通の未舗装林道だったら、このくらいの崩壊が放置されているのは普通だろう。

利用実態に対して道の規格が高すぎるから、綺麗に維持することは難しくなる。
現在の管理者が、この“荒れた舗装路”を封鎖していないことも、その辺にある封鎖されていない普通の未舗装林道の荒れ方に比べれば、別に不思議はないかもしれない。



道はしぶとく続いている。
続きの道が少し遠い山腹を一閃していく姿が見渡せた。
地形と道の配列には、ちょっとだけ(ちょっとだよ)塩那道路の上の方を彷彿とさせる雰囲気があった。天気と季節に恵まれていたら、山岳道路の爽快感をもっと感じられたことだろう。この枯れすすきのようなうら寂しい悲壮感を、少しは覆い隠してくれたはずだ。

思うに、このような行き止まりの道の管理をすることになった旧馬瀬村や、それを合併によって引き受けた下呂市は、ある意味で国の事業の被害者だと思う。
半世紀ちかくも昔、この林道の計画線を自らの領域に受け入れた時点で、将来開通した後の維持管理が自らの責任と負担になることは当然把握していた。最初からそういう決まりだったから。

しかし、それがどこにも繋がらない行き止まりの道で終わるというのは、想定外だろう。当時そんなことを疑って受け入れないという選択が、簡単にできたとも思えない。
開通した道は、自治体が支払う維持管理コストに見合った以上のさまざまな恩恵を地域にもたらすはずだった。林業はもちろんのこと、観光の振興、住民の通勤、災害時の迂回路などなど、大規模林道が謳っていたメリットは巨大だった。だが、そうした恩恵のほとんどは、行き止まりの道には期待の出来ないものだった。


国(緑資源機構)による事業の中止が決まった際、岐阜県がこれを「山のみち」として継続する道はあった。だが、それすら県に拒否されてしまったこの区間(馬瀬・萩原区間)には、たぶんもう未来がない。
それでも工事が終わった区間の維持管理は、当初のルール通り、地元自治体に任されているのである。

もっとも、今探索しているこの辺りの道に、現行の管理者である下呂市が新たな維持管理費を投じている様子は見あたらない。
このまま放置を続け、自然と廃道になるのを待つつもりなのかも知れない。
仮にそうだとしても、それを怠惰だと責める気にはなれない。
ただただ、一度でも誰かに祝われたことがあるか疑わしいこの道が哀れなばかりである。

ここまで登ってきて、眼下にある馬瀬川の谷には、国道257号の新しく立派なトンネルがよく見えた。あれは「かおれトンネル」といい、その開通は平成19(2007)年11月、緑資源幹線林道が正式に中止される4ヶ月前だった。
つまり、これらの道は互いを視認出来る位置で同時期に施工されて、最後には明暗を分けたのである。元から全く別の事業であり、こんなことは珍しくないかも知れないが、両者の目に見える対比は胸に迫るものがあった。



地図から道が消えたところから、1kmも進んできた。
これだけの距離にわたって、こんなに立派な道があるのに、それが全く地図に描かれていないのは異例なことだ。開通から少なくとも10年は経過しているというのに。

ここまでの写真と比較すると分かると思うが、路面がこれまでに増して新しく見える。
アスファルトの濡れ羽色を思わせる黒さが、開通直後の雰囲気さえ醸している。
センターラインの薄れ方も、ほとんど進んでいない。

着実に、この道の最深部であり最新部へと迫っていることが感じられた。




これまでで一番綺麗なカーブが現れた。

カーブの始まりから、終わりへと、しなやかに伸びる曲線は、

最後に土の壁へぶつかっていた。

今度こそ、旧馬瀬村で進められていた幹線林道工事の本当の行き止まりだった。




14:04

今度こそ終点。

見事にぶっつりと終わっているが、本当に最後まで道は完成していて、
工事が途中で打ち切られた現場にありがちな行儀の悪さは感じられない。
強いて言えば、行き止まりの部分の土壁だけは法面の処理がされておらず荒々しいが、
ほんとそれくらいだ。

とてもよく、整っていた。

そして最後まで「通行止」の文字に遮られることもなかった。



すかさずGPSで「現在地」を確かめると、周囲に道がない山中へ奥深くへ入り込んでいるのが一目瞭然で、とても痛快に感じた。
同時に、人知れずここまで道が伸びたことを、せめて私だけでも誉めてあげたいような気持ちにもなった。

チェンジ後の画像に描いた緑の線が、GPSの軌跡より再現した、地図にない区間の線形だ。
ここは、図中の“復活”地点から数えてほぼ2kmの位置であり、レポートのスタート地点である区間の起点から数えると、おおよそ7.8kmの位置である。
このうち途中の約2kmは未開通なので、既設部分の合計はおおよそ5.8kmということになろう。
また、現在地の標高は1040m付近であり、区間の起点から数えて約440m登っていた。




さてこの終点、計画全体の中で見ればどのような位置だったのだろう。

この馬瀬・萩原区間については詳細な計画ルート図が未発見だが、資料より区間延長が25.5kmであったことや、事業中止時点でこのうち13.3kmが完成していたことが判明している。
また縮尺は小さいものの、左図のような予定線を描いた地図も見つかっている。

判明しているこれらの情報から推測を交えて述べるが、区間延長25.5kmの最高地点である峠(旧馬瀬村と旧萩原町の境界)は、馬瀬側起点から約13km進んだ海抜1350m付近に予定されていたと考えられる。
したがって現在地である終点(馬瀬側起点から7.8km地点)は、峠までの道のりの7合目付近といえる。
まだ先は長いが、行き止まりとするには惜しいところまで来ていると思う。

なお今回は紹介しないが、峠の萩原側にもこの道に対となる行き止まりの道路が存在しており、その長さは7.5kmほどある。今回の馬瀬側区間の完成延長5.8kmと合わせると、13.3kmが完成済なのである。



ここで道が行き止まりになっていることははっきりしていたが、最後に“その先”がどうなっているかを見たくなり、終点の土壁をよじ登ってみた。
チェンジ後の画像がそうして撮影した、道の延びていくはずだった山の風景だ。

人工林が見えるので、人跡未踏でないことは明らかだが、なかなか急峻な斜面がずっと先まで広がっている。
目指すべき峠に当たる部分は、地形的に分かり易い鞍部があるわけでもなく、目視しても全く分からなかった。この位置からではそもそも見えないかも知れない。

……このことがまた、道の開通した姿を“想像すること”すら許さないように思えて、なんだか救われなかった。




上から見下ろしても、非の打ち所のない綺麗な、ぶっつりだ。
特に車を転回させるためのスペースなどが用意されていないのも印象的である。
手前に通行止があればそれでもいいだろうが、万が一何も知らずに大型車でここまで来てしまったら、泣けるな。まあ、途中の道的にそれはないか…。

ところで、今回のこの道に限らず、平成20(2008)年の緑資源機構解体によって工事を打ち切られた幹線林道の末端にほぼ共通する事柄として、終点部分が綺麗に処理されているということが挙げられる。
その意味は、次の画像を見てもらいたい。



岐阜県林政部森林整備課の資料「緑資源幹線林道事業の概要」より


左の画像は、岐阜県林政部森林整備課が作成した「緑資源幹線林道事業の概要 〜国(機構)事業から県事業への移管に伴う対応〜」(pdf)という資料から切り出したものだ。

資料タイトルにあるとおり、これは緑資源機構の解体によって未完成の緑資源幹線林道が自治体の管理へ移管される際の岐阜県の対応をまとめたものなのだが、上の画像はにはいかにも工事途中で打ち切られような道路の末端らしい荒々しい法面が写っているし、路面にも舗装が全くない。

だが下の画像を見ると、これは上の画像と同じ現場だと思うが、法面や路面が綺麗に処理されている。
これらの画像の現場は今回探索した部分ではないけれど、終点部の処理の仕方は同じである。

実は機構の解体に伴って、このような道路の末端部分を綺麗に整えて自治体に(一応は)完成した道路として受け渡すために工事な特別に行った組織があった。
それが、国立研究開発法人 森林総合研究所(現:国立研究開発法人 森林研究・整備機構)である。

自治体としても、上の画像のような見るからに完成していない道路ならば国からの引き渡しを拒否出来たのかも知れないが、行き止まりという事実はそのままに、下の画像のように形を綺麗に整えられてしまったら、行き止まりの道であっても、引き受けざるを得なかったわけである。実際はもう少し“もっともらしい”言い方を国はしたと思うが、現実はそういうことだ。自治体の本音としては、勘弁してくれと思ったのではないだろうか…。ちゃんと完成させてから引き渡せよ、と。

個人的に、緑資源幹線林道の末端が、一般的な未成道のそれよりも綺麗に整っていることは前から気になっていたが、それはちゃんと“ワケあり”だったのだ…。




あ〜〜、スマン。

こんな空気も景色も綺麗な山の上まで連れてきたのに、辛気くせぇ話ばかりして悪かったな。

もう帰るけど、帰り道くらいは爽快な走行シーンを楽しんでくれ。




風を切って、“孤立区間”の豪快なダウンヒルを独り占め。

路面状態の悪さは玉に瑕だが、なかなか爽快だ。



そして最後は、“孤立区間”始まりの場所へ。

下山はこのようにあっという間だ。




Google Earth (2015年6月撮影)より転載。

空から見た、孤立した2車線道路の全体像。

この約2kmの区間の完成は、4〜5年ほどの間に成されている。
もし談合事件が発覚せずに、平成20(2008)年度以降も同じペースで工事が進んでいたら、
今年(2023年)辺りには、もしかしたら峠の頂上で反対側から延びてきた道路とつながり、
区間の全通が果たされていたかも知れない。あるいはもう数年長くかかったとしても、
最終的に完成させられた可能性は非常に高い。国がそれを既定路線としていたのだから。

この道そのものに工事中止の原因があったのならまだ納得も行く。
だが、霞ケ関で繰り広げられた悪事の犠牲になったに過ぎないのだから気の毒だ。
実際に開通しても、国の目論見のように採算が合ったかは分からないが、
それでもこの道の“倒れ方”は、些かフェアではなかったと思う。