六厩川橋攻略作戦 第12回

公開日 2010.1.11
探索日 2009.11.25

脱出開始! 六厩川林道


15:48 《現在地》

全ては自分の選んだ道ではあったが、ちょっとやばい状況になっている。

秋町隧道までの往復3kmで1時間30分を消費したので、現在時刻は午後4時間際。
闇が全てを覆い尽くすまで、あと1時間ほどである。
昨日も一昨日も探索していたから、午後5時がどれほど暗いかは知っている。

全ての探索目標は攻略されたので、あとは目の前の六厩川林道を少しでも早く走りきるのみ。
六厩川筋の最寄り集落である六厩まではあと15kmあるので、確実に途中で夜を迎えるであろうが、暗中ゆく廃道の距離は可能な限り短くしたいところだ。



六厩川林道をチャリとともに歩き始めたが、すぐに減速を余儀なくされた。

路盤の状況は、庄川林道と同じくらいに荒れている。
森茂林道よりは、路盤に育った木が太い。
果たして、こんな状況の道が、現役区間のそばにあるだろうか。

…無いはずだ。

認めたくなくとも、廃道の“明け”がまだかなり遠いという事を、覚悟しなければならなかった。




そして100mも行かないうちに見えてきた、

地形図にない隧道が。

…本来ならば、叫び出したいほどの興奮シーン。

だが、正直今は恐ろしさが先に立って、…気持ちがざわつく。

今の私には、隧道を必要とするような地形が疎ましかった。

そして、もしこの隧道が秋町隧道のようになっていたら…

私はどうすればいいのか?




ほっ!

貫通してる!

秋町隧道よりも遙かに険しい岩場に掘り抜かれた隧道は、地図が描き忘れるとは思えない100mを越える長さを持っていた。

意匠らしきものがほとんど無いのは秋町隧道も同じだが、あちらでは両坑口の埋没と洞内水没のため確認できなかった全断面が、この通りかなり細長い…まるで鉄道隧道のような…ものであったことが分かった。

隧道名は、秋町隧道同様に埋め込まれた陶製のプレートによって「小簑谷隧道」と判明。

水没した旧集落名をとった秋町隧道と違い、まったく馴染みのない名前である。
小簑谷とは、どこを指しているのだろう。
ダムが出来る前から有ったと思える地名ではある。
この地への人間の介在が古くからあったという証しかもしれない。




隧道内は、ちょ〜〜快適ッ! 

吹き抜ける風の冷たささえなければ、明日の朝までここで寝て過ごしたいと真剣に思うくらい。

でも、止めておこう。

天気予報通りなら、今晩から明日にかけては雨かも知れないのだ。
もし六厩川が増水でもしたら、下山の道を閉ざされないとも限らない。


久々にチャリに跨り、ライトを頼りに洞央までさしかかると…




ぎゃ!

ひでぇ!!

とても上の写真と同じ隧道とは思えない。
よほど資材を節約したい事情があったのか、それとも崩れない自信があったのか、洞央部にはコンクリートの巻き立てが全く途切れる区間が存在していた。

だが、これは拙策だったのではないか。
素堀部分の洞床には、崩壊した壁面の瓦礫が大量に散乱している。
そのため、逆に巻き立ての有効性をアピールするような結果となっている。




しかも素堀の場所は一箇所だけでなく、終盤にもう一箇所あった。
(上の写真で赤く表示している場所)

2箇所とも、長さは10mずつくらいしかないから、100m以上ある全体から見たら一部と言って良い。
全部巻き立ててしまっても、工費も手間もあまり違わなかったのではないかと思えるが、そこには“営利施設”である林道らしいシビアなコスト意識があったのかも知れない。
この場所に平凡な隧道を期待したのが間違っているのかも知れない。

しかし、ともかくこの隧道だけは容易に通行できる。

問題は、外だ。

どう見ても、崩れてる…。




ぷつん。


切れた。


この風景で、我慢の緒が切れてしまった。
橋を出発した時点でもう“ギリギリ”鳴ってはいたんだけど、隧道を出ていきなりこれでは…。

滅入るなんてもんじゃない。

敵意を感じる。




もう嫌だ、この道。




チャリさえ無ければ、


チャリさえなければ、多分このまま我慢して歩いただろう。


この崩壊の状況は、さっき歩いた庄川林道に近かった。

単独ならば、歩けただろう。

少なくとも、この見える範囲については。



…チャリだって、まだ無理とは断定出来ない。

もしこれが、出発したばかりの午前中とかだったら、ブツブツ言いながらも勇んで突っ込んだと思う。

でも、いまは“平常時”ではない。

時間的な問題が第一だが、残りの体力的にも、こんな1m進むのに1分はかかりそうな灌木混ざりの“踏み跡無き”斜面を…何キロ続いているかも分からないのに…歩き始める気力が、もう無い。





崖下を覗くと見える、この河原。

再び湖面から現れてきた、広闊な六厩川の谷底。


誘っていた。

明るい内に廃道を脱出し得る手段がもしあるなら、それはこの谷底の他にない。

そういう“囁き”のようなものは、小簑谷隧道の前からあった。
でも、いまはそれが囁きではなく、“叫び”となって私の心を揺さ振っていた。

これは目の前の廃道から逃げ出したいからというばかりではなく、森茂林道での経験から来るリスク回避でもあった。
森茂林道には、どうやってもチャリ付きでは越えられ無さそうな場面が、終盤を中心に何箇所か有った。
この六厩川林道にも同じような場面が、この先遠からず現れる予感がした。
それがその場で迂回できるならいいが、引き返す羽目になるのは流石に辛い。

リスクを元から絶てるのは、この最初の段階で谷底へと下ってしまうことではないか?

実はさっき隧道の手前で、一箇所だけ下れそうな場所を見つけていた。




この探索とは直接関係はないが…

進退に悩みながら、あたりの地形を観察しているなかで見つけた、

対岸山上の切り通しのような地形。


古地形図を含めて、あんな場所に道を描いているものはない。
恐らく自然地形の錯誤だと思うが、なお人工地形である可能性があるとしたら、かつての索道の通路とかか。



…ああ、やべぇ。

いよいよマジで暗くなり始めてるな…。




あまり悩んでもいられなかった。



…………。

決断。

谷底へ迂回する。


六厩川林道のまっとうな探索は、どうせもう無理だった。
六厩川橋と秋町隧道を修めたことで今回は良しとしなければならない。
そこに小簑谷隧道というオマケまで付いてきたのだ、もう…十分…。

…日帰りで全てをこなそうという計画に無理があった。

六厩川林道は、いずれ明るいときに再訪する  クソッ…


15:57 《現在地》

小簑谷隧道へ引き返す。




短距離とはいえ、今さらの引き返しは、生きた心地がしなかった。

谷底の迂回ルートがルートが「絶対安心」というわけではなかった。

もしかしたら、森茂川とは違って深い淵が急に現れ、進めなくなってしまうかも知れない。

そのとき、林道は私をまた迎え入れてくれるかどうか…。

不安の種は尽きなかったが、いまは自分が思うことをするより無い。
誰も助けてくれるはずはないのだから。




ここがさっき目を付けていた…

下りうる斜面。


ちなみに、戻ってこれる可能性は……。

単身ならばまず大丈夫だが、チャリは無理かも知れない。


……、

今は自分の勘に賭ける。




16:00 

チャリを先頭にして、下降開始。


最も険しいのは満水位よりも上の林になっている部分だったから、立ち木をメインの手掛かりに、チャリ自体にもブレーキの役割を果たして貰いながら下った。

写真は満水位下の土の斜面。

さっきあんなに苦労してやっと上ったのに、また湖底へ下ることになるとは正直思わなかったよ…。





16:02 湖底着。

下ってくるのには2分もかからなかったが…




登り返すのは、難しそうだった…。






しかしとりあえず、当面の進路は確保できた。

あとは、このような平坦で広い河原が、どのくらい続いてくれるかだ。




…期待したほど、今度の河原歩きは楽じゃないかも知れない。

森茂川に較べると谷幅は狭く、そのあまり広くない谷の中を同じくらいの豊富な水量が、いっぱいに蛇行しながら流れていた。

これでは、何度も川を横断しながら進むしか無い。
明るい内はまだ良くても、暗くなってからの事を考えると…。
今の内に少しでも川をさかのぼって、林道への復帰も可能な状況を作っておきたかった。

久々に川へと入る。

折角乾き始めていたのに、たちまちまた濡れる。
意外に流れは早くて、引っ張っていたチャリが持っていかれそうになった。


…う〜〜ん。  嫌なかんじだ。



す、すげー!


あそこに見えるのは、ついさっきいた場所。

これ以上は進みたくないと引き返した、小簑谷隧道の東口である。


確かに断崖絶壁に口を開けていることは分かっていたが、ここまでクリティカルな立地だったとは…。

林道らしいといえばらしいのだが、森茂林道には見られなかったような険しい地形である。

こんな場所は、ここだけであって欲しい!




なお探索時点では知り得なかったが、「荘川村誌」曰く、この六厩川河口近くの谷には昔から、“ある名前”がつけられていたとのことである。

地獄谷 という、素敵すぎるお名前が…。



ちゃちなゲームじゃねーんだからよ…。






これにて暫しのお別れ。

これが、六厩川橋の最後の眺めになるだろう。


六厩川橋を一言で表現するなら、「孤高の廃橋」。





ふと足元の砂地に目をやると

そこには、
巨大ぬこの足形がびっしり!

はぅあ!

し・あ・わ・せ!! (クマーすぎて涙出る)





もはや逃げ場のない谷底に覚悟を決めて進む。

それからいちにど川を渡ると、「地獄谷」が終わったのか、普通の景色になった。

これは良い徴候。

まだ道はだいぶ高いところにあるが、これもいずれは河原のそばへ降りてくるはずだ。
そのときに林道へ復帰しても遅くはないだろう。

明るい内に、そういう選択の出来るところまでは行きたい。








あぅあぅあぅ

また吊り橋が架かってる…。


今度は、地図にない橋。

ここから見ただけでも、とても渡れそうにない。

というか、そもそも渡る必要のない位置だ。





振り返ると、踏破を断念した六厩川林道の道筋が鮮明に見えた。

思わず悔しくなって、その“あら”を探す私。


うんうん…、 随所に崩れが確認できる。

チャリは無理だったよ… ね?
そうだよ…ね。


ほとんど谷底から路盤は見えたから、隧道の見逃しだけは無かったと思うけど、小さな橋は数本あったと思う。
今回唯一の心残りである。
すぐには嫌だが、いずれ再訪してみたい。






16:22 《現在地》

遠くに見えた廃吊橋の下をくぐる。

いまは全く無人の山峡でも、
かつては木樵たちの仕事場だったのだ。
地名が残っているというのは、そういうことだ。

なお、この橋の架かっている場所は目立って谷が狭まっており、
これを地形図と対照してみると、
現在地は六厩川橋から上流900mの地点と分かった。





六厩集落まで、14.0km。

日没まで、0.5時間。

なお本編に登場した小簑谷隧道だが、先日ゲットしてきた昭和44年版の2万5千分の1地形図「御母衣」には、ちゃんと描かれていた。

今の地図に描かれていないのは、単に作図上のミスであろう。




ちなみにこれは、上より少し新しい、昭和56年版の5万分の1地形図「白山」。

六厩川橋の周辺には、今は無きオブローダー垂涎の地図記号「道路の不良箇所」が描かれている。
このあたりの崩壊は、実際に目に余るものがあったのだろう。
昭和50年代には廃道化が進んでいたという一証拠となる資料だ。

この段階を経て、平成の地形図では今と同じような「徒歩道」の破線表記に変わる。