10:23 《現在地》
森茂林道10.9kmにある二又谷林道別れを出発。
この先の道が尋常ではない崩壊を見せていることは分かっているが、接近するのはこれが初めてだ。
死を目前とした道…。
心なしか、これまでよりも藪が深い。
踏み跡も不鮮明だ。
道が限界…。
見渡す限りの道は、全部崩れてそう。
この日一回目の、チャリの担ぎ体勢となる。
来た!
大崩壊。
余りの惨状に、一瞬唖然となる。
しかし、すぐにオブローダーとしての冷静な計算が働きはじめた。
…行ける…。
これは行ける…!
道が谷底を所を通っていたことが私の味方をした。
確かに崩れ落ちた土砂の量は凄まじく、完全に道の形を消し去っていたのだが、その瓦礫の斜面の傾斜は谷底ゆえ緩やかだった。
これなら、瓦礫の上を歩いて越えることが出来る。
しかも崩壊からはそれなりに時間を経過しているらしく、瓦礫はそこそこ堅く締まって安定しつつあった。
一旦はどうなることかと思ったが、大丈夫、これなら行ける。
チャリも連れて行けるぞ!
それにしても、凄まじい崩壊。
まるで鉱山跡か噴煙地のようである。
どこに道があったのかなどと考えるのさえ馬鹿らしくなる。
これは道が単純に埋没しているだけでは無さそうで、
埋没&決壊(M&K)。
つまり、山崩れで道が川に押し流され、その残骸を川がどこかへ連れ去った…という救いがたい状況のようだ。
ここの第一声は「非道い」だったが、これは本当に「非レ道」。
川の蛇行の外側に面した山腹が、一面全て崩壊して無惨な禿げ山を晒している。
そして、おそらくこの崩壊の引き金となった林道は、真っ先に報復されて消滅している。
“道なき道”を黙々と前進し、次に現れる“道”を待つ展開となった。
この崩壊した時の山はよほどに水分を含んでいたらしく、崩壊斜面の下端が作る傾斜はかなり緩い。
それと、何度も言うように道が谷底であったことが幸いした。
おかげで、突破自体はそう難しくない。
だが、まったく楽観出来る状況ではない。
むしろ、こんな場所が現れるような道への不信感が募り、私を憂鬱にさせた。
破壊され尽くした弧状の山腹。
その最も奥まった所に存在する無名の滝谷。
見上げた滝の上には、林道と同じくらいの年季を帯びたコンクリートの沢留工が、取り残されたかのように存在していた。
人智の及ばぬ自然の破壊力をまさに目の当たりにしている中で、このしょっぱい人為の残留物はシュールである。
自然界の“お情け”。
或いはまったくイメージは逆になるが、“さらし首”のようにも見えてしまった。
瓦礫の山を乗り越えても、一向に道が出て来ない…。
いったいこれは、どうなってるんだ!
まさか川原の底に埋もれてしまったのか。
それとも、押し流されたのか。
振り返って確かめてみた。
○で囲んだ所が、ここから見える道の最後の残骸。
それから手前に延長線を伸ばしてみると、やっぱり川に削り取られていることが分かる。
道は前半が埋もれ、後半が削られて消失していたのだ。
その境目は連続していてまったく分からなかった。
もう、岸に道が現れるまでは川原を歩き続けるしかない。
ゾッとした。
川原の大きな岩の表面に、二人の人影が鮮明に浮き上がっていた。大きいのが大人で小さいのが子供。
洪水で流された…とか、咄嗟に想像しちゃった。 …ゾクッ。
でも、見方を変えれば観音様のようでもある。
私の探索の守護をして下さる、ありがた〜い“オブ神さま”の姿か?
この惨憺たる現場でチャリを押している最中、そんな風には全然思わなかったが。
もし人目に付くところだったら、“みかん”の一つも供えられていそうな“奇石”だった。
あった!!
やっと、道だった部分が出て来た。
とても「道だ」なんて言えるレベルじゃない。
洪水が洗い流すことの出来なかった岩盤が、かつて道を作るときに削られたままの荒削りな姿を晒していた。
地形図に実線で描かれた道の現状ではない。
しかも、ここ数年の崩壊では無さそうだ。
誰も国土地理院にたれ込まなかったようだ。
ここまで崩れてしまうと、よほどの事がない限りは今後の復旧も期待が薄いと思う。
10:37 《現在地》
大岩を上り、なんとか路盤跡に復帰した。
二又谷林道分岐からは300mの地点だが、後半の200mは道が存在しなかった。
この場所は川の蛇行の“内側”であり、道は岬のように尖ったところを巻いて付けられている。
今度は川の“外側”となった対岸が、かなり烈しく崩れているのが見える。
そのすぐ上には引っ掻き傷のような「二又谷林道」が見えたが、遠からず消滅しそうだった。
ひさかたぶりの平穏を取り戻したかに見える森茂林道。
だが、完全に大崩壊以前のままというわけにはいかなかった。
あのよく踏み固められた踏跡が、消えていた。
踏跡の全くないではないが、それは随分と古いものに見える。
前回の不吉な予言…崩壊を過ぎるたびに廃道は荒れる…が、的中してしまった。
確かにあの大崩落は、初見の人を引き返させるに十分なインパクトがあった。
実際には歩けたが、遠目に見て断念する人もいたのだろう。
もっとも、その手前でさえも今や、ファミリーカーで気軽に来られるような場所ではなくなっていたが。
少し先にまた大規模なコンクリートブロックの護岸壁が見えてきた。
味も素っ気もない良く見慣れた壁だが、渦巻く川面を防ぐその存在が、今はとても心強い。
この道はここに限らず大規模な擁壁や護岸が多い。
大きな川の岸を通行する上では必須だったのだろうが、それにしても手は込んでいる。
作業道路的な片手間ではない、本気の道作りを感じる。
これは開通した昭和30年代の基準に照らせば、十分に“完備された”林道だったに違いない。
森茂川筋唯一の幹線道路であるこの道が、まさか廃道となって捨てられるとは思わなかっただろう。
当時は森茂にスキー場も計画されるなどしたらしいし、上手く行っていれば県道化の見込みもあったのかも知れない。
上の写真の地点に到着。
「護岸壁さまさま」である。
これがなければ、路盤を構成している土砂などひとたまりもなく流れて、露岩の絶壁を示していただろう。
しかもこのような路肩の擁壁には、オブローディング上の「別の効用」もあったりする。
そこを通路として使うのである!
名付けて、“ブレイブリーロード!(勇気の道)”
時間と体力を惜しむものならば、数少ない舗装路面は有効に使わなければならない。
もちろん、ご利用は計画的に、自己責任で。
というか、別に格好をつけているわけではなく、通らざるを得ない状況であった。
日陰になっていて見えにくいが、本来の路盤のあった場所はひどく陥没していて、とても通れる状況ではなかったのである。
もしかしたら擁壁の下から川に土砂を奪われて陥没しているのかも知れないし、或いはこの先にある擁壁の決壊箇所から洪水時に土砂が流出したのかも知れない。
いずれにしても、「擁壁さまさまさま!」である。
本当に助かったよ。
残念ながら、擁壁はぶち切れて終わっていた。
……。
またか…。
また “非道” なのか…。
ここまで来たからには、手段を尽くして進むより無いのである。
岩壁を、慎重に下降する。
10:45 《現在地》
森茂林道の11.5km附近地点で、再び川原へ下ろさせられた。
擁壁が途切れた途端に、道は完全に消滅したのである。
やっぱり偉大だった護岸。
元は護岸があったのだろうが、恐るべし川の威力と言わねばならない。
ここでは今までで一番水面に近いところを歩く。
もし1m水位が増水していたら、断念もあり得た場面だった(春の探索では懸念される)。
チャリと一緒に清流を楽しむ余裕は、ちょっと無い。
この川は文句なく綺麗だけど、今はぜったいに“敵”だ。
ふと自分の空腹なのに気付いて、持ち込んだ菓子パンをほおばった。
今回の探索、飲用水の心配だけは一切要らなさそうだ。
あてにしているわけではないが。
10:49
水音に急かされる気がして、4分で休憩を終了。
再始動。
朝はあんなに晴れていたのに、雲行きがね、ちょっと怪しくなってきたのよ…。
確かに昨夜の天気予報だと、高山地方の今晩は雨だった。
それまでには当然下山するつもりだから出て来たんだけど、これって天候急変の危機?
まだ分からないが、午前中からこれというのでは、ちょっと不安になってきた。
再び岩場を登って路盤へ復帰。
だが、また一段と藪が深くなっているのを見て、げんなり…。
いままで、藪が浅いこと だけ が取り柄だったのに…。
これではもう、良いところ無しじゃないか…。
ほんと、最初のうちだけあった踏跡とか、最近に人手の入った痕跡は、何だったんだろう。
二又沢林道へ行く用事のある人がいたのか?
或いは、もうこの辺りまで来ると林道を歩くのではなく、川原を歩き続けるのが正解なのか…?
確かに、それはいいと思うが…、 でも…道が…。
すぐ2mくらい下には、砂地の混じる明るい川原が、広々として続いているのが見えていた。
それでも私は道を辿る事への執着を断ち切れずに、苦悶の表情を浮かべたまま歩いていたのだが、
← もういやだ!!!
これにいちいち付き合っていたら、真面目に日が暮れてしまう!
楽出来るところは、楽をしよう。
ということで急遽宗旨替えをして、すぐ下の川原を迂回する事にした。
いちおう、今回は森茂林道の完全制覇が目的ではない。
今回の目的は、あくまでも「六厩川橋の攻略」である。
とはいえ、今回を逃せばもう二度と来ることの無さそうな森茂林道の廃道区間だけに、出来るだけ味わいたかったが、もうお腹が一杯になった。
10:57
100mくらいを前進するのに10分も掛かってしまった愚を反省し、川原へ新たな進路を求めたの図。
これは良い具合だぞ。
流石に乗車は不可能だが、担がずとも押し歩けそう。
体力的に、やっぱり担ぎよりは押しの方が負担は少ないのである。(チャリの重量次第だと思う)
写真左に見える猛烈な笹藪の平場が、道の成れの果てである。
もう嫌だという気持ちが、少しは分かってもらえると良いなと思う。
さあ、心機一転して前進再開だ!
でも、 でもね…
川原を歩き始めると、
今度はね、
道が気になるのだよね……。
なんか、藪も浅くなっているし…。
これは、復帰すべきでしょ?!
ということで、
戻ろうとした途端にコレだよ。
また大きな崩落が、道を完全に埋めていた。
これでは、遅かれ早かれ川原へ下ろされることにはなっただろう。
当然、復帰も少し延期することに…。
一難去ってまた一難とは、これいかに。
なんかもう、いろいろ酷いです。
ここの山は、何でもこんなに崩れやすいのだろう。
地山が相当に風化していて、岩屑が山盛りになっているだけみたいな感じなんだろうか。
その根元のところを川が浚(さら)うだけでも崩れるのに、さらに林道を一線引いたおかげで、至るところで破壊のトリガーを引いてしまった。
連鎖的な崩壊が始まってしまった…。
そんな状況を想定することが出来る。
というわけで路盤への復帰はまた延期したわけだが、次の崩壊を越えると今度はコレ。
…またしても…
またしても、道は川原に取って代わられて、まったく消失していたのである。
ここでは肥大化した川原によって、岸の下端近くにあった道は完全に埋め戻されていた。
まるでブルか何かで故意に均したような地形にも見えるが、残念ながら人手の加わったものではない。
すべては、自然の作りし地形である。
或いは、“自ら復された自然”とでも、言うべきなのか。
川原からの道路観察は続く。
そこには、淡々とならざるを得ない観測者の冷徹がある。
なんというか、道は余りに酷く挫折させられていて、見るに堪えないものがある。
本当にここに道があったのかというような場面が、次々と出現する。
ここでは写真左から中央にかけての“板”が、元の路盤らしい。
また、川の両岸を比較すると、圧倒的に左岸の崩れている場所が多い。
地形はさほど違わないのに、というか、より地形的に有利な方に林道を付けたと思われるにもかかわらずである。
つまり、多くの山腹崩壊の引き金となったと思われる林道だが、今やその報復を全身でも受け止めきれなくなっていた。
崩れだした山に手が付けられなくなって、やむを得ずうち捨てられた林道という印象である。
11:11 《現在地》
うわ…。 やばい…。
これは、やばいぞ…。
遂に此岸の川原が無くなってしまった。
上に逃げようにも滝落ちる瓦礫の山によじ登るのは相当に困難そうなうえ、この先の土崖となった崩壊斜面のトラバースは絶望的。
無理。
山肌と一緒に落ちてきたらしい河中で立ち枯れた大木が、林道のあった高さよりももっと上まで幹を立てていた。
その根元のあたりの水は結構深く渦巻いており、落ちれば一大事だ。
あれを上手く巻けるかどうか…。
あとは平和の続く対岸にエスケープするという手もあるのだが、本流の渡河はやっぱり大変そうに見える。
少なくとも、いま履いている長靴では間違いなく喫水する。
しかも、一度向こうに行ってしまうとまた戻ってこなければならず、時間のロスは大きい…。
うんしょ…
よいしょ…
チャリが、もうチャリがね…
担いだチャリがいろんな所に当たって、バランスが取れんのですよ…。
無理な姿勢で枯木と岩壁の間に入ってチャリを支えた際に、背筋が引きつりそうになった。
でも、なんとか最短の時間と距離でここを突破できた。
川に落ちず、足さえ濡らさず、チャリも放らず、よく頑張った俺。
そもそもチャリなんて持ってこなけりゃ楽なのにと思うかも知れないが、これは単なる自己満じゃない。
チャリを連れて行かなきゃ、六厩川橋まで行っても引き返すしか無くなる。
それでは当初の計画は実行不可能なワケで、そう簡単に諦められないのだ。
いままでで2番目に大きな崩壊現場を、何とか水面ぎりぎりでやり過ごす事に成功したが、果たしてこの先はどうか。
前方には、またしても此岸の川原が失われる大岩の張り出しが見えてきた。
今度こそ林道へ復帰した方が良さそうだ。
いまなら藪もまだ浅そう。
それにしても、廃道化後のペースの鈍化が予想以上だ。
大雑把にみて1kmを1時間のペースである。
それまでの5分の1以下だ。
六厩川橋まで残り3kmは切っているはずだが、このペースでは遠い…遙かに遠いと言わねばならない…!
嘘みたいに綺麗な道、登場。
たまにこれがあるから、廃道は止められない。
久々にチャリに跨って進めるのが、とても嬉しかった。
10mでもいいから長く乗っていたいよ…。
11:21 《現在地》
なんてな。
夢を見た私が馬鹿でした。
本当に100mも行かないで綺麗な道はスッパリ終わり、汚い道どころか、道がまた無くなってしまった。
いいよもう慣れたし…。
それに、あるのに辿れない道に悩んだり、それを辿るべきか否かで云々するよりは、無くなってくれていた方がスッキリするよ。
いままで色々な廃道を辿ってきたつもりだけれど、明治とかではなく、結構新しい昭和の廃道で、ここまで尽く破壊されている道は稀だと思う。
全ては川と山のせめぎ合いに呑み込まれた立地条件の悪さ(自業自得かも)が原因だが、川原歩きを常としなければならぬこの現状をして一名するなら、「川の廃道」といったところか…。
先行きに明かりの見えぬながらも、少しずつ御母衣ダム湖の上流端へと近付いていく。
その事実だけが、明かりであった。
越えられぬ廃隧道に隠され、まだ見ぬ巨大廃橋が架かるという、森茂川と六厩川の合わさる湖畔。
私はそこに、 “オブローダーの聖地” 的な風景を期待せずにいられなかった。
目指す六厩川橋まで、あと2.8km。
日没まで、あと5.5時間。
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