12:08 《現在地》
森茂林道起点より13.5km、廃道化から3.5km、これまでで最大の景色の変化が起きた。
川幅の極端な巨大化。
一瞬、御母衣湖のバックウォーター(ダム湖の上端などで水が溜まりはじめる地点)に着いたかと思ったが、砂利の川原を二筋に分かれた清流は尚もさらさらと流れ続けている。
だが、この谷を埋め尽くした膨大な堆積は、流れの遅くなったことを意味している。バックウォーターは近い。
そして何よりも大きな問題となったのは、森茂林道の行く末についてだ。
真っ白な谷底に道はなく、その10mほど上の急斜面に定規で付けたようなラインが見える。
それが道であることは明白だが…
ここから見ただけでも、ほぼ通行不可能。
実際その場に立てば、或いはウルトラCクラスの名案の浮かばないとは言い切れない。
だが、私にはあまり時間がない。
この期に及んで、あそこまで行ってから駄目でしたと引き返してくるわけにはいかない。
上を行くなら徹底的に行き尽くさねばならぬし、それが相当に難しそうだと事前に分かる幸運を得たのだから、ここははじめより下を行くのが得策と判断した。
そもそも写真左の部分。
一番最初の部分でさえ、チャリ同伴で通り抜けられる自信がなかったというのもあったが…。
しかし、この谷底を行くという選択は、今は楽でも後が怖いかも知れなかった。
写真に映る崖の道は、手前も奥も河床からほぼ同じくらいの位置に見える。
だがこれは遠近法のマジックで、実際には先に進むほど上っていって谷底から離れていく。
恐らくそれは、六厩川橋付近を頂点とする登り坂になっている。
つまり今は河床を行けば楽が出来るとしても、やがて湖が現れたら、離脱しなければならなくなるということだ。
そのときにすんなりと道に復帰できればいいが、…もしそれが叶わなければ…、今いるこの場所だけが唯一の相互往来の地点だとしたら…。
考えるだけで恐ろしいので、行き当たりばったりでも、とにかく先へ進むことにした。
最低限、橋が見たい。(嫌なフラグが立った?!)
谷底から見る森茂林道の惨状、その1。
2枚上の写真のところで、「一番最初の部分でさえ、チャリ同伴で通り抜けられる自信がなかった」と書いたのがここだ。
…チャリ同伴条件どころか、単身でも無理じゃねーか…。
でも、逆にこれを見たことで踏ん切りがつけれて、気持ちの面では良かった。
谷底ルートより無いのであるから、後になって「あそこで上に行っていれば…」と気に病む心配はない。
ひどい有様だ。
とても、木材満載のトラックが駆け回った道とは思われない惨状だ。
でも、私はラクチンだ。
ここで少しでも距離を稼いでおきたい。
廃道化が始まったのが午前10時で、今は正午過ぎである。
今からもう何時間か進んでもまだ橋に辿り着けず引き返さなければならなくなったとき、明るいうちに廃道区間を出られる限度の「何時間」とは1.5時間だ。
「13時30分までに橋に到達」。
これが私にとっての、“安全圏”のリミットだった。
12:11
川原を歩き始めて4分後、まだ100mくらいしか進んでいないが、問題が発生した。
川が行く手を遮った。
今までも随分とくり返し川原を歩いたが、なんとか本流を渡る事は免れていた。
だが、今度ばかりは駄目。
しかも、続けて2回渡らねばならない。
こんな時ばかり物欲しそうに上を見てみても、辿り着けるはずがない。
もう、どうやってもこの川は渡るしかない。
んなことは分かってる!
でも、いざ渡ろうとすると意外にどこも深くて早くて、長靴でも足を濡らさずには渡れないのだった。
何を恐れていると思うかも知れないが、探索は初雪の数日後だ。
夜になると何もかも凍り付くくらい寒いのだ。今だって立ち止まっていると肌寒い。
換えの靴がないのに濡らしてしまえば、後で寒さに打ちひしがれるかも知れない。
面倒だが、裏技を発動する。
私が探索中いつも持ち歩いているものの一つに、サンダルがある。
これは嵩張らないし、濡れてもすぐ乾くから良い。
これに履き替えてから、敢えて濡れに行くことにした。
理想的にはズボンも脱ぎたかったが、上下一体型のものを着ているので、それをするのは時間的なロスが大きすぎる。
だから、たくり上げたズボンの裾が濡れるのは諦めた。
そそくさと履き替える。
そして、意を決して冷たい水に足を浸す。
冷たいなんてもんじゃなかった。
一昨日の秋町隧道の水も冷たかったが、あれは止水。
今度のは迸る流水。
全然違う。
違いすぎる。
2連続で渡る。
二度目の方は、流れは緩いが深い。
ここでは太ももの下まで水が来て、案の定まくっていたズボンの一部が濡れてしまった。
それに、脱いだ長靴と自転車は同時に運ぶことがどうしても出来なかったので、2往復した!
歯ぁ、くいしばりながらな!
12:28
2往復して全ての荷物を川の先へ運び、そして体を拭いて靴をはき直すことが出来たのは、川に面して実に16分も経ってからだった。
この間、進んだ距離は僅か30mほど。
私は思った。
こんなに効率の悪い前進方法はないと。
濡れを恐れるためにもたついて、そのせいで恐ろしい夜を一人迎えるよりは、濡れても良いから急いで攻略し下山した方が安全なのではないか。
もちろん乾いたタオルも火気も持っているから、いざとなれば火を焚いて乾かす準備はある。
私は決めた。
次またこういう場面があったら、ざぶざぶ行こう。
ちょっと時系列的に戻るが、この写真は川のなかを往復している最中に、上流方向を振り返って撮影したもの。
私が川に下った地点(写真左端)から林道が急に、それこそ考え直したかのように上り始めていることが分かるだろう。
この違和感のある線形から、地図から読み取れなかった“あること”に気付いた。
ここから手前が、御母衣湖による付け替え区間だということに。
水没する旧軌道と、新たな森茂林道が袂を分かった地点である。
残念ながら、軌道跡はまったく地中に没しており見えないが…。
再び涸れ川のような広い川原を歩き始める。
見た目よりも砂利が柔らかくて、とてもチャリに跨ることは出来ない。
でも、今までに較べれば段違いに楽な道である。
不安なのは、未だに左上の林道へ復帰できそうな緩斜面の現れないことだ。
谷底から見る森茂林道の惨状、その2。
うん。 無理だ。
林道は、完全に通行不能だ。
大きな高巻きで回避できるのかも知れないが、いずれにしてもチャリは無理。
それはそうと、木の電柱が落ちている気がする…。
これまで見なかったものだ。
12:31
相変わらず平坦な川原が続いているが、岸に森が現れて林道の姿を隠してしまった。
こうなるとどうしても道のことが気になる。
もしかしたら、この見えない場所に橋や隧道があるかも知れない。
そう思うと、素通りできない。
ということで、ちょっと森へと入ってみた。
ずいぶんと…高い…。
少し見ぬ内に、林道はずいぶん高いところへ行ってしまっていた。
……。
これって、ヤバイかも…。
なにせ下流を見渡しても、さらに険しい地形が見えるばかり。
確かに川原はまだ広いけれど、いつダムの水が始まるか分からないわけで…。
そのときに林道へ復帰できなければ最悪だ。
まあ、一昨日と水位はほとんど変わっていないだろうから、まだもう少し余裕はあると思うが。
それにしても六厩川橋を渡ってみるためには、いずれ林道の高さが必要となるわけで…
…よし! 決めた!
ここで上ろう!
林道は、20mほど上方を横切っている。
斜面の傾斜は約40度。
真っ直ぐ上っていくのは辛いが、セルフ九十九折りならばチャリを担ぎ上げることも出来よう。
というか、やるしかないのだ。
…いちおう、チャリを持っていくという大仕事の前に、単身で行って路盤の状況を確かめてくる選択肢もあったが、それをすると最低でも1往復のタイムロスが発生する。
見たところこの上の路盤はしっかりしていそうだし、チャリごと“一発勝負”で行こうじゃないか!
ムオォォッ!!
ガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサぷふぇガサガサガサガサガサ…
途中の「ぷふぇ」は、口の中に切れた笹の葉の欠片が入り込んだ時の音である。
チャリを担ぐというか、バーベルみたいに両腕の上に高く掲げた状態で、何度も何度もそれを前の斜面に「ばたん!」「ばたん!」倒しながら、少しずつ高度を稼いだ。
はじめは九十九折りで…とか思ったが、それだと全然上っていけないし、痺れを切らして直登したのだった。
そして、これがかなり体にこたえた…。
12:42
よじ登るのに要した時間は約5分。
あっという間に午後0時台も終わりそうだが、地図上ではほとんど進めていないのがもどかしい。
なにより、まだ橋が見えてこない。
地図中に★で示したところまで行けば…、そしてそれが架かっていれば…、恐らく見えるはずだが…。
「橋が架かっていれば…」
この問いは、私にとってこの上なく重かった。
一昨日の探索で見たこの看板(→)が、嫌な予感の元凶だった。
何故「この吊橋は」という書き出しの看板が、六厩川橋の袂ではなく、そこから6kmも離れたところに移動されれていたのか。
もしや六厩川橋は既に撤去され、その際に看板も移動したのではないか。
橋が最後に存在したと分かっているのは、情報提供者の一人が辿り着いた平成17年である。
それから4年…。
道がこんな状況では撤去はあり得ないと思うかも知れないが、湖上の出来事であればそうも言い切れない。
秋田県の太平湖に架かる森吉林鉄最大の3号橋梁が撤去されたのは、廃止から30年以上も経った平成9年であった。
そのときも陸路はなかったが、湖上船があった。
早く一目見たい!!
まだ架かっている事を見せて、私を安心させてくれ!
ここまで苦労して橋が無かったらと思うと……。
復帰した林道は、意外にも状態が良かった。
これなら、“★印”の地点までは結構すぐに着けると思う。
あああ… ドキドキするよ…。
なおも道は上り坂で、チャリを押し続ける私を消耗させようとする。
だが、流水の影響を受けなくなったおかげで、路盤の状況は安定した。
藪もこの時期、さほど深くはない。
地形図だと既にこの辺りの川は湖の一部となっているが、水位の低い今回は赤茶けた谷底を露出させていた。
というか、ずいぶんと高い…。
地形図は満水位で描くので、この高さは予想外だった。
この分だと六厩川橋は長いだけでなく、もの凄く高い橋かも知れない。
そして、さっき無理してでも林道に復帰したのは、きっと正解だった。
この高低差になってしまえば、もう上り下りはほとんど不可能だ。
13:00 《現在地》
ちょっと路上の障害物が増えてきた。
チャリを押すのが辛く、担ぎも混じる。
だが、この辺りで登り坂は終わる。
緩やかに左へカーブし、恐らくこの場所が先ほどから目星を付けていたところだと思う。
ここまでの状況が状況だけにうっかり忘れそうになるが、地形図だとこのもう少し先から、道の記号が実線から破線に切り替わっている。
その意味は…、あまり考えたくない。
今はあれこれ心配するよりも、まずはこの路肩へ寄って、
前方の視認が先だ!
さあ、見えるか?
見えてくれ!!
見え …ない?!
まだ…だ。
よく見ろ……。
!!!!
架かってる!
吊橋独特のカテナリー(懸垂曲線)を描く2本の主索、そして鋼鉄製トラスの桁。
この2つが、木々の合間に僅かではあるけれど、確かに見えた。
肉眼では、写真よりももっとはっきりと見えていた。
こ、こいつは…
とんでもなく大きいぞ!!
朝立ちから6時間あまり。
遂に肉眼で捉えられた六厩川橋。
まだ一部しか見えなかったが、吊橋の構造上、一部からも全体の巨大さが十分想像された。
それは恐らく、私がかつて挑んだなかで、最も大きな廃橋だ。
いや、正直まだ信じられない。
あんなに巨大で立派な橋が、本当に廃橋なのか。
橋だけは何かの通路となって、命脈を繋いでいるのではないか…。
全てが明らかとなるまで、あと700m。
いよいよ最後の場面だが、頼みの綱の道が……
地形図の“破線”を、忠実に再現し始めた……。
うおおおおおッ!
うおー…。
なんだこれは!
なんなんだこれは!!
道が猛烈なブッシュに覆われている。
これまでよりも、明らかに塞がれてからの時間を感じさせる路盤だ。
急に…、何があったんだ!!
つうか、先はどうなってるんだッ!
ここで初めて私はチャリを置いた。
置き去りにした。
無論、まだチャリを諦めたわけではない。
六厩川林道への完抜は諦めていない。
ただ、この道が果たしてこの先どうなっているのかを、今すぐに確かめる必要がある。
無闇にチャリを突っ込ませれば、藪に絡め取られて進退窮まる。そうなってから「やっぱり進めませんでした」では、終わりだ。
私はここにチャリを置き、身軽な状態で道の先を少し偵察することにした。
チャリを止めたところの数メートル先では、大量の土砂が路盤を埋め、全体がブッシュに覆われた斜面となっていた。
まずはこれを登る。
この行為一つを取っても、チャリ同伴では2分くらい掛かりそうだ。
そして…
……泣ける…。
上りきったところは、見晴らしがあまりにも良かった…。
泣ける…。
やられた…。
これは、無理だ。
歩きでも入りたくないし、多分実際に無理。
少し爪先で突いてみたが、柔らかいなんてもんじゃない。
しかも斜面が急すぎて、とても一歩一歩足を埋めて安定させることも出来そうにない。
それに、これはどこまで崩れているんだ?!
終わりが見えない……!
この“実験”のために、大量の瓦礫が崩れ落ちた。
そして、落ちる先を見た私は震え上がった。
嫌です。
頼まれてもここを横断したくない。
…地形図の破線の意味が、分かったよ…。
あ〜あ…
ひどくね?
ここまで来たのに。
上はミスルートだったって言うのか。
最初からそう言ってくれよ……。
もうここまで迫ってるんだよ!
目指す六厩川橋まで、あと0.5km。
日没まで、あと4.0時間。
お読みいただきありがとうございます。 | |
当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口 | |
このレポートの最終回ないし最新回の 【トップページに戻る】 |
|