橋まで残り500mで、今日初めての挫折を味わった。
このまま進むことは出来ないが、まだ可能性を全て失ったわけではない。
最終接近行動を開始する。
選択可能な手は一つだけ。
再び谷底へ下り、本来はダムの湖底である部分を、通路として使うのである。
どこから湖底へ下るかについては、幾つか候補があった。
一番安定しているのは、500mほど手前に戻って、私が上ってきた所を逆に下る事だ。
しかしこれでは時間のロスが大きいと判断。
チャリにとっては、下りの一方通行となることは分かっていたが、大崩壊直前の急斜面を直で下降することにした。
(行き止まりにチャリを放置する選択肢はなかった)
私のこの行動を許可したのは、言うまでもなく水位の低さである。
もし、あと2m水位が高ければ、今回の探索はここで断念していたか、チャリを棄てて無理矢理絶壁を渡って単身橋へ向かうしかなかっただろう。
もちろん、水位が低かったのは幸運というだけではなく、これまでの経験則からこの時期を選んでいたのが大きかった。(豪雪地帯にあって洪水調節も行う多くのダムは、積雪期の直前に水位を最低とする)
だが、そんな論理的なことだけでこの行為を片付けられるだろうか。
斜度40度を超える瓦礫の斜面を、チャリをむしろブレーキ代わりとして下るのである。
そこは限りない不毛の斜面である。冷たい風が横っ面を弾く斜面だ。
私にこんな行動をさして躊躇いもなく取らせたのは、かつて「佐久間ダム」での激闘にて経験した、あの“歪んだ成功体験”である。
水の引いた湖底にチャリを持ち込む行為は、全くあのときと同じだ。
だが、こんな行動が“当たり前”となるようなオブローディングは、私の求めるものではない。
これはあくまで、異常な行動と捉えなければならない。
そう自戒しつつ、谷底へと下った。
個人的に、湖底ほど圧迫感を覚える場所はない。
釣人やカヌーイストではない者にとって、湖底は呼吸さえ苦しい場所だ。
そこでのあらゆる行動は、脱出のためのハードな登攀行動を、担保しなければならない。
ここでその余力を失えば、死ぬ。
大袈裟ではなく、湖底とは見た名以上に恐ろしいところだと思っている。
13:12
下降にはほとんど時間はかからず、また無事に降りれたことを振り返る暇もなく、すぐに行動を開始した。
前も書いたが、13:30に撤収を開始することが、明るいうちに廃道から脱出出来る最低保障のラインである。
谷底の私がまず目にしたのは、直前に挫折した大崩壊の惨状だ。
崩壊は、湖底側から始まって次第に上方へ拡大しているらしい。
林道のラインよりも下は全滅。
上は当初の法面と崩壊した崖が一部繋がっていて、そこで林道を完全に寸断していた。
こうやって客観的に見ると、路盤が完全に落ちている場所は意外に短距離だった。
また、上方の雑木林まで迂回すれば、高巻けたかも知れない
しかし、いずれにしても徒歩のみであろう。
上の写真の○で囲った所には、僅かに路肩の擁壁が残っていた。
右はその拡大写真。
こうして見ると、路盤自体は崩れていない場所でも、斜面とほぼ同じ傾斜の瓦礫の山に埋もれていて、正面突破はやはり不可能だったと断定して良い。
地形図が敢えて記号を実線から破線へと変えたのも、この崩壊が実踏ないし空中写真撮影から確かめられたからであろう。
しかし一部の読者からはツッコミもいただいたが、以前道があったことは分かるとしても、実際には徒歩でも通れないところを「破線」で描いて良いのかという疑問はある。
何も書かないべきじゃないのかと。
確かにそうだ。
13:15
上の写真の地点から、さらに100mほど下流へ移動。
相変わらず林道は非道い状態だが、いちおうこの辺りが崩壊の端であるようだ。
すなわち、この崩壊は幅100mくらいだった。
ここの斜面はいくらか緩やかで、身軽なら無理矢理よじ登れないことも無いかもしれない。
…。
さて…。
ここは最初の選択を強いられる場面。
この先の崖上には、状況は分からないがともかく林道の跡が残っているはず。
どうにかして斜面をよじ登り、林道をトレースすべきか。
このまま進めるところまでは湖底を進み、少しでも早く橋へ辿り着くべきか。
決めた。
森茂林道の「完全攻略」という幟を下げることにはなるが、ここは名より実を取ることにした。
そもそも、森茂林道に“完全”攻略など無いのだ。
探すべき路盤さえ無い場所が少なくなかった。
それに、今の私は細かな道筋への拘りを見せている余裕など無かった。
時間的にも、そして体力的にも、これ以上湖底と林道を往復するのは嫌だ。
ただでさえ、橋の上に立つためには少なくともあと一回、上らねばならないのだ。
この、極大化した高低差を。
そして、ここまで来て初めて湖面が見え始めた。
遂に現れた御母衣湖。
一昨日はずっと湖畔の探索だったが、こんなに近付いたことはなかった。
ますます平坦になった谷底には、最後を迎えた森茂川が乱麻のように流れていた。
私はその小さな流れを何度も渡り、“陸の果て”を目指した。
13:23 《現在地》
森茂の廃道開始地点から約5km、所要3時間半にて遂に森茂川と六厩川の出合へと到達した。
六厩川の河口に架かる六厩川橋は、直線距離にしてあと200mほど。
遂に、来た…
六厩川橋…。
その迫力、
とても言葉では表せない。
もっと近くで橋が見たい。
橋の上に立ちたい。
その願いを叶えるためには、まず森茂川の最後の本流を渡らねばならなかった。
明らかに長靴の丈よりも深い流れ。
予言の通り、私は濡れることにした。
もちろん、少しでもその時間を短くするよう、浅い場所を探して渡った。
その結果、右足だけが浸水した。
森茂と六厩の2つの川が合わさる地点が、ちょうどこの日のバックウォーターだった。
もし、もう数メートル低ければ、2つの谷底は陸地で結ばれていただろう。
その場合は六厩川橋の直下まで行くことが出来ただろうし、そのまま六厩川の谷底を上流へ向かうルートが選択できたかも知れない。
もっとも、この水位でも十分としなければ罰が当たる気がする。
ほんと、これは良い水位だった。
次の写真が、この日最も下流で撮影した、“限界の1枚”である。
そしておそらく、六厩川橋の最も壮大な眺め。
確かに地形図上に描かれた橋も、長さを数えれば100mを下らない。
だが、本当にこんなに大きな橋だとは期待していなかった。
事前にWEBで見たのとは、段違いの大きさに感じられる。
そして出来ることなら、陽の当たっている姿を見てみたかった。
或いは、緑ある時期の姿も、雪に覆われた姿も見てみたかった。
薄暗い空の下で、灰色の崖を跨ぐ褐色の姿は、あまり鬼気に迫っていて胸が苦しくなった。
重かった。
なお、陸は泥洲となってまだ少し続いており、実際に歩いてもみたが、あまりぬかるんで身の危険を感じたので引き返した。
これ以上進むためには…どうやっても…上陸するよりない…。
上 陸 …
これを上るのか…?
目測で、橋の袂まで100m。
高低差も30mではきかないだろう… 40mあるか…。
チャリ無しならば、這って上れないことは無さそうだが……。
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続いて、橋の中央部のアップをご覧頂こう。
構造としては……
ちょうどこの探索の10日前にやった、秋田県北秋田市の廃橋、「鳥坂橋」に似ている。
桁が鋼鉄製のトラスで、メインの梁の本数が4本である所など…。
もっとも、向こうは下路でこちらは上路という違いがある。
それにそもそも、自動車が通れるような吊り橋の構造としては、こういうトラスの桁を用いるのが定番だから、似ていることは不思議でもなんでもない。
大きさはもちろん段違いだが…。
そして少し早いかも知れないが、一番心配すべき事は、この橋が無事に渡れる状態なのかどうかということである。
もし、「鳥坂橋」と同じ状況で…この長さだとしたら…、嫌だ。 嫌すぎる!
……。
じとーっ…
っと嫌な予感がする…。
鋼鉄の梁の上に載っている床板が木製なのは知っていたが、私の見た数年前の写真では、あんなスカスカな部分はなかったように思う…。
まさかまた、…梁の上を…這って…歩くような…、そんな状況なのか…?
いや、それなら渡らなきゃ良いだけのことなんだが……。
続いて、最も謎に包まれた、左岸の部分だ。
橋の両岸を見較べれば、圧倒的にこの左岸が険しい。
そこには、隧道があっても不思議ではないくらいの巨大な掘り割りが切り開かれていた。
そして、その切り通しから橋が直に始まっている姿は、文句なく絵になる。
こんな地形だけに、ここから奥の水没した「秋町隧道」まで1.5kmほどは、一帯の激甚廃道群の中でも最も辿り着きがたい、謎に包まれた領域である。
時間が許せばその探索も終わらせて、前回の悔しさを返上したかった。
しかし、その挑戦権を得るためには、まず頭上の橋を渡る必要がある。
13:30
色々な位置から見上げているうちに、時間が経過していた。
13時30分、安全行動のリミットタイムになった。
当初計画を全うするためには、残り一分一秒も無駄にはしない。
今の私には、まだその元気とガッツがあった。
闘志があった。
これは私にとって、蛮勇を奮った行動ではない。
計画完遂への理性的な選択である。
その前提として、このような一人旅において、山中で当初の予定にない夜を迎えることになろうとも、別にそれで探索の失敗となるわけではない(と私は考える)。
最終的に他人に迷惑をかけず、自力で下山すれば良いだけのことだ。
チャリを担いで橋へと至る “最終登攀” を、これより開始する。
13:33
右岸斜面に取り付いた私の最初の足溜まりが、この巨大な切り株の根。
上の写真でもひときわ目立っているここから、斜面を袈裟に切って登っていく。
直接橋の袂を目指す作戦である。
上っていく最中、チャリはずっと背中だが、落としてしまえば全て水の泡になる。
それだけに、バランスの維持には精神を集中した。
13:37
切り株から上り始めて4分後。
これだけ上ってきた。
高度の上では全体の半分を攻略したか。
写真中奥に小さく頭を出しているが、スタート地点の切り株である。
だが、斜面は上半分の方が難しいようだ。
まずは満水位附近にある、“鼠返し”のように反り返った1mほどの段差の攻略。
第二には、今までは無かった藪のある斜面の突破が必要となる。
ただ闇雲に前進してもこれらを乗り越えることは出来そうにないので、急ぎつつも慎重に、相手の弱点を探した。
13:39
ちょっとタンマ…
遂に肩と足に限界を感じ、チャリを目の前の斜面に放擲。
しばし動きを止める…。
このとき既に“鼠返し”は抜けて、満水位上にある灌木帯に進入していた。
下から見上げたときにも予想していたことだが、やはりここが一番しんどい。
1分、2分、3分と、上半身をただ振り回すばかりで足が殆ど進まないまま過ぎていく。
口中が悲痛の呻きに充ちた。
13:45
現地で時計を見ていたわけではないが、写真に記録されていたタイムスタンプ曰く、上り始めてから早くも10分以上が経過。
…まだ、登り切れていなかった……。
あとこれだけだが……
おぇっ…
地を這うツタが、あまりにうざくて吐き気がする。
脳みそが、粘土色になりそうだ。
13:49
さっき時間は無駄にしないって誓ったのに、後半は体を動かしていた時間より、チャリの下に埋もれるようにして蹲っていた時間の方が長かったかも知れない。
軽く下半身の筋肉が痙攣しそうだったので、自重せざるを得なかった…。
これで今日は累計何メートル、チャリを持ち上げたんだろう。
まあ、世の中には富士山の山頂までチャリを担ぎ上げる人もいるので桁が違うと思うが、今日この11月24日のMVPだけは私にくれても良いと思うくらい頑張ったよ…。
チャリ担ぎ上げ部門のね…。
これが路盤ですよ、おじいちゃん…。
到着したんですよ!!!
おおよそ50分ぶりに、森茂林道へ復帰した!
そして当初の目論見通り、
私が路盤に復帰したその場所は、
六厩川橋のすぐ袂である!
見よ!
主塔がこんなに近く見える!!
今日一日分と言っても過言ではない苦労が、今間もなく報われる。
色々紆余曲折、予想外予定外のオンパレードだったが、ともかく目指した場所へ、目指した恰好(チャリ同伴)で辿り着こうとしている!
橋までの最後の数メートルを、
その凄まじい激藪の廃道を、
万感の思いを込めて切り開く!!
そして、その数十秒後…
橋の袂が、見えてきた。
でも、そこはやっぱり廃道だった。
こんな立派な橋だから、もしかしたら…と思ったが、
全て廃道だった。
当たり前のことを言っているとお思いかも知れないが、これで確定したのだ。
私の脱出路…六厩川林道もまた、廃道なのだということが。
その現実は、重かった。
今回の探索における最大のポイント、3本の廃林道が一堂に会するターミナルまであと数歩。
ここに来て、今日初めて道路標識らしい標識を見た。
まあ、これとて正式な標識ではなく、営林署の自作品なのだろうが…。
なにせ、書かれているのはただ「落石」の二文字である。
こんな標識は初めて見る。
いったい落石がなんだというのか?…なんて、意地悪な問い掛けもしたくなるってもんだ。
おいおい…、
なんか急に色々出て来たぞ…(ウキウキ)。
流石はターミナル。
見るものは、決して橋だけでは無さそうだ。
13:53 (廃道化して約4時間)
私は遂に、森茂林道の14.7km地点にある「終点」へ辿り着いた。
目的地に、到着した!!
目指す六厩川橋まで、あと0km。
日没まで、あと3.0時間。
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