2012/5/15 9:13 《現在地》
ここは、仙台市泉区根白石。
「ねしろいし」ではなく「ねのしろいし」という変わった読み方をするこの土地には、都市化が進む仙台近郊では貴重になった昔ながらの街村風景が残っており、土地の人たちもそれを誇りに思っているようで、手作り感のある様々な看板が通行人の目を楽しませてくれる。写真左に見える招き猫デザインの地名看板もその一つだ。取り立てて大きな街道の宿場ではないはずだが、逆にそのことで古い街並みが保存されてきたのだろうか。
いま私が走っている道が根白石の歴史的なメインストリートであるが、いまは国道457号に指定されている。既にこの集落を迂回する立派なバイパス道路が開通しているが、まだ国道の指定が残されている。見てのとおり典型的な家屋連担区間であり、目の前の丁字路から車がひょっこり出て来ているが、そこが国道の続きである。集落内にジグザグの直角曲がりが何度もあるのが、いかにも古い街村だ。
丁字路に小さな青看と一緒に設置されていた、大きな「観光案内板」に目を通した。
看板によると、ここは「上町」といい、この先間もなく「馬橋」という橋で七北田(ななきた)川を渡ると「川向」、そこでまた道が二手に分かれるようだ。
旧国道の順路はそこを左折で、これから向かう県道263号(として地理院地図が描いている道)は直進だ。
看板にはその直進の道の行先として、「栽松院のお墓・八幡神社・三十三間堂」と「根白石中学校」が丁寧なイラストで描かれているが、残念ながら県道の「け」の字もないし、道自体もどこかへ通じているような描かれ方ではなかった。
さあ、先へ進もう。この雨が本降りになる前に探索を終えたい。
この橋が、馬橋。
国道の橋として見れば明らかに広さが足らず、この探索時も何らかの補修工事を行っていた、昭和36年竣工の銘板を有するなかなかの老橋である。
そして、この1.5車線の橋を渡ると、宿場的な風景は終わりを迎え……
8:56 《現在地》
川向の分岐点だ。
国道はここを左折だが、相変わらず1.5車線の道である。
対して直進の道は2車線の立派なものであり、地理院地図はこの道を県道の色で塗っていた。
我らが県道263号泉ケ丘熊ケ根線(どうでもいいが、路線名に「ケ」が二つ入るのは珍しい)の起点から終点までの“順路”としては、正面の道からここへやってきて、鋭角に右折して国道との短い重複区間に入る流れである。両者はこのあと500m強で再び袂を分かつ。
分岐にいわゆる青看はないが、白地に青文字の「著名地」を表わす案内標識が、左折に「泉ケ岳」を案内していた。
国道と県道の分岐地点としては異例に案内物が少ない。というか、県道が県道として案内されていない。
9:16 《現在地》
川向の分岐地点を直進して県道に入り、100mほど進んだ地点で撮影した。
なぜか前の写真から20分も経過しているが、これは一旦国道側の探索をしたせいである。レポートは略して県道へ。
県道として何ら過不足を感じない2車線道路だが、お目当ての県道標識“ヘキサ”は見当たらないし、この先の通行不能や通行困難を予告するような案内も現われていない。
ただ、方角だけは間違いなく泉ケ丘の方向へまっすぐ近づいて行っている。
正面に小高い山(大迫山152m)が横たわっているが、あの稜線を越えることが今回探索の目標である。
あのすぐ向こう側まで仙台都市圏の巨大ニュータウンが迫ってきているが、ここからそんなことは全く感じられない。
雨宿りをするぬこを尻目に、緩やかな上り坂を漕ぎ急いだ。
県道沿道の家並みは最初から疎らで、現代的な住宅が田園の中に疎らに広がる感じは、都市近郊農村の雰囲気である。
左奥に立派な社叢をこんもりとさせているのは、かつての根白石村の鎮守だったという宇佐八幡神社で、参道入口の石灯籠も見える。
雨に濡れた宿場町から、雨の村落へ、雨の峠越え探索の気分が盛り上がる。
完全に本降りになっているが、たまにはこういうのも悪くない。難しい探索には不向きな天気だが、里山で雨に濡れるくらいは、子供の特権ではなく、大人の癒しでもあると私は思っている。
さらに進むと、山田川という小さな川を渡った。橋の名前は「新館下橋」といい、平成8(1996)年6月竣工のまだ新しい橋だった。旧橋がありやしないかと探したが見当たらず、ほぼ同位置に架け替えたようである。
橋は前後の道と同時に整備されただろうから、平成8年頃に県道の整備が本格的に行われていたということか。そしてそれは最終の目的(泉ケ丘側への貫通)を達する前に中断されたのか?
先ほどから路傍に点々と設置されているデリニエータだが、そこには「仙台市」と書かれていた。これは仙台市が道路管理者であることを示している。県道や国道(指定区間外)の道路管理者は、通常なら都道府県であり、デリニエータにも都道府県名が書かれるわけだが、政令指定市内にある県道の管理者は市になるため、ここに「仙台市」と書いてあっても、仙台市道なのか仙台市が管理する県道なのかの区別ができないのである。
9:24 《現在地》
入口からちょうど600m進んだところで、道幅が急に半減した。
そこで、なんとなく「おかしい」と思い、GPSで現在地を確認したところ…
来すぎてました!
ひたすら快走路だったせいで、地理院地図が県道の色で塗っている道が途中で分かれているのに気付かず、通り過ぎてしまっていた。約200mのオーバーランだ。
地理院地図が教える“正しい県道ルート”は、先ほどの新館下橋を渡って間もなくあった…
9:25 《現在地》
ここを右折っ!
目印は、巨大な山神碑!
当サイトの常連ならば、この景色を見ても「またかwww」くらいにしか思わないかも知れないが、またなのである。さすがにノーヒント事前情報なしで、これを県道だと勘づけというのは無理な話だろう。
地理院地図が県道や国道の表記について万能ではないことは確かだが、ミスをいちいち数えてみようと思えるくらいには、正確である。
ここには県道としての案内が何もないけれど、それは仙台市が案内の必要性を全く感じていないというだけのことだと思われる。
合理性を重んじるのが、都会の流儀だからだ。
乗用車1台分の幅しかないここから先の県道と見比べて、とかく目を惹くのが、超絶に彫りの深い「山神」の石碑だ。右下には小さな字で「根白石村」とも刻まれていた。
彫刻のことはよく分からないが、手作業でここまで深く石を削るのは並大抵のことではないように思う。意外に新しい碑なのかとも思ったが、左側面を見ると、「天保十一庚子天五月吉祥日依建立
」の文字が刻まれており、江戸時代後期天保11(1840)年の碑であった。やはり名高い石工の手によるものか、右側面を見ると、「石工」某と名が刻まれていたのだが、名前部分が達筆すぎて読み取れない。
いずれ、この山神の碑の位置や向きが往昔のままと仮定すると、私がこれから立ち入る道の歴史性に箔を付けるものになると思う。
(山神碑の右にも小さな丸い石碑が安置されており、こちらには馬頭観世音と刻まれていた)
傍目には“脇道”としか見えない県道へ右折して60mほどで、また道は二手に分かれた。
県道は、左である。
右の道は、「この先行止り 私有地に付 立入禁止
」と立て札があるが、根白石中学校の正門へ通じている。ここまでの道も中学生たちの通学路であったというわけだ。
ここに通う学生とその父兄にとっては、県道は今のままウラブレテいてくれたほうが、交通の安全や勉学の環境としては、ありがたいのかもしれない。
この県道が整備されたとき、どのくらいの交通量が生まれるかは分からないが、巨大ニュータウンと小山に背中を合わせて隣り合っているとは思えないようなこの閑静な環境に、少なからず変化が生じることは確かだろうから。
しかし、本当にここが県道なんですかね…?
この手のレポートでは定番となった問いかけだが、いつも以上に県道を示すもの(例えばヘキサやデリニエータや用地杭)が見当たらなず、地理院地図の色塗りだけを頼りに進んで来ているので、ポーズとしてではなく本当に疑問が湧いてくる。
道幅や路面といった道そのものの整備状況については、新潟県あたりでよく目にするマイナーな県道っぽいが、そんな道でも県道としてのアピールが何かしらあったりするんだよな、大抵は。
中学校の大きな建物を田んぼ越しに見送ると、路傍の景色は孤独なものになった。あとは山越えしかないという気配である。
山を越えた先に新しい展開があるにしても、果たして越えられるのか。
地図にある道を忠実にたどるだけなのだが、周囲の景色の寂しさと、雨脚の衰えない空模様が相まって、私を不安な気分にさせる。
やっぱり、晴れた日が良かったななんて、今さらなことを思った。
山道に“もみくちゃ”にされれば、こんな感傷的な気分は吹き飛ぶだろうが、“平穏”の縁にすがっているこの辺りが、一番淋しいものだよね。
本格的になってきた坂道を、顔に垂れる雨を啜りながら黙々と登ること、わずか数分。
待っていた。
9:29 《現在地》
如何にもって感じの入口が。
平穏との決別が。
大した峠越えじゃないはずなんだけど、ここの厳つい顔つきは、なかなかの、男前だ。
雨と霧のせいか、少し鬼気迫って見える。
県道であることも大切だが、何よりこんな道が仙台の大都会へ向けて峠を越えるという想像が、私の心をそそらせた。
いくぞ!