2012/5/15 9:29 《現在地》
接続する国道よりも上等といえる【2車線道路】で始まったこの県道だが、わずか500mで【脇道】へ入らされたところから軽トラサイズの1車線道路になり、さらに500m進んだこの場所からはとうとう、こんな風になってしまった。
なんという足早な転落劇かと思うが、一番の驚きは、こんなになるまで一度も「通行止め」の予告がなかったうえに、この場所に至ってもなお、「通行止め」の措置や掲示物がないことだ。
これが県道だとしたら、ここまで徹底した管理者の無関心ぶりと放任ぶりは、本当に珍しいと思える。
ここまで県道と分かるようなものが何もなかったが、ではもし市道であるとしても、やはりこの手の荒れたオフロードが通行止めでないことは珍しい。それが100万人都市の一角となればなおさら。ここまでのレポートの景色からは、ちょっと信じてもらえないかもしれないが、ここは東北のよくある片田舎ではない。「クマ出没注意」の看板があるとしても、それはちょっと自然が豊かなだけだ。
改めてよく見ると、ここで道は3本に分かれている。
正面の道は、地理院地図が県道の色で塗っている道であり、この先で無名の峠を越えて泉パークタウンへ通じている(はず)。
左の道は、舗装されており一番マシに見えるが、すぐ先にある民家で行き止まりだ。
右の道は、正面の道よりはこれでもマシに見えるが、すぐ先にある溜池で行き止まりである。
どう見ても、正面の道が一番ヤバそうだが、これが目的の道なので、行くしかない。
何度も言うように、封鎖はされていないので、行けると思うなら誰でもフルオープン、ご自由にどうぞの状態だ。
初っ端から、これまでの上り坂が霞むような急坂が見えているが……。
こんな土砂降りのなか、何が悲しくてこんな道を通行しなければならないのかと思うと、オブローダーとしての性のおかしさに変な笑いがこみ上げてきた。マウンテンバイクを乗り回していた子供のころから、まるで進歩してないじゃん!(笑)
では、参ろう。(真顔)
キツい!
シンプルにキツい!
路面状況が極悪だ。しかし、微妙に廃道ではないようでもあった。塞がれてもいないわけだし。
四輪自動車の通行は、車種も技術も選びはするだろうが、一応可能そうではある。現に四輪車の轍も残っていた。
いわゆる、オフロード車やクロカン車と呼ばれる車と、それらを乗りこなす趣味の舞台となるような道に見える。
実際この写真を見て、「これで封鎖されていないなら」と、うずうずし始めているドライバーもいるかも知れない。
何の嫌がらせかと思うような、すのこ状障害物。
おそらく最初は、路面の補強を目的に善意の通行人が敷いた丸太なのだろうが、
その後も路面の洗掘が続いた結果、丸太とその手前の路面の間に、大きな落差が生じてしまっている。
二輪車ならばなんとかなるが、四輪の通過はかなり難しいと思える状況になっている。
そもそもこの道は、路面の貧弱さのわりに、急勾配過ぎると思われる。
先ほどのダート化地点から、越えるべき峠の頂上まで、地図上で僅か400mの道のりでしかないが、
この間でほとんど直線的に等高線に挑み、高度を40mも上げることになる。単純計算で平均勾配10%だ。
それでいて、まともに砂利も敷かれていないような土道となれば、洗掘し放題、荒れ放題も自明である。
一般車両が通行する道路としては、根本的な整備状況に致命的欠陥があると感じる。
まっとうな整備ではない。
敵は、MTBといえども自走に堪えないような、極悪の路面ばかりではない。
いわゆる“天然の高さ制限バー”もあって、2本の轍に対する裏切り行為に余念がなかった。
しかし、これほど道路状況が悪いのに、路上に浸食している藪がそれほど深くないところを見る限り、
数年前までは、もう少しだけまともな保守と利用がされていたような気もするのだった。
なお、この探索の前年に東日本大震災が発生しており、同地震で泉区は震度6弱を記録した。
それから1年、誰もこんな道に構ってなどいられない状況だったといわれれば、その通りだろう。
さらに進むと、路面に地割れが……。
道の左右には伸びていないように見えたのが、地震による地割れとしては不自然だったが、
路上にだけくっきりと表れているのも、単なる洗掘としては不自然であり、正体は不明。
ちなみに左右のどちら側にも沢はなく、斜面に向かってまっすぐ上っていく地形である。
さすがは大都市近郊といったところか、こんな道でも目を付けて通る人は他にもいたようで、
四輪による左右の轍の間に、二輪による第三の轍が刻まれていた。いわゆるトリプルトラックの状態だ。
その第三の轍が地割れを全く意に介さず刻まれているところを見るに、地割れはかなり新しいモノらしい。
車輪が何の役にも立たない、ただそれを押して進むしかない、厳しい坂道だったが、
唯一の救いは、短いことだった。
突入から、足を止めずがむしゃらに突き進むこと約8分後、
早くも頂上が現われたのだ。
9:38 《現在地》
標高140m、地形図には特に名前の書かれていない小さな峠の頂上は、広場になっていた。
写真は、辿り着いた喜びのまま自転車を放り、来た道を振り返って撮影した。
どの写真もポンぼけというか、写りが部分的に曖昧なのは、強烈な雨脚のせいだ。
カメラ自体は防水だが、レンズについた水滴をいちいち拭き取るのも億劫なほどの雨だった。
また、この通り一面の緑に囲まれている、全く視界の効かない薄暗い峠である。
しかし、道と緑の線引きが鮮明ではないだけに、野趣があるともいえる。
この峠道をして、このてっぺんありと思える、悪くない印象の頂上だった。
こちらは進行方向の眺め。
峠の頂上で進行方向に道が二手に分かれており、左の道の方が上等に見えるが、これはおそらく行き止まりである。
私の進むべき県道の進路は直進だ。
このひどく地味な峠は、奥羽山脈の船形山からはるばる仙台市街まで下ってきて大迫山に終わる長い尾根を越えるものなのだが、峠の前後とも根白石という一つの大字に属しており、近代初期には既に村を分けるほどの境界でもなくなっていたようだ。
峠の入口で【立派な山神碑】を見ているだけに、この尾根を越える峠道自体にはひとかどの歴史があるやもしれないが、県道とされる今回私が辿ったルートが、そのような古い道を忠実になぞっているかは不明で、石垣のような古さを感じさせる構造物がないうえ、全体的に急勾配過ぎるため、重機が切り開いた現代の林業用作業道という印象が強い。
伐採されたマツの丸太が、峠の広場にいくらか残されていたしな。
居心地の悪い峠ではなかったが、いかんせん雨が強すぎて、立ち止まっていると体温を奪われ続けることになるし、やりたいことも思いつかない。
さっさと峠を下って、この道の行く末を見定めよう! 下降開始!
峠の東側の道は、上ってきた西側に比べると、いくらか状況が良かった。
道幅も、勾配も、路面状況も、全ての要素でそうだ。
しかしそれでも一般常識的に、県道として解放されていて良いような道には見えない。
ガードレールとか、土留め擁壁とか、そういう“本格的な山岳道路”にあってしかるべき構造物が、まるでない。
せめて路面に砂利が敷かれていればと思うが、相変わらずの土道。濡れと相まって恐ろしく滑りやすく、乗車を再開した自転車の扱いに神経を尖らせる必要があった。
うおっ! デリニエータだっ!
ここまで現代の道路らしいアイテムが全く現われなかったなかで、突然現われた赤白のプラスチックポールは新鮮だった。しかも1本だけではなく、同じものが何本か谷側に並んでいた。
デリニエータがあったら、そこに書かれている文字を見る。管理者名が書かれていることが多いから、道の素性を知るのに役立つ。今回もそのセオリーに従ったわけだが、書かれていた文字は「路肩注意 仙台森林管理署
」というものであった。
宮城県でもなければ、仙台市でもない、この道の管理者は仙台森林管理署?! 昔でいう仙台営林署だ。
つまりは、国有林林道?!
まあ確かに道の状況的には、県道よりも市道よりも林道っぽいが、地理院地図は正しくないということ?!
冷静に考えると、林道が県道に昇格するケースもままあるわけだから、このデリニエータだけで結論づけることはできない。
だが、デリニエータが設置された時点で、この道が林道だったのは確かだろうと思う。
どっかの林道から勝手に引っこ抜いてきたデリニエータを設置するような悪戯は、まずないだろうからな。
峠の東側も、道は激荒れ!
西側同様、路面の洗掘が酷く、大石小石が土の路面に浮きまくった洗濯板状態。
勾配が急であるのも同様で、林道としてみても相当に劣悪といわざるを得ない。
ブレーキレバーを手が痛くなるほど強く握り締めながら、慎重にラインを選んで乗り下った。
9:46 《現在地》
峠を出発して6分ほど下り続ける悪路に耐えると、急に勾配が大人しくなり、路面状況も落ち着いた。
そして現われたのが、この広場の分岐地点だった。
地理院地図にもこの分岐は描かれており、峠から400mの地点にある。
そしてこの間で高度を40mほど下げているから、数字のうえでも西側と同レベルの急勾配だったことが分かる。
右も左も轍が薄いが、県道は右である。
右の道を選んで進み始めると、勾配は緩やかなままで、もう峠から下ることを終えたようであった。
辺りはしんとした静寂の森に包まれていて、頭上を覆う枝葉に育てられた大きな雨粒が地面に弾ける音の他は、どんな音も聞こえなかった。大都会の喧噪などありはしない。
峠を越えたら大都会だなどという序盤の煽りは、いささか大袈裟だったわけだ。しかし、そんなイメージで自分を楽しませながら探索していたのは真実なのだ。
むしろ、都会の真横にもこんな自然が残っている仙台の環境美を褒めるべきではないか。
音のない森の奥に、これは向かって左側の限定であるが、森の色を溶け込ませたような水面が見えた。
地図を見れば、この水面の正体は一目瞭然で、道に沿って結構大きな溜池があるのだ。その水面が見えている。龍神でも潜んでいそうな幽玄の匂いがあった。
びしょ濡れになりながら、湖畔のトリプルトラックを疾駆する。
県道である証しが、現地に全く見られないことは残念であるが、
この道は確かに県道であろうと私は思っている。
そして、遂に私は……
9:48 《現在地》
再び明るい道に辿り着いた!
ダート区間はわずか1.1kmしかなく、私の通過時間もなんだかんだ言って、たった20分しかかかっていない。
このくらいなら、自転車で毎日山を越えて通勤通学しても良いくらいだ。通行止めじゃないみたいだし(笑)。
しかし、たったこれだけの“不通区間”なのに、この道を真っ当に車が行き交う日がイメージできない気がするのは、なぜか。
それは、いまある道を少し改良した程度では、いかにもお話にならなそうだからだろう。
いまある現道は、特に封鎖されていなかったことが信じられないくらいの悪路だった。
これで県道だというアピールをしっかりしていたら、“険道”好きが集まる、人気の道になっていたかも知れない。
まあ、そんなことを道路管理者は求めていないだろうが……。
ここからこの県道がどのように立ち直っていくのかを、次回、ご覧いただく。
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