今回探索した区間が繋がれば、仙台市の北部と西部を外回りで繋ぐ1本の県道として完成する県道263号泉ケ丘熊ケ根線について、机上調査をおこなった。
まず最初に解決を試みたのは、今回通行したこの(←)荒れ果てた車道が、地理院地図の表記通り、本当に県道なのかについてだ。
現地には県道を明示するものが何もなかったが、それでも本当に県道なのだとしたら、道路マニアとしては、「美味しい」ことこのうえない。
一応は自動車の轍のある道が通じている点で、道がまるでない不通県道とは一線を画しており、「荒れているが県道だ」というのは美味しい。
なお、ひとことで「県道である」といっても、その状況は一つではない。
道路法が定める手続きとして、「1.路線の認定」→「2.区域の決定」→「3.供用の開始」という三つの段階があり、「これが県道だ」と文句なくいえるのは「3」に至ったものだけだ。「2」までだと、単なる道路予定地であり、たまたまそこに他の道(たとえば市道とか林道とか)があったとしても、それを県道とはいえない。さらに「1」のみの場合は、「路線名、起点、終点、重要な経由地」しか決定していない状態だから、具体的なルートは未決定だ。
このような道路法の仕組みを念頭に、さっそく問題の答えだが、さすがは大都会の仙台市だけあって、情報公開の仕組みが進んでいた。
市公式の『せんだいくらしのマップ』で見ることができる「市道路線認定網図」が、ずばりの答えを教えてくれた。 ↓↓↓
『せんだいくらしのマップ』より転載のうえ作者加工
私が抜けた道は、県道ではなかった!
私が抜けたオフロードは、「県道」の色では塗られておらず、「市道」になっている。
少し残念な気もするが、すっきりしないよりは全然いい。
今回探索した区間の大部分は県道ではなく、市道だったのだ。
しかし、前記の「市道路線認定網図」をよく見ると、今回探索した中にも県道になっている区間もちゃんとあって、【川向の国道分岐地点】から、【新館下橋】を渡って【山神碑の前】を通り、私が一度間違って進んで引き返した【道が狭くなる地点】の100mほど手前にある右写真の地点まで、約500mの区間は間違いなく県道だった。
ようは、2車線道路として完備されている区間は県道だったという、答えを知ってしまえばあまりに平凡で腑に落ち過ぎる回答である。
県道は、右の写真の地点を右折することになっているが、そこから先は「交通不能道路等」を示す点線表記になっており、目に見える道は存在しない。先ほどの道路法における手続き「1」「2」「3」に照らしてみると、「2.区域の決定」まで済んでいる状態にあるとみられる。道路予定線だ。
そしてこの道路の予定線は、ちょうどダート区間の入口にあたる左写真のところで、私が通った「市道」と斜めに交差して入山している。
やはりそこにも、目に見える道はない。
あとはゆったりとしたカーブを描きながら、大迫山の尾根を横断してから(高低差があるから、トンネルの建設を前提としているのだろうか)、レポートの最終に辿り着いた右の写真の地点――泉ケ丘側の県道端点である丁字路へ抜けるという、なんとも規格が良さそうな線形の道が予定されている。
予定線の全長は地図読みで約1.7kmあり、これがそのまま県道263号の現時点における未開通区間ということになるのだろう。
『せんだいくらしのマップ』より
一方、私が通った荒れ果てた市道についても、『せんだいくらしのマップ』に以下のデータが掲載されていた。
路線番号 泉1229
路線名 銅谷山の神線
最小幅員 1.80m
最大幅員 7.80m
延長 2384.7m
山神碑のところから入る市道らしい路線名だ。
最小幅員の数字も、リアルである。
ちゃんと現地を把握したうえで、市道の路線認定がされているのだろう。
以上のとおり、私が探索した山道が県道であったか否かについては、決着がついた。
地理院地図の表記は、正しくなかったのである。
一応、以前は地理院地図の表記通りに県道が認定されていたという可能性もあるが、後述する調査によって、その可能性も低いことが分かっている。
次のテーマは、宮城県道263号の過去。
いつものように、歴代地形図の見較べをしてみよう。
@ 現在 | A 平成10(1998)年 | B 昭和53(1978)年 | C 昭和39(1964)年 | D 昭和3(1928)年 |
---|---|---|---|---|
最新の地理院地図から昭和3年までの5枚の地形図をパラパラめくるように比較してみると、この90年間の様々な変化と、変わらなかったものを見出すことができるだろう。
最大の変化は、この地の約10km南に都心を有する巨大都市による“浸食”である。
D昭和3(1928)年当時、この辺りは宮城県宮城郡根白石村と呼ばれていた。
村の中心は根白石の集落で、街村的な地図風景は今日までほとんど変わるところがない。この地図中の数少ない“変化していない部分”だ。
根白石村の東側は複雑に山谷が絡み合う丘陵地帯で、集落の数も多くはなかったが、そこに銅谷屋敷の小集落があった。集落とその上手の溜池(銅谷溜池)も、現在と位置が変わっていない。
C昭和39(1964)年も、あまり変化はみられない。しかし、ここには見えない地名が矢継ぎ早に変化していた。昭和30年に根白石村は合併し泉村になり、泉という現在の区名が誕生した。その2年後の昭和32年に町制を施行して泉町になっている。都市化が始まっていたのだろう。
泉町は昭和49年に市制を施行して泉市になった。B昭和53(1978)年の地図も、一見するとあまり変わっていないように見えるが、右下に大きな変化あり!
民間の開発によるものとしては国内最大級ともいわれる1000haを越える全体計画を有している、三菱地所(株)による泉パークタウン開発計画が着手され、昭和50年に第1期工事である高森地区の入居が始まった。右下に見えるのは、その新しい街の姿だ。
パークタウン開発はその後も盛大に伸展した。泉市は昭和63年には仙台市に編入隣、翌年に旧泉市域が仙台市泉区となった。A平成10(1998)年の地図では、銅谷のすぐ東側まで山野が均され、第5期工事にあたる紫山地区の街並みが姿を見せつつある。
そして、この新しい街の拡大と全く歩調を合わせて延伸してきたのが、街のメインストリートである、我らが県道263号だった。
県道263号の東側区間(起点の泉ケ丘から、現在の中断地点である泉パークタウンまで)は、泉パークタウンの成長とともにあった。
ここでもう一度歴代の地形図を見較べて欲しいが、今回私が山越えした市道銅谷山の神線のルートは、一番古い「D」には見られず、「C」ではじめて登場している。
現地で感じたとおり、そこまで古い道ではなかったわけだが、それでも誕生から半世紀を経過しているようだ。
この最初は市道ではなく、林道であったのではないかとも思っている。(市道認定時期は不明)
「D」の時代の古い山越えルートでも、根白石集落から山神碑辺りまでは、今と道筋が変わっていない。
仙台市公式サイト内「定義道しるべ」に、「定義如来信仰は、近郷近在の人たちばかりではなく、遠く仙北や岩手地方の人々にも広まっていました。この方面の参拝者は、みな根白石村を経由して定義へと急ぎました。「上の宿」「花輪」の道標は、根白石銅谷から根白石上の宿、根白石花輪を通り、(中略)そして白木へとつなぐ定義道の、当時の面影を忍ばせてくれます」
とあった。山神碑のことは書かれていないが、古くより銅谷から根白石へ山越えで通じる定義如来の参詣道があったことが分かる。
山神碑はこの古道と関係が深そうだし、県道263号の西側区間(銅谷や根白石から定義方面まで)の原点は、定義参詣道にあったらしい。
こうして見ると、未だ繋がっていない県道263号の東西の区間は、それぞれニュータウン道路と参詣道という、全く性格の異なる道であったことが分かる。
それがなかなか「繋がらない」としたら、生体が持つ拒絶反応のようなものを想像するが、沿道に住む生きた人々の感情が道を生み出す力の一つであることを思えば、実際に無関係とは言えない気もする。
県道263号が初めて県道としての認定を受けた時期や、当時の経緯についても一部、仙台市議会会議録の調査によって判明した。
県道263号泉ケ丘熊ケ根線が認定されたのは、ニュータウンの建設が盛んに進められていた最中の平成8(1996)年4月であるという。
新しいと感じるが、それ以前の道路地図帳を確認したところ、確かにこの県道の全区間について県道としては描かれていなかった。
ところで、県道の認定には、道路法(第7条1項)で定められた認定要件のどれかを満たす必要があるのだが、県道泉ケ丘熊ケ根線は、その最後にある第6号要件「前各号に掲げるもののほか、地方開発のため特に必要な道路
」によって、辛うじて認定されたようだ。
認定の新しさと、この少しばかりご都合主義的な認定要件によって、いかにも恣意的に認定が行われた県道という印象を受けるのは私だけではないだろう。
実際、仙台市議会で平成7年2月28日に行われた都市整備建設委員会では、この県道の認定を巡って、市議と市路政課長の間で次のような質疑が交わされている。
- 委員:
- それで、この泉ケ丘熊ケ根線というのは、図面をずっと精査させていただきますと、現在道路がない部分も含めて、この路線認定をするようになっていると思いますが、違いますか。
- 路政課長:
- おっしゃるとおり現実にまだ道路がない部分が含んでございます。これに関しまして平成6年6月30日の建設省の道路局長の通達がございます。その中で、都府県道の路線の認定基準の通則の中の第5番目に、路線は原則として自動車交通可能な道路でなければならないと規定がございます。ただし書きがございまして、「当該路線の新設、または改築を行う計画がある場合には、この限りではない」、この条項を適用いたしまして今回県道の認定に関しての承認をいただくものでございます。
- 委員:
- 計画があれば……。 ここの計画というのはどこでつくられている計画ですか。
- 路政課長:
- 都市計画道路の宮沢根白石線、これが都市計画決定されているということで、計画ありということでみなしております。
- 委員:
- 都市計画道路の決定の時期はいつなんですか。昭和40年当時の計画の道路ということですか。
- 路政課長:
- そのとおりでございます。
- 委員:
- そして、道路を県道認定いたしますと、どういうこと──今もここは着工はまだしていないと思いますけれども、これから買収から、すべてをこれから始めるということなんでしょうか。その計画、今後の段取りはどういうふうになっているでしょうか。
- 路政課長:
- 道路の整備につきましては、県道整備事業あるいは都市計画街路事業とか、あるいは民間ディベロッパーによる整備とかいろいろ考えられるわけでございますけれども、さまざまな整備手法を駆使しまして整備するという考え方でおります。
- 委員:
- わかりました。これからの問題にもなると思いますけれども、要するにそこの地点が、泉パークタウンの第5期工事が今行われているところでありまして、そのそばも引き続き泉パークタウン開発計画がこれから出てくるんだろうというふうに思うんですが、そういう絡みの中で、この県道認定というのが突然浮上してきているという点で、非常に不審に思ったわけでありまして、今後改めてこの道路の問題については検討させていただくということで質問は終わりにしたいと思います。
なんかいろいろ怪しまれてるし……。
おそらく、民間企業による泉パークタウンの開発計画に、市が県道の建設という形で利益を与えることへの懸念が示されているのだと思う。
しかし、県道の路線認定は無事に行われ、この翌年の平成8年度から県道の仲間入りを果たしている。
そして、この県道認定とほぼ時を同じくして、根白石地区における拡幅工事が完成し、現在ある約500mの2車線道路が誕生したことも、議事録に記録があった。根白石中学校の通学路として、従来の歩道のない狭い市道では危険だからと、優先的に整備されたのが、あの500mの2車線道路だったようだ。
それはさておき、前記した質疑で特に興味深いのは、県道263号の現道のない部分に、昭和40年代から「都市計画道路宮沢根白石線」の建設計画が存在していたという話だ。
県道が認定される遙か以前から、その不通区間は都市計画道路の不通区間でもあったということだ。
決して10年20年ではない、遙かに長い雌伏の期間を過ごしてきた道だったわけだ。
次は、この都市計画道路宮沢根白石線について調べてみた。
仙台市が公表している平成30年4月現在の仙台市都市計画道路整備状況図(pdf)および都市計画道路一覧(pdf)見ると――
宮沢根白石線は、仙台市太白区宮沢の国道4号(旧道)を起点に、若林区、宮城野区を北上、一度富谷市へ出てから西進して再び仙台市に入り、泉区泉ヶ丘から同区根白石(の小地名である銅谷)の【丁字路】へと至る、仙台市の中心部と北部を結ぶ総延長20270m、全幅25m(4車線)の壮大な都市計画道路であることが分かった。
しかも、この路線の都市計画決定は昭和29(1954)年であるという。(今の都市計画法は昭和44年に施行されたもので、旧法時代の決定だ)
その後にも種々の修正はあっただろうが、宮沢と根白石を結ぶ路線名は変わっておらず、仙台市および仙台都市圏にとって、とても息の長い路線だったことが分かった。
にもかかわらず、平成30年現在でも全線の3分の1強が未完成(図の点線部分)で、今も事業が続けられている。まあ、都市計画では、半世紀を超えるロングランもさほど珍しいことではないが。
そして、この都市計画道路宮沢根白石線は、泉ケ丘以西の区間が、現在開通している県道263号泉ケ丘熊ケ根線と完全に重なっている。(都市計画道路は、あくまでも都市計画法が定める都市計画事業に登場する道路の種類であって、道路法が定める県道や市道といった道路の種類と同列にない。完成した都市計画道路は、必ず道路法の道路に組み込まれることになっている)
これは、おかしい。
先ほど引用した、平成7年の仙台市議会での質疑を思い出して欲しい。
「県道263号の現道のない部分には、昭和40年代から都市計画道路宮沢根白石線の建設計画が存在していた」という話だったはずだ。
だが平成30年現在、県道の不通区間は、いかなる都市計画道路にも指定されていないのである。
これはどうしてなのか?
そこには、都市計画の変更が隠されていた。
仙台市は戦前から都市計画を持っていたが、昭和41年3月の新産業都市建設計画に伴う大幅改訂により、2本の環状道路と11本の放射状道路を主軸とする大規模な都市計画道路網を策定している。これが先ほどの質疑にあった「昭和40年当時の計画」のことである。そしてこの11本の放射状道路の1本として、宮沢根白石線は位置づけられていた。
その後も路線網の拡大が行われ、平成21年度末当時は156路線、計画延長約504kmに肥大していた。
仙台市は平成23年1月に、都市計画道路網の大規模な見直しを行っている。
その具体的な内容は、仙台市が公表した『都市計画道路網の見直しによる「新たな幹線道路網」及び今後の都市計画の変更手続きについて(pdf)』に詳細に述べられているが、33路線70区間合計68.5km(全体の約7分の1)が廃止された。
『都市計画道路網の見直しによる「新たな幹線道路網」及び
今後の都市計画の変更手続きについて』 より転載のうえ作者加工
右図は、泉パークタウン周辺における、平成23年1月の大規模な都市計画道路網の見直しの結果を示している。
ここに赤線で描かれている道は、中止について検討したが継続が決定された区間で、青線の部分が廃止が決定された区間である。黒線は、そもそも検討の対象にならなかった区間(整備済や現に建設事業が行われている区間)だ。
「銅谷」から「根白石」に至る区間は、宮沢根白石線の一部として、赤線ではっきり描かれている。
つまり、平成23年の時点では、先ほどの質疑の通り、確かに県道の不通区間に都市計画道路が計画されていたことが分かる。
このときの大規模な見直しでは、「根白石」から南下して「実沢」に至る都市計画道路北山根白石線の一部などが廃止されているが、宮沢根白石線は存続している。
だがこの廃止は、次のさらに大きな廃止の序曲に過ぎなかったのだった。
平成29年2月7日に開催された第195回仙台市都市計画審議会にて、ついに宮沢根白石線の「銅谷」から「根白石」までの計画が廃止されたのである。
これはまだ去年の出来事だ。つまり、6年前である探索当時、この計画廃止はまだ行われていなかった。
同会議の議案書(pdf)によって、廃止の詳細を知ることができた。
第195回仙台市都市計画審議会『議案書』 より転載のうえ作者加工
平成29年に廃止されたのは、右図に黄色く塗られている3本の都市計画道路である(赤線の部分は既設で存続)。
図で下地が緑色で塗られているのは、都市計画法における「市街化区域」で、既に市街地を形成している区域と、10年以内に計画的に市街化を進める地域を示している。
このときに廃止された3本の都市計画道路は、泉パークタウンの西側に接する市街化区域を取り囲むように設定されていたものだ。
まず、宮沢根白石線は、終点が根白石の集落付近から銅谷の丁字路に変更され、全長が21600mから20270mへ1330m短縮された。
同時に、この廃止区間と接続する根白石線(1130m)は全廃され、南側に並行する七北田実沢線も1720m短縮されたのである。
チェンジ後の画像に追記したのは、「市道路線認定網図」で確認した国道や県道の位置である。
県道263号の予定線は、このときに廃止された都市計画道路宮沢根白石線の予定線と、ほぼ一致していたことが確認できた。
なお、3区間廃止の目的を、議案書は次のように述べていた。少し長いがそのまま引用する。
その後,開発事業者から,近年の社会情勢の変化等を踏まえ自然と調和した快適な住環境の整備を図り,より自然環境に配慮した開発計画とするため,区域北側から区域中央部分にかけて既存の緑地を連続的に保全するなど,区域内の道路計画について大幅な変更の提案がなされました。本市としては,当該開発計画の変更はより望ましい計画であると考えられることから,区域内の道路計画について変更協議を進めてきたところです。
これを契機として当該3路線の区間について,都市計画道路としての必要性を改めて検討した結果,今後周辺の地域において更なる市街化は見込まれず,当該開発計画に必要な区域内道路も整備されるため,都市計画道路として位置づける必要性が低いことから,当該3路線の区間について都市計画道路を廃止するものです。
「日刊建設新聞」2017年7月8日宮城版より転載
「日刊建設新聞」2017年7月8日宮城版の記事や、仙台市が公表している「(仮称)泉パークタウン第6住区開発計画書」(pdf)などによると、泉パークタウンの第6住区開発計画は、昭和50年に第1住区の入居が始まった三菱地所による泉パークタウン開発(全体計画1000ha超)の最終計画にあたるもので、第4第5住区の西側に接する山林約148haを開発し、宅地1965区画を造成するものであるという。
平成12年に土地利用計画が公表されていたものの、従来同様の開発手法(山を削り、その残土で谷を埋立てる造成)は環境への影響が大であるという意見が強くなったことや、住民増加ペースなどの鈍化などから、開発会社側で計画を大幅に見直すことになり、尾根の大部分や一部の沢地の地形を残しながら造成を行う新たな土地利用計画が決定し、市がこれを受け入れたのが平成29年度だという。
右は「日刊建設新聞」に掲載されていた、新しい第6住区開発計画の模式図だ。
先ほど掲載した平成29年に廃止となった3本の都市計画道路の配置と比較してみると、地区の北側を東西に貫通していた宮沢根白石線(=県道263号)の計画がなくなっていることが、はっきり分かる。
三菱地所サイト内「プロジェクトリポート『泉パークタウン』」より転載のうえ作者加工
一方、セピア色に彩られている右図は、三菱地所サイトの「プロジェクトリポート『泉パークタウン』」に掲載されていた、昭和46(1971)年当時のマスタープラン。
図中の赤線で囲んだところが第6住区だが、当時の計画には従来の宮沢根白石線のルートが太くはっきりと描かれており、これが近年まで既定路線の開発計画であったのだろう。
最後は、将来の見通しについてだ。
最新の新聞報道などによると、第6住区の工事は平成30年から既に始められており、5年後の分譲開始を予定しているようだ。
平成29年に正式に計画が廃止されている都市計画道路宮沢根白石線の「銅谷」〜「根白石」は、当然建設されない。
しかし、この都市計画道路の開通を織り込んで、当て込んで、路線の認定を受けていた県道263号は、どうするのだろう?
さすがに県道認定を取り消されることはないとしても、従来計画されていた位置に道を通すことはできなくなった(遠からず分譲が行われる)わけだから、計画変更を余儀なくされるはず。
たとえば、第6住区の南側にある既存の市道へ迂回するように県道認定を変更するか(たぶんこれが現実的)、一か八か、私が探索した市道銅谷山の神線を整備するか…。
だが、平成30年現在では、私が探索したときよりもさらにあの道は荒れているようで、遂に西側の入口も塞がれている(消えている?)模様だ。
前途は非常に不透明だと言わざるを得ない。
結局、この県道の繋がっていない区間をどうするかについて、将来の見通しを語るものは見つけられなかった。
人に尽くすのが道の本分であるとしても、この道の未来を示してあげる人が誰もいないのだとしたら、気の毒だ。
せめて、忘れられずにいて欲しいものだが…。