2014/2/1 13:06 《現在地》
いやはや、なんとも驚くべき県道が、三重県にはあったものである。
ただ水が抜けただけの“廃”水路の底が、そのまま路面として使われていた。
これは切り通しとも掘り割りとも異なる、濠という名の構造物でしかない。
水を逃がさぬ両側のコンクリートウォールが、今は路上から通行人を逃げさせない奇妙な檻になっていた。
唐突に現われた、この珍妙すぎる道路風景に、しばらく笑いが止まらなかった。
こんなに私を楽しませてくれて、本当にありがとう。こういうことがたまにあるから、道路巡りは止められない!
この道、事前に調べたとおり、法的には供用中の一般県道である。
そのため、多くの地図がここを県道として描いている。
地理院地図などは、この区間を前後より低規格の“軽車道”として表現することで、一般車両の通行が危ぶまれることをいくらか予感させているが、そうした表現を持たない市販の地図、例えば左の「スーパーマップルデジタル」などは、全く何の変哲もない1車線の県道としか見えず、おそらく過去には相当数の“罪なきドライバー”が、ここを通れると誤認して、この異様な道路風景を前に途方に暮れたものと想像できてしまう。申し訳ないが面白い。
それにしても、かなり大きな水路だ。
序盤で見た立梅用水には敵わないものの、一般的な灌漑水路よりはかなり大きい。小さな水路だったらただの歩道にしかなり得なかったろうが、この水路は一応、軽トラなんかは通行できるサイズがあるように思う。
とはいえ現状では、落葉や倒木や瓦礫が散乱しているうえに、直前の隧道を迂回する区間が幅1.5mないくらい狭かったので、少なくとも生辺側からここまで軽トラで入ることは難しいと思われる。
笑いを隠さず、満面の笑みを湛えながら、自転車を押し進めていくと、川側の壁が取り除かれたようになっている部分が現われた。
先ほどの隧道部分に迂回路があったことといい、これといい、本当にただ水路跡を県道にしてしまったというわけではなく、道路として使えるように、いくらかは手を加えているということが理解される。
私にはそのことが余計面白く感じられた。
だってこれって、道路としての管理者がちゃんといて、ここは道路なんだよってアピールしているに等しいわけじゃない。
ただ、図面上の道路位置が水路跡と重なってしまってますよ、でも通れるかどうかは知りませんよ、というような放任の態度とは違う。
最低限度(以下?)かも知れないが、確かに道路たるべく改造を施されている気配がある! そこに尊さを感じる。
明らかに故意に川側の壁が取り除かれていて、その分だけ平らな路面が出来ていた。
おかげでここは“待避所”として機能する状況になっている。
まあ現状は、待避所として活用されているようには思えない交通量だが……。
しかし、この水路跡を1車線の真っ当な道路として再整備する手法を、ここに垣間見ることが出来た。
川側の壁を全て取り除いて、平らにしてしまえば良いのだ。
これは技術的には困難ではないと思われる。
ただ、予算の問題なのか、地元のコンセンサスが得られていないのか、拡幅はこのように中途半端な状態で終わっていた。
路肩の様子。
ガードレールはおろか、転落防止に資するような僅かな突起物もない、完全に落下フリーな状況だ。
舗装されているのは好印象だが、路肩の石垣はおそらく水路時代のもので、モルタルなどで固めていない空積みである。
熟練者の空積みは城を支えるほど堅牢だが、これが自動車を支えるかは分からない。
また、こうして覗き込んでみると分かるが、結構高い。水面まで10mくらいはある。侮れない。
有名な寝覚ノ床を彷彿とさせるような美しい渓谷的風景を眼下に収めつつ、対岸に目を向けると、足元の道路と同じ文明とは思えないほど高規格な土木の仕事が見渡された。
地形図を見ると、対岸の舌状地は巨大な盛り土の上の平坦地のように表現されており、そこを飯南中学校が占領している。
金を掛けるべきところに、ちゃんと金を掛けるのが、行政の仕事だ。
この県道の【未成末端】から先は、いまのところ、金を掛けるべき所とは思われていないことが、この両岸の対比からよく分かった。
こんな水路の“お古”をあてがわれて、何が県道開通シテマスヨだよ……クソッ (←県道745号の心の声)
待避所だったのか、なんなのか、結局のところよく分からないが、
短い距離でまた、水路の側壁が路肩に立ち塞がり始めた。
中途半端な感じで取り壊されているのが、寂しさを誘う…。
しかし、自然歩道と考えれば、この辺りの景色や雰囲気は訪問者を落胆させないはずだ。
その点でも、ここを近畿自然歩道に指定した県や国は見る目があったと思うが、
現地にそれと分かるような案内物を置かないことには、何かの理由があるのだろうか。
13:10 《現在地》
また隧道!
また開けっぴろげ!
そして、また迂回路があるようだ。
私は、この状況をどう解読すれば良いのだろう。
現状は、シンプルである。
目の前の隧道は県道ではなく、県道は右の迂回路だということが分かっている。根拠は、県の資料にこの県道にトンネルが1本もないと明示されていることだ。
しかし、水路だった時代に想像を遡らせると、この迂回路の存在は謎である。
水路沿いに管理用の歩道や車道があることは珍しくはないし、水路が隧道になっている部分で、管理道だけが外を迂回するというのもありうるだろう。
だが、そうした管理道が水面より低い位置にあるとしたら解せない。
本当の水路はもっと深かったが、廃止時にコンクリートで底を埋立てたという説も考えたが、それでは現存する側壁の高さが不自然だろう。
結局のところ、この迂回路の来歴は、もともと水路隧道の外に迂回路などなかったが、道路化の際に新たに切り開かれたというのが、もっとも可能性の高い説といえるだろう。
どっち選べば良いんだ〜。
道路管理者も、現役県道の脇っ腹に、ここまで隠しようがなくトンネルが口を開けていて、進路を誤認する恐れがある状況なんだから、何か案内してやれよー(笑)。
お得意の立入禁止の看板どうしたんだよー。いつもはすぐ出すじゃんかよー。
見れば見るほど
どっちも同じくらいの幅で、荒れ方で、ただ闇か光かの違いである。
貫通しているかどうかは肝心だが、たぶんしている。それも短そう。
いよいよもって、どっちを選ぶかは、実利ではなく好みの分岐だった。
須臾ほど悩んで、
隧道突入
そして、突入と同時に、出口が見えた。
前のよりもだいぶ短いぞ。
発見した順序により“2号隧道”と仮称したいこの隧道、全長はわずか25mほどに過ぎない。
川岸の小さな突起部を、内陸側に僅かにバナナカーブを描きながら、くり抜いている。
“1号隧道”はほとんど閉塞した状況で、通行に利用されている様子は皆無だったが、こちらは内部に泥がなく極めて綺麗だし、水路時代のものと思われる舗装が残っているので、通行はとても容易い。実際にも通行している人がいるはずだ。
私も、自転車ごと通過を試みたが、全く困難を感じなかった。
まあ、天井がかなり低いので、ヘッドショットにだけは注意だ。
13:11 《現在地》
最初に隧道前に立ってから、この反対側の出口まで、所要時間は数十秒。
鏡に映したように西口とそっくりで左右反対になっただけの東口だ。
また、ここだけ見ると本当に道路用の隧道に見えて、とても可愛らしい。
しかし、よく知らないハイカーたちを道路のような顔で暗闇へ誘い込む、イタズラな水路隧道である。
こんな自然な動線で、自転車同伴のまま通り抜けられる隧道なので、先に県の資料を見ていなければ、私はきっとここで、「県道の隧道発見ウェーイ」ってなっていただろう。
残念ながら(?)、この隧道は県道ではなくて、なんか知らないけど県道脇にある穴という扱いなんだろうな(苦笑)。
全長25mほどの隧道に対応する、30mほど(推定)の迂回路にして県道。
ちゃんとこちらも一往復してみた。
幅を計測しなかったことを後悔しているが、さすがに軽トラでもここを通るのは無理そうだ。
2号隧道を後にして、終点へ向けて前進を再会。
この辺りは、渓谷沿いとは思えないほど光に恵まれた爽快な場所だ。
水路跡の面影もここにはなく、最初からこういう狭い県道だったと言われても信じそう。
思えば、水路跡を道路にしたという構造が明瞭に見て取れたのは、
1号隧道と2号隧道の間の僅かな区間だけだった。あんな風に残されているのが意図的なのかは不明だが、天下奇絶の道路として大いに価値ある存在だった。
ここに至っては、自動車交通不能区間とされる約700mの終わりは近い。
いつの間にか、区間の終わりと思われる辺りに見えた軽トラはいなくなったようだが、残り200mくらいといったところだろう。
もう問題はなさそうかな。
…そう思いました。 しかし、
13:14 《現在地》
3号隧道!
この場所は、2号隧道の東口から僅か15mほどで、
1つ前の写真の“く”の字形に折れ曲がったカーブにあったのだが、
その写真では判別できないように、よほど近づかないと気付かない。
今度の隧道、おそらく最後の1本だと思うが、少しだけ長そうだ。
ここからは、川沿いの迂回路(県道)の側に出口らしい凹みが見えない。
そして、例によって塞がれてはいないし、なんの警告もないが、
悪夢の入口だった。
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