道路レポート 国道231号雄冬岬旧道 上陸作戦 第1回

所在地 北海道石狩市
探索日 2018.05.24
公開日 2025.02.06


問う。

君は雄冬岬へ行ったことがあるか?

「YES」の人へ、再度問う。

それは、平成28(2016)年1月19日(火)午前7時より、前か、後か?



この2つ目の問に「後」と答える人は、何人もいないと思う。

なぜなら、平成28(2016)年1月19日(火)午前7時に、辿り着ける“道”がなくなったから。



ならば、ヨッキの出番である。

“西蝦夷三険岬”の一画、雄冬岬が、私を呼んでいる!


そんな、とってもシンプルな動機と目的だけが、この探索にあった。





というわけで、今回は雄冬岬(おふゆみさき)

まずはこの岬がどのような場所であるのかを、少し古い資料ではあるが、安定と信頼の『角川日本地名辞典』から教えて貰おう。

雄 冬 岬

石狩地方浜益村にある岬。日本海に突出し、北には留萌(るもい)地方増毛(ましけ)町雄冬の市街地が続く。雄冬岬がどの地点を指すかは明確ではなく、昭和45年の5万分の1地形図では、雄冬市街地と浜益村千代志別の中間に雄冬岬(タンパケ)と記している。松浦武四郎は「西蝦夷日誌」に「タンパケ(岩磯)、名義、海猟に来りし時、休息所にする故号く、此処西海岸第一の岬也」と記す。

岬周辺は増毛山地が海岸に迫り、輝石安山岩・かんらん石含角閃石などが高さ100〜200mの海食崖をつくり、奇岩や滝が多く、西蝦夷三険岬の1つとされ、航海の難所であった。昭和33年から国道231号の延長工事が進められたが、雄冬を挟んで浜益村千代志別〜増毛町大別苅間約26kmが開道工事の中心となり、ガマタ・タンパケ・雄冬岬などのトンネルが掘削され、昭和56年11月に開通、陸の孤島は解消された。

『角川日本地名辞典』より

印象的な“西蝦夷三険岬”の称は、北海道が蝦夷地と呼ばれていた明治以前からこの地方へ進出した主に和人の船乗りたちの間で恐れられた、三つの海の難所である。
雷電岬神威岬雄冬岬を指し、前者二つを私は探索済で、レポートも発表済である。
その最後に攻略を試みたのが、この雄冬岬であった。

『角川』の解説にもある通り、雄冬岬の一帯はかつて札幌と留萌を結ぶ国道231号の不通区間として往来を阻んでいたが、昭和33年より始まった長い開道工事の末、昭和56年にようやく開通し、初めて雄冬岬へ陸路が達したのであった。

(↓)次に掲載する地形図は平成4(1992)年のもので、昭和56年に全線開通した国道231号の当初のルートが描かれている。
途中に存在したトンネル名と竣功年、全長も、手元の資料から記載している。


地形図の陸地が最も西へ張り出しているところに、「雄冬岬」の注記がある。
そしてその一帯の等高線の密度は、本当にヤバい。海岸線から最大400mくらいの高さまで、崖のような傾斜で描かれている。
今ではあまり聞かなくなったが、古い資料だと雄冬岬の景観を形容して、“西の知床”と書いているものがある。なるほど、陸路がなければそんな感じする地形かもしれない。

だがともかく、この時代には既に国道が通じている。
昭和56年開通というと、昭和52年生まれの私よりも若い道路なだけあって、地図上での存在感もガッチリとしている。
いわゆる“酷道”といった感じでは全くない。
一見して必要そうな場所には全てトンネルが配置されており、中には2kmを越える長大なトンネルもある。

「充分に、良さそうな道じゃないか。」

「これでなにか困ることでもあるのかい?」

北海道外の整備感覚から、そのような印象を持つ人もいると思うし、正直私もまだその感覚が抜けきらない一人だ。

だが、問題はあったらしい。

(↓)次に見ていただくのは、同じ場所の最新の地理院地図である。
カーソルオン(タップ)で、先の平成4年の地形図に変化するので、ぷにぷにして見較べてみて欲しい。


なっげーーーーーーーーーートンネルになってる!

この現国道の平成28(2016)年に開通した浜益トンネルの長さは、4744mに及ぶ。

これは北海道内の道路トンネルとして、国道336号のえりも黄金トンネル(4941m)に次ぐ第2位の長さを誇る。

だが、この爆長いトンネルと引き換えに、雄冬岬を通る道路が消えている!

歩道さえなく、完全に消えてしまっている!!



実はこの超長大な浜益トンネル、ゼロから掘られたものではない。

(↓)トンネルの周囲を拡大して描いた次の図を見て欲しい。


浜益トンネルとは、従来のガマタトンネルと雄冬岬トンネルが、新設の「新雄冬岬トンネル」によって地中接続された姿である。

さらにそれだけで飽き足らず、ガマタトンネルの南側に隣接している千代志別覆道と千代志別トンネルまでを一体化させて、この4744mという道内2位の長さになっている。

従来の構造物や、近隣のトンネルまでをまとめてしまうのは、トンネル長さ競争ではちょっとズルい気もするが、接続されたトンネルごとに別々の名前だと管理上いろいろと不便なのだろう。
開発局が公表している『現況調書』などの公式記録でも、1本の浜益トンネルとして計上されている。

この既存トンネル同士を新設のトンネルで接続して1本化するという、トンネル内分岐を日常茶飯事にする開発局らしい変態的手法のおかげで、従来はガマタトンネルと雄冬岬トンネルの存在していた明り区間が、まるごと廃道になった。

結果、ガマタトンネルの旧北口と、雄冬岬トンネルの旧南口、そしてタンパケトンネルが、私たちの交通の世界から切り離された。地形図注記上の「雄冬岬」地点と共に……。



見にいかねばなるまい。



……とまあ、私はとても興味を感じて、見に行くことにしたのだが、皆さまはどうでしょうか? 

ぶっちゃけ、私が探索を試みた2018年5月時点だと、廃道になってから2年しか経ってなかった。
それだけ新しければ当然だが、現役時代に国道として利用している走行動画がyoutubeにあったし(ちゃんと今もある、敢えてまだ紹介はしないが、探せばすぐ見つかるだろう)、当時はストビューでもまだ見ることが出来ていた。

さすがにそこまで新しいと、現道と変わらなすぎてツマラナイのではないかと、そう感じる人も少なくないと思う。
その感じ方も、もちろん否定はしない。
こんな「つまらなそう」なことに、血道を上げて、血河を渡り、辿りつこうとする私のひょうきんさを笑ってほしい。


まずは、偵察から…。





当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口

このレポートの最終回ないし最新の回の「この位置」に、レポートへのご感想など自由にコメントを入力していただける欄と、いただいたコメントの紹介ページを用意しております。あなたの評価、感想、体験談など、ぜひお寄せください。



【トップページに戻る】