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道路レポート 国道231号雄冬岬旧道 上陸作戦 第4回

所在地 北海道石狩市
探索日 2018.05.24
公開日 2026.02.15

 最終日に時計が止まったままの ガマタトンネル北口 


2018/5/24 15:13 《現在地》

見てくれ〜〜〜!! やったぞ〜〜!

これが、廃止後初めて公開される(かな?)真の“陸の孤島”的廃道、雄冬岬旧道の現状である。

ここは2016年1月19日午前7時をもって旧道となり、同時に唯一の出入口であるトンネル内分岐が現道側へ切り替えられ、そのまま分岐を封鎖する工事が行われたため、以後、工事関係者はともかく、一般の道路利用者は完全にシャットアウトされて2度と通行する機会はなかったと思われる。
その切り替えから、探索時点では約2年4ヶ月が経過していた。

いま見ているのは、約200m先に口を開けるタンパケトンネルの南口だ。
海上からもそう見えたが、やはり間違いなく開口したままに見える。絶対に塞いであると思っていたのに……! 嬉しい誤算。
まだ中がどうなっているのかは暗くて見えないが……。出口の光も見通せていない。

そしてとりあえず、この道を見た第一印象は、“2年4ヶ月”って感じ。
なんじゃそりゃって感想だが、まともな道路を2年かそこら放置していたらこんな感じになるんだろうなという、こういう想像に慣れている私が想像した、そのまんまのような風景だと思った。
路面のちょっとだけ塵が多い感じとか、まだ遠慮がちな雑草の様子とか、錆が酷いけれども溶けるほどではないガードレールとか…。

車でも走ろうと思えば走れるだろうが、確かに現役ではない道だと察せられるくらいの、絶妙な廃道風景だった。
そして、私を含めてこのくらいの熟成度の廃道が好きって人は、大勢居ると思う。
私の場合は、滅茶苦茶荒れてるところが好きなのだろうと勘違いされているかもしれないが…。



同じ立ち位置で、振り返り。
こちらは、ガマタトンネルの北口である。
今から約3時間前(11:54)に、浜益トンネルの一部と化しているこのトンネルの【南口】を通過している。
一本のトンネルなのに、色々な意味で、本当に遠いところにある出口だった。

パッと見た感じも、後日色々検証してみた結果としても、旧道になる前日と変わっているところはないと思う。
全てが、供用最終日のままなのではないだろうか。やはり封鎖がされている様子もないし。簡単なバリケード封鎖さえない。
坑口に取りつけられた標識類もそのままのようであるが、「この先2450m間通行注意」の文字と共に、落石注意の警戒標識を掲げているのは、なかなか尖った個性だと思う。

「この先2450m」の内訳を考えると、ガマタトンネルが2060mを占めているのである。
トンネル内で落石注意とか、どうしろって言うんだよ(笑)ってツッコみたくなる。
地上が危険なのは分かったから、せめてトンネル内くらいは落石のこと忘れさせてくれよ〜(苦笑)。



これは昭和63(1988)年刊行の『北海道の道路トンネル第1集』に掲載された、この坑口の写真だ。
坑口の外観は(ほぼ)変わらないが、左に現存しない案内板が写っていた。

この案内板に書かれている文字は潰れていて読み取れないが、おそらく、「このトンネルには」「方向転回所が」「あります」と書いてある。
先の偵察探索でガマタトンネルを通過した際に、確かに転回所があるのを見ていた。
現在では、より長大な浜益トンネルの一部となって名前を失ったガマタトンネルだが、かつては単独で北海道ナンバーワンの長さを誇るトンネルだった時代の名残と言えそうな案内板である。
長大トンネルが珍しいものでなくなると共に、車輌転回所の存在も特筆するものではなくなり、案内板も撤去されたのだと思う。

ちなみに、浜益トンネル内に車輌転回所があるのはガマタトンネルだった部分だけで、他の千代志別・新雄冬岬・雄冬岬トンネルだった部分には、非常駐車帯だけがある。



これは扁額の部分を撮ったものだが、『北海道の道路トンネル』の写真とは微妙に扁額の位置が違うことに気付いただろうか。

扁額が、なぜか、下へ数十センチ移動しているのである。
偵察探索では、「千代志別トンネル」南口の扁額が「浜益トンネル」へと取り替えられているのを見たが、このガマタトンネルで名称の変更が行われた形跡はないし、“もの”自体も同じ扁額に見えるのだが、位置だけがずれている。どうでもいいっちゃどうでもいいんだが、理由はあったはずで、謎である。



こちらは、坑門左側の壁に取りつけられた銘板だ。
現道である南口からは撤去され、失われた銘板の貴重な片割れである。

しかし、海水を浴び続ける立地にある金属板の宿命か、劣化によって角部が破断し、勝手に剥がれ落ちようとしていた。
既に半ばまで浮き上がってきていることが、下の影の形から分かると思う。触れば今にも剥がれてしまいそうだった。
前述した扁額についても、取り付け部の劣化によって脱落の危険が生じ、取りつけ直したというのが、位置が微妙に変わった真相かも知れない。



15:14

ガマタトンネル北口より入洞!

既にこのトンネルの全長の9割以上は、浜益トンネルとして偵察時に探索済みだが、この北口側に取り残された廃止区間を探索する。
当然のように事前情報は一切無く、立ち入れる状況にあるのかも不明であったが、拍子抜けするほど問題なく入れてしまった。
塞ぐようなものが全くなかったのである。

入洞時点で、出口は当然見えず、風も吹いてはいなかった。
そして、おそらくは閉塞壁の一部であろう何かが、反射材によって光っているのが見えた。そこまで外光が届いて反射しているのであるから、やはり遠くはない位置だ。
天井には照明器具も全て取りつけられたままになっていた。あと数年もすれば、海水による腐食で全て落ちてしまうと思う。

また、入ってすぐの壁面に、北海道内の国道では最もよく見るタイプのキロポストが取りつけられていた。
札幌から85.5kmであるという。
しかし現状では、自前の船の用意がなければ、札幌という場所へ辿り着く術はない。



入口から15mほど進むと、右側の壁に鉄の扉で塞がれた通用口があった。
トンネル内しか見ていない状況だと、既に地山の中に潜り込んでいて、横坑があるような想像をするに違いないが、チェンジ後の画像に示しているように、ここはまだ覆道の内部である。
断面が覆道らしからぬトンネルと同じ形をしていて、かつ明り窓がないので、地下だと思うのも無理はない。

この実質的には覆道である区間は、外観を見る限り60〜70mはあるが、トンネル内の壁をいくら眺めてみても、覆道からトンネルに変わる部分の区別は付かなかった。



15:16

坑口だけでなく、洞内も、現役当時のままのようだ。
照明だけでなく、備え付けの消火器もそのままになっていた。
消火器の隣には、トンネル内の現在地を知らせるための距離表示板が設置されていたが、これにより北口から100m進んだことが分かった。
ちなみに、浜益トンネルの一部となった現役区間では、この距離表示板が【新しいもの】に置き換えられている。

以上のように、北口から100mまでは、ただ照明が消えているだけのトンネルに見えたが……



120mくらいの地点に、この異様な光景が待ち受けていた。

入洞時点から見えていた反射材の光の正体は、このトンネルの断面を半減させる異形の門であった。
これは一時的なトンネル分岐のための仮設構造物である。
新旧のトンネルを鋭角に分岐させる際に、そのままだと地圧を支える強度が不足するために、一方の断面を縮小させて地山を支えるセントル補強を行った名残だ。



セントル補強区間の内部。
道は強制的に1車線となり、いかにも仮設構造物らしい無骨な鉄骨の壁、天井、路面に囲まれた、異様な空間である。
このようなトンネル分岐の工事現場だけでなく、通行を維持したままトンネルの拡幅を行う工事などでも、このようなセントル補強が行われる。
とはいえ出会う機会は少なく、実際に車で走った経験がある人は多くないと思う。

なお、この車道用の空間の右側に、幅1mほどの小さな歩道用の空間も用意されていた。
そっちはまさに人道用の坑道を思わせる圧迫感だった。
国道231号のこの辺りを歩いて通る人は今も少ないので、車道以上に利用の乏しい空間だったと思う。



なお、未だにストビューでは2014年7月に撮影された、この部分の通行風景を360度パノラマで見ることが出来る。
当時は薄暗い工事用照明が灯っていたことや、片側交互通行の規制など、リアルな状況が見られる。
ただ残念ながら、ここからトンネルの出口へ近づいていく部分は、もう見ることができなくなっている。トンネル外は私の独擅場である。



15:17 《現在地》

そして、北口から約140m(うちセントル部は20mくらい)進むと、遂に坑道は抜け目ない鉄の壁で塞がっていた。歩道側も同様である。

この閉塞壁だけは、道路利用者が最後まで見る機会のなかったものである。
まさに“道路の舞台裏”というべき壁であり、舞台裏が見栄えを気にしないのと同じように、ベニア板代わりの鉄壁といった風情だった。
【表の壁】が瑕疵なく取り繕われているのとは対照的だ。

閉塞壁の厚みは最大でも10mくらいだと思うが、これは2度と開くことのない永遠の杜絶であり、これにより“陸の孤島”が作り出された。より正確には、陸の孤島へ“還った”というべきか…。
ここまで来るのは、私にとって大変だったが、こういう道路の舞台裏を見るのは大好きなので、報われた気分だ。

退転。



入口を振り返ると、先ほど紹介したストビューで見た風景とそっくりだった。
生きているか死んでいるかの違いはあるが、その差も外の光の眩しさにカモフラージュされている。

2016年1月19日の午前7時に交通が旧道から新道へ切り替えられたという。
手元の資料を見る限り、特に式典は行われていないようだから、片側交互通行のタイミングで、さっと切り替えられたのだと思う。
その際の新道の先頭は、道路パトロールカーなどが先導したかもしれないが、旧道にも最後尾の通行車両が必ず居たはずだ。それも関係者以外の。
ある道を最後に通行した体験というのは、新道の通行第一号と違って華やかではないからか全然伝え聞かないが、本来1:1で起きている事象である。
このトンネルのでなくても良いので、道路の最後通行体験をお持ちの人がいたら、体験談をコメントとかで教えて欲しいです。みんなも気にならない?

……っと、話が脱線した。
ここが、一連の雄冬岬旧道の最南端である。
この壁に背を向けて、1.4km先にある最北端を目指す。
最北端もおそらく状況はここにそっくりだと思うが、途中については予想が付かない。



まずは、次のタンパケトンネルが通り抜けられるかどうか。

それが今後の展開の大きな分岐点になるだろう。






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